とりあえず一所懸命

鉄道の旅や季節の花、古い街並みなどを紹介するブログに変更しました。今までの映画や障害児教育にも触れられたらと思います。

へいせい筑豊鉄道への旅3(2018.6.3撮影 一部2013.5.18撮影)

2020-05-12 09:37:01 | 鉄道旅

平成筑豊鉄道の旅を続けていますが、2013年5月19日のブログにもその記録を残していました。

その時は車で行って鉄道にそれほど興味がなくて、歴史的建造物として記録していました。

平成筑豊鉄道田川線には歴史的な鉄道遺産がたくさん残されていました。今回は知識不足で田川線に乗車しなかったことが後悔です。次回もう一度挑戦します。

最初の2枚が内田三連橋梁です。この上をへいちく号が走ります。

 

続いて石坂トンネルです。九州最古のトンネルです。その頃には価値に気づかずさらっと見ましたが作業員の人に頼んで線路の中に入れてもらって撮影できたのが幸いです。

車掌車も含め、今見たら生唾ごっくんものです。

  

 

直方の町の続きに戻ります。直方駅の線路の数は半端ありません。貨車の引き込み線と思われる線路が張り巡らされています。

石炭採掘最盛期の賑やかさが偲ばれます。

遠くにキハ40系と最新の813系電車が並んでいるのはちょっと印象的でした。

おやおや、817系の電車の横には平成筑豊鉄道の500型501号「ひとつ星」が止まっていて駅マルシェを楽しんでいます。

並べてみると相当ノスタルジックな車両です。

 

直方は元大関魁皇の出身地でもあります。駅前にどうどうとした魁皇関の姿が。

途中乗換駅で面白い電車に遭遇しました。

電車ではなく「DENCHA」です。バッテリーで走る電車です。非電化路線をディーゼル車ではなくでんちゃが走っているのです。

乗り換えた駅周辺は都市化がどんどん進み、人口が増加し、乗り換えのための立体交差が進んでいて、架線を引くスペースがなかったそうです。

でも電化区間との直通運転や高速運転を考慮するとこの道しかなかったようです。

結果、この「BEC819系」が誕生したようです。九州は交流電源、バッテリーは直流ということで技術的には大変難しかったようです。難点はやっぱり走行距離ということでしょうか。

 

下関まで帰り、山陽本線を待っていたら、向こうのホームがざわついていました。

何事かと思っていたら、「トワイライトエクスプレス瑞風」が発車しました。

噂通りの豪華な列車で「庶民の足を犠牲にしてまで豪華列車でもないだろ!」と毒づいていたこともすっかり忘れてその美しいフォルムに魅入ってしまいました。

その後、乗れないこともあるのでNゲージを買うことになるのですが。 

3枚目の写真で展望デッキから手を振る人たちのいかに誇らしいことか!やっぱりムカつきます。     

 

 

 

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平成筑豊鉄道への旅2(2017.6.3撮影)

2020-05-11 23:02:07 | 鉄道旅

平成筑豊鉄道は元は炭鉱専用の3路線でしたが、国鉄に合併された後に、旅客船用にし、経営もいろいろと努力をしているようです。

テレビで紹介されたのを見てどうしても行きたくなりました。
車両もカラフルにして座席も改良をしているようです。貸切列車やレストラン専用の列車も用意しているようです。
つり革にも名前が入っていたりと予算獲得のためのあらゆる努力を惜しまないという作戦のようです。
それでも、地元の人たちの交通手段が守られているのだから大いに評価されるべきです。
車両基地のある金田駅にはいろんな車両があると聞いたので向かいました。

 

 

3枚目がキハ400型408号ちくまる号<ブルー>です。4枚目が400型411号ちくまるLINEスタンプ号です。

金田駅に降り立ち、カラフルなディーゼルカーを望遠で撮影していると。はるか向こうからピンクの車両が近づいて来ます。
先頭に陣取った少年の透き通った眼差しが遠くからでもわかります。
到着しても私の望遠レンズをじっと見つめてくれていました。
担任している子どもと同じで、、鉄道でつながっているようなそんな感じでした。ちなみにこの車両は407号マクセル号

 
ホームの枕木もメッセージが書いてあり、みんなで支えているヘイチク(平成筑豊鉄道)という雰囲気がガンガン伝わります。
マクセル?なんしようと?どういうメッセージなんでしょうか?
maxellと言えばカセットテープというイメージが強いのですが。

 

金田駅の画像です。赤い車両はその名も「ひとつ星」です。ななつ星までは行かなくても、車内で食事が出る平成筑豊鉄道では最大のおもてなし列車です。

この車両は500型501号「へいちく浪漫号」です。この日は食事を提供する車両として発車前にお弁当をテーブルに配っていました。一度乗ってみたいような気もします。

3枚目は412号<旧型車両塗装>です。
カラフル車両が勢揃いするとなかなかの見応えです。右後ろに写っている白っぽい車両が410号「つながる号」だと思います。望遠で撮ってこれが限界でした。

 

 

平成筑豊鉄道あかぢ駅と南直方御殿口駅の間に嘉麻川橋梁があります。2連のトラスト構造を持ち、橋梁・橋台は煉瓦造で上り側は明治のものでイギリス製だそうです。
橋梁は、駅と駅の真ん中にあり、川を越える道はどこにもなく、暑い中を延々歩かないと辿り着きません。
やっとの思いで撮影した1枚です。

 
その後、次の駅まで歩くしかなくでも歩いていくうちに古い町並みに出会い、結局二駅向こうの直方駅まで歩くことになります。

直方の町までたどり着いて散策します。
半分は、昼食の場所を探しながらの歩きなのですが、手頃な店はどこにも見当たりません。
造り酒屋だろう建物だったり、ホーローの看板、煉瓦作りの壁
、旅館風の窓など昔炭坑で栄えた町らしい風景がいろんな所に溢れます。

 
昼食は駅前まで無理だと諦め、写真を撮ることに集中しました。

 

 

直方の町で古い建物を利用している美術館に入りました。
観覧料無料と言われたので「あれ?」と思いましたが、私の感性のせいか目に止まるものがありませんでした。
出口で「来週から特別展がありますからぜひお越しください」と言われ、山口から来ているので難しいことを伝えると、ぜひ石炭記念館に立ち寄ることを勧められました。館長がとても話好きで詳しく説明してくれるとのことでした。
昼もちょっと過ぎ、空腹も気になっていましたが、立ち寄ることにしました。
いきなりコッペル型機関車やC11が屋外にピカピカの状態で展示してあるのに驚きました。

 

 

石炭記念館本館はなかなか古い建物でした。
先に受付を済ませてから入るように指示されていたので受付に向かいました。すぐにどこから来たのか聞かれ、初めてだと伝えると「それでは簡単に説明しましょう」と案内をしてもらいました。
話好きとは聞いていましたが、見事な説明でした。筑豊の地名の由来(筑紫国と豊前の国にまたがっているから)から始まって、直方駅がどうしてこんなに広く、線路がたくさんあるのは炭坑鉄道だったからだとなるほどなるほどの話が満載でした。
 建物自体は、筑豊石炭鉱業組合直方会議所として明治43年に建てられたものだそうです。
 筑豊石炭鉱業組合は石炭産業の炭鉱主の団体で財閥ではない企業家の集まりだったようです。その会議所のような役割を担っていたようです。
 木造2階建、瓦葺き、入口にアーチを配した洋風建築です。室内に入ると天井のシャンデリアや階段の手すり、マントルピースなどにお金がかかっているなと思わされます。
 2階にある炭鉱労働者の姿とはかけ離れているような世界にちょっと違和感があります。

 

 

 

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平成筑豊鉄道への旅(2018.6.3撮影)

2020-05-11 15:54:09 | 鉄道旅

コロナ禍でdこにも行けないので、昔行った鉄道の旅を焼き直しして紹介します。

2018年に担任したRくんは鉄道に関する興味だけでなく、知識も大人顔負けの鉄くんでした。生活面では弱さを見せるRくんと仲良くなるには鉄道の話がいちばんでした。

この年からの鉄道旅はパワーアップしていきました。今までにも旅行に行くたびに鉄道の写真は撮ってきましたが、今担任しているRくんと会ってからは鉄道の見方が全く変わりました。
そういう目で見ると撮るものもこれほど変わるのかと思わされました。
車両の型や車体番号など興味が湧いてきます。
新しい車両には興味がなかったのですが、明日見せてやろうと思うと撮る気が湧いてきます。
そういった鉄道旅のスタートです。


早朝の山陽本線岩田駅です。この駅舎はデザイン的には優れていると思っています。元々は伊藤博文が生家に帰るとうことで鳴り物入りで生家横の洋館(現在は旧記念館)と駅舎を建てたと聞いています。当人はハルピンで暗殺されてしまったので帰れませんでした。現在の駅は、その後何度も手を入れているものですが、デザインはかつてのものをベースにしています。私には好きな駅の一つです。
2枚目は、かつてのメインストリートです。昔はこの通りに郵便局や和洋服屋、下駄屋、文房具屋、自転車屋、本屋、時計屋、映画館、造り酒屋などなど軒を連ねていたものです。今は見事に何もありません。
3枚目は駅のホームから見る反対側の光景です。のどかな田園地帯が広がっています。
4枚目は、冬になると凍って危険な跨線橋です。子どもの頃はこれさえなく、ホームの階段を降りて、線路を渡っていました。

 

 

画像ですが、1枚目は下関止まりの115系です。これが下関止まりで、関門トンネルを超えるには同じ山陽本線に乗り換えなくてはならないのが何とも不思議です。

JR西日本とJR九州では架線を流れている電気が違います。九州側は交流2万ボルト、本州側は直流1500ボルトです。電車は架線を通して電気を供給します。

“交流」と直流は直に接続できないため、間に「デッドセクション(死電区間)」という電気の流れていない部分を挟みます。

そんなことができる特別の電車が415系交直流電車なのです。

乗客は下関で乗り換えて、関門トンネルを越えて次の門司でもう一度乗り換えです。

115系の黄色は何とも田舎臭い色でそろそろやめてくれないかな?と担任している6年生の鉄オタくんとも話しています。
2枚目は415系です。何ともクラシカルな電車です。
この電車に乗って小倉まで行かなくてはいけません。
3枚目は、下関駅のホームです。歴史を感じる駅です。
いろんな意味でのたくさんの大陸からの人たちを輸送してきた駅です。
4枚目はモハ415の座席シートです。これがまたなんともクラシカルなのです。
嫌いではありません。
さすがJR九州という感じです。

 

 

小倉駅からJR日田彦山線に乗り換えます。乗り換えの反対ホームに885系特急「白いカモメ」が止まっていました。
私はこのたまご型の特急が結構好みです。
車両にはJリーグのシールがベッタリ貼ってあります。
最近JRはこの手法をよく取りれていますが、私はあまり好きではありません。
サッカーですから、あまり贔屓のチームはないのでまだ大丈夫ですが、野球にはちょっとうるさいものがあります。
山陽本線で真っ赤にペイントされている車両を見るとムカッとします。
公共の車両は公共の立場で運転してほしいものです。(笑)


日田彦山線は電化されていません。
ディーゼル車の心地良いエンジン音に揺られ田川伊田まで走ります。
3枚目の車両はキハ47です。
座席シートも見事に懐かしいシートです。シートの柄も懐かしい柄です。

 

 

小倉駅から乗ったキハ47の旅は結構長い距離を走ったような気がします。
停車駅は短いのですが、止まる駅は多いように思いました。
もう一つ、行けども行けども、小倉南区でした。
なかなか北九州市から脱出できない。


ドア付近に見慣れない注意ステッカーを発見しました。
「床に座らないでください」どういう状況でこの注意は貼られたんだろう?想像が膨らみます。
2枚目は採銅所駅です。文字通り銅を採掘していたのだろうと思われます。
以前、車で来てこの駅からゆふいん号を撮影したことがあります。
この駅の風景は好きです。
楽しみにして車内から撮ったのですが、降りて撮った方が趣が出るようです。

 
3枚目は先頭車両から見える採銅所駅のホームの先にあるトンネルです。車内でもゴソゴソしている怪しいカメラマンです。
4枚目は今回の目的の平成筑豊鉄道の『ちくまる』くんです。

 
1両で走るワンマンカーです。400形「なのはな号」です。
取りあえず、車両基地のある金田駅を目指します。

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「三江線に乗っておこう」2(2017.11.5撮影)

2020-05-10 20:55:31 | 鉄道旅

石見川本駅を降りると、町をあげての産業祭の真っ盛りでした。
昼ごはんを食べられる店も少ないだろうと思っていたのですが、これは何かありそうな予感です。
1時間半の滞在時間も退屈しないで済みそうです。


歩行者天国の両側には出店がずっと並び、お祭り気分を盛り上げます。
大きな音が聞こえてくるので近寄ってみると昔は鳴らしただろうなと思われるバンドが演奏しています。

お客さんもしっかり入っていて、みんなちゃんと聞いているのでとっても良いムードです。映画で見るようなシーンです。

 

 

特産物や用もないのに農機具の展示等々色々見て回って、結局昼食はカレーとビールという普通のメニューに落ち着きました。

昼食を摂って、石見川本の特産であるエゴマ商品をいくつか買い求めて駅に向かいました。
三次からの混雑ぶりを恐れてか、ホームでは、すでに乗車待ちの行列ができています。どの顔も先ほどまで一緒だった顔です。
せっかく来たのだからと、鉄道大好きモード満載の人に頼んでシャッターを押してもらいました。
駅のホームには線路を再利用した柱が建っています。
古い駅にはつきものです。
発車15分前には乗車することができました。

発車前のひと時を利用して川本町の町長さんが挨拶に来られました。他にも観光協会の方が、最近の豪華観光列車の傾向を嘆きながら、生活に直結している路線の廃線の残念さを熱く語られていました。
本当にそう思います。

 

 

石見川本駅から後半の旅になるのですが、やっと座っての移動になると緊張感がなくなったのか、昼食で飲んだビールのせいか、うとうとしてしまいました。
江の川沿いの風景も見慣れてくるとシャッターを切る回数が減って来ます。
もうすぐだな?と思っていたところで「千金」という駅名を見つけました。「値千金?」と思ったら「ちがね」でした。終点まであと二駅となると川幅もグンと広くなってきます。
そして、長い長い三江線の旅もゴールです。

 

 

三江線の終点である江津駅から一つ戻った江津本町駅の近くに天領江津本町甍街道があります。
明治大正時代の歴史的建造物や商家や土蔵が点在する通りがあります。
小さな川沿いが何とも良い雰囲気を醸し出しています。4枚目はは明治前期に建てられたとされる郵便局です。
洋風な造りで窓にはステンドグラスが入っています。

 

 

古い町並みと細い路地を歩くのはたまりません。どこへ行ってもこういう町並みを探します。
江津本町駅周辺は、あまり長い距離ではありませんが、2本の道沿いに赤瓦の町並みが続きます。
見るからに大きなカメラを提げて歩いている怪しげな私に、町の人たちは気楽に声をかけてくれます。
「良い写真は撮れましたか?」自然と「ありがとうございます」と応えてしまう温かいムードが漂います。
私は仕事から離れるとあまり口を開く方ではないのですが、この町では、笑顔で応えているから不思議です。

 

 

 

三江線に揺られてくねりくねりの江の川をずっと見て来ると、広々とした河口の江津の川面は何とも言えません。
青空も川面を一層映えさせています。

 

 

江津駅前の観光案内所の前になぜかわかりませんが、金の蛙が鎮座していました。
石見神楽の地らしき置物も用意してありました。
帰路はスーパーおき5号で益田まで山陰本で線、益田から山口線で新山口まで向かいました。
新山口からは、山陽本線で最寄りの岩田駅まで。
朝6時半〜夜8時半までの長旅終了です。
わかる人にしかわからない無駄な時間の使い方です。

 

 

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「三江線乗っておこう」の旅1(2017.11.5撮影)

2020-05-10 14:04:42 | 鉄道旅

2018年4月に廃線が決定していることもあり、一度乗っておきたいと思っていました。車では何度か沿線沿いを走ったこともありますが、全線を乗車したことがないので、計画しました。もちろん、ひとり旅です。
広島まで新幹線を利用して芸備線に乗り換えたまでは、順調な旅でした。芸備線はお馴染みキハ47です。

芸備線は途中から後ろを切り離してワンマンカーになります。先頭車両の前からでないと降車できません。
田園風景ものどかですが、まだ広島市です。
途中駅でのすれ違いのための停車駅の様子です。

 

 
三次駅から三江線に乗り換えようとした途端に目が点になりました。二両編成にも関わらず、すでに、人ひとひとでぎっしりです。

芸備線からは早足で来たので乗り換えの波の先頭近くにいたにも関わらず、シートだけでなく、通路にも人が溢れています。
三次まで車や観光バスで乗り継いでいるのかもしれません。

乗客のかなり大半が私より年上の方ばかりです。乗り換え組は鉄道大好き人間たちです。三次駅から勇んで乗り込んだ三江線ですが、大混雑でのんびりした旅は、得ることができませんでした。

乗降客が少ないために廃線に追い込まれたのに、何と皮肉なことでしょう。
いろんなメディアを通じて、「廃線」が伝えられると、一つのブームになり、土・日は大混雑になるそうです。
人気を当て込んでのツアー会社もきっちり入り込んでいます。
不思議な現象です。とは言う私も一緒に踊っている一人です。
三次駅で乗り込んだ車両ですが、最初は出口付近にいました。だんだん、人が増えて来たので、少し中に入り通路の中央付近まで移動しました。
それでも目についたものは何とか撮影しました。

 

 

 三江線は乗車してからどにずっと立ちっぱなしです。
「遅い」、「揺れる」、「すぐに次の駅に止まる」でなかなかのんびりした旅ではありません。
立ってる人たちにもかなりお年の人もいるので、もし席が空いたとしても座る元気はありません。

たくさんの頭を避けながら、辺りの画像を狙います。川岸の反対方向からたくさんの鉄道大好きの人たちが集まってます。
座ったら座ったで写真が撮りにくいということもあり、大きなレンズを抱えた人たちは先頭付近に立ちっぱなしで狙っています。
確かに三江線の写真を撮るとしたら川向こうから望遠で撮影するほうが良さそうです。
窓からの画像ばかりで少しマンネリ気味かもしれません。

 

 

同じく車両の窓から座っている人に遠慮がちに撮影した数枚です。
やっぱり車で来てきっちり撮影したい駅ばかりです。
一度降りてしまうと次の気動車が来るのは数時間後ということになってしまうので、降りることもできません。
駅のホームにもカメラを片手の人たちが溢れています。
なぜか、どちらも手を振る不思議な光景です。
三江線はずっと江の川沿いを走ります。
所々に見える鉄橋が良い風景です。
2枚目の金網越しの駅は宇都井駅です。
「天空の駅」とも呼ばれるこの駅は駅舎が地上20mにあり、日本一と言われています。
ホームから集落が見渡せる不思議な光景です。ホームまで116段の階段があり、ちなみにエレベーターはありません。
日本一反ユニバーサルな駅だと思います。

 

浜原駅、粕淵駅で三瓶山の紅葉の旅や温泉巡りの人たちがどっと降りたので車内に少し余裕が出たので、先頭の運転士の近くの窓に移動しました。
先頭の窓には、少年が陣取っています。飽きることなくずっと眺めています。
列車は、石見川本駅(いわみかわもと)に到着です。これで前半の旅が終了です。

この駅から後半の江津駅方面に向かう列車に乗るには、1時間半近くあります。ゆっくり昼食を取ってもまだ時間に余裕があるほどです。
中国山地の青空をバックに乗ってきた気動車を撮影です。
この日は、三江線廃止まで146日の札が下がっています。
ちなみこのキャラクターは、石見みえさん24歳新人運転士見習いだそうです。

 

 

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JR最南端駅 西大山駅への旅4(2017.7.31撮影)

2020-05-09 22:36:23 | 鉄道旅

鹿児島の夜を満喫して、次の日はちょっと遅い出発です。
鹿児島中央駅から“指宿のたまて箱”に乗ります。
駅のホームで待っているといろんな人を見かけます。
女性の一人旅の人を見かけました。
カメラ撮影をたのまれたので少し話を聞くと、山口県の人で2泊3日で鉄道の旅をしているとのことでした。
内容は私よりもっとコアで、ビックリです。
上には上がいるものです。

「いぶたま」に乗って指宿に到着です。
指宿からは各駅停車で目的地の西大山駅を目指します。
指宿は言わずと知れた指宿温泉の最寄り駅です。
駅のすぐ前に足湯が用意されています。

駅で見つけた観光用のポスターが秀逸でした。
広島と大阪への早得切符のポスターです。
お好み焼きに掛けて「あなたのお好みはどっち?」
「野球もこっちが上」の広島に対して、「ひっくり返すのが得意」と大阪。
現実的には難しい状況だけど、思わず手を叩いてしまうほどの出来映えです。
人の心をギュギュッとつかむこういうキャッチを作りたいですね。
この旅一番の勉強になりました。

 

 

指宿は私の好きな起点終点の駅です。
駅のホームも何となく味があります。
指宿と鹿児島中央駅を結ぶ各駅停車の電車もJR九州らしさが満点の車両です。
私は、行きも帰りもいぶたまを選んでしまいましたが、なのはなもなかなかです。

 

 
 
指宿から乗るのは、西大山駅へ向かう枕崎線各駅停車です。お馴染みキハ47です。山口で見かけるたらこ色とは違い国鉄色です。 
実は乗車直前まで、枕崎まで行ってそこから15分で折り返して指宿まで戻るか、西大山駅で降りて、次の電車まで2時間ちょっと待つか迷いに迷っていました。
西大山駅に到着してから駅前の雰囲気を見て、降りることにしました。
駅前には、土産物屋とちょっとした食堂を兼ねたような店が一軒あるだけです。
でも、この駅は人気があるよう、“わ”ナンバーを付けたレンタカーがひっきりなしに到着しては、記念写真を撮ってまた立ち去っていきます。
その大半は、中国からの観光客みたいでした。(完)

 

 

 

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JR最南端駅 西大山への旅3(2017.7.30撮影)

2020-05-09 13:48:52 | 鉄道旅

吉松駅で「いさぶろう・しんぺい」号からは「やとの風」に乗り換えます。
吉松駅もかつては、鹿児島本線、日豊本線の二大幹線の分岐駅として、多くの乗降客、農林産物等の集約駅として鉄道の要衝だったようです。
最盛期の頃は、機関区、保線区など600人も数える従業員とともに“鉄道の町”として栄えたそうです。
今はその面影はあまり見られません。
石倉は1903年当時に作られた燃料庫だそうです。

 
駅前には1935年頃(昭和10年頃)に作られたC55(シゴゴ)が展示されています。
屋根はあるものの吹きさらしの場所なのでかなりくたびれています。子どもたちも自由に遊ぶことができることは良いことだと思います。
京都の梅小路にはもっときれいな状態のものがあると聞いています。

 
最後の1枚に写っている鉄道少年は、「SL人吉」から一緒で、「いさぶろう・しんぺい」号にも乗って吉松駅まで一緒でした。
どうも一人旅のようなので途中で「どこまで行くのか?」尋ねてみました。
「本当は鹿児島まで行くつもりだったのだが、途中で切符をなくしてしまい、残ったお金で折り返して帰るつもりだ」と小学生とは思えないくらいしっかり答えました。
乗務員さんにも伝わっているようなので、何とかなりそうだけど、とっても気になりました。

 

九州鉄道オタク旅の続編です。
吉松駅からは、はやとの風に乗り換えます。
駅の周りをブラブラしていたら「はやとの風」入線のアナウンスがあり、慌ててホームに向かいました。
跨線橋から入線してくる「はやとの風」をパチリ。
今までお世話になったいさぶろう・しんぺい号とのツーショット。

「はやとの風」の黒いボディと「いさぶろう・しんぺい号」の落ち着いた赤いボディのコントラストがたまりません。
鉄道に興味のない方には何が面白いのかよくわからないでしょうね。
私も以前はそうでした。
旅情を誘うなかなか良いものです。
今までは鉄道は撮る対象でしたが、今回乗ってみて初めて知ったものがたくさんありました。

 

 

「はやとの風」も観光列車らしく、木造駅舎ではちゃんと停車時間を保障してくれます。
今回の旅でも楽しみにしていた大隅横川駅です。
大きな駅舎だけど、無人駅です。
駅舎は1903年(明治36年)開業時からのものだそうです。
鹿児島県では嘉例川駅のものと並び最古となります。(嘉例川については次回紹介します。)
 無人駅だけど、駅舎はきれいに保たれており出札口なども完全にその姿を残しています。
定期的に誰かの手が入っているものと思います。
駅舎は、100年以上前の姿を残し当時の建築構造を伝える重要な建造物として国の登録有形文化財に登録されています。

 

ホーム上の柱に機銃掃射で撃ち抜かれた痕跡が残っていました。
私たちは観光客として、しかもオタクとして写真を撮りまくっていますが、反対側ホームには列車を待っている地元の方だろう人たちが待っています。
何とも心がざわついていました。

途中停車駅サービス最後の嘉例川駅です。
開業当時からの木造の肥薩線最古の駅の一つです。
かつては、近くの温泉場への湯治客や自前の布団を鉄道便で運んだりといろんな人が働いて賑やかな駅だったそうです。
今は何とも静かな時が止まったような空間になっています。

 

 

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JR最南端駅 西大山駅への旅2 (2017.7.30撮影)

2020-05-07 22:14:07 | 鉄道旅

「SLひとよし」の良いところは、古い木造駅舎に立ち寄ってくれるところです。停車時間も10分くらい保証してくれます。
古い建物が大好きな私としては、何重にも被写体を与えてくれるので、冷房がこわれたくらい十分我慢できます。
最初に立ち寄ったのは肥薩線白石駅です。

 

 

SL人吉の次の停車駅は一勝地(いっしょうち)駅です。
やはり木造駅舎です。
駅名が“一勝地”ということもあり、験を担ぐ人たちには人気があるようで、わざわざ入場券を作って販売していました。

 

 

SLは目的地の人吉に到着です。
ここで次の観光特急いさぶろう3号への乗り換えまで1時間以上あります。
人吉駅周辺をぶらり旅です。

 

 

 人吉駅前で昼食を摂るつもりで駅に降り立ったのですが、予想に反してそれっぽいものは見つかりません。
喫茶店と食堂の2軒を見つけました。「こういう土地の食堂って面白いかもしれない!」と期待を込めて入りましたが、私の勝手なイメージとはちょっと違っていました。テレビの旅番組のようにはいきません。

冷房の効いていない車両の旅の後だったので、取りあえず昼間からビールを注文し、本日の定食を注文しました。冷や奴、和え物、フライの盛り合わせ、ご飯のてんこ盛りで登場してきました。このフライがくせ者でした。カリカリに揚げてあり、油もちょっと古いのかもと思えるほどしつこかった。(私の口には)

いくらビールがあるとはいえ、暑い時のフライものはちょっと選択ミスだったように思いました。
もう一つ、近くの喫茶店でコーヒーで切り替えました。地元のカメラマンが撮影したヤマセミの写真集が置いてありました。
非売品ということで大変残念な思いをしました。

 

 

人吉からは、“いさぶろう3号”に乗り、吉松駅に向かいます。
駅で待っていたら今回乗れなかった(SLを選択したから)やませみ・かわせみが入場してきました。
いさぶろうと並んで撮れたので少し満足はしています。

 

 

肥薩線途中停車駅の大畑(おこば)駅です。
木造駅舎で味わいがあります。
この駅はループ&スイッチバックで有名で、ループ線の中にあるスイッチバック駅は日本ではここだけです。

ループの中のスイッチバック駅ということで、出会いや巡り会いによって立身出世できるというなんとも言えない伝説から駅舎内には膨大な名刺が貼ってあります。
何とも不思議な駅です。
3枚目の写真は水飲み場です。かつてはいろんな駅にありました。
門司港駅にも同じような巨大な水飲み場があります。
もちろん、今は使われていません。

 

 

スイッチバックを繰り返して、肥薩線最高所の標高536.9mの矢岳(やたけ)駅に到着です。
人吉市街が標高100m位なので400mくらいを一気に駆け上がってきたということです。
駅周辺は広くて、かつては何本も線路があったことを想像させてくれます。
肥薩線そのものがかつては鹿児島本線だった時代もあり、九州を縦断する重要なルートだった頃の重要な駅だったようです。
駅構内には、人吉市SL展示館があり、D51が展示されています。かなり錆びてくたびれているのがちょっと残念ですが、これも時の流れなのかとも思います。
駅舎は大きく、待合室の天井がかなり高く広々としています。

 

 

 

真幸(まさき)駅は、宮崎県えびの市にある肥薩線唯一の宮崎県内の駅です。宮崎県で最初にできた駅でもあります。
駅名(真の幸)から入場券など人気があるそうです。
その名前に反して、当駅とその周辺路線は災難続きだったようです。復員軍人殉職や、1972年には大規模な土石流で駅構内と周囲の集落を飲み込む災害も起きています。そのため、周囲にはほとんど人家がないそうです。

1枚目は車内からチラッと見えた霧島連峰です。(どうも天気に恵まれない。)
4枚目は今回唯一の登場です。(一度くらい登場しないと)

 

 

 

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JR最南端駅 西大山駅への旅(2017.7.30撮影)

2020-05-07 13:54:52 | 鉄道旅

JR最南端駅 鹿児島県にある指宿枕崎線「西大山」駅への旅をレポートします。

2017年ということで結構昔の話なのですが、現在コロナ禍で県をまたいで出かけることができないので、「行けるようになったら」シリーズで報告します。

この旅の行程は本当ならトラベル会社が募集した企画でした。

チラシを見て早々に申し込んだのですが、募集定員に満たないと言うことで中止になったので、同じ行程で一人旅をすることにしました。

鉄道の写真を撮りに行くことを目的としてたので膨大な写真を撮りました。

1枚目は新幹線徳山駅からの風景です。大分県竹田津に向かうフェリー乗り場が見えます。私はこの風景が好きです。下り線でないと見えません。
2枚目からは博多駅でのJR九州の車両です。JR西日本に比べて九州の車両は魅力的です。

 

 

博多からは九州新幹線つばめに乗り換えます。さくらでそのまま行くという手もあったのですが、今回はあえての乗り換えです。
先頭車両は良い姿です。車両デザインもこのくらいの遊び心がほしいですね。
日よけは本当のすだれです。木の雰囲気がなんともたまりません。

 
熊本と言えばくまモンでしょうね。駅構内に巨大は巨大なくまモンの顔が。
全身だったらさぞかし邪魔だろうなと思いながら、家族連れの写真スポットには良いだろうなと1枚。
5枚目は博多で撮影したソニックです。私は、このソニックがなんか好きですね。
本当は、徳山から熊本までは新幹線の続き特急券で博多駅での途中下車はできないのでですけど、在来線のホームまでということでなんとか許可をもらいました。(見るからに撮り鉄感満載だったのでしょう。)

 

熊本からはSL人吉号の旅です。車両はかつて阿蘇ボーイとして使われていた車両です。通称「はちろく」と呼ばれた全国でもよく使われた型の車両です。
DE10に引かれて静かにホームに入ってきました。
選手入場という感じで迎えました。
ピカピカに磨かれた車両は戦前の製造とは思えないほどの輝きです。

 

 

SL入場とともにカメラを持っている人が殺到します。
ほとんど観光の方のようで、我先にポジションを取りに行きます。それにしても最近はポーズを取るのがみなさん上手ですね。
孫のかわいい写真を撮りたいあまりに、「そこじゃない!もっと左!もっと笑え!」と怒鳴るよう調子に幼い子どもはどんどんむくれる様子には「ある!ある!」と笑いを抑えるのに一苦労。

 

 

SL人吉号に乗るまではワクワク感が満載でした。しばらくすると思わぬアクシデントが待ち構えていました。
私の乗った2号車だけ冷房が効かず、暑い!暑い!


トンネルに入っている時以外の区間は、窓を開けて走るというなんともうれしい出来事になるのですが、トンネルが始まるとずっと閉めっぱなしです。
煤煙の香りと窓から覗いた風景はなかなか良いものでした。
旅行中にアイスクリームなんて食べることはないのですが、この日はさすがに体がアイスを欲しがりました。
焼酎アイスのおいしかったこと(^0^)


1号車の前には展望車両がついていてそこは自由席で冷房も効いていたのですが、子どもたちもたくさん乗っているし、長居することもできず出たり入ったりで過ごしました。
氷入りの水を何度ももってきてもらい、暑さ対策の配慮はなされていました。

 

 

 

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去年の今頃は…

2020-05-06 13:56:21 | 写真日記

今年は、コロナ禍で不要不急の外出の自粛やイベントの中止で、こどもの日もなかったんじゃないかと思います。

山口県防府市の佐波川で毎年行われている鯉のぼり流しの写真を紹介します。

撮影は2019年5月5日です。

 

川の中の鯉のぼりを撮影するということでPLフィルターを使用しています。

派手な衣装を着た船頭さんは鯉のぼりが真っ直ぐに泳ぐように棒を使って修正しています。

川辺は鯉のぼりを引っ張って走り回る親子や子どもたちの笑顔が素敵でした。

一日も早くこういう笑顔が見られる日が来ることを祈っています。

 

 

 

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