とりあえず一所懸命

鉄道の旅や季節の花、古い街並みなどを紹介するブログに変更しました。今までの映画や障害児教育にも触れられたらと思います。

バーバー吉野

2006-05-29 23:21:56 | 映画

 先日「バーバー吉野」が久しぶりに見たくなってビデオレンタルのTSUTAYAに出かけました。探しても見つからないので店員に言って探してもらうことにしました。店員に言うとタイトルでピンとこなかったようで、変な顔をしてパソコンで検索して「当店にはないようです」と答えました。「そんなことはないはずだ。以前ここで借りたことがある」と食い下がりました。でも、やっぱりありません。「他の店から借りることもあるし、メーカーから借りることもあるので、その時はあったかもしれません。申しわけありませんが今はありません。」と答えたのであきらめて店を出ました。その時はたと気づきました。「TSUTAYAじゃなかった。シネマ館だった…」

 さすがに別の店まで行く元気はなかったのでこの日はあきらめました。

 この映画は先日紹介した「カモメ食堂」の監督が撮ったものです。詳しいことは下のアマゾンの広告を参照してもらえればと思いますが、いろんな感想があると思いますが、私は、この映画で学校教育の矛盾というものを考えさせられました。

  
 とある田舎町の少年はみんな吉野ガリと呼ばれる髪型をさえられていました。少年たちはそのことについて何の疑問も持たなかったのに、ある日都会から来た少年はまったく違う髪型をしていた。おまけにその少年は女の子に人気があった。少年たちは、その少年にあこがれて髪型を変えようとし始める。大人たちはその革新的な髪型の少年も吉野ガリにしてしまおうとする。そういったどたばた喜劇なのです。

 でも、もたいまさこ扮するバーバー吉野のおばちゃんは、「あなたたちのことを思ってやってあげてるのよ。この髪型をしていれば、どこの町に行ってもここの子どもだとわかって悪いことできないでしょ」と言い放つ。子どものことを思ってやっているから決して悪くないと思いこんでいる。こんな場面いろんなところででくわしますね。

 高校時代のことを突然思い出しました。70年代前半です。当時長髪が流行っていました。長髪には制帽というものが邪魔になります。生徒総会で校長相手に制帽を廃止するように訴えていました。すると、校長は「制服や制帽はその学校の生徒の証である。Gパンをはいていたらどこでも寝っ転がられるが、制服を着ていたのでは、どこの生徒かすぐにわかるからそんなことはできなくなる。」と自分自身の行動を抑制していくために制服制帽が必要なんだと強く指導してきました。

 高校生の制服は時代とともにどんどん新しくなっていき、制帽などが残っている学校はほとんどありません。あの時代のあの闘い(?)は何だったのでしょう。この時同時に要求されたのは、「購買(学校の中の店)を昼休みだけでなく中間休みにも開けてほしい。」「コーヒー牛乳の本数を増やしてほしい。」「コーラを置いてほしい」などです。他愛もない要求です。私はもう少し別の次元で社会を見ていたので、これらにはあまり関心はありませんでした。それでも校長の態度に業を煮やして討論には立っていました。

 校則というものは、ある意味矛盾をかかえこんでいるものです。社会に照らし合わせてみると、道理の通らないものが多いようです。それを限られた空間だけで通すためには、あらゆる屁理屈がまかり通るのです。

 日本という国は学校だけでなく、いろんなレベルで複雑なルールをつくっているように思います。そういったことを考えるにはいい映画だと思います。ぜひ、一度みてください。私自身も近いうちにもう一度見てみようと思います。

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