芦屋町は、玄界灘のイカなど海の幸に恵まれた白砂青松の地として知られていますが、その昔、茶道で使われる湯釜の名器を輩出した土地でもありました。鎌倉時代から室町時代にかけて一世を風靡したと伝えられていますが、何故かその技術は受け継がれることなく、江戸時代初期には歴史の舞台から姿を消してしまいました。しかし、国の重要文化財に指定された九つの茶の湯釜のうち、八つまでがこの地で作られた芦屋釜だというのは、往時の技術力、芸術性の高さを窺わせるエピソードです。
「芦屋釜の里」は、そんな芦屋釜の伝統を復興し、茶の湯の文化を広めるとともに、季節の花々を楽しめるようにと、芦屋町が運営する二つの茶室を備えた日本庭園です。ようやく暖かさが感じられるようになった2月最初の週末、春の兆しを探しに芦屋釜の里に行ってきました。
風情ある長屋門を抜けて中に入ります。

門をくぐると、すぐ右手には芦屋釜資料館。その前に置かれた昔懐かしい手桶。

柄杓で水をかけると、落下する水滴が地中に作られた空洞で反響して、繊細な音を響かせる水琴窟。

今は冬と春の端境で、花の少ない時期。咲いていたのは、ロウバイと山茶花くらい。

芦屋釜の伝統復興を目指す工房。
施設の中には入れませんが、入口から工房の作りや作業の工程などを見学できます。

玄界灘に見立てた池にせり出すように建つ茶室「蘆庵(ろあん)」

もうひとつの茶室は「吟風亭」と名付けられています。

苔生した屋根に草が生えた待合。主人が茶の湯の準備をしている間、客人が待つ場所です。

準備が終わると、ここで手を清めてにじり口に向かいます。

分厚い屋根は、茅葺ではなく、芦屋の地名に因んで葦(あし)でできています。
山茶花の蜜を吸うメジロ。ちょっとわかりにくいですが・・・・ (^-^)ゞ

ヒヨドリも・・・・・。

立春を過ぎたとは言え、春の兆し探訪はやや焦り過ぎ。ちょっと気が早かったようです。
それでも梅のつぼみは十分に膨らんでおり、開花も間近といった様子でした。

昨年末以降、厳しい寒さが続いただけに、ほのぼの陽気の春が待ち遠しい今日この頃。
春の訪れを告げる徴(しるし)を見つけるのが楽しみな季節になりました。
「芦屋釜の里」は、そんな芦屋釜の伝統を復興し、茶の湯の文化を広めるとともに、季節の花々を楽しめるようにと、芦屋町が運営する二つの茶室を備えた日本庭園です。ようやく暖かさが感じられるようになった2月最初の週末、春の兆しを探しに芦屋釜の里に行ってきました。
風情ある長屋門を抜けて中に入ります。

門をくぐると、すぐ右手には芦屋釜資料館。その前に置かれた昔懐かしい手桶。

柄杓で水をかけると、落下する水滴が地中に作られた空洞で反響して、繊細な音を響かせる水琴窟。

今は冬と春の端境で、花の少ない時期。咲いていたのは、ロウバイと山茶花くらい。

芦屋釜の伝統復興を目指す工房。
施設の中には入れませんが、入口から工房の作りや作業の工程などを見学できます。

玄界灘に見立てた池にせり出すように建つ茶室「蘆庵(ろあん)」

もうひとつの茶室は「吟風亭」と名付けられています。

苔生した屋根に草が生えた待合。主人が茶の湯の準備をしている間、客人が待つ場所です。

準備が終わると、ここで手を清めてにじり口に向かいます。

分厚い屋根は、茅葺ではなく、芦屋の地名に因んで葦(あし)でできています。

山茶花の蜜を吸うメジロ。ちょっとわかりにくいですが・・・・ (^-^)ゞ

ヒヨドリも・・・・・。

立春を過ぎたとは言え、春の兆し探訪はやや焦り過ぎ。ちょっと気が早かったようです。
それでも梅のつぼみは十分に膨らんでおり、開花も間近といった様子でした。

昨年末以降、厳しい寒さが続いただけに、ほのぼの陽気の春が待ち遠しい今日この頃。
春の訪れを告げる徴(しるし)を見つけるのが楽しみな季節になりました。