わが家のライム、フレーバーグリーン。100個以上の花が咲き、ほぼ同じ数のライムの赤ちゃんが顔を出しましたが、予想したとおり、ほとんどの実は自然摘果。今は、6個を残すだけになりました。残った実は既に赤ちゃんの域を過ぎ、日々生長を続けています。

さて、ハワイ滞在記の続きです。
ダウンタウンの少し手前、S.Beletania St 沿いにあるホノルル美術館(HoMA)。瓦屋根の趣きのある建物は、米国およびハワイ州の歴史的建造物に指定されています。収蔵数は5万点を超え、ゴッホやゴーギャン、モネにピカソなどの西洋絵画にとどまらず、ハワイはもちろんアジアやアフリカのアートなど、ジャンルは多岐にわたります。写楽や北斎、歌麿や広重など日本の浮世絵コレクションは、シカゴ美術館、ボストン美術館に次いで全米第3位。なかでも、歌川広重の作品は世界一の収蔵数だそうです。
この日は、NHK大河ドラマ「べらぼう」に登場する唐丸(歌麿)の展示を期待して出かけました。

セントラル・コートヤードに展示されているのは、エミール=アントワーヌ・ブールデルの『ペネロープ』。以前も紹介したことがありますが、北九州市立美術館も、エントランスホールに同じ作品を展示しています。

おそらくヴィーナス像であろうと推測されている、ローマ時代(2世紀ごろ)の彫像。ちなみに、ルーヴル美術館が所蔵するミロのヴィーナスやサモトラケのニケはヘレニズム時代、紀元前2世紀ごろの制作と言われています。

《Seated Nude》Amedeo Modigliani
面長な顔や細い目、なで肩で描かれた女性。モディリアーニらしさを感じさせるこの一枚は、大原美術館で観た『ジャンヌ・エビュテルヌの肖像』とポーズがそっくりでした。

《Palm Sunday or The Boughs or Eternal Love》Alfred Stevens
アルフレッド・スティーブンスは19世紀に活躍したベルギーの画家。この時代ヨーロッパに影響を与えたジャポニズムにも関連があり、青い着物を着た女性が鏡の前に立つ《パリジェンヌ・ジャポネーゼ》などの作品を残しています。

《View of the Castel dell'Ovo》Carlo Bonavia
ナポリのサンタ・ルチア地区にある要塞カステル・デッロヴォ(訳すと「卵城」)。要塞にかかる雲の光と影、そのコントラストが印象的な一枚でした。

《Annelies, White Tulips, and Anemones》Henri Matisse
マティス1944年の作品で、モデルはオランダの画家アンネリーズ・ネルク。経緯は不明ですが、1947年にホノルル美術館に寄贈されたそうです。

《Fan, Pipe, and Glass》Pablo Picasso
ピカソは、パイプやグラス、ヴァイオリンなどを抽象化した静物画を多く描いていますね。モスクワのプーシキン美術館の《Violin》など、いくつかの作品を観たことがあります。

印象派やポスト印象派の作品を集めた部屋。ホノルル美術館で一番好きな展示室です。

《Wheat Field》Vincent Van Gogh
ゴーギャンの勧めに従って、パリからアルルに拠点を移したゴッホ。この時期、精力的に南仏の野や山を歩き回って、多くの風景画を残しました。

《Morning, Winter Sunshine, Frost, the Pont-Neuf, the Saine, the rouvre》Camille Pissarro
パリで最も古い橋、ポンヌフから見たセーヌ川とルーヴル美術館を描いた作品。穏やかでやわらかい色彩が印象的なカミーユ・ピサロ。モネと並んで印象派を代表する画家の一人です。

《Water Lilies》Claude Monnet
モネが睡蓮を描き始めたのは1895年。1926年に亡くなるまで、およそ30年間に250点にも及ぶ『睡蓮』を描きました。『睡蓮』に限らず、ひとつのモチーフを季節や時間、場所を変えた連作を数多く制作したモネ。対象を取り巻く光や風、その空気感を描くことに生涯をかけた画家だったのですね。

《Stream in the Jura Mountains》Gustave Courvet
「フランス写実主義の巨匠」と呼ばれるギュスターヴ・クールベ。北九州市立美術館で行われた『クールベ展~印象派への架け橋』や上野の国立西洋美術館、また海外の美術館でもクールベの作品は観る機会が多かったっです。

《火消 正月出初式》歌川国芳
日本美術では、江戸時代後期に活躍した浮世絵師・歌川国芳(1797―1861)の作品が展示されていました。

《東都富士見三十六景 山王神事雪解の富士》歌川国芳
国芳は広重と同じく、その時代の浮世絵界を席巻した歌川派の系譜を継ぐ絵師。"武者絵の国芳"の異名をとるほどの人気を博したほか、美人画や歴史画、風景画など多くのジャンルの作品を手がけました。

《梅若神社》小林清親
今回、期間限定の特別展示コーナーで取り上げられていたのは、「最後の浮世絵師」として知られる小林清親(こばやしきよちか)。

《Lake View against Mout. Fuji, Suruga》小林清親
江戸から明治への動乱期を幕臣として生きた清親は、光と影を駆使した独自の技法「光線画」で明治の東京や文明開化の情景を描き、「最後の浮世絵師」とも、「明治の広重」とも称されます。

残念ながら今回、歌麿の浮世絵は展示されていませんでした。また、次の機会に期待したいと思います。
美術館の後は、中華街のレジェンドで飲茶ランチ。その後、S.Beletania St.通りを歩いて聖アンドリュー大聖堂に向かいました。木々の向こうに見えているのが聖アンドリュー大聖堂です。

堂々たるフレンチゴシック建築、洗練されたデザインのアンドリュー大聖堂。

中に入ると教会ボランティアの方が大聖堂の歴史や、建設費が寄付で賄われたことなどを説明してくださいました。

大聖堂の建築が始まったのは、カメハメハ4世統治時代の1861年。その2年後には4世は亡くなりますが、エマ王妃が夫の遺志を継いで、建設のための資金集めや資材の調達に東奔西走したのだそうです。

横壁に並ぶステンドグラスも各国から寄贈されたもの。日本の大阪市から贈られたステンドグラスもありました(中央の3枚のうちの右側。「OSAKA」と書かれています)。

多くの寄付、浄財が寄せられ大聖堂はカメハメハ5世の時代、1886年に完成(最初の部分のみ。その後増築を重ね、現在の姿になるまでには100年近くの歳月を要したそうです)。建設に尽力したエマ王妃はその姿を見ることなく前年に亡くなりましたが、入口右側下部のステンドグラスに仲睦まじいカメハメハ4世とエマ王妃の姿が描かれ、訪れる人々を見守っています。

大聖堂に向かって右側はパークチャペル(Perke Chapel)。ここにも、やや規模の小さな礼拝堂があるそうです。

一昨日、学生時代の仲間が集まることになり、久しぶりに新宿・歌舞伎町に行ってきました。
今はすっかりオジサンと化した数十年前の青年たち。「お前、老けたなぁ」、「人のこと言えるか」と、懐かしく賑やかな夜を過ごしました (^^ゞ

さて、ハワイ滞在記の続きです。
ダウンタウンの少し手前、S.Beletania St 沿いにあるホノルル美術館(HoMA)。瓦屋根の趣きのある建物は、米国およびハワイ州の歴史的建造物に指定されています。収蔵数は5万点を超え、ゴッホやゴーギャン、モネにピカソなどの西洋絵画にとどまらず、ハワイはもちろんアジアやアフリカのアートなど、ジャンルは多岐にわたります。写楽や北斎、歌麿や広重など日本の浮世絵コレクションは、シカゴ美術館、ボストン美術館に次いで全米第3位。なかでも、歌川広重の作品は世界一の収蔵数だそうです。
この日は、NHK大河ドラマ「べらぼう」に登場する唐丸(歌麿)の展示を期待して出かけました。

セントラル・コートヤードに展示されているのは、エミール=アントワーヌ・ブールデルの『ペネロープ』。以前も紹介したことがありますが、北九州市立美術館も、エントランスホールに同じ作品を展示しています。

おそらくヴィーナス像であろうと推測されている、ローマ時代(2世紀ごろ)の彫像。ちなみに、ルーヴル美術館が所蔵するミロのヴィーナスやサモトラケのニケはヘレニズム時代、紀元前2世紀ごろの制作と言われています。

《Seated Nude》Amedeo Modigliani
面長な顔や細い目、なで肩で描かれた女性。モディリアーニらしさを感じさせるこの一枚は、大原美術館で観た『ジャンヌ・エビュテルヌの肖像』とポーズがそっくりでした。

《Palm Sunday or The Boughs or Eternal Love》Alfred Stevens
アルフレッド・スティーブンスは19世紀に活躍したベルギーの画家。この時代ヨーロッパに影響を与えたジャポニズムにも関連があり、青い着物を着た女性が鏡の前に立つ《パリジェンヌ・ジャポネーゼ》などの作品を残しています。

《View of the Castel dell'Ovo》Carlo Bonavia
ナポリのサンタ・ルチア地区にある要塞カステル・デッロヴォ(訳すと「卵城」)。要塞にかかる雲の光と影、そのコントラストが印象的な一枚でした。

《Annelies, White Tulips, and Anemones》Henri Matisse
マティス1944年の作品で、モデルはオランダの画家アンネリーズ・ネルク。経緯は不明ですが、1947年にホノルル美術館に寄贈されたそうです。

《Fan, Pipe, and Glass》Pablo Picasso
ピカソは、パイプやグラス、ヴァイオリンなどを抽象化した静物画を多く描いていますね。モスクワのプーシキン美術館の《Violin》など、いくつかの作品を観たことがあります。

印象派やポスト印象派の作品を集めた部屋。ホノルル美術館で一番好きな展示室です。

《Wheat Field》Vincent Van Gogh
ゴーギャンの勧めに従って、パリからアルルに拠点を移したゴッホ。この時期、精力的に南仏の野や山を歩き回って、多くの風景画を残しました。

《Morning, Winter Sunshine, Frost, the Pont-Neuf, the Saine, the rouvre》Camille Pissarro
パリで最も古い橋、ポンヌフから見たセーヌ川とルーヴル美術館を描いた作品。穏やかでやわらかい色彩が印象的なカミーユ・ピサロ。モネと並んで印象派を代表する画家の一人です。

《Water Lilies》Claude Monnet
モネが睡蓮を描き始めたのは1895年。1926年に亡くなるまで、およそ30年間に250点にも及ぶ『睡蓮』を描きました。『睡蓮』に限らず、ひとつのモチーフを季節や時間、場所を変えた連作を数多く制作したモネ。対象を取り巻く光や風、その空気感を描くことに生涯をかけた画家だったのですね。

《Stream in the Jura Mountains》Gustave Courvet
「フランス写実主義の巨匠」と呼ばれるギュスターヴ・クールベ。北九州市立美術館で行われた『クールベ展~印象派への架け橋』や上野の国立西洋美術館、また海外の美術館でもクールベの作品は観る機会が多かったっです。

《火消 正月出初式》歌川国芳
日本美術では、江戸時代後期に活躍した浮世絵師・歌川国芳(1797―1861)の作品が展示されていました。

《東都富士見三十六景 山王神事雪解の富士》歌川国芳
国芳は広重と同じく、その時代の浮世絵界を席巻した歌川派の系譜を継ぐ絵師。"武者絵の国芳"の異名をとるほどの人気を博したほか、美人画や歴史画、風景画など多くのジャンルの作品を手がけました。

《梅若神社》小林清親
今回、期間限定の特別展示コーナーで取り上げられていたのは、「最後の浮世絵師」として知られる小林清親(こばやしきよちか)。

《Lake View against Mout. Fuji, Suruga》小林清親
江戸から明治への動乱期を幕臣として生きた清親は、光と影を駆使した独自の技法「光線画」で明治の東京や文明開化の情景を描き、「最後の浮世絵師」とも、「明治の広重」とも称されます。

残念ながら今回、歌麿の浮世絵は展示されていませんでした。また、次の機会に期待したいと思います。
美術館の後は、中華街のレジェンドで飲茶ランチ。その後、S.Beletania St.通りを歩いて聖アンドリュー大聖堂に向かいました。木々の向こうに見えているのが聖アンドリュー大聖堂です。

堂々たるフレンチゴシック建築、洗練されたデザインのアンドリュー大聖堂。

中に入ると教会ボランティアの方が大聖堂の歴史や、建設費が寄付で賄われたことなどを説明してくださいました。

大聖堂の建築が始まったのは、カメハメハ4世統治時代の1861年。その2年後には4世は亡くなりますが、エマ王妃が夫の遺志を継いで、建設のための資金集めや資材の調達に東奔西走したのだそうです。

横壁に並ぶステンドグラスも各国から寄贈されたもの。日本の大阪市から贈られたステンドグラスもありました(中央の3枚のうちの右側。「OSAKA」と書かれています)。

多くの寄付、浄財が寄せられ大聖堂はカメハメハ5世の時代、1886年に完成(最初の部分のみ。その後増築を重ね、現在の姿になるまでには100年近くの歳月を要したそうです)。建設に尽力したエマ王妃はその姿を見ることなく前年に亡くなりましたが、入口右側下部のステンドグラスに仲睦まじいカメハメハ4世とエマ王妃の姿が描かれ、訪れる人々を見守っています。

大聖堂に向かって右側はパークチャペル(Perke Chapel)。ここにも、やや規模の小さな礼拝堂があるそうです。

一昨日、学生時代の仲間が集まることになり、久しぶりに新宿・歌舞伎町に行ってきました。
今はすっかりオジサンと化した数十年前の青年たち。「お前、老けたなぁ」、「人のこと言えるか」と、懐かしく賑やかな夜を過ごしました (^^ゞ