8/25(土)は私の所属するカトリック雪ノ下教会で、中高生会が主催する
「夏の集い」があった。今年から娘が中高生会に入ったので、16時のミサに
出た後、家人と参加。
先ずは、カナダから主任司祭の代役で戻っていらしたロジェ神父さまによる
お祈りから。

そして、中高生会メンバーが考えた演劇。テーマは「ユニーク=個性」。
体の各部分に扮したメンバーが、何の役にも立っていないような、“まつげ”を
馬鹿にするが、まつげがいなくなって、目に汗やゴミが入るのを防いでいたことが
分かって皆の仲間に戻るという話。だれでも何かの役に立っているということ、

そのあと、椅子の番号で振り分けられて、グループになって個性についての
分かち合い。まるでユースホステルの夕食後のミーティングようで私の性には
合わないが、成り行き上、行きがかり上、抜ける訳にもいかず…。
これが、終わらないと生ビールにならないんだもの。

このあと、生ビール、焼きそば、焼き鳥、から揚げ、おにぎりなどの屋台の出た
中庭駐車場に移動。それから盆踊り(教会でも盆踊り!?)。9時過ぎに終了。
翌日、家人とこの劇のことを話したが、何の役に立っていなくとも、そこに存在
するだけでいいんだよ、というメッセージが現代に求められていることではない
だろうか。何かの役に立っているから存在するというのは、裏を返せば、何の役に
も立たないものを存在否定することになる。
寝たきりで人の世話にしかなれなくなった時に、そういう考えでは自分でその状況
に絶望してしまいそうだ。
具体的に誰かの役に立っていなくとも、そこにいるだけで価値があるんだという
存在、それが人間ではないだろうか、と。
「夏の集い」があった。今年から娘が中高生会に入ったので、16時のミサに
出た後、家人と参加。
先ずは、カナダから主任司祭の代役で戻っていらしたロジェ神父さまによる
お祈りから。

そして、中高生会メンバーが考えた演劇。テーマは「ユニーク=個性」。
体の各部分に扮したメンバーが、何の役にも立っていないような、“まつげ”を
馬鹿にするが、まつげがいなくなって、目に汗やゴミが入るのを防いでいたことが
分かって皆の仲間に戻るという話。だれでも何かの役に立っているということ、

そのあと、椅子の番号で振り分けられて、グループになって個性についての
分かち合い。まるでユースホステルの夕食後のミーティングようで私の性には
合わないが、成り行き上、行きがかり上、抜ける訳にもいかず…。
これが、終わらないと生ビールにならないんだもの。

このあと、生ビール、焼きそば、焼き鳥、から揚げ、おにぎりなどの屋台の出た
中庭駐車場に移動。それから盆踊り(教会でも盆踊り!?)。9時過ぎに終了。
翌日、家人とこの劇のことを話したが、何の役に立っていなくとも、そこに存在
するだけでいいんだよ、というメッセージが現代に求められていることではない
だろうか。何かの役に立っているから存在するというのは、裏を返せば、何の役に
も立たないものを存在否定することになる。
寝たきりで人の世話にしかなれなくなった時に、そういう考えでは自分でその状況
に絶望してしまいそうだ。
具体的に誰かの役に立っていなくとも、そこにいるだけで価値があるんだという
存在、それが人間ではないだろうか、と。