現役だったまだ29歳か30歳だった広報部時代、ヨット部とはまだ繋がりもなかったころ
通信の業界紙である「通信興業新聞」の記者に寄稿を依頼されて、エッセイ“洗底”に
「潮の香り」という原稿を書かせてもらった。
すっかり忘れていたのだが、今日家人が押入れを整理していて見つけてきた。新聞そのもの
ではなく、コピーだったことが幸いしてか変色もなく懐かしく読んでみた。
当時は社内テレビのキャスターをやっていたころで、写真を見ると今と同じ白山眼鏡店の
“HANK”をかけている写真だった。
内容は海が好きで、船が好きで、小説も海のもの、特に“ホーンブロワー”シリーズが
座右の書という内容だ。30年前に既に綺麗な海を人類ばかりでなく全ての生命のために
残していかなくてはと締めている。
還暦を迎える年になったが、当時からあまり変わっていない自分に気づく。
通信の業界紙である「通信興業新聞」の記者に寄稿を依頼されて、エッセイ“洗底”に
「潮の香り」という原稿を書かせてもらった。
すっかり忘れていたのだが、今日家人が押入れを整理していて見つけてきた。新聞そのもの
ではなく、コピーだったことが幸いしてか変色もなく懐かしく読んでみた。
当時は社内テレビのキャスターをやっていたころで、写真を見ると今と同じ白山眼鏡店の
“HANK”をかけている写真だった。
内容は海が好きで、船が好きで、小説も海のもの、特に“ホーンブロワー”シリーズが
座右の書という内容だ。30年前に既に綺麗な海を人類ばかりでなく全ての生命のために
残していかなくてはと締めている。
還暦を迎える年になったが、当時からあまり変わっていない自分に気づく。