ドリームピックのウクレレ日記

ウクレレとヨットの大好きな「お腹の大きなオヤジさま」
dreampicのウクレレ日記。

DREAMPIC challenge KENWOOD CUP 20th anniversary

2012年05月19日 23時23分23秒 | ヨット系飲み会
5月19日(土)ヨットDREAMPICのクルーなど、関係者40名近くが東京銀座に
参集し旧交を温め合う会が行われた。
ヨットDREAMPICが、初めてハワイで2年に一回開催される、国際外洋帆走
レース「KENWOOD CUP」に参加したのは、1992年8月だった。

あれから20年。当時の若手クルーも既に40代のベテランになり、当時の
ベテランクルーは、白髪の超ベテランにと変わってはいるが、その目の輝き
は、皆、昔のまま。20年の歳月が早回しで撒き戻って行くようです。

この会は、私が退院した昨年10月以降、キャプテンのMT氏や身近にいる
旧クルーから「是非やりたい」と持ちあがって来たもの。
こういう時の幹事役は、昔からわたしと決まっていたので、今年2月の職場
復帰前から企画して、復帰後に急加速して実現に漕ぎつけた。

キャプテンからは、このキャンペーン中の事故で亡くなった、ひとりのクルー
の恒例のお墓参りも同日に実施しよう、という提案で同時に案内を出した。
昨年のお墓参りのひと月後に事故で入院した私にとっては、感慨もひとしお。

12時40分ころ鎌倉の家を出て、駅前の東急で墓前の花を買う。
13時の横須賀線で横浜で、京急に乗り換えて、神奈川新町へ。
夕方の20周年もあり、今年の墓参は実に参加者多数。
今までで最高の17名が、小さな京浜急行の駅に集まった。
いつもは在京のクルーで墓参だが、今日は、名古屋のI藤、北陸のK岡、
大阪のI崎、仙台のヤヘイさん、福島のK地さんもいる。

K岡は、1992年のハワイで買ったKENWOOD CUPの帽子、Tシャツを着て。
永遠のバウマン=W井も、当時のユニフォームのアロハを着て来ていた。
こうして律儀に当時の服を着てきたのは、この二人だけだった。
K岡は、20周年の会場では、同時のユニフォームのラガーシャツに着替え
ていた。なんという律儀さだろう。






銀座の会場には、京急で一本。17時からの開始だが、16時前に幹事の
私と、お手伝いを頼んだI藤、K岡、橋ちゃん、その他のメンバーも会場入り。

乾杯は北陸のK岡に依頼。なにしろ、ユニフォームですからねえ。
20年前は食事当番、陸番としてK澄とバックヤードに徹した男が、今日は
開会の乾杯です。K澄にも何かしてもらえば良かったなあ。

そして会の進行は、DREAMPICの元事務局で元広報の私が、一年前の事故の
後遺症の残る頭で、執り行いました。言葉がまだ昔のようにスラスラとは
出て来ないので、すぐに当時のKENEOOD CUPのバンケットビデオと社内TV
をプロジェクターで流して、間を持たせます。

私が前のように臨機応変にしゃべれれば、もうう少し、色んな人に話を
もらったのになあ。
ヨッティングのM橋編集長や、アリカのA居社長、セールメーカーのT社長
ヨット部の若手、マヤ、夫婦で参加のH君、子供を連れてきてたヒロ。

それでも、W井選手からの緊急動議「30周年は是非ハワイで!」を
しゃべってもらって、満場一致で採択。

30周年、つまり10年後はハワイヨットクラブで30周年パーティを
やるぞ、と決まりました。確か、2022年6月30日、HYC入り口前に
集合です。今から楽しみです。もう退職してるだろうし。





そしてこういう会には、なくてはならないモアナ・ワイルドジャイブスの
演奏です。アンプとか使わずにマイクのみというセッティングでした。
フラガール、カイマナヒラ、なだそうそう、ノホパイパイ、ハナレイムーン
そして義理のアンコールで「小さな竹の橋」という全てハワイアン。
反省、反省、反省。後悔、後悔、後悔。

そして、最後はみんなで記念の集合写真。その後は、キャプテンの
MT氏によるご挨拶です。
幹事の私に慰労のことばも頂きました。相当疲れましたよ、確かに。

本当にみなさん、ありがとうございました。
30周年で、今度はハワイヨットクラブでお会いしましょう!






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