学生時代に高円寺に住んだことがあります。住んだといっても、卒業前の数ヶ月間友達のアパートに居候を決め込んだ訳です。当時の高円寺は、駅前も商店や民家・アパート・飲み屋が同居した雑然とした街でした。
私が世話になった法政大学の山崎クンは、学校へはあまり行かず、終日部屋に篭もって難解な本と向かい合う不思議な生活をしていました。お金が無くなると、新大久保の立ちんぼで日雇い労働にありつき、日銭を稼いでいました。
そんな高円寺に、卒業後十数年してから行く機会がありましたが、駅前はすっかり様変わりして昔の面影はありませんでした。当然、私と彼が僅かなお金を持って通っていた飲み屋も跡形もなく消えていました。
今は音信不通の山崎クンと青の洞門で、一度杯を傾けたいものです。
私が世話になった法政大学の山崎クンは、学校へはあまり行かず、終日部屋に篭もって難解な本と向かい合う不思議な生活をしていました。お金が無くなると、新大久保の立ちんぼで日雇い労働にありつき、日銭を稼いでいました。
そんな高円寺に、卒業後十数年してから行く機会がありましたが、駅前はすっかり様変わりして昔の面影はありませんでした。当然、私と彼が僅かなお金を持って通っていた飲み屋も跡形もなく消えていました。
今は音信不通の山崎クンと青の洞門で、一度杯を傾けたいものです。
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