パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

軍手

2010-12-28 20:18:35 | Weblog
 寒いので、今朝、もって出たはずの軍手を探したが,ない。

 持って出たはずが、持っていなかったのか,それとも、途中で落としたのか。

 と手をこすりつつ、帰宅したら、ドアの前に軍手が一組、丸まって落ちている。

 出がけに落としたのだったが、丸々半日、いやそれ以上、落とした形、そのまんまとは!

 まるで、『坊ちゃん』の坊ちゃんと山嵐が押し付け合った一銭銅貨みたいだ。

 日本人は変わらないなあ。

 『菊と刀』のルースベネディクトによると、あの『坊ちゃん』の行動は明らかに神経症とアメリカでは見なされるのだそうだ。

 じゃあ、日本人は病人か?ということになるが、少なからぬ人が、通路の「ど真ん中」に落ちている軍手を避けて歩いているところを想像すると、ベネディクトの批評もむべなるかなと思ってしまう。

 本棚を整理していると、7、8年近く前に古本屋で買ったものが多く、当必然的に、バブル絶頂期に、その崩壊を予感して書かれたものが多く、いろいろ考えさせられる。

 まあ、結論的に言うと、予感(不安)は、そのものズバリで当たってしまったという感じ。

 鬱々としてしまうのだが、そんな中で、目に留まったのが、土居健郎の『裏と表』の一節。

 「現実と無意識があまりにも接近しすぎると、無意識が無意識である立場が失われ…その結果、無意識が現実か、区別のつかぬまま、世界に埋没してしまう」云々。

 最近のヒット映画の上位を占めるものは、CG映画ばかり(『カリブの海賊』だって、CG映画のようなものだ)というニュースを聞いて,「嫌な感じ」がしたが、まさに、「無意識と現実」が区別のつかない世界を人々は好んでいるのだ。

 まあ、この傾向は,日本よりむしろ海外の方がすごいのかもしれないが。