パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

「近代」の象徴

2008-03-12 19:44:09 | Weblog
 昨日は東急ハンズの店員を誉めたのだが、今回は、逆。

 といっても、これは無理な注文かもしれないのだが、ともかく、2週間ほど前のこと、のこぎりの刃が減って、切れなくなってしまったので、新しく買おうと思って東急ハンズに行った。しかし、こういう大工道具というものは、高いものとなると切りがないし、応急ということで安いものを探したのだが(毎回これだ)、もう一つ、西洋風の、「押し引き」のできるのこぎりを探した。

 なぜ、「押し引き」がいいと思ったかというと、日本式の場合、上体で押さえ込みながら、「手前に引く」。なんか、動作が矛盾してないか?

 これに対し、西洋では、カンナも、のこぎりも「押して」使うようになっている。

 まあ、これは「慣れ」のようなもので、日本人だとどうしても、「手前に引く」方式に慣れているから…と思ったのだが、なんかおかしい。

 最初に気づいたのは、手製パイプを作るためにヤスリを使っているときだった。実は、ヤスリは日本でも西洋式に「押して使う」ようになっているため、最初は違和感があったのだが、使っているうちに、「押す」ほうが、手のひら、いわゆる「掌底」を使えるので力が十分に入ることに気がついた。

 これはヤスリの場合だが、のこぎりの場合も同じではないかと思った。なんでだろう? 日本では、「上体の力」の代わりに、スピードで勝負しているのではないかな、とも思った。いわゆる、「切れ味」を重視する考え方だ。

 しかし、一般的に言えば、やはり、「押して切る」ようにしたほうがいいのではないか。そうすれば、「上体の力」を十分に使える。「手前に引く」場合は、足で板を押さえ込んだ上で、「引く」。これは、ブレーキとアクセルを同時に踏んでいるようなものじゃないか?

 そんな風に思って、東急ハンズの店員に、「押し引きののこぎりはありませんか」と聞いたのだが、店員が、「何か不都合でもありますか」というので、「板が持ち上がっちゃうんですよ」と答えると、店員は、笑いながら、「それは引き方が悪いのです。角度をつけすぎてるんですよ。もっと浅めに引いてください」という。

 私は、「いや、押し引きなら押さえ込みながら引けるから…」とちょっと言ってみたが、店員は、日本式の「手前引き」に凝り固まっているようだったし、また、ちょっと見回したところ、商品も、西洋式ののこぎりは、巨大な丸太を引く時に使うような、ジャックと豆の木の巨人が使いそうなのこぎりしか置いてなかった。それは、ほとんど、「飾り」のように置いてあるだけで、実質的に、「押し引き」ののこぎりは、東急ハンズには一つもないのだった。

 そういうわけで、私は「わかりました」といって、後は自分で見て回ったのだが、そうしたら、一つだけあった。「押し引きと手前引きの両方ができます」といううたい文句の、ちっちゃなのこぎりで、簡単に言うと、刃の形が2等辺三角形で、引いても押しても有効になるようにできている。

 ははーん、こりゃあ、結構いいかもしれないと思って、安かったので、買ったのだが、使ってみて、とても動作が安定している。これはやはり、西洋風の「押し引き」のほうが合理的ではないか、という私の考えが当たっているのではないか。そんな風に思った。

 こういう「風習」については、大衆は大変頑固なもので、変更については、専門家、建築で言えば大工や建築家が率先して範を示すことが重要である。大工の場合はともかく、建築様式の点で言えば、たとえば、靴を脱ぐという風習も、大正から昭和初期にかけてはやった「応接間」を、靴のまま入れるような設計にすれば、戦前において本式の「和洋折衷」スタイルが完成し、ひいては、西洋由来の「市民感覚」なるものも多く養われたたのではないか。具体的に言えば、玄関と応接間をくっつければよい。実際の話、応接間は玄関のすぐ近くにあるのが普通だったのは、それが玄関の延長だったからだが、建築家は、「玄関と応接間の融合」までは踏み切れず、結局、「スリッパ」で代用してしまい、やがて、「応接間」そのものも消えてしまった。

 今現在、室内で靴を履いたまま生活をしている人は、日本にいるかというと、ただ一人だけいる。それは、恐れ多くも、天皇様だ。実際のところはわからないが、少なくとも、「広報写真」では、ご家族揃って室内で「靴を履いたまま」記念写真を撮られている。

 つまり、天皇家は、日本近代の象徴ということで、「靴を履いたまま」の日常を喧伝されているわけだが、結局、「象徴」にとどまっている。言い換えれば、日本の「近代」自体、いまだ「象徴」にとどまっているのだ。

 というわけで、話が大きくなってしまったが、「家の外」では、すっかり一般化している、靴を履いたままの生活を、一部、「家の内」に取り入れた設計が、そろそろ現れてもいい頃じゃないかな、と思うのだがどうだろう。