パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

チベット大変

2008-03-16 22:18:00 | Weblog
 まず訂正。

 「風に吹かれて」の訳で、「友達の答」と書いたのはまちがい。この「友達」は、「友よ」という呼びかけで、別に友達が答えたわけじゃない。答えたのは、「風」すなわち、自然、あるいは神で、神は人間の、「我々はいつまで殺し合いをしなければならないのでしょうか」、といったような問いに一度も答えたことがないが、「友よ、それをわれわれは受け入れなければならないのだ」、とディランは歌っているのだと思う。

 実際、ディランは自分の歌をプロテストソングではないと明言し、たとえば、「戦争の親玉」が支配している現実も、それはそれとして受け入れるしかないと言っている。

 さて、チベットが大変なことになっているみたいだ。ダライラマ14世が「国際組織による調査団の派遣」を提案したみたいだが、中国は受け入れないだろう。

 しかし、不思議なのは、ソ連のアフガン侵攻の際には、西側が一致してオリンピックボイコットにもっていって、結局、ソ連崩壊につながったわけだが、中国オリンピックのボイコットは、少なくとも世界の主要な指導者は、誰も主張していない。ダライラマさえも。

 これは、今、中国を潰したら、とんでもないもの、…などと書くと、どうしても「毒餃子」を思い浮かべるけれど、別にそういう意味じゃなくて(いや、それも入るけれど)、ソ連の場合は、少なくとも半分は欧米圏と価値観を、共有していた。たとえば、ロシア正教だって、要するにキリスト教だし。しかし、中国はそうではない。全然価値観を共有していないから、潰したら、何が飛び出てくるかわからない。それを恐れているのではないか。

 実際、日本の場合は、欧米は、完全な「抹殺」を考えていたし、やろうと思えばできた。原爆を2個も落とした段階で、それは明らかだったのだけれど、中国の場合は、でかすぎて、それはできない。「抹殺」は、選択肢にない。それは確かだと思う。

 あと、もう一つの問題として、中国はいわゆる「近代化」を目指しているが、それは、必ずしも「欧米化」を意味しない。普通は、たとえば、強烈な反欧米国家であるイランだって、「近代化」と言えば、「欧米化」を意味し、それの是非を巡ってイラン国内でも議論が交わされているのだと思うけれど、中国では、国を挙げて「近代化」を目指しながら、その「モデル」が明確にイメージされていない…ような気がするのだ。あえて言えば、イミテーションしかない。イミテーションがモデルっていったい…。

 というわけで、まあ、正直言ってこのままでは、百年後には、中国を彷彿とさせる文物は、中国料理しか残っていないような気もしないでもないのだけれど…。(今でも実際はそうだと思うけど)