パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

中国人は「せっかち」?

2008-03-06 21:58:33 | Weblog
 今回のイージス艦事故関連でちょっと面白いというか、「へー」と思ったのは、サンケイ新聞に書かれていた石原慎太郎の文章で、日本を占領したアメリカは、日本の海軍を特に恐れていたので、全国の「漁民」たちに、諸外国では考えられないような多大な専有権を付与したというのだ。たとえば、都会からきた観光客がダイビングを楽しんでも、魚介類をとってはいけないことになっているが、これもその結果なのだと。
 「へー」である。いや、しらなかった。

 もう20年以上前、今ではすっかり有名カメラマン、いやウーマンのI女史の実家が保有する伊豆の別荘に仲間たちと遊びにいったことがあって、その時、潜水の得意なやつが素潜りでさざえ等を沢山とって、みなで食べたことがあった。(旨かったな-)。その時、I女史が声を潜めて言うには、「本当はこういうことはしてはいけないの。漁師さんに見つかったら怒られるの」。要するに、ここの海の産物はすべて地元の漁師たちのものであり、われわれは、彼らの眼を盗んで、「泥棒」したというわけだ。
 といっても、私は漁師たちを糾弾したいわけではない。基本的に、漁民というのは、「自己責任」で「自由」に生きているというイメージがあるし。
 しかし、一方で、日帰りの海水浴くらいだったら別にどういうこともないけれど、ちょっと長逗留したりすると、「地元の漁師」との間に結構いろいろトラブルが生じることはある。「なんで、あんなに漁師どもはえらそうなのかなー」という感想を抱いたことのある人はきっと私だけではないだろうが、これが実は、人間のエゴイズムを見据えた「アメリカの深謀遠慮」の結果だとは、お釈迦様で気がつくめえ♪って、もちろん、石原の話が本当ならという話だが、アングロサクソンの「冷血」な「知恵」は凄い。とてもかなわない。

 引っ越しの後片付けをしながら、有吉佐和子の『中国レポート』をぱらぱらと見る。

 有吉佐和子は何回か中国に行っているようだが、『中国レポート』は、彼女のベストセラーの一つ、『複合汚染』を書いた後で、文革後十年以上経過していた当時の中国側は、彼女のこのベストセラーのことをしっていて、「農業の近代化と農薬汚染」のテーマでみんな(農民)に、講演をしてくれと行く先々で頼まれ、後半部にかけて話はすっかり、「中国における農業のありかた」に絞られてくる。 
 これは、ちょっとタイムリーではないかと思って、少し読み込んだのだが、彼女の結論は、こうだ。

 「日本は工業立国を急ぐあまり日本の農村を犠牲にしました。近代化と言う言葉には便利性と裏腹に大きな危険が秘められています。端的に言って日本の農政は失敗しました。この度の中国で私は六つの人民公社を見学してきましたが、今日まで見るところ、中国もまた気をつけないと、かつて日本が誤った方向へ向かっているように思えます」

 と彼女は講演でズバリ農民や、農民を指導すべき人民公社の幹部たちの前で言うのだけれど、はっきり言って、当の中国人たちにはあまり通じていない感じがするし、実際、そうだったことになる。しかし、考えようによっては、今回の「毒入り餃子」事件は、つまるところ、彼女が指摘した日本の「農政の失敗」がもたらした結果なのだと言えないこともない。有吉佐和子が生きていたら、きっとそう言うだろうと思う。日本は近代化において先行したので、その「ツケ」を中国に付け回すことが出来たと。

 日本の食料自給率が低いことについて、警告を鳴らす多くの人は「食料安保論」で説明してきたように思うが、私はこれまで、この「食料安保論」というのが大嫌いで「ケッ」と思っていたし、今でもそう思っているが、食料自給率が低いことそれ自体は確かによくないのだ。しかし、こんな形で、しっぺ返しを食らうとは思っていなかった。

 いずれにせよ、日本の存在は、良しにつけ悪しきにつけ、われわれが思っている以上に、中国にとって大きいのだ。

 あと、有吉佐和子の指摘で気になったのは、中国人が「遅れ」を取り戻すべく、非常に「焦っている」というのだ。
 「焦って何をしても、よいことはありませんよ」、と彼女はしきりに中国人に忠告するが、「農薬」問題については理解できても、「焦るな」という忠告は、まったくといっていいほど、理解されていないようだった。

 大陸には悠久たる時間が流れているとか、われわれ日本人は考えたがるが、もしかしたら実際は逆で、彼らは元来「せっかち」なのかもしれない。青信号の時間なんかも非常に短くて、人が渡り切らないうちに信号が変わってしまう。彼女がそれを指摘すると、「どうせ誰も守りませんから」という返事。これは、遵法精神の欠如というより、「待てない」のだろう。「百年河清を待つ」とか言うけれど、これは実際には、彼らが「待てない」ことを表現しているのかもしれない。