Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

ちょっと一服 古紙編

2014-09-09 11:43:54 | 読書ノート

カテゴリーを「読書ノート」としましたが、非読書ノートです。

書店のポイントカードは何店舗か持っており、ある書店のポイントが貯まったので、新書2冊と交換しました。その内の一冊について。

「日本霊性論」 (内田樹 釈徹宗 NHK出版新書)

読み出して、途中で書かれている事柄に我慢をしている自分に気付き、更に活字を追っていると読み進めることが苦痛になり、読むことを止めました。

身体感覚(身体論)からの「知」ではなく、超越的次元の「霊性」へと論じられており、いわゆる「自分探しのスピリチュアル」と同様の「日本人探しのスピリチュアル」を展開している質と考えられます。

苦痛を覚えたのは自分自身が、「見えない世界の存在(超越的次元の存在)」を信じる(信仰)ことと「形而上学」は別物と考えているためです。

「本」って、様々な読み方がありますが、自分自身にとって自ら「考えること」に幅、厚み、奥行き等を与えることがひとつあります。

例えば、主権論(ホッブス)をひっくり返し人民主権論(民主主義の確立)と転化し焚書の扱いを受けた「社会契約論」(ルソー 岩波文庫)に、ヘーゲルとマルクスとの政治哲学の転化と同じ質を見ることができます。
また、当ブログ「資本主義の終焉」のキーワードとした『収奪者が収奪される。』と同質の事柄が同書(73P~)に『簒奪者』として述べられています。

自分自身にとって意味ある事は(無くても良いのですが)、「収奪者」、「簒奪者」に自ら何を付与する(位置付ける)等です。

決して「本」に自ら「考えること」を委ねるものではないと考えます。

この新書は古紙の値しかないと考えます。

「日本霊性論」

前回アップした「ちょっと一服 朝日新聞編」は、下書きは趣くままに書いたため長文になり、朝日新聞社批判、舞い上がるウヨ系批判、批判なら良いのですが誹謗中傷のフレーズとあやふやな記憶に溢れた内容のため大幅に端折りました。

結果的に、何とも言えない締りのない内容となってしまいました。

隣家の大きな芙蓉(20cm位あります。)

 

さてと今宵は、気が置けない旧友たちと何年か振りに一献傾けることになっており、その前にいつもの細事を終えなければ。