Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

弁証法では

2012-04-09 21:48:39 | 未分類
老母と過ごす日には実家に、軽い読み物といつもの類とを数冊持って行きます。

昨日は時間潰しとも言える「高校紛争」(小林哲夫 中公新書)、「ソ連史」(松戸清裕 ちくま新書)に目を通しました。

「高校紛争」
1968年前後のこれらの類は読まないのですが、巻末の年表に母校の名があったため、興味本位の雑読です。

母校では◎高全共闘準備委員会の十数人が活動しており、セクトの連中は校外に出かけていました。様々な出来事、事柄があり長くなるので省略します。
バリケード封鎖が決定され、決行日が近づいてきて、前夜に弟から(同じ高校)明日は中止となったと情報がありました。

周辺にいた者としては、運動が霧散し尻すぼみに、また落胆の気分に襲われました。


「高校紛争」(小林哲夫 中公新書)

国際反戦ディー当日、市内にある緊張感が満ちており、午後から休校となりました。担任は街中には行くなと釘を刺しました。
当然、大通公園の◎高校の「旗」のもとに参集するため、連れ立って繰り出しました。
途中で、現国の先生に見つかりましたが、その場でも、翌日も何も言われませんでした、覚悟はしていたのですが。

母校は、受験一色の授業ではなく、教養としての授業をしており、受験勉強は各自がしなさい、との校風でした。
政経の教師は、冬休みに、日本現代史のゼミを開いており参加したものです。

後年、駅前通の古本屋で手にした本に、リーダーの蔵書印が押されていました。

黒春の季節そのもので、懐古する、総括する、突き放す等はしていませんし、これからもしません。過去にあったことが現在の自己そのものの現在だからです。

同書220Pに、まったく知らなかった事柄、出来事が書かれており、黒春の季節の質は、その程度と言われればその程度のなのです。

つづく




ちょっと一服

2012-04-05 23:28:07 | 未分類
昨日、彼女のお伴で春の吹雪の街中へ。
途中で別行動、自分は本屋に。

自分の見る書棚の客は自分ひとり、精神世界の書棚には必ず誰かが佇んでいます。


MARUZEN&JUNKUDO

彼女と待ち合わせをした「北地蔵」(時計台東裏)は、4月中旬に閉店との張り紙がしてあり、北大の学生街(?)に移転とのこと。

ちょっと残念ですが、寄ることもあるでしょう。

自己ならざる自己

行き帰りの電車の中で、「十牛図」(上田閑照 筑摩学芸文庫)に目を通しました。
廓庵(かくあん)禅僧(中国宋代)の十牛図(じゅうぎゅうず 十牛禅図)に係る思惟が簡潔に丁寧に(かなり難解です。)書かれています。

第1図はスッーと入っていけますが、第2図の「見跡(けんせき)」からは、近代哲学のたとえばデカルトの理性などから異質な領域に展開されます。
西洋と東洋の差異と考えます。

書かれている事柄は理解できますが、認識(自覚)できません。第8図以降は著者は「行の相続」がなされなければ認識(自覚)できない旨を書いています。
市井人の日常生活において「行の相続」がありえるか疑問が生起します。

現在の個人、資本、国家による貧困、殺戮、搾取、暴力等に対して、第10図入鄽垂手(にってんすいしゅ)に、「自己ならざる自己」がなすべき、ひとつの射程を図示しています。


第10図入鄽垂手(にってんすいしゅ)

悟りを得た修行者(布袋和尚の姿)が、街中の童子と遊ぶ姿を描き、人を導くことを図示しています。

どれだけの射程があるのか大きな疑問が生起します。
再度、丁寧に読みたいと考えています。

(2012.04.05記)