Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

弁証法では その2

2012-04-10 08:50:41 | 未分類
「ソ連史」

目を通した感想は、極力党派性を排除し、淡々と革命前夜から崩壊までを書いています。

日共の民主集中制(各国により異なります。)は、レーニンの考えとは異質でスターリンの考えに相似していると考えます。


「ソ連史」(松戸清裕 ちくま新書)

先月、年配の党員の方とそのような話しをしたところ、スターリンの名に生理的とも言える嫌悪を露にしました、内心近親憎悪と考えました。

それとマルクスの著作の話になりましたが、内容に係る話しになると、突然曖昧な言葉となり、内心ほとんど著作は読んでいないなと過ぎりました。

挙句に、不破の古典講読に参加しませんかとお誘いが、内心不破の読み方ではなくあなた自身がどのように読まれ考えられるのかが問われるのだと過ぎりましたが、丁寧にお断りしました。

マルクス主義は否定されようが崩壊しようが、その程度のことです。
ただ、マルクスは不滅とメモしておきます。

「弁証法では」

前に取り上げた「十牛図」の92P以降に、「自己ならざる自己」は「自己ならざる」と「自己」との弁証法をなすように見え、「自己ならざる自己」が過程的に成立するのではなく、直入現成する(絶対否定即絶対肯定=絶対肯定即絶対否定における「即」)旨が書かれています。

「人間」、「物質」、「現象」等を認識するときに、認識する視点は単一の視点ではなく、他の「もの、こと」を見る他の視点(ひとつとは限りません。)があります。

ふたつ以上の「もの、こと」は、相互媒介となり止揚し、その止揚がやがて相互媒介となり、続きますが、その止揚は論理的に予定されるのではなく、一人ひとりの「直入現成」と同質のものがあると考えます。(水素と酸素があれば、当然の如く水が生成するのではないように。)



中高年無業者の記念に頂いた胡蝶蘭です。

(2012.04.08 記)