Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

小出裕章と香山リカ

2011-07-11 06:21:54 | 東電 柏崎・福島原発の放射能漏れ
小出裕章氏は時代の寵児になったと言えます。
が、政・官・財、またマスコミ、電波芸者、御用学者にとっては不快指数100なのでしょう。

氏のいくつかの文章を読みましたが、「時代の寵児」たる所以があります。
原発関係は食傷気味なので、論には立ち入りません。

マスコミ寄生虫の香山リカがやらかしました。

『小出裕章氏が反原発のヒーローとなったもう一つの理由』(ダイヤモンド・オンライン香山リカ2011.07.01 内容略) 
http://diamond.jp/articles/-/12955

同文章で、小出裕章を貶めるために、『ネットの世界を中心に、原発事故にのめり込んでいる人たち』をコケにする暴言を吐きました。

ネットの世界の人々は「ニート」、「引きこもり」 (言葉古くねぇ)で、小出裕章氏をヒーローとしているが、単にルサンチマン*にすぎず、彼らは現実社会の「適応障害」と断じています。

小出裕章氏をヒーローとしている人達を「適応障害」、「パーソナル障害」とすることにより、小出裕章氏の論を矮小化しています。

2000年頃から新聞離れ、テレビ離れが進み、書籍・雑誌の販売部数減少「活字離れ」とか言われていますが、マスメディアの位置が縮小しており、マスコミ業界のネットに対する偏見を代弁したのかもしれません。
今後のマスコミにおける自分自身の立ち位置を確保し続けるために、単に保身に走っただけにしか読めません。


ボスの登場です。

批判が相当あったようで、前記HPに号外として「前回のコラムについて――お詫びと補足」(2011.07.05 内容略)が掲載されました。
http://diamond.jp/articles/-/13010

「お詫び」になっていませんし「補足」にもなっていませんが、「言い訳」にはなっていると考えます。

『「原発問題がもたらす心の変化」とは何なのか。』と問題提起をする意図があったと「言い訳」をしていますが、7/1の文章からは読み取れません。
ネットを通じて小出裕章氏を支持する方々に暴言を吐いた、以上でも以下でもありません。

最後に「読者のみなさまにも納得していただけるよう、またこの認識が脱原発アクションにつながるものになるよう、心して書かせていただきます。」としていますので、今後も書き続けるものと思われます。

ただ、マスコミ寄生虫の香山リカは過去の人となる日も近いのでしょう、「ネットの世界」の「適応障害」で。

*弱い者の強い者に対する憤りや怨恨、憎悪、非難の感情


よしなしごと その4/4

2011-07-09 07:11:44 | 未分類
総括

たまに注文します本屋でのこと。

新刊やら古典やら何冊か注文票に記入し、店員の方(パートの女性)は納入日の確認を端末でされました。
店員の方「○○○の本は無いのですが。」と。
僕「著者でもヒットしないのなら、メモの書き間違えと思います。」

夕刻、その店員の方から自宅に電話があり、彼女が聞いたところによると、端末操作を間違えており、在庫が確認できました、と。

彼女「お詫びを言っていましたよ、そのまま注文しておきましたよ。」と。
僕は、そのような事があったことをすっかり忘れていました。


素早い、間延び、ゆっくりした動きのものがあり個性(心)?

古典を読んでいると、意味不明なセンテンスにぶつかります、きっと訳語が不適切なのではと考えざるを得ません。(語学はできません。)
原典を確認していないので単なる憶測ですが、アリストテレス、プラトン以降の哲学とキリスト教の教義が密接な関係にあることから、語彙の一神教の背景までを含めて日本語に訳しきれていないのでは、と。

様々な本を読んでいて、「実存は本質に先立つ」ではありませんが、「読み込みは批判に先立つ」と言えますが、さらに措定のパラドックスが待ち構えており、逆説的比喩とならざるを得ないと考えており、いまだ否定し得ません。

1991年以後、社会主義国家の崩壊を契機に「マルクス」「マルクス主義」「共産主義」が交錯したまま批判(否定)されていますが、マルクスの哲学は「やわ」ではありません。

「マルクスはマルクス主義(また、共産主義)に先立つ」と言えます。
「ポストマルクス」は「マルクス」であると、あっ、以前にも書きましたね。

以上4回に渡って書いてきました「よしなしごと」ですが、『生ゴミは、腐廃し臭いものである。』を持って、当ブログの5年間の総括とします。

(2011.07.03記)

追記

読み返してみて。

鋭利な刃物はイデオロギーの言葉を一つひとつ削ぐことはできますが、ナタとか斧でなければ、そのイデオロギーの首を落とすことはできません。

逆説的比喩の首を落とすためにも・・・・・・

(2011.07.07記)


よしなしごと その3/4

2011-07-08 07:06:09 | 未分類
趣味は読書?

超難解な本に出会いたいものです。
難解な漢字、何が正解なのか分からない数式等の書籍ではなく。

知らない事柄、考えたことのない事柄は、出会った時には意味不明ですから理解できません。

故事の「読書百篇義自ら見わる」にあるような百回くらい読まなければ理解のできない超難解な本を。
社会科学も哲学も読み方の壺みたいなものがありますが(当然浅知恵ですが。)、それにしても読み応えのある出会いはなかなかありません。

ただ、本を読むことは副次的であり、決して目的ではありません。
本なんて読まないに越したことはない、あっ、これは以前にも書きましたね。


またまた、仲間が増えました。

さわやかな風の尖り
目玉焼きの微かな黒胡椒の香り
愛犬の穏やかな眼に走る光
彼女の柔らかい言葉の刺激

滑空する鳶に切り裂かれた空
触れた肌の暗黒の飢え
雑踏の透明なぬくもり
語られない饒舌な言葉
・・・・・

身の回りの事柄は万巻の書に値します。

ふっと過ることは、ある質を持って読める時間も見えて来ていますので、雑読を卒業して読まなければならない本を、優先するスタンスに切り替えなければと考えています。

そのようになって初めて「趣味は読書」と言えるかな、と思います。

いまだ書かれていない最後の一行は、万巻の書には埋もれていません。

(2011.07.03記)


よしなしごと その2/4

2011-07-07 06:46:29 | 未分類
生ゴミ  

様々な事柄について考えていることの9割以上は「ゴミ」であることから、「妄念」との言い方をしています。

これはSF作家シオドア・スタージョンの格言である「スタージョンの法則(黙示)」で、『90%のSF作品をゴミカス扱いするのと同じ基準を用いれば、映画、文学、消費材などその他あらゆるものの90%も同様にゴミである。』と。

「スタージョンの法則」は経験則の「パレートの法則」と同質とも言えます。
「パレートの法則」の『8:2』から、集団生活をする生物としてアリの働き者と怠け者の話は有名ですが、北大長谷川英祐准教授のサワリを引用します。

コロニー内の他個体に直接貢献する「労働行動」を長期にわたりしない個体が総ワーカーの1 ~2割存在することを示した。さらに,「働き者」「怠け者」をそれぞれ取り除いたコロニーで,残された個体の労働パターンがどのように変化するかを調べたが,働かないものは働かないままであり,働き者を失ったコロニーで不足する労働を補ったのは次に働いていた個体であった。
「お利口ばっかりでも,たわけばっかりでもダメよね!~「集団」行動の最適化~」(長谷川英祐 北大院 日本動物行動学会NEWSLETTER No.43 2004.1.1より抜粋)

ここから、組織、システム、共同体、はてはグローバルな視点へと展開できますが、初めに書きましたように、それらの展開は「スタージョンの法則」による「9割以上はゴミ」なのでしょう。


仲間が増えました。

思想書や哲学書、果ては宗教書などに触発され、様々な事柄を「真理」とか「普遍」とか「絶対*」等について思索することの、「9割以上はゴミ」なのでしょう。

僕的には「10割近くが生ゴミ」と考えていますが、多くの方は逆に考えているようです。

* 絶対の言葉は、生理的に苦手です。対(相手)を絶(殺)する思考だと考えていますので。

(2011.07.03記)


よしなしごと  その1/4

2011-07-06 20:40:29 | 未分類
解放区

ブログを始めて今月で、丸5年になります。
アップした拙文がまもなく1,000本になります。

テーマを絞って、愛犬・愛猫のことだけ、季節のことだけ、時事のことだけ、妄念のことだけ、読書のことだけ、街のことだけ等に拘って、意識して書き連ねたら、また、別なブログになったのでしょう。

取り上げた本は漫画からちょっと難解な本まで約200冊で、無難なものの中から適当に選び、雑感のメモを付して取り上げています。
妄念の中核となる類の本からは、十数冊紛れこみましたが。

アマゾン等のレビューには、あまり意味のない概要紹介(この類が多いです。)ではなく、読み手が著者の思想、哲学ときちんと向かい合ったものがあり、時々ハッとする質のものもあり、本来はそのような読書ノートが望ましいのでしょうが・・・・



FlipFlopと言われる論理回路が組み込まれているのでは?


本棚から溢れた本の山も、最初はひと部屋だけだったのですが、3部屋に分散し、さらに茶の間にも進出してきており、日々自己増殖しています。

彼女は呆れて(見かねて)「二度と読まない本は、○○さん(古本屋をしている友人)に引き取ってもらったら。」と言いますが、選別の時間があれば1冊でも読みたいものです。

抜本的な解決までは本の解放区のままです。

彼女に感謝していることは、本代については何も言わないことです。

(2011.07.03記)



追記

昨日の出来事。

彼女「夕方、本屋さんから入荷の電話がありましたよ。あっ、昨日も。」
僕「何が入ったのかな、直ぐに読めないから後日にする。」

彼女「何冊注文しているの?」
僕「うっ!」

ちょっとだけ彼女の視線が宙を泳ぎました。

(2011.07.06 記)