Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

内と外 その1

2011-04-11 21:13:48 | 異形の滓
ちょっと小難しいことをメモしておきます。

暗闇の中で、懐中電灯Aは対象物を照らしだしますが、懐中電灯Aそのものは照らしません。
その懐中電灯Aを照らすためには別の懐中電灯Bが必要となります。
懐中電灯Bを照らすためには懐中電灯Cが ・ ・ ・

本当にそうでしょうか?

書店で何時ものように漁っていると、腰巻の「深遠なるインド哲学の源流」の文字が目につきました。多分に大雄、釈迦にも大きな影響を与えたウッダーラカ・アールニとその弟子(と言われる) ヤージュニャヴァルキヤの教えの原典訳が出版(2011.03刊)されており購入。

「インド最古の二大哲人」(宮元啓一  春秋社)

僕自身、古代の西洋、東洋の哲学の素養はまったくなく、軽い気持ちで読み始めたのですが、言葉自体は易しいのですが、なかなかどうして購入以来何度か読み返しています。

二大哲人の真髄は別の機会にメモすることとして、最後に宮元啓一氏の「附論 自己と世界」が収録されており、短文ですが読み応えがあります。

『附論 自己と世界』より

「(自己は)見られることがなく見る者であり、聞かれることがなく聞く者であり、思考されることがなく思考する者であり、知られることがなく知る者である。これより別に見る者はなく、これより別に聞く者はなく、これより別に思考する者はなく、これより別に知る者はない。これがなんじの自己であり、内制者であり、不死なるものである。これより別のものは苦しみに陥っている。」(プリハッドアーラニヤカ・ウパニシャッド3・7・23) 同書144Pより
(2011.03 .21記)



昨日の道新書評欄で「伊勢と仏とキリストと」(坂井洲二 法大出版局)に「奇跡を見せて圧倒する法華経の釈迦如来と順を踏んでていねいに説明する釈迦、後者の釈迦の実像は、ドイツ人同様インド・ヨーロッパ語族らしく論理的だ」と葛西賢太(宗教学者)が書いていました。(2011.04.11記)