Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

脳外ICU狂奏曲 番外編

2012-10-18 12:23:31 | 未分類
先日二日間続けて、手術の発端となった眼科に行き検査を受けてきました。
視力が回復しており、視野の欠落も無くなっており、医師は大変良くなっていると、経過観察で年明けに来院するように、と、。

猫の鈴?

ICUからHCUに移りましたが、縫合している訳でもなく点滴のチューブと心電図を身に付けているだけなので、ベットから降りて点滴スタンドを手に動き回っていました。

HCUに移った当夜、婦長さんが来られて「見た目と違って大手術だった云々、安静にしてトイレも車椅子で云々」と説教されました。

婦長さんが退室してすぐに、看護師が来て点滴スタンドに鈴を三個付けました。
理由を聞くと、「動き回ると分かる。」と。

大量の点滴をしているのでトイレが近いですが、その度に看護師に来てもらい車椅子でトイレに。
そのお陰で車椅子の乗り方には習熟しました。

翌日、家族がその鈴を見て、笑いこけていました、イヤハヤ。


「レースを編む女」(フェルメール ルーブル美術館)


「ミサコおばあさん」その後

ICUとHCUとは繋がっており、HCU前の廊下を小柄なおばあさんが、三人の看護師が抱かかえるようにICUのスペースに向かって通りました。

点滴チューブを勝手に外し、ベットから降りて徘徊していたものと思われます。

「ミサコおばあさん」の口からは、聞きなれた声で「温泉に入る。」と繰り返えされ、看護師に「お風呂しかないからね。」と繰り返し言われ、ICUに。


「薔薇の窓」(ノートルダム寺院)

記憶喪失?

彼女に、「入院前後の記憶が飛んでしまっているね。」と。

昔日、叔父が胃の手術で麻酔から覚めず長らく療養していましたが、意識が戻らず亡くなっています。

商いをしていたころ、同僚の「名誉」、「地位」、「お金」等に自己同一性があるかのような卑しい営為に存在の虚空を見ており、自分自身はそれらへの執着心が希薄で淡白と認識していました。
ただ手術に「万が一」がありえることに直面して、改めて「もの」、「こと」、「いのち」等に深く深く沈潜していました。

「もの」、「こと」、「いのち」等への執着が皆無に近い自己を再認識しましたが、その間自己の外側での出来事に無関心だったために、彼女に「記憶が飛んでしまっている。」と言われるのでしょう。


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