Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

くじけないで

2010-08-07 17:31:36 | 読書ノート
本を漁っていると「ソクラテスになった猫」(左近司祥子 勉誠出版)が目に留まり購入しました。
某大学の哲学科教授で41匹の同居猫と著者が紹介されていましたので、猫に対して、「肉球ぷよぷよ」、「癒される」、「いとおしい」とかの視点ではなく、自ら「生き物」として対峙している質を期待しました。

以前、取り上げました、「哲学者とオオカミ」(マーク ローランズ 白水社)の質、それ以上を。
エッセイ風でギリシャ哲学を専門としていることが読めますが、プラトンのソクラテスに係る無知の説明は丁寧にされていますが、無知である自分との真摯な考察が読み取れませんでした。

目的を持った共同体の民主主義の危うさを指摘しており、猫の共同体に目的が欠落していることに民主主義の可能性を見ています。
が、共同体そのものの多様性の洞察に厚みがありません。
僕は、「群れ」そのものを目的とする共同体はありえると考えます。

また、脈絡を超えて、『私の目の前で猫殺しなど許さない』と断言する質の箇所が多々ありますが、許さないことが著者自身にとってどのような意味、普遍、本質なのかが語られていないため、この類のフレーズに唐突感が生起します。
このため多々出版されている猫好きの方の、エッセイのレベルになってしまっています。

本書の帯に「悩み多き貴方に教える、本当の自分が見つかる哲学」とありましたが、著者自身が「本当の自分」を見つけることができない反面教師としてのコピーなのかも知れません。

哲学科教授は、必ずしも哲学者でないことを晒しています。
駄本でした。


巨体に似合わず「へっぴり腰」のお散歩となります。

老母が、柴田トヨのテレビ映像を見て、「読んでみたい。」と。
老母の就寝前に、詩集「くじけないで」(柴田トヨ 飛鳥新社)の何篇かを朗読します。

だまって聞いており、「もう一度。」とか「これはいいね。」と発します。

柴田トヨさんの息子さんが、詩として整えているようですが、失敗している詩篇もあります。
このことを抜きにしても、この詩集は前掲の「哲学モドキ」より「生き様」の核心を照射しています。