Retriever Legend's blog

散歩好き、本好き、惰眠好き、犬大好きの彼(旦那)の戯言を僕が代弁します。

人を食らう その3

2010-06-06 06:55:35 | 異形の滓
人には、食料のためには殺して食うが慣習あったことを思い起こせば、「余剰食物」に従事する人間は、食料生産に従事しない人間、自分の属する共同体の一員と見なさない「性質」が備わっていると言えます。 共同体内の立場が逆立ちします。

一端逆立ちの関係が成立しますと、「余剰食物」に寄生している人間は、「人を殺して食らう」本来の「性質」の姿に戻ります。

立場の逆転は、武士についても見ることができます。
武士の起源論はいくつかありますが、公田請作から11世紀の荘園間での武力紛争を経て所領経営としての武士が成立しました。主と従が逆転したといえます

話を飛ばしますが、貨幣があります。

貨幣には、「価値の尺度」「交換の媒介」「価値の保蔵」があり、マル経はさらに「支払の手段」、労働の成果(価値)を細分化する機能を見ます。

貨幣の登場は「食料を追い求める」、「人を殺して食らう」ことを、自ら行うことがなくなり、自らの食料を生産する必要のない階層の出現を促しました。
直視する(血、汗と直接手を汚す)ことがなくなりました。

このことから、血と無縁(であるべき)の倫理、道徳、理性等の、そして自由、平等、互助の理念が共同体内に蔓延ることが可能(?)となりました。 

資本による人間の家畜化が、貨幣の多寡(数字)に置き換わり、よって直視の必要がなくなりました。

貨幣に「血の隠蔽」の機能を見出すことができます。
白人優生主義≒貨幣(血の隠蔽)は、他の民族を劣性民族(野蛮、未開)として、躊躇なく見事に殺戮し続けました。

また、貨幣の「血の隠蔽」の機能を起因として、資本主義、社会主義の体制に関らず、僕(たち)の日々の生活が仮構(幻想、観念)であることが見えてきます。

そこに人間の絶望を見るのか、可能性をみるのか、それとも・・・



「アマゾン文明の研究」(実松克義 現代書館)