
暑いから涼しい画像に差し替えよう。
祇園祭後祭の巡行も7月24日で終わるが、7月31日まで祇園祭であり、最後に八坂神社の茅の輪をくぐり、祭の無事終了を感謝し無病息災を祈念して京都人の大きな行事は終わる。
さてその京都人は、今でも京都に都があると信じている人が多い。だから小学校では、児童達が日本の都は京都です!、といって先生を慌てさせているようだ。もちろん都市計画の立場からみれば、都市機能的にみても、とても1国の中心が京都だとは思われないのだが、どうもそれは都市機能論だけの話ではないようだ。
どいうのも東京に都を貸しているという認識が京都人にありそうだ。それに天皇家も武士の城だったところに仮住まいしている。つまり別荘という認識だ。ご実家は京都に御所があるのだから。
だから東の京都であり、つなげて東京都(とうきょうと)と呼んでいるわけだ。だから「ひがしきょうと」と呼ぶこともできる。このことは前にも書いたが、東の京都では東神奈川とか東久留米と同じ意味合いになってしまうが、京都人にとっては「ひがしのきょうと」という認識なのだ。だから京都人は、京都駅からでる新幹線が、なんで東京行きが上りやねん、ということにもなる。
だから解決策は1つ。これまで歴史区分の名称が都の置かれた都市の名前であることを踏まえると、江戸時代から都は動いていないのだから、江戸でよかったのではないか。今無理して「江戸・東京時代」というよりは明快だろうし、100年後の歴史家達は、この時代をどのような呼び方をするのであろうかということは興味深いところだ。
つまり東京駅が江戸駅、東京大学が江戸大学、といった具合に。行政の単位は政令指定都市であり、特別区なのだから、江戸市、江戸府でよいのではないのだろうかという考え方も成り立つだろう。そうでなきゃあたらしい名称をつくる方法だろうか。そんな暴論(笑)を昔のブログに書いたことがある。
もちろんいまさら世界で使われているTOKYOをEDOに変えるとどうなるのかなぁー。混乱もあるが、それが経済の進化にもつながるのかもしれない。これは、やってみないとわからないですね。
少し視点が横にそれるが、昔遷都論の話をしたことがあって、京都御所から100里以内を畿内とよんでいた。だから今は近畿地方と呼ぶことにも訳がありそうだ。そのときに、都を畿内に遷都させてはどうか(つまり政治や行政の中心に加え、天皇家も畿内にすまわれてはいかが)という話を名古屋市内の会合でしたら話に尾ひれが付いて飛んでいった。
都市計画の立場では、昔から遷都論というのが、登場しては消え、ということを繰り返してきた。過密になりすぎ都市防災面でとやかくいわれると、遷都論が登場したりもする。これからも多分そうだろう。
東京に過度に都市機能と人口が一極集中しすぎていて怖くはないですか?
インターネット社会は個人単位まで諸機能が分散することで進化してきたことを思えば、東京や上海などにみられる一極集中は、都市計画の立場そして都市災害面からみると、ありえるのだろうかと最近疑問を感じざるを得ない。多分しばらく解決されることがない都市課題なのだろう。
2015年12月28日 沖縄県慶良間諸島
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