Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

番外編313. 行商列車

2018年03月06日 | Tokyo city

 画像は1968年、蒸気機関車C57が郵便車も含め10両近い客車を牽引する両国始発の銚子行き普通列車。夏だから機関車が地獄のように暑いので涼をとる運転手。高度成長期にこんなクラシックな列車を利用する乗客も少なくなってきた。今では山口線の観光SLよりはるかに立派な列車なのだが、ここでは毎日のおきまりの風景だった。

 かっては、大きな農産物をかついだ農家の行商のお爺さんおばあさん達が朝の蒸気機関車が牽引する上り列車で東京へやってきて、そして街角で商い、都市の台所の一角を支えていた。その行商列車も夕方帰る頃の下り列車はすいていた。おそらくさっさと売り切って早々と国電で帰ったのかもしれないし、そうした行商自体がなくなりつつある頃だったのかもしれない。だから夕方の列車は空いていたし、それも総武線が東京駅まで乗り入れる頃にはなくなってしまった。

 千葉県は、今も農産物と海産物の豊かなところである。第二次世界大戦で東京が困窮しているときでも食料には困らなかった。こうした田畑でとれた米や野菜や海産物を大きな荷物をかついで東京へ商いにやってくるのである。端から見ていて、こんなおばあさんが担げるのかと思われるほどの大きな荷物であった。

 そんな行商の姿をみているとこの人達は本質的に豊なのだと思われる。どんなときでも自給自足できる空間と技術をもち海へ出れば豊かな漁場がある。それさえあれば、一生暮らしてゆける。他方で都会人には、そんな空間も技術もない。

 そんな行商の姿が東京から見られなくなって久しい。やはり農家の取れたての野菜にかなうモノはない。京都市内では、まだ近郊農家から軽トラックで農家の人たちが行商にくる。私の家でも週に一回そんな農家の叔父さんがやってくる。

 先日、矢口史靖監督「サバイバルファミリー」を見ていて、電気が突然なくなった。そこで4人家族は、自転車を駆使し、ついにはSLも登場して実家のある鹿児島の農家を目指したのである。そこには、お互いを支えて行こうとする伝統技術とコミュニティがあった、というストーリーだ。

 今の街の暮らしが崩壊すればサバイバルファミリーをするほかない。そんな都会人達の足下は脆弱である。しいていえば今は虚飾の豊かさだろうか。

 まあそんなことを思い出して、一朝有事のときは都会をはなれても数日程度は暮らせるように、リック一つに納まる山用品を吟味し揃えようかと考えたくなる。リック一つに納まることが重要である。お湯を沸かせられるコッヘルや、お湯を注いで食べられるアルファ米の数々、簡易テントに寝袋とマット、それに手動で充電できるラジオ付き懐中電灯に水だろうか。そんなのを担いで避難するなら沖縄かな、非常時にどうやって行くんだ・・・。

 いささか映画の刺激が強かった・・・。

 

1968年両国駅

Canon6L,50mm/F1.4,ネオパンSS

コメント
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