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Creator's Blog,record of the Designer's thinking

毎月、おおよそドローイング&小説(上旬)、フィールド映像(中旬)、エッセイ(下旬)の3部構成で描き、撮り、書いてます。

Nikon Freak146.  京都節分のモデルコース

2018年02月01日 | Kyoto city

 今年は、2月3日の節分が土曜日にあたるから、東京を朝の新幹線で立てば節分行事がみられる。このブログでも随分前にモデルコースを書いた。節分行事は夏の祇園祭に匹敵する。というのも市内の多くの寺で節分行事をするので1日で回りきれないほど各社寺で盛大に行われているからだ。そこで市内の交通の足が混むことを加味し、私なりのモデルコースを再度アップしておこう。

 

(京都駅前から市バス205系統か4系統で約40分,下鴨神社前下車)

 ■午前10時〜,下鴨神社節分祭

節分の行事の多くは午後なので、午前中からみられる数少ない神社。世界遺産の糺すの杜からスタートするのがよかろう。何しろお祭り好きの神社だから午後までやっているのだが、適宜パスして次に行こう。

 

(出町柳駅から京阪電車が便利)

早起きが苦手なら、ここから・・・

午後1時〜,八坂神社節分祭,祇園甲部豆まき

節分だから豆まきをみたい、それも京都だから舞妓さんがええというなら、ここだろう。市内の節分祭でも舞妓さんは結構登場するが、やはり地元の神社だけあって、豆まきの後で舞妓さんの舞も奉納される。その後の海南島云々の劇はパスね。

 

(バスなら四条河原町から、あとはタクシー)

午後3時〜4時,節分会・追儺式鬼法楽,廬山寺

節分行事だから鬼がみたいというのであれば、やはりここを京都人はお勧めする。狭い境内は人であふれかえっているだろう。みえるかなとおもう。八坂神社を早々に引き上げて、たいした距離ではないのでタクシーでこよう。場所は京都御所の東側、市内の運転者さんはみんな知っているから「ロザンジ」といえばわかる。



(直で壬生寺へゆくバスはないので四条河原町などで乗り換え)
午後5時〜5時30分,壬生寺壬生狂言
昨日のブログ画像の狂言が無料でみられる。1時間毎に入れ替え制でやっているので、列に並んで5時頃のに入ればよいだろう。境内は露天が立ち並んでいる。ここで炮烙(ほうらく:素焼きの皿)を購入し家族の名前や祈願文など書いて預けておくと、5月の炮烙割のときに狂言者が盛大に割ってくれる。それで大願成就するというわけだ。


(吉田神社行きの臨時バスなど)
夕飯やチェックイン
 このあたりで夕飯だろうか。壬生寺は四条大宮なのでこれといった店は少ないが、駅の近くの横町にあるモリタ屋ですき焼きかしゃぶしゃぶで冷えた身体をあたためるのかな。あるいは王将の1号店(笑)。壬生寺から吉田神社にゆく臨時バスが節分の時だけ運行される。市内を縦断するのでこのバスは便利だ。時間は「京都市バス 節分 臨時」のキーワードでWEBを参考にされたい。他方吉田神社あたりのレストランだと隣が京都大学なので、それなりの店は探せばあるだろう。それにホテルにチェックインしておくのもこの時間帯だろう。あるいはここでお終いにすれば東京まで戻れます(市バス206系統京都駅行)。


午後11時,吉田神社・火炉際
吉田神社は麓から山の上まで露天が盛大に連なっていて人出も多く賑やかなところだ。火炉祭は、境内の大変大きな籠に入れた山のようなお札を燃やす行事である。大きな火が立ち上がり暖をとれる。近年の傾向なのだが注意したいのは境内が一方通行なので、そのまま歩いて行くと火炉祭の始まる前に追い出されてしまう。だから午後10時半以降にゆくのがよかろう。火は一晩中燃えているから。
(帰路はタクシーが吉田神社正面出口に並んでいます)
 節分行事は、そのほかにも市内の社寺で数多く行われている。京都観光NAVIのWEBサイトに節分行事の一覧リストがある。まあ各自で適宜組みあせてみるのもよかろう。市内の道路はそこそこ混むので足の時間も考慮して・・・。

催事情報は京都観光NAVI
http://kanko.city.kyoto.lg.jp/eventdetail.php?event_tab=tradition&eventid=180203100&year=2018&month=2&date=

ちなみに2月4日日曜日は催事はゼロです。サッサと帰るか、あるいは今日の天気予報では雪なのだけど・・・。


吉田神社節分祭

NikonF4.AF Nikkor70-200mm/F2.8,PROVIA400

 

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Nikon Freak145. 月並みに天気の話題から

2018年01月31日 | Kyoto city

 昨日書きかけたままにしておいたブログ原稿が消えてしまった。

 gooは、新規投稿画面にブログ原稿を書きためておけば保存されるはずであった。確かに保存されるのであるが、違う操作をしていると新規投稿画面から原稿が消えていることがよくある。それは新規投稿画面を更新してしまうからなのだろうけど、私の仕事の進め方とgooのロジックとがかみ合わない。だから書きかけでも予約投稿しアップしておいたほうが原稿は消えずに済む。でっ、さて何を書いていたかは覚えていない。そういうときは月並みに天気の話題から。

 今週の京都市内の天気予報は、最高気温が4°〜10°と高いく最低気温が-2°〜-3°と変わらずであり、今日も青空が広がっている。天気図をみれば西に弱い高気圧、東の低気圧は北へ去ってゆくから西高東低が崩れているのか。しかし週末2月4日には、しっかり雪予報が出ている。それをかわきりに来週は冷たい日が続くようだ。2月4日は立春であるから冬は終わるのが暦の論理だが、最近それがあまり該当しなくなっている。もっといえば底冷えする寒さが立春以降も続くけど都心部は雪が降らないのが寂しい限りだ。

 京都の観光ポスターで雪の高台寺の写真をみかけたが、それはもう随分と前の話だろう。たまたま雪が降ったときに撮りだめした画像であり、当然すぐに溶けてしまう程度の雪だ。だから京都の観光写真で雪が降っている画像は、信用しないほうがよいというのが京都人の意識。そう、京都市内は雪が降らないのです。寒いというよりは、空気が水のように冷たいのです。

  このブログでは、2015年1月3日〜5日のブログで市内のまとまった雪の画像をアップさせている。それは調度年末に沖縄から帰ってきたら翌元旦から雪が降り出した。2日続けて市内は5cmほど積もっただろうか。当時観測史上4番目の21cmと発表されたが、それって京都のどこの話だい?。それが私が記憶している最新の雪の京都である。それ以来京都市内に雪は降りませんね。

 だから市内に雪が降るとすれば元旦の頃。そりゃよいお正月ですね、銀閣寺なんか綺麗でしょうなどというのは決まって東京人。今年は雪がありませんでしたから、もう雪はお終いですかね。 

 あとは節分の頃、みぞれ交じりの雪がぱらつくことがあった。積もるほどではなく壬生寺の境内がぬかるみとなり夜店の明かりが反射してものすごく冷たい景色。そのなかで頭に雪をかぶりながら壬生狂言をみるなんざぁー北国にきたのかと思うけど。そうだ壬生狂言の画像はまだアップしてなかったな。さて講義用のファイルから取り出して、リバーサルフィルムだけどこれ以上は補正できないなぁ。屋根の白いのは雪だよ。冷たい空気の節分だった記憶がある。当時三脚をたてて自由に撮影できたけど、今の壬生寺は一切撮影禁止。

 京都市内の雪は、その程度なのだ。それ以上降るとお寺の庭が雪で埋もれて雪景色どころではないでしょう。再度申し上げるけど京都市内に雪が降るなんていうのは東京人の幻想です。京都市内に雪は降りません。

 こう書いて期待を裏切るように雪が降って撮影にでかけられたら最高なんだけどさ。

 
2000年前後の2月3日壬生寺壬生狂言  

NikonF4,NikkorAF20-35mm/F2.8,PROVIA400

 

 

 

 

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EOSな日139. 二十歳のオーラ

2018年01月16日 | Kyoto city

 1月14日の三十三間堂で開催された成人式である弓引き始めにでかけた。なにしろジャスト二十歳の女子だけで2千人は参加している催事なんて東京でも少ないだろう。でっ若いオーラで気力の充電をしようという魂胆なのだ。従って最初から方向違いの目的。まあ昼飯を食べに出かけるついでに立ち寄ったといったら穏便か。今回は、広角ズームだけでいいよな。

 それは正解であり会場へ出かけると、三脚、脚立禁止の看板、それに一方通行にされ自由に動けない。次第に京都の行事も観客が増えたためだろうか、撮影しにくい環境になりつつある。当然弓を射る姿なんて撮影できない。ああーっ、あれじゃ親御さんが可哀想だな、朝早くから着付けたり髪をゆいあげたりと走り回ったのに、肝心の凜々しい娘の姿がみられないのか。変わらないのは、履き物を間違えて履いていった女子がいることぐらいか。

 私は、そんな凜々しい二十歳の女達を随分撮影した。特に2010年1月18日から31日のブログでは、弓矢が手元を離れた瞬間を射止めた画像が続き、こちらも的中なのである。EOS40Dの連写モードをフルに使い、弓を射る場所から一番遠いところにたてた脚立に乗って400mmのレンズ(APSサイズだから600mm相当)で撮影した。もちろん好き放題に脚立を立てられたので、いろんなアングルから二十歳の姉ちゃん達や着物を飽きるほど撮影でき、たっぷりオーラをもらって充電をした。

 それに我が大学からも参加しており、当時芸術工学部の学生もいたので参加者達としっかり記念撮影に納まったこともある。今年は、名古屋市立大学からは男女5人の参加であった。

 今回は管理のガートが堅くて囲い込まれた集合場所に参加者があつめられ、管理者の爺達だけが二十歳のオーラを独り占めにしているなんてずるいではないか。だから容易に近寄れないし撮影できない。まあ実につまらなくなったことは確かだ。こちらは過去にさんざん撮影したので、今ではそんなことはどうでもよいさの気分なのだが。

 さて今回は、遅がけに出向いたので参加者番号は1400人代だった。だから会場には女子のオーラが少なくなりつつあり、いささか充電不足だぜよ。まあオーラのカス画像でもアップさせておこうか。

 

京都市東山区三十三間堂

EOS1Ds Mark3,EF16-35mm/F2.8 L USM

IOS400,焦点距離35mm,露出補正0,f/7.1,1/250

 

 

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EOSな日135. 構え方

2018年01月11日 | Kyoto city

 通りの正面に、あるいは街に面と向かって寺の門を構える。そうした風景は、清水寺をはじめとして街中に多い。つまり寺の門から真っ直ぐ参道が続き、その参道沿いが商いで賑わうという構造だ。近代の参道型商店街は、まさにこの構造をしっかりと踏襲してきた。街の構造が変わるとともに商店は移動していったが、それでも街にむかってお寺の正面を向けていることに変わりは無い。

 この画像の行願寺は、竹屋町通りの中心と寺の本堂の中心とがピッタリ合って入るぐらいだから、相当に通りを意識したも構え方だ。それだけにしっかり街のランドマークになっている。つまり空間的論理が明快だということである。 

  構えるというとこの時期は、大学センター試験が全国で一斉に開催される。お手伝いをする教職員が一丸となって構えるわけだ。

 私も何度か試験監督で従事させられたが、全く拷問のような二日間。何が拷問かといえば、試験中なにもしないことである。何しろ携帯を持ち込むなはわかるが、内職するな、居眠りするな、咳するな、靴音立てるな、動くと衣擦れがうるさい、いびきがうるさい、呼吸がうるさい!、といった具合にあまり試験慣れしていない受験生から苦情がでるので何ももできないわけだ。

 そして全国統一基準に基づき実施するので、試験監督者全員に渡される入試要項にそって忠実におこなうわけであり、試験開始に先立って該当教室の主任が行う入試説明も要項の台本通り1字1句正確に発音し他の教員がそれをチェックするありさまだ。それを全部の科目について同じ説明を行うので、説明する方も聞いている受験生もあきれた顔をしているし、私が担当した会場では上位大学の受験生が多かったためかどこか大人であり、お互いにご苦労様ですと優しい目線が飛び交っていた。

 そうした教職員一丸となって行っているクソマジなぐらいに構えに構えたセンター試験で、どこかの大学でミスらないかなと虎視眈々と狙っているメディアがある。全くハイエナのような輩だ。NHKなどはハイエナの最たるものだが、幸い私の大学ではハイエナの餌になるようなことはこれまで一度もなかった。

 大学は場所と人材を提供するだけであり回答結果はそのまま大学入試センターへ送られる。だからこちらはあとのことはシランぜよで大学には全く主体性がない。そうした大学センター試験も3年後には、新テストに変わる。どっちにしろこんな主体性のないことを大学で行う必要があるのだろうかといつも疑問に思う。それよりは受験生が通っている高等学校で行う方が受験生の負担が少なくてよいのではないか思いながら従事していた。この頃雪が降ることが多いのだ。

 そういう今日の京都は、最高気温5℃、最低気温-2℃と終日寒かった。夕方から雨まで降り出し、雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう〜、と鼻歌を混じりでホントに夜中に雪が降りそうな天気だった。明日は名古屋市内で新年会だ。先ずは酒を飲んで寒さをかわそう。それがこちらの冬の構え方さ。

 

京都市竹屋町通

EOS1Ds Mark3,EF28-300mm/F3.5-5.6 IS USM

IOS400,焦点距離150mm,露出補正0,f/8.0,1/250

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EOSな日134. すでにおそい話

2018年01月10日 | Kyoto city

 京都市も、他の都市に比べれば伝統的民家が2万件以上はある(WEBの記述)と推定されるので他の都市と比べれば多い方だろう。実際に新業態の店や住宅としてよく利用されているし、民家を保存再生しようという組織も複数ある。だかそれで街並みが形成されているかといえば、必ずしもそうではなく、やはりリニアに点在という感はいなめない。

 ではどうしたら点在から抜け出せるか。例えば街角における伝統的民家群の連続なのだろう。通りを曲がるとやはり伝統的民家が続いていたというあたりに連続した空気を感じるのかもしれない。ある通りのT字路を曲がっても民家が続いている気配は、時代劇のセットで用いられる方法だけど、そんな交差部こそ民家の連なりを感じさせるかもしれない。

 それにしても京都市あるいは伝統的建造物群保存地区をのぞけば、全国で古民家は次第に数が低減してゆく一方だ。現代住宅と比較して何が違うのかといえば、内装さえ模様替えすれば大して違わないといえる。それに古民家の土壁は、防音、防寒に優れており、こんな優れた建築材料が使える職人さんが今はいないのが現状だ。今民家を修復すれば断熱材を入れたプラスターボードに上塗りあたりになるだろうか。それでも柱や梁は丈夫なので十分民家として機能できる。

 つまり内装の模様替えさえすれば、古民家は現代のライフスタイルに十分合致できるわけだ。そのことは既に古民家を活用している若い人たちの多くが実証していることからもあきらかだ。

 古民家を捨て住宅を新築して内外装を一新したからと入って、その結果何を得たのだろうか。そんな新建材の家がまちまちに建ち並ぶ姿は現代人の近代合理主義が通りに露出してきたみたいで景観的に美しいとはいいがたい。今の京都市内の通りの街並み景観も、四条通をはじめとして全国どこにでもあるありふれた姿になってしまった。

 そう、つまりいじらなけれぱよかったのだけど、すでにおそい話である。現代建築を勉強してきた筆者が古民家を追いかけるのも、建築のプロポーションや街並みが美しいだけではなく、その背後にあるその土地固有の風土的了解の姿あるいは論理があるからだ。そんな風土的了解の姿や論理が地域の個性を形成しているわけだ。

 

京都市醒ヶ井通り姉小路角

EOS1Ds Mark3,EF16-35mm/F2.8 L USM

IOS200,焦点距離35mm,露出補正0,f/2.8,1/6

 

 

 

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EOSな日133. 路地 

2018年01月09日 | Kyoto city

 丸太町周辺で撮影した画像の民家に挟まれた正面の門をくぐると路地奥の民家へ通じている。京都の旧市街地は路地が多い。

 一般には旗竿敷地と呼ばれるものだが、大半が行き止まりであり撮影するのも不可能なぐらい民家群が路地沿いに隣接し密集している。屋内に陽が入るのかと疑問に思われるようなところが多く、例えば物干し場があれば、すぐ隣の家というぐいらなのだから、限られた空間を過密に利用しているといってもよいだろう。むしろそれがこの街では一般的といってよく、大概は撮影不可能なほど狭隘で混沌としているし、隠れ家のようなプライベート性の高い空間だから、私は素通りしてゆくことがおおい。

 そんなかでも家主の世代交代がうまく進んでいるところは、古い民家様式を維持しつつ、アトリエや焼き菓子屋やパン工房などの新しい機能が加わったあじき路地のようなところもある。(2017年6月22日,13日ブログ)

 大和大路通より1本西側の通り、町名でいえば北御門町、山城町あたりだろうか。この辺は路地が結構多く、このあたりの街並みの画像は昨年5〜7月のブログでも紹介した。

 京都の街は、大きな四角い街区で構成されているから、そうした街区の中に入るのにはどうしたらよいかとする方法が路地なのだろう。もちろん民家は建築基準法上は既存不適格なので、新築したら建物のセットバックを余儀なくされるので新築される可能性は少ない。また路地は公道なのかとする疑問もあるし一体所有者がいるのだろうか。そのあたりの事情は京都市に尋ねないとわからない。従って路地沿いの民家は再利用、つまり内装の模様替えで更新されており、そのことが皮肉にも古い民家景観を残している結果になっている。

 そして路地奥の民家は、昔の社会ならば、出職人、左官、鳶職、口入れ(人材派遣業)、賃仕事、家内職人、足袋職人、紺屋、仕立屋、洗い張り屋、寡婦、芸人、芸者、棒手売り、旅芸人、お坊さんといった多彩な人たちの隠れ家だったのかもしれない。

 

京都市東山区

EOS1Ds Mark3,EF16-35mm/F2.8 L USM

IOS400,焦点距離34mm,露出補正0,f/11,1/250

 

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EOSな日132. 銭湯 

2018年01月08日 | Kyoto city

 川岸の赤提灯と銭湯は不思議とよく似合う。ここは元遊郭があったエリアだが、最近若手経営者を得て積極的に銭湯復興の活動をしている。錦湯、船岡温泉・・・。京都では銭湯のことを温泉と呼びならわしている。もちろん地下からわき出る温泉ではなく、かまどで焚くお湯である。市内にはそうした温泉がまだ幾つか残っているし利用者もいる。

 寒い冬の散歩途中で温泉、つまり銭湯にゆくのは少し快感。もちろんそれから再び街を歩けば冷たいことに変わりは無いが、どこか耐えられるそうな気分になる。つまりカフェ代わりに温泉というわけだ。この高瀬川の回りにはカフェがないのだな。いっそ温泉とカフェとか赤提灯を一緒にしたらよいではないかと思うけど。さらには映画館と本屋というのが相性がよいでしょう。そんな新マーチャンダイジング発想で。

 実際銭湯に入るとくつろぎたい気分になる。そのままカフェなら申し分ない。寒風吹く最中銭湯で暖まりお洒落なカフェで珈琲、あるいは赤提灯で一杯やって帰る、庶民の娯楽はそんなもんで十分すけど。

 だから銭湯は、施設の規模も大きいし新たに機能を付加できるところに強みがある。カフェを利用したら、石けんとタオルはただで貸してくれるとか・・・。

 

京都市下京区旧五条楽園

EOS1Ds Mark3,EF16-35mm/F2.8 L USM

IOS1600,焦点距離27mm,露出補正0,f/4,1/60

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EOSな日131. 100年後の世界文化遺産をめざす

2018年01月07日 | Kyoto city

 京都市内の町内会の上部組織に自治連合会がある。昨日はそこの互礼会が元小学校であった。つまり名刺交換会。能の一説の披露があるあたりは京都、それにお正月の童謡「一月一日」年のはじめのためしぞて〜、を年配の人たちが集まる場で大まじめに合唱。というのも参加者のほとんどの人たちは、この小学校の卒業生達なんだ。一生生まれ育った街に棲む、それが京都固有の空気を形成しているのだろう。

 さて話題は変わるが、この画像の通りにはお茶の千家、裏千家の茶室がある。それだけに今でも京都の通りの中では美しい街並みが続く。これが日本本来の風景だったと思われる。そんなことを考えると、現在までそのまま時間が止まっていれば京都の街全体が世界遺産になっていただろう。

 考え方を変えて、これから100年後の世界文化遺産をつくる方法があるだろう。木造の建築技術はあるので、電柱を地中化し、商いの方法を再考し、地震や火災に強い、木造建築群による和の街並みをつくろうと思えば、今では十分可能な事である。今後そういうものが蓄積してゆけば、時間の風化とともに建築は落ち着いたたずいまとなり、魅力ある京都の街並みができるだろう。古いものを残すのも一方だが、現代のライフスタイルに合わせてハイテクノロジーを駆使して復元新築という方法だってあるだろう。

 現に京都市の旧市街地は容積率を低減している。だから既存の高層マンションは、建築基準法上既存不適格になっている。立て直しの時は同じ容積率では建てられませんということだ。現在のようなスポット的な伝統的建造物群保存地区だけでなく、むしろ日本に一つぐらい街全体が日本固有の街並みとなっている、そんな姿が存在していてもよかろう。それが日本文化だと思うけど。

 かっての京都の街、そして江戸の街、あるいは地方の集落などの古い写真や絵図をみると、それが至極あたり前であるかのようにも感じられ、実は私たちは昔から結構豊かな環境に棲んでいたのではないかとする仮説も浮かんでくる。

 京都の街並みを少しずつ復興し100年後の世界文化遺産を目指す、それは初夢だろうか。

 

京都市上京区小川通

EOS1Ds Mark3,EF16-35mm/F2.8 L USM

IOS200,焦点距離35mm,露出補正0,f/8,1/250

 

 

 

 

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EOSな日129. ラ・ニーニャ現象

2018年01月05日 | Kyoto city

 昨日の毎日新聞朝刊1面に、八坂神社の「かるた始め式」の画像が載っていた。「八坂の杜に雪は降りつつ」と見出しがあった。確かに画像には降っている雪が写っているのだが、これでまた東京人あたりから京都は雪が積もっているとイメージを膨らませ、そして勘違いされるだろうな。

 八坂神社は、私の家から歩いてゆけるところにありますが、実をいうと昨日の昼間も夜も雪は降らなかった。それに今もそうだが晴天。ただ時折10分程度一時雪が舞う状態はある。新聞記事の画像は、この状態を撮影したものです。それを風花が舞うといういい方もあり積もることはなく寒いだけ。つまり京都はあまり雪が降らないし積もりませんというのが現実。まれに雪が積もるときもありますが、今年はあるかなぁー、期待薄です。

 だが滋賀県や関ヶ原あたりでは雪が積もっていれば、東海道新幹線の車窓からは美しい雪景色を堪能できるときもあり、このブログでも新幹線通勤のカテゴリーを開くとわかりますが車窓からの雪景色を紹介してます。例えば2016年1月26日〜2月13日のブログがそれです。そう思って関ヶ原付近のライブカメラをみたら、あら、残念今日は雪がありませんでした。

 確かに今年は寒さがきついのですが、それは西から東に抜ける偏西風が影響しています。ラ・ニーニャ現象の発生で、通例なら日本のはかる南を通過する偏西風が大きく蛇行しているため中国からの寒気が南に進出しており、日本は中国からの寒気の中に位置します。当然日本海側は雪が多いのですが、京都市内がそのおこぼれに預かれるかどうかは予報で雪は平年並みとあるので、つまり雪が降らないという結論になります。京都も曇天が多いので喫茶店の窓からみた画像のように退屈な景色が続くのではないですか。

 だから雪の銀閣寺は綺麗だろうなどというのは妄想ですよ。だって雪は降りませんから。それよりかは東海道新幹線の関ヶ原〜滋賀県にかけて、綺麗な雪景色を堪能できる機会の方がはるかに多い。こちらの方が大いに楽しみがいありますけど、みんなブラインドを下ろして寝ているからなぁー、こんな良い景色を見過ごして京都へ行くのか、ああっもったいないと私は思うけど。1月中旬以降の新幹線の車窓は雪が降れば大変綺麗ですね。それに新幹線が雪のために徐行してくれると素晴らしい景色をゆっくり眺められますから、なおさら良いですね。

 

京都市烏丸通丸太町通東入

EOS1Ds Mark3,EF28-300mm/F3.5-5.6 IS USM

IOS400,焦点距離105mm,露出補正0,f/5,1/60

 

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EOSな日128. Mac、両面印刷→片面印刷への変更ができない?

2018年01月04日 | Kyoto city

 Macで作業している場合の話だが・・・

 筆無精がたたって正月に年賀状を書く。年賀状が来た人だけにだそうという意識もあった。さて早速図版を制作してHPのOfficejet7612で刷りだした。まあ30分もあれば全部終わるはず・・・だが終わらなかったどころかプリンターが紙詰まりをおこす。原因を探ると年賀状の用紙が滑りすぎて送られないようだ。これでは年賀状用紙を変えない限り刷れない。しかも正月で郵便局は休みだ。

 ならばCanonで刷ろう。もちろん刷れたけど今度は、Indesignから両面印刷が解除できない。Canonの新調プリンターPIXUS XK70はせっせと両面印刷をしてくれるから、出力された年賀状の2枚に1枚は白紙だ。だから白紙を取り除き、白紙を再度プリンターにかける。つまり100枚刷って50枚白紙、次に50枚刷って25枚白紙・・・というわけでどこかアホらしい作業だ。結局最後に白紙が1枚残って印刷できたけど随分と時間がかかった。

 作業後に調べたら、最近のプリンターはデフォルトで両面印刷になっていることを初めて知った。さらにIndesignでは両面印刷はしないのでヘルプは役にたたない。そこでAdobeのユーザー質問で調べると「システム環境設定のプリンタとスキャナで切り替えられる」、という回答が出てきた。うん!?、MacOS10.13.2では、そんなので切り替えはできませんから間違った回答であり不適切だ!。

 

正しい回答は、OS、Indesign、Illustratot、Acrobatの最新パージョンでは同様だが・・・、

1.ツールバーのファイル→プリント→プリント画面の最下段にあるプリンター...をクリック。(ここがポイント)

2.印刷設定ダイアログボックスは〜〜〜の注意画面がでる。

3.続行をクリック

4.プリントで片面・両面印刷の切り替えができる画面が表示される。

5.両面印刷にチェックが入っていたら、これをクリックし白いボックスにしておく。

6.プリントをクリックして印刷。(5.の画面に表示されている)

 

 それはIndesignの立場では混乱するので使ってほしくない旨のメッセージをされるコマンドだし、私もこれまではすべてIndesign側で設定するのでまず使わなかった。おそらくプリンタードライバーを読み込んだMacが対応したのだろう。最近のプリンターがデフォルトで両面印刷の設定で出荷されてくる以上これを使わざるをえない。因みにExcelではプリント画面で両面-片面印刷の切り替えができる。また私はWordは使わないのでわからない。

 さて3日の夜半から京都は降雪確率30%で雪予報だ。たしかに湿度は78%と湿っている。因みに東京は湿度45%。京都の冬は湿度の高い日が多く、そうした点では異常乾燥注意報が頻発されインフルエンザが跋扈する東京に比べれば、ある種健康的な部分もある。もちろん実際雪が降ったのかは寝ていたのでわからない。そんな新年の始まりであった。

 

京都市東山区宮川町

EOS1Ds Mark3,EF16-35mm/F2.8 L USM

IOS1600,焦点距離21mm,露出補正0,f/3.2,1/40

 

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年賀

2018年01月01日 | Kyoto city

 ブログは、1月3日までお休みします。

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EOSな日125. インシデント

2017年12月15日 | Kyoto city

 今日は曇天。夕方の京都市の最低気温は3℃。二度寝して朝10時に眼が覚める。寒くて身体が発熱せず全く動かない。そんな状態が終日続く。夕方定例のスイミングスクールにでかける。プールで1時間泳いで、ようやく身体が発熱し寒さに抵抗できる平常の状態に戻った。夜半には2℃の予報。そんなわけで今日は、暖かそうな画像にしよう。

 画像は、お風呂屋さんを改装したカフェ。こういう大きな空間は、朝はすごく寒い。ガスストーブをガンガン焚いてようやくすごせる気温になるのに半日はかかると思う。暖まれば快適だけど。だから夜の一番暖まった空間で、しみじみと語り合うというのが冬のライフスタイルか。さて何を語ろうか・・・。

 12月14日の毎日新聞朝刊記事をみると、インシデント、というキーワードでまとめられている。1つは新幹線の異臭問題、2つは米軍機の窓枠落下、3番目は伊方原発運転停止だ。

 インシデントは大事故、大事故に至る中程度の事故や故障、それ以前の小さな不具合、とするヒエラルキーがあり、小さな不具合をインシデントと呼んでいる。訳語はないので、ここでは、「ヒヤリ・ハット」としておこう。ヒヤリとさせられた・ハットとさせられたという意味。

 最初のインシデントは、12月13日博多発のぞみ34号が小倉駅をすぎた頃から油が焦げた臭いがし、3時間走り続け台車のひび割れがみつかったので名古屋で運転停止となったという記事。私も東海道新幹線で毎日通勤をしていた頃、大変まれにだが油が焦げたような臭いが微かにする経験があった。油といえば先ず連接部か台車を疑うのだが、台車が赤くなるほど発熱しひび割れに至ったのだろうか。臭いやひび割れはインシデントに該当するが、事故調査が進むまでその事故発生のメカニズムはわからない。

 次のインシデントは、米軍機の窓枠落下であり実際にありえる話である。

 実際1990年6月ブリティッシュエアウェイズ5390便で操縦席の窓が外れ機長が機外に投げ出された。奇跡的に足が操縦桿に引っかかっていたが、それでは緊急降下ができない。そこで乗務クルーが機長の足を支え緊急降下を行ってエアを確保し、緊急着陸するまで機長の身体は機外にあったという事故だ。機外の機長は低温で死んでいるかもしれないが凍傷になりながら機長の足を支えた乗務クルーが機長を生還させた、と書けばメディアの喜びそうな記述だが事実はそうではない。機外の機長の身体をエンジンが吸い込みさらなる事故につながることを警戒した副操縦士の適切な判断だった。

 結局機長は生還できたわけだけど、窓枠落下の原因は規格の違うボルトで窓枠を固定したのが原因だった。ではなぜ規格の違うボルトが使われたのか。それは整備士が目測で確認しただけで長さの違うボルトを使ったから。でははぜ確認しなかったのか?。それは 過密な勤務状況と過密ダイヤに合わせるためであった。そこまでナショナルジオグラフックのTV番組「メーデー/航空機事故の真実と真相」は踏み込んでいて面白かった。

 米軍機の場合は、固定部材の一部に金属疲労か整備不良があったのだろうと推測。

 3番眼のインシデントは、愛媛県の伊方原発再稼働停止を求めた広島高裁の裁判。

 「阿蘇山の火砕流が敷地に到達する可能性が十分小さいとはいえないとし2018年9月末まで運転を差し止める」、とする判決が出された。12月14日の毎日新聞には「阿蘇噴火立地不適」と見出しがあった。はて!、立地不適なら永久に差し止めるべき判決になるのだが、判決と新聞記事見出しとが乖離していて、こちらは意味不明だ。それは、どうも科学的な話ではなく政治的な話を示唆しているのかもしれない。それにしても高裁の判断である1万年に一度という火山の破局的噴火がインシデントかなぁー。文化系のいうことだから、私にはよくわからない。

 高速鉄道、航空機、原発、それにコンピュータと書けば、いずれも科学の産物なのだけど、せめてナショジオのようにもう少しかみ砕いて科学的に説明されないとわからないよね。

 

京都市鞍馬口通

EOS1Ds Mark3,EF16-35mm/F2.8 L USM

IOS200,焦点距離16mm,露出補正0,f/2.8,1/6

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EOSな日124. 復興と復旧

2017年12月11日 | Kyoto city

  さてGoogle mapを見ながら、京都市内の古そうな瓦屋根の一群を探し、それからようやくコースの概略を思いつく。さしあたり京阪丸太町で降りて古い街並みを下がれば、お寺も多いし、あの路地を活かした旅館もあるし、三条駅から大和大路通を下がれば祇園の進々堂か寺町のお多福珈琲だし、河原町通だったら六曜社だ、といった具合に公共交通機関で出かけ歩いて都心にたどり着くこと、古い珈琲屋があることが散歩の条件といってもよいかな。京都は、そんな散歩コースが幾重にも組み立てられるのが魅力なのだろう。

 都市とは本来そうした生活の歴史の積み重ねと多様な空間とが長い時間をかけて形成された複雑系の世界なのだが、日本の都市の大半は戦災で一度そうした複雑系都市の世界をご破算にし、道は広くまっすぐに、建物はコンクリートで、といった具合に都市計画の知識で復興させたから、つまらない街が多いというのが現在の姿だ。

 復興というのは、前の状態よりよくすること、復旧というのは前の状態と同じところへ戻すこと、という概念の違いがある。これまで戦後日本がやってきたのは、そして今も東北大震災後におこなっているのは復興である。コミュニティや経営や人間関係といった前の状態をすべてご破算にして都市計画の理論などに沿って都市を再整備するというわけだ。

 ヨーロッパの戦災都市などをみると、それらは明らかに復旧なのである。前の状態に戻したわけである。だからコミュニティも生活も歴史の蓄積も多様な空間も前の状態を継続していることになる。

 復興がよいのか復旧がよいのかが都市再整備の分かれ目である。日本人は前の状態よりよくするのだから復興という考え方を暗黙の内に信奉しているが、それまで蓄積された生活の歴史や蓄積、錯綜する面白い空間まですべてご破算にして新しくつくるというのが復興である。そこまでしてよいのだろうかという疑問が私にはある。

 京都は幸いにして戦災に遭わなかったから、錯綜した歴史や多様な空間が残されている。だから街を歩く面白さがある。ヨーロッパの都市を引き合いに出すまでもなく、都市とは本来そういうコミュニティ・生活・歴史・空間の複雑系が同居する複雑系の世界であることを日本人は完全に忘れてしまったのだろうか。

 そんな複雑系都市の魅力は、ニューヨークにもパリにもローマにもある。だから多くの日本人がこうした街を徘徊しWEBなどで絶賛している。しかし住んでもいない他所の都市を褒めてもあまり意味があることではない。それよりかは、自分の住んでいるところをよくしろよといいたいが、すでに張りポテ現代建築位ではしゃいでいるし満足しているようだから時遅しなのだろう。

 つまり復興ではなく復旧でよいとする考え方も当然ありえる。私ならば、時には復旧でよいのではないですかという場合もあると考えている。その方が長い時間をかけて形成されてきたコミュニティや歴史や生活の蓄積を継続し多様な空間の複雑さが残り都市が面白くなるからだ。現に火災で焼失した大阪市の法善寺横町は復旧によって街を再生させている。

 

京都市裏寺町通

EOS1Ds Mark3.EF16-35mm,F2.8,L USM

ISO250, 焦点距離35mm,露出補正0,f/11,1/400

 

 

 

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EOSな日123. 木造3階建ての古民家

2017年12月10日 | Kyoto city

 これは建築系の人間としてはいつもこんな風に民家を撮っていますという例。木造3階建ての古民家なんて銭湯とかで少し存在しますが数は少ないですね。

 このように撮影しておくと立面図にするのが容易でしょ。ちゃんと1mスケールを入れて写しておけばですが。ここでは図面化する意思もないのでそれは省略。基本は建物の遠近感を排除し、建物に対して真っ正面にたち機材を水平・垂直に構えて撮るのが原則。フォトグラファー達のように大型機材を使えば別だが、街を歩いていて偶然みつけたなんてときは、先ず撮っておくほかない。撮りそびれると次回来たときにはなくなっている場合もあるからね、特に京都は。

 最近の撮影機材はデジタルシフト機能が付いているけど、階高が高くなるほどつまってくる感じがする。それがないEOSでは、三脚があれば水準器で水平・垂直をだしますが(民家が歪んでいるときもあるからね)、手持ちであれば16mmのレンズで機材を建築と平行に構えます。この道路幅5m位だと縦位置で全景がようやくはいるぐらいかな。縦位置だから画面の半分は道路が写るが、これは後でカット。だから画素数は高い方がベスト。さらに超広角レンズは周辺解像度が甘く歪曲収差が必ずあるので、キャノンのソフトDPP4で周辺解像度の甘さや歪曲収差を補正するのは最近の技。まあそこまでしても手持ち撮影だから少し歪んでいるけど先ずは、画像の善し悪しよりも記録が先。

 それでも図面と画像とが違うのは屋根面が写らないこと。これは物理的に無理だから民家の妻側でもとっておくほかないけど、屋根勾配は決まっているので文献で調べるほうが早い。そうなるとレンズは小さな街路で3階建てぐらいだとフルサイズ規格で、先ず14〜16mmあたりが必要とになる。EOSの広角ズームレンズが便利なのは、この16mmと、次いで多用するのが35mmがあること。今のニコンやオリンパスでは14-28mmだから、やはり私の経験上35mmがないと民家のディテールが大きく撮れない。そんなわけで最近出番が多いEOS。 

 夏は、光のコントラストが激しいので民家は黒くつぶれがちだから、撮影しにくい。だが冬はコントラストもデジタルのラチチュードに納まり、太陽高度が低く比較的横からの光が当たるので建築のディテールがよくわかる。京都の街歩きでは、光が綺麗なのは冬の朝、マイナス気温だからとても寒い。

 

京都市六角通

EOS1Ds Mark3.EF16-35mmL USM,F2.8

ISO250, 焦点距離16mm,露出補正0,f/11,1/30

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EOSな日122. たまにはRAW画像で・・・

2017年12月09日 | Kyoto city

 朝心地よく暖まった布団から抜け出しがたい季節になってきた。それでも先々日の晴天日にはフィールドサーベイで京都の街を一寸だけ歩いてみた。

 天気がよく空気がクリアだったので鴨川の東側を丸太町から下りながら。でっ、私にしては珍しく、たまにはRAW画像で・・・撮影し、便利ソフトのキヤノンDPP4を用いて、レンズオプティマイザーで画像の最適化をおこない、さらに広角レンズ特有の周辺光量の低下や歪曲収差も取り払ってくれたので初期型Lレンズの欠点が解消され、ついでphotoshopで邪魔な架線を消して(やりすぎか)、そのままじゃブログにはアップできないので解像度を落として、結果はまあ青系とイエロー系が強く赤が弱めのキャノンの色ですかね。こんな調子で京都の紅葉を・・・既に終わっていますけど(笑)。

 京都も紅葉の季節を過ぎると冬型気圧配置になるので、(最高気温:最低気温は、・・・あらっ!、次の木曜日は雪マークが出て気温3℃:-1℃。多分出町柳から北の方だろう)ホントに雪が降りかねない寒い1日が続きます。もし雪が降ればEOSをかついで走り回るかもしれないけど、都心は風花が舞うだけさ。

 私がRAW画像を使わないのは、先ずRAWで撮影するほどの画像ではないこと。価格ドットコムの口コミでは、RAW画像はHDに保存し、必要があるときは加工して使うなどという面倒くさい話が多く、世の中の撮影マニアの多くはそうしているようですが、そんなにたくさん撮影した画像データを何に使うんだろうか。豪華写真集でもつくるんですかねぇー?。私は本を作るときに画像データを使いましたど、いつも1点位しか使わなかった。

 次いでいわゆるキャノンのDPP4というソフトが、これまた便利かつ面倒くさいこと。撮影機材から画像を読み込むとMacのどこかにフォルダーをつくって保存しているようだ。それを読み出して面倒なことに一つ一つ修正するんですけど、これだけじゃ足りないからphotoshopが必要になり、最後はjpgでmacの写真ソフトに取り込むわけ。その過程でいくつも同じようなファイルを生成してくれるので、元のRAW画像とか変換したデータなどはもう廃棄、廃棄、それは実に面倒ですね。

 だから画像なんかjpgデータでいいんじゃないと思うわけ。実際私の古いjpgデータなどは、読み出せないものがいくつもあるから、地上の電磁波などの影響でいずれ全部読み出せなくなったりするかもしれない。私の見立てでは、写真は50年を過ぎてから価値が出るとは思いますけど、画像データは、20〜30年位でアカンかな。

 例えば亡くなったおじいちゃんのキャビネットから大量の画像データがてできた。古いHDだし読み出せない、だからHDごと廃棄なんてことはよくある話でしょう。残したければ本にして国会図書館に納めるべき。私は国会図書館に少なくとも何冊かの専門書は納本してあるので、あまり画像を残そうという気分にはなれない。一番よいのは、本とかブログに使ったら画像は捨てる、これがパソコンに負荷がかからないくてよいと思うけど。

 昨日は、曇天と冷たい小雨、京都も本格的に冬の寒さです。しかし雨の後晴れれば光は大変綺麗です。

 

京都市本山要法寺

EOS1Ds Mark3.EF16-35mmL USM,F2.8

ISO250, 焦点距離16mm,露出補正0,f/2.8,1/5000

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