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Creator's Blog,record of the Designer's thinking

毎月、おおよそドローイング&小説(上旬)、フィールド映像(中旬)、エッセイ(下旬)の3部構成で描き、撮り、書いてます。

ZEISSの空気17. ボケ方

2018年05月10日 | Kyoto city

 リバーサルフィルムのデジタルデュープも、かってニコンDfで大学にあった大量のスライドを複写して以来のことだけど、特にたいした技術がいるわけではない。

 ただ今は存在しないコンタックスの味わいがどこかに出てないかなというのが、あれこれいじりだした発端。

 コンタックスT3は、シンプルな露出機構なので、光と影を同一画面に入れる被写体は得策ではない。やはり均一な光だけの被写体がよい事。そしてPhotoshopで補正をかけない方がよく、フィルターのシャープをかける程度に留めたほうがポジの空気を伝えられそうだというところまではわかった。

 それにしてもリバーサルフィルムが、今は1本1200円とすこぶる高くなった。そんなコストと時間のかかる撮り方をしているのもコンタックスT3が手元にあったからだ。そしてデジタルとは少し異なったリバーサルフィルムの発色が新鮮みを持っている。もう少し使ってみたい小さな機材だ。

 最近デジタル機材と一緒にコンタックスT3を散歩に持ち出す機会が多い。ちゃんと私のシステムの一つになっているようだ。それとも足指骨折で暇だったからだろうか。そろそろスポーツ解禁のお達しが出てもよい頃だけど。さて今日は、その外科の先生の2週間ぶりの診断だ。

 例年だと、この時期は窓を開放していると、とても気持ちよい日々なのだが。しかし今週の京都は寒かった!。ストーブをつけるぐらいだから。なんで今頃こんな気温になるのだろうか。それは少し調べないとわからない。今年は冷夏なのだろうか?。それはそれでしのぎやすくて心地よいのだが。

 

2018年4月京都市下京区渉成園枳穀邸

ContaxT3,SonnarF2.8/35mmT*、プロビア100

 

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ZEISSの空気14. 企業哲学

2018年04月26日 | Kyoto city

 SONYα6000も、もう少し画素数が低ければ、もっと綺麗な画像になったと思うのだが、このあたりが撮影素子で他をリードしているSONYの自信の表れか。

 ならば、1220万画素のSONYα7sなどは、SONYの一眼レフの中では、一番安くコストパフォーマンスが一番高い。そう思っていたら後継機種を発売して、性能変わらず価格が10万円近く上がったではないですか。やはり一番高性能だということはSONYがわかっているので価格を上げましたね。

 ここで一番高性能と書いたのは、SONYのフルサイズ2420万画素とか4240万画素などの機種と比較してという意味です。というのもユーザーは時として大きな勘違いをしているからです。それは高画素=高画質ではないからです。高画素になればなるほど撮影素子間の間隔も狭くミラーレンズも小さくなり、その分光情報を読み取る性能が落ちます。

 現在のNikonD5やCanonEOS1DXMark2などのプロユースのフルサイズ機種をみれば、常に2000万画素台をkeepしています。私のEOS1DsMark3がEOS1シリーズの中で画素数が一番高かったのですが、それでも2100万画素台どまりです。そのあたりがフルサイズで光情報を適切に読みとれる性能なのです。だからAPSサイズならば1200万画素でよいのでは。

 スマホの例をあげましょう。スマホには2000万画素撮影素子を積んで高画質であるかのような微妙なプロモーションをしています。スマホはデジタル一眼レフよりはさらに小さい1/3.2型COMOSですが、そこへ2000万画素にしても画質は向上しません。性能が上がったようにプロモーションされているだけです。このあたりが利益追求型企業のいやらしいところです。

 他方でAppleのiPhone7は、SONYの撮影素子を使いながら1200万画素です。低く抑えた方が当然画質は良くなります。その方がユーザーの期待に応えられます。Appleはそのことをよく知っていて、他のスマホよりも画素数を低く抑えています。そうした適切なプロダクトづくりを心がけているわけで、そこにAppleの哲学があります。

 今、技術立国日本とよく言いますが、日本の企業は、利益追求とプロモーションの技法はあるけど、企業哲学が欠落しているのではないか。やはりAppleが形成してきた企業哲学が、これからの日本企業にも欲しいですね。私がMacを使い続けているのも、そうした理由からです。そこには、Appleの考え方とアメリカ的良心を感じさせてくれるからです。

 もう一つ日本企業の悪い例をあげましよう。20世紀後半に工場の煙突から出る有害物質を削減せよと法律で基準値を定めました。そこで企業は、設備を変えたかというとそれはコスト高になるのでしなかった。やったことは工場の煙突を高くしただけ。それによって測定点での値は法律の基準値以下になりますが、有害物質の地域への排出量は変わりませんし、むしろひろい範囲に廃棄されるようになったわけです。工場が廃棄物削減に着手したのは設備更新の時期でしたから、ずっと後の話です。

 そして最近でも、製鉄素材の試験値が偽造されていたとする事件をはじめ、素材企業のデータ偽造事件が続発しています。それがこれまでの日本企業や日本人の体質だったのでしょう。知らなければ、そのまま通り過ぎようという体質だった。やはりそこには、企業哲学のない企業が多すぎた。それが今明るみになったということです。

 さて撮影機材で企業哲学があり良心的といったら、ニコンしかないでしょう。フィルム時代ニコンF4が登場していたときに、ニコンの古いレンズと新しいレンズが混在してどうしようかと尋ねたら、他者のように新しいのに変えた方が使い勝手はいいですよとはいわなかった。ニコンは迷わず新旧のレンズが使えるニコンF3を勧めてくれました。その小さなボディの精悍な印象は忘れなかったですから、その後F3を調達しました。またデジタル時代に入ってから高画素化が始まる頃、500万画素あれば十分ですよという発言にニコン技術者の良心を感じさせてくれました。

 だから今のニコンのフルサイズ一眼レフでは、やはり画素数を低く抑えたDfが一番優れています。この延長で製品開発すればニコンのミラーレス一眼レフに期待を寄せるわけです。それが文化系マーケッターのいいなりだったらどうしようもない製品になるわけです。プロダクトデザイン、そして企業哲学は社会にこびたらお終いなのです。

 まとめると、デジタル一眼レフは、撮影素子の大きさが同一ならば、高画素=高画質ではないこと、企業哲学が日本企業にも必要でしょうということになります。

 

京都市高台寺、α6000,ISO100,焦点距離22mm,露出補正0,f/11,1/80

 

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ZEISSの空気12. ハゲタカジャーナル

2018年04月09日 | Kyoto city

 「ハゲタカジャーナル」という面白い言葉をみつけた。毎日新聞4月3日朝刊1面、31面によれば、学術雑誌のなかには掲載料目的で、投稿された論文の査読を行わず掲載料を払うだけで論文が投稿できる掲載料目的の粗悪な電子ジャーナルによる学術雑誌のことを意味すると記事にはあった。サンプルに東大、京大の先生にアンケートを採ったら11%が、このハゲタカジャーナルに投稿していたことを新聞は報じていた。

 研究の世界では、通例学術団体があり論文を投稿できるシステムになっており、最近では電子投稿(インターネットによる投稿)を採用する学会が多くなってきた。電子投稿された論文は複数の専門家によって査読審査がなされ、その結果は投稿者に結果が報告される。その返事も掲載決定、修正条件付き掲載決定か再査読、掲載不可とあり、掲載決定ならば投稿者は掲載料を支払う必要があり、金額は学会によって異なるが日本建築学会だと1編の論文で2〜3万円ぐらいだったと記憶している。修正条件付き等は、査読者によって指摘事項がたっぷり記載されて論文が投稿者のもとに戻ってくるから、指摘事項全部を修正した上に修正箇所を明記して再投稿することになる。通例この修正条件付きというのが最も数が多い。このように論文の審査は一連のシステムとして機能しているわけだ。

 ハゲタカジャーナルは電子投稿すれば、そんな査読をしないで掲載料だけ頂き何でも電子ジャーナルに掲載するというわけだ。それは日本学術振興会に登録された学術団体ではなく、任意の団体なのだろう。言い換えれば学術団体の顔を装うまがいものである。投稿者は、掲載されたというので実績1増えたと勘違いしてしまう。もちろんそんなのが実績になるわけでもない。そうした投稿料は、時には文科省の科研費で投稿する場合もあるから、国が関心を持っている。いずれハゲタカジャーナルのブラックリストでも公開されるだろう。

 こうした背景の1つとして、学術団体を任意に設置できることがある。それは憲法で学問の自由が保障されているので当然のことなのだが、なかには雑誌を発行するだけの学術団体も存在するし、先端領域の先をゆくので関連する先生だけでつくられた学会もある。新領域研究の始まりとはそんなものなのだ。もちろん掲載料目的のビジネス業者が潜り込むこともある。今回のケースは、この最後のケースが該当するだろう。だから大変長い時間はかかるが任意の学会が多くの研究実績をあげ、査読システムをつくり、それが認められれば日本学術振興会にも認知される。

 最近私が所属し、最後までペーパー投稿による査読をしていた日本デザイン学会もついに電子投稿になってしまった。ペーパーで送り返される赤ペンのチェック(時には誤字脱字の校正までしてくれた)や添付されたペーパーで送り返されてきた修正要求を読んでいると、行間に研究者の良心を感じさせてくれた。

 今私は、アカデミズムを卒業したのでもう別世界の話なのだが、やはり電子投稿の方が時間が早いし、ドクターコースの院生にとっては助かる。大体は論文の投稿と博士論文の執筆とは並行作業で進むので。その返事如何によって博士論文の提出時期が決まる場合が多い。

 そんな院生達が論文投稿している学会が粗悪学会だったら博士論文が提出できないケースも今後でてくる。だから手遅れになるという悲劇を生まないためにも、文科省はアメリカの研究者が粗悪と見なした学会名を、日本なりに検討した上で日本版粗悪学会のブラックリストを早急に公開すべきでしょう。

 

京都市長楽館

α6000,Carl Zeiss,Vario-Tessar E 4/16-70mmZA OSS

ISO5000,19mm,露出補正0,f/5.6,1/60

 

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ZEISSの空気11. cafeで考えていたこと

2018年04月08日 | Kyoto city

 NHKのWEBニュースが福島第一原発に関わる多角的な動向を継続して報道している。新聞では市民団体などが全ての原子炉の廃炉を主張している記事があった。

 そのなかで原発全てを廃炉にという市民団体のスローガンのように、私達が使う電気を約30%(原発の発電量相当)減らして廃炉を主張するならば合理的な意見として理解できるが・・・。具体的には夏冬のエアコンを使わないとか、夜は電気を使わないとかすればよいのだが、そこまでは主張していないしできない話なのだろう。今のままでも電気は足りるという彼らの主張では、この先火力発電をフル稼働させることになるが、それによって地球の温暖化を加速させることについての具体的説明をしていない。環境という立場から見れば、今のままで電気は足りるとする主張ができるのだろうか。

 他方で原発を再稼働させれば、電気は十分安く使えますという論理もあまり科学的ではない。廃炉技術が確立されていないなかでの原発再稼働が実にやっかいな存在であることに気づきつつの科学技術の応用なのだから。

 このように社会的にみれば、原発再稼働と原発廃炉と二つの極が対立する二極対立構造になっている。つまり再稼働:廃炉という二極対立構造では解けない方程式が私達の目の前にあることは確かだろう。二極対立構造が説明力を欠き破綻しているのかもしれない。

 よくよく考えると、二極対立構造も一つの構造を右から見たのか、左側から見たのかの違いだったりするのではなかろうかとする仮説も成り立つ。こうした社会的な構造については、本来社会学などが明らかにする事柄なのだが研究中なのだろうか?。

 さしあたり個人でできることは、エネルギー効率の悪いソーラーパネルを屋根に設置するほかないのだろう。それとて50kwで契約している住宅用で約3.6kw程度の発電量だから、30%使用量を減らすことはできない。

 話は、原発に限らず、現代の私達の生活世界で二極対立構造が行き詰まっている傾向がみてとれる。

 20世紀ならば、左翼と右翼、保守系と野党系といった具合に二極対立していて、力ずくでどちらか一方を選択すればことたりたとするのが政治なのだが、今はそうした二極対立の構造では解けない所に私達がいるようだ。さてどうするかは、まさに新しい構造の提案しかない。それが定量的なことであれば工学の分野が扱うことだが、定性的なことは社会学や法学などの文化系が扱うはずだ。

 私達の世界には、数字で捉えられる定量的事柄と、数字では捉えられない定性的事柄の2つがあるが、といってそうした2つのとらえ方を、そのまま社会構造として二極化するというのとは話が違うのである。これらを混同してはいけない。

 そんなことを街中のcafeでお茶を飲みながら考えていた。

 

京都市

α6000,Carl Zeiss,Vario-Tessar E 4/16-70mmZA OSS

ISO100,50mm,露出補正0,f/4,1/320

 

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ZEISSの空気10. ローカリズム

2018年04月07日 | Kyoto city

 映画「天然コケッコ」(2007年公開)や矢口史靖監督「WOOD JOB〜神去なあなあ日常」(2014年公開)、古くは、根岸吉太郎監督「遠雷」1981年など、田舎をロケ地とした映画が散見する。

 何故田舎が執拗に取り上げられるのかというのも、本当は、このように暮らしたかった、あるいはこのように成長したかった、とする都会人達の田舎暮らしへの憧憬があるからだろう。

 そんな田舎も現在では、都会人達が抱いている田舎イメージとはうらはらに、既に幻想になっている可能性もある。というのも田舎の多くは、限界集落を越えてすでに廃村となり存在していない場合もあるだろう。少なくともコミュニティがあり定住人口が維持されている田舎の数は相当数減ってきていることは確かだろう。

 映画「天然コケッコ」のロケ地が島根県浜田市三隅町となっていた。おおっ!、ここにはまだ田舎暮らしがあったのか。田舎にあんなカワユイ中学生がいるとも思えないが、それにしても島根県や鳥取県は大変興味深いところである。あらゆる国の統計をとっても先ず上位にいることがない、これらの県は、ある種逆手の方法でローカルな環境を次世代に残してくれる可能性を一番持っている県ではなかろうか。逆手の方法とは、「いじるな!」、「壊すな!」という方法である。

 「WOOD Job」は三重県一志郡美杉村(現在津市)であり、杉木材のブランド産地である。この辺りは林業の盛んなところで、このエリアの中で私は、近隣の三重県波瀬村(現在の飯高町)にフィールド調査で訪れたのが高校時代だった。

 ちなみに「遠雷」は宇都宮市近郊の農家であり、いかにも栃木県という空気が漂う。新幹線があるので東京人が棲めそうな田舎である。

 こうした田舎志向の映画と対照的なのが、大森立嗣監督「セトウツミ」2016年であり、堺市が舞台になっている。

 これらのことから考えると、田舎-都市軸というものがあり、程度の差こそあれ、その線上に私達の意識が点在しており、そりときの気分によって左右に動くのだろう。実際に田舎に住もうという人は、なんらかの生業が成り立つ見通しがあって移住するのだろう。

 人間の本質論から考えれば、農耕民族だったというDNAがあるなら、潜在的には皆カントリー・ライフ志向。田舎とはゆかなくても、地方都市に住む人は結構多いはずである。それは先験的な目利きともいえる。これからの社会では、そんな本人にとって住み心地のよい地方都市をみつける幸運があってもよいのではないか。

 そういう私も、縁あって東京新宿から京都市に移住した。京都から名古屋の大学に新幹線通勤するという幸せにも恵まれた。おかげて素晴らしい沿線の景色を十分堪能できたし、それは東京の地下鉄や住宅街ばかりの通勤電車では絶対にできない体験。そして名古屋の街の魅力も経験できるという副産物もできた。

 そんな二都市で暮らしていると、東京は記憶の外に消えてゆく。

 東京ねぇー、過密すぎるから大震災が起きたらどうするんだろうか。街がつぶれると3.11の時のような余裕はない。しかも2060年には東京都の人口が増え、その他は全て低減するという統計予測が出た。それは地方都市にとっては大変結構な話ではないかとするとらえ方もできる。人口減少であれば不動産価格も下がり家も余ってくるだろう。さらに棲みやすい条件が地方都市に揃ってくるではないか。地方都市にとっては、大変素晴らしい統計予測と解釈できる。

 もちろん統計予測通りにならないのが私達の生活世界だから、そんなものは全くあてになりませんが・・・。2060年後には東京都が全て30階建てのビル群になるぐらいでないと、増加人口は吸収できないかもしれない。あるいは今の1ルームマンションよりさらに狭い居室でも新たに開発するのだろうか。それでも東京に住むのだろうか。

 都市には適正な人口規模がある。当然そんな統計通りにはならないことがすぐわかる。だから今もローカリズムという考え方は、全くぶれていないわけだ。

 田舎でもよいけど、地方都市に棲め!、ついに役人もそんなパラドックスに気がついた。観光庁が京都市にやってくる。いずれ中央官庁も地方都市に分散することもできそうだ。分散していてもネットで一つにつながる時代だ。

 

2018年4月2日京都市鴨川五条

α6000,Carl Zeiss,Vario-Tessar E 4/16-70mmZA OSS

ISO3200,70mm,露出補正0,f/11,1/125

 

 

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ZEISSの空気9. ハンナ・アーレント

2018年04月06日 | Kyoto city

 足指骨折で出歩けないから新しいブログ画像がない。古い画像なら沢山あるが、春先の新年度に使う気分ではない。使い回そう。

 さて映画「ハンナ・アーレント」が面白かった。ユダヤ人哲学者であり、マルチン・ハイデッガーの教え子であるハンナ・アーレントの物語である。その論説が、そそっかしい凡人には、ナチス賛美に聞こえるが実はそうではない。

 ナチス戦犯アドルフ・アイヒマン裁判を観察・考察した結果、アイヒマンの性格として当事者意識の欠落、問題回避・責任転嫁、目の前の行為が起こす結果への判断力の麻痺、想像力の欠落、といった特性が浮かび上がった。これらを凡庸な人間の特性と呼んでいる。凡庸だからこそ大虐殺もできたのだろうとするハンナ・アーレントの論理は興味深い。

  さてハンナ・アーレントが指摘した凡庸な人間の特性は、実は現代の私達の身の回りに結構数多くいる。換言すれば私達の身の回りでアドルフ・アイヒマンのような凡庸な特性を持った人間達の存在を否定できないのである。だからこれからもアイヒマンのような凡庸な特性の人間達による残虐な事件が起きても不思議ではない。
 すると何故私達の日常、あるいは社会は 、凡庸な特性を持った人間達を繰り返し、繰り返し、生成してゆくのかという事へ関心や研究対象が移ってゆく。
 だからアンナ・ハーレントは、「凡庸であるな!、考えて、考えて、考え抜け!!、考えることで人間は強くなる」と結論ずけたのである。
 凡庸であってはならない、私達の回りの環境について、考えて、考えて、考え抜くことこそが私達の世界の基本なのだということ。そんな多くの知見を与えてくれた映画でもある。
 

京都市

α6000,Carl Zeiss,Vario-Tessar E 4/16-70mmZA OSS

ISO640,31mm,露出補正+0.3,f/4,1/60

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ZEISSの空気8. ブランド

2018年04月05日 | Kyoto city

  さて頂き物の花の続きでツァイスの空気を試みる。この画像は、ツァイスでなくても撮れそうだが。本来なら光学測定をして、これがツァイスなのだというべきだが・・・。

 それにフイルム時代のコンタックス・ツァイスレンズを知らない世代が増えたこともある。だからツァイスの色なんて最初から知るよしもない。私から見れば、この画像はあきらかにSONYの色、あるいはSONYに事業併合されたミノルタの色だ。当時のミノルタマクロレンズの色に似ている。もちろんそれは当初から大変綺麗な色だからさしたる不満はないけど。

 このブログでは、2009年12月14日〜16日のブログでツァイスレンズで高台寺を撮っていた。こちらの方がやはりツァイスの色だが、まあ機材のボディが違うので確証はない。

 本来ブランドというのは、コンシューマー一人一人が目利きでなければならない。そのためには、同じ製品を何年も使用するぐらいの経験量が必要になる。そんな経験を飛ばして、いきなりツァイスですといわれ、ツァイスという名前は知っている、だからブランドだなぁーと一気に納得する意識構造なのか。よく考えれば、個人が知っていることとブランド性とは全く関係がない。

 先日「15時17分、パリ着」という映画をみた。実写と映画で制作した部分を組み合わせたのは異色だが、フランソワ・オランド大統領のスピーチがよい。「自由をつらぬくためには、我々は戦う」。調度シリア紛争などが背後にあったわけだが、こうした共感できる意味を的確に表現するところに文化系の力がある。オランド流にいえば法学。不倫疑惑は工学系には関係ないですけど。

 さてこのブログも10日先まで書きためてしまった。あとは予約投稿にまかせておけば自動的に毎日朝8時にアップしてくれる。だがFBなどのリンクは手動設定。これが毎日しなければならないWin系のブログサイトの面倒な操作だ。書きためると多少の推敲ができるから、冗長な表現や言い回しは少なくなるが・・・。

 

京都市

α6000,Carl Zeiss,Vario-Tessar E 4/16-70mmZA OSS

ISO1250,58mm,露出補正+0.3,f/4,1/100

 

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ZEISSの空気7. ウィットゲンシュタイン

2018年04月04日 | Kyoto city

 やはり少し歩くと骨折した足の指が痛い。まだまだ養生が必要なようだ。全くやれやれの話ではある。さて出歩けないならば、いただきもののお花を被写体に。オッ、なかなかセンスいいじゃん、ゼンマイが春の空気を感じさせる。でっ、ツァイスの空気はどうした・・・ツァイスの好きそうな色だけど。撮した結果はよくわからんな。他のレンズでもこれぐらいは撮れるからさ。

 遠出ができないので、こんなものしか撮れない。足指骨折でかかっている医者にいつスポーツができるかを尋ねたら、二ヶ月後、子供なら一ヶ月だって。こりゃ運動不足もいいとこだ。さてどうすりゃいいべさぁー。そうだ本でも買ってこよう。WEBをみていて気がついた"ウィットゲンシュタイン"、これがあった。大学時代阿部公正先生の美学概論にも登場した哲学者だ。

 というわけで今週は、ウィットゲンシュタイン:論理哲学論考、法政大学出版局、2004年版を読みつつ、散ってゆく桜をみつつ、なにもできない日が続く。そんなときに、書くような話題なんかあるわけない。

 ようやく4月も4日過ぎ、町会長の仕事はなくなったはずだ。それにしてもマスメディアは、いまだに京都を美化して虚飾像をつくりあげ情報を流している。そうやって旅に誘おうとするわけだが、あまりにも古くさい手だ。例えば京都=静かな和の佇まいなどというのは、どこにそんなもんがあったか、京料理の和食のお店!?、アホか!?、あれみんな東京の百貨店やカフェなどを手がけているディスプレイ業者の手による張りぼてだよ。第一昔の建築材料なんて手に入らないの。だから壁はマンションの仕切り壁でも使っている石膏ボードに塗りかクロス(壁紙)だもんね。そんなのは和的にみえても和ではないですね。先日も書いたが、お地蔵さんにお花が生けてある、京都人の心遣いなどと雑誌には書いてあったが、よくもそんな嘘をしらじらと。たんに町内会の当番に運悪くあたっただけ。

 最近の日本人観光客の傾向として、インチキに感動して帰ってゆく場合が多い。あれなんだろうか。よっぽど文化的に無知なんだろうね。少しは勉強してから旅に出ろ!、と私はいいたくなる。地場の京都人なら、あえて物言わず心の中で・・・・・・・。

 

京都市

α6000,Carl Zeiss,Vario-Tessar E 4/16-70mmZA OSS

ISO1250,58mm,露出補正+0.3,f/4,1/100

 
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ZEISSの空気6. 足指骨折

2018年04月03日 | Kyoto city

 試写の続き。画材屋に行く道筋で撮った雨の京都の街。

 被写体も撮影モードも違うのだから昨日の画像と比較はできないのだけど、肝心な点は、私はどういう画像が欲しいのかという1点につきる。こちらのライツの画像の方が、私は京都の落ち着いた空気を伝えてくれるのではないかと思っている。

 もう一つある。インクジェットプリンターの着物と本物の着物との違いである。この落ち着いた空気は本物だからこそのものではなかろうか。さらにいえば、女はこうありたいとか・・・。そのあたりは、多くを語らず。

 ライツレンズは、単焦点レンズだからもともと歪曲収差はないですし、解像度は高いですから、まあα6000では使わない機能が多くなるし、一々撮影モードを変えるなどという面倒なこともないからライツレンズの使いやすさが光るかな。

 SONYα6000にライツ古レンズ!、これ結構いけるのではなかろうか。

 さて足指骨折で、遠出できないのでツァイスの試写もままならない。それでいて時間はタップリあるからこのブログも1週間先まで予約投稿で書きため、加筆しながらアップさせている。そうすると、今時こんな古い画像をアップさせているのかと思ったりする。まあ原稿は、書いてしまえば、そこからは執筆者の記憶からなくなるので過去の話という意識があるのだろう。

 それにしても外科はなんの薬もくれない。つまりいらないというべきか。だから毎日サプリメントと牛乳で足指骨折の回復を図っている。

 こんな時にEOS1Dsをかついで街の徘徊はちときついだろう。だからα6000は軽い機材で助かったわけだが、軽い機材を調達してから足指骨折をしたので、なんか先を見据えているような機材の調達であった。いまはこれしか持てないので、否応なしにSONYプログラムにつきあわされている。

 

京都市万寿寺通

α6000,Leitz Tele Elmarit90mm/F2.8

 ISO160,露出補正0,f/4.0,1/60
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ZEISSの空気5. まあ、なんともスゲー発色だこと・・・

2018年04月02日 | Kyoto city

 さて試写の続きだ。SONYのブログラムやこのレンズはどなんだろうと研究するのは面白いし、その結果私好みが定まってくるようでもある。

 今日の画像は、ツァイスレンズだ。風景モードだから彩度は高い。なんか派手すぎないか、いや着物が派手なんだ・・・、と解釈は様々できるが、SONYとこの着物の色とは相性がよい。というのも最近のレンタル着物は、ほとんどがインクジェットプリンターで印刷されています。なんでも新潟県あたりの地場産業らしいけど。だからデジタルカメラととデジタルプリントとで相性がよいのでしょう。

 おかげて京都の伝統産業である友禅染めは青息吐息になりつつある。もちろん友禅の大変上品な色は、インクジェットプリンターでは無理でしょう。舞妓さん達が着ている着物が、西陣織だったり友禅染めなんですね。それらはとても優雅な色味なんです。

 でっ、SONYツァイスは、こうしたデジタルの色に過敏に反応し、まあ、なんともスゲー発色だこと・・・、モニターもビックらこいてるさ。さらに顔認識機能が素早く働き、振り向いたお姉ちゃんの顔にピントがドンピシャ。そのあたりはクレイジーな機材だこと。生まれたときからデジタルしかなかったという人が製品開発したんだろうかな。

 大体街を風景モードで撮っていたら、突然着物姿のお姉ちゃん集団がきた、そんな咄嗟の時にモードをポートレートに切り替えている時間は無いでしょう。全くモードとは面倒な機能ですね。どうせ後でPhotoshopで修正するんだから、もうそんなモードはなくてもよいのに。こういうときは、常にクリアーモードにしておいた方がよいのかなと思われる。

 じゃあ、どう撮りたいのさ?、といのは明日!。

 

京都市四条界隈

α6000,Carl Zeiss,Vario-Tessar E 4/16-70mmZA OSS

ISO6400,70mm,露出補正-0.3,f/11,1/125

 
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ZEISSの空気4. どこがツァィスなのか!?

2018年04月01日 | Kyoto city

 さてSONYのCarl Zeiss,Vario-Tessar E 4/16-70mmZA OSSのレンズを少し試写してみた。画像をPhotoshopで補正しても変わらないのはさすが。EOS1Dsに次ぐ露出の正確さ。

 当時フィルム機材のCONTAX+PLANARレンズを用いて、本をつくるときに多用した経験からプラナー固有の色は記憶に残っており、素晴らしいボケ方と特有の色なんだな。それにVario-Tessarという名前は、昔京セラコンタックスの小さなデジタルカメラにも使われていた記憶がある。ズームレンズにつける名称のようだ。そしてこのレンズが回る薄型デジカメも、やはりツァイスの固有の色だった。

 今のSONYのツァイスはどうだろうか。

 結果は大変シャープな画像だけど、それは今のレンズならどれでもそうなのであり、肝心のどこがツァィスなの!?・・・、という疑問が濃厚だ。今日はエイプリルフールだし・・・明日はツァイスになるのか・・・。

 さらに露出補正を+側、-側にしてもツァイスの色ではない。背後のボケ方をみても現代のレンズだ。もちろんレンズ自体は大変優れているが。そうなると、なんだぁー、つまんねぇーの・・・、ということになる。

 といってSONYからPlanar T* FE 50mm F1.4 ZAというフルサイズレンズがあるが多分ツァイスの色ではないだろうと推測。だから興味はわかないですね。それに19万円とは高すぎるよ。ブラナーは京セラCONTAXでも5万円ぐらいだったから、もう暴利のSONYブランド戦略ですね。

 たしかにライツのレンズを用いたときも、レンズの癖を払拭して見違えるような画像にしてくれたことを思えば、すべてSONYのブログラムで補正してしまうのだろう。それでいいじゃんとSONYは考えているのだろうけど、じゃなんでライツのレンズをつけたんだろうとこちらは思うけどな。

 コンパクトデジカメ並みの39,000円でゲットしたα6000は、小さくやたらと高性能でコストパフォーマンスが高い優等生機材です。歪曲収差も補正してくれるのはありがたい。ただしビデオ機材でも振り回しているようでつまんない。機材に納得されて渋々使うのかな。やはりRolleiflexの露出計の変わりにしよ!!。SONYの露出計だ。いやミノルタの露出計というべきか。どこかにしまってあったな、ミノルタの露出計が・・・。

 

京都市長楽館

α6000,Carl Zeiss,Vario-Tessar E 4/16-70mmZA OSS

ISO100,16mm,露出補正0,f/5.6,1/100

 

 

 

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ZEISSの空気3. 静物でも・・・

2018年03月26日 | Kyoto city

 足指骨折で出歩けないからツァイスで静物でも撮ってみよう。結果はトマトの赤をだすためには+0.7の露出補正が必要だった。マクロレンズではないので、この辺りが近寄れる限界。まあ可もなく不可もなくおいしそうなレッドになったかな。どこがZEISSの空気だか(笑)。機材としては小さいのが取り柄。

 ただ思うにα6000は画素数2,430万画素と画素数が高すぎます。このくらいなら1200万画素の方が画像はより綺麗。実際フルサイズα7Sは1,220万画素。私のフルサイズEOS1Dsをはじめ、プロユースの機材は大体2000万画素止まりだから、それより小さなAPS-Cサイズの機材がフルサイズ機材を超えているわけでしょう。そのあたりもクレイジーな機材である所以かもしれません。だから画像は10年前に開発されたEOS1Dsの方が綺麗です。α6000のよいところは小さく軽いこと、そしてツァイスのレンズ(どんな写り方をするの、まだかわかりませんが)があること。

 画素数を多くすると画素ピッチが小さくなり光情報をとる能力が落ちます。にもかかわらず、えいやっ!、という感じで自家製撮影素子とプログラムにモノをいわせるあたりもクレイジーですね。iPhone6もSONY製撮影素子を使っていますが、それでも800万画素どまりではなかったかな。だから綺麗なのです。いまだに高画素数=高画質という間違った認識が社会的に多いのかもしれません。だから高画素、高画質なんていう間違ったプロモーションをみると俄然とします。そうした制約を飛び越えるのが裏面照射型センサー搭載のα7RⅡでしょう。

 まあクレイジーな機材にツァイスですから、どんなんかなぁーというのを探るのは楽しみです。最初は標準レンズ1本でと思っていたのですが確定申告の還付金があることもわかり、ニコンもなかなか出ないし、もし出なければDfにするだけだし、その合間にまあ一寸ツァイスを堪能してみようかと・・・。

 

SONYα6000,Vario-Tesser E 4/16-70 ZA OSS

ISO500,70mm,露出補正+1,f/5.6,1/125,スタンダードモード

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ZEISSの空気2. クレイジー描写

2018年03月25日 | Kyoto city

 ツァィスではなく、商売敵のライツElmarit28mm/F2.8レンズで撮りました。だから本来ならば見出しをLeitzの空気とかドイツの空気にすべきでしょうけど、今後SONY製ツァイスを使う機会が一番多いだろうという予測からタイトルはそのまま。このライツ・レンズは、フィルム時代に一番多用しましたが画像が綺麗なのです。でっα6000につけてみた。

 何これ!?、といわんばかりのシャープさ。ライツですから曇天のドイツの空気も感じさせてくれるはずですが、そんなものは知らんといわんばかりのカリカリのグレイジー描写。それ自体はiPhoneなどで見れば綺麗に見え、Instaglamなどに投稿するときはよさげだ、というありたから思うにスマホでの使用を大前提に考えているのでしょうか。

 多分SONYは彩度がものすごく高い設定になっている。だからツァイスレンズでは、+0.7位の露出補正をして撮影するかなと考えています。

 フィルム時代でも、これほどのカリカリ描写はありませんでしたし、歪曲収差も修正しているからSONYプログラムのなせる技でしょう。このあたりの傲慢さがSONY。だからガラス玉なら何でもいいからさボディの前に付けといてよ、あとはプログラムでやるからさ・・・そんな傲慢さ。まあうるさいことをいわなければ、とても鮮明な画像なのだけどElmaritではないような画像でもある。

 まあ面白いからクレイジー描写のα6000を、もう少し使い込んでみようか、フルサイズ・ニコン・マイクロフォーサーズが出るまでの間のリリーフですけど・・・。

 

京都市出来町通

α6000,Elmarit28mm/F2.8,ISO1250,露出補正0,f/11,1/400

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番外編324.  Leitzレンズで・・・

2018年03月22日 | Kyoto city

 さて、SONYα6000という格安調達のコンパクトデジタルカメラの亜流みたいなのが使えるんですかねぇー。なにしろファッション・ブランドはいいけど、通例ファッションという言葉がついたときからメカはアカンですからね。

 ならば好きになれないLeitz Summicron35mm/F2.0などをα6000に付けてみよう。なにしろカラーフィルムがなかったライツM3時代のレンズ。ドイツのWETZLAR製だから、ライツマニア垂涎のレンズだが、オリンパスでは古レンズ固有の発色で写りはもう最悪でした。それでいて、突然シャープなピントが来たりと、もう気まぐれレンズ。ライツマニアのために社会へお返ししようか・・・。ニューヨークのウッドゥンカメラで日本の半額、それでも10万はしましたけど。もちろん数値がごてごてと書かれてあるライツレンズとすっきりとしたSONYのボディとでは、デザインが合いませんからダサい組み合わせなんだけど。

 さてこのLeitzレンズはSONYα6000のボディでどうか・・・。

 あら、古レンズ固有の色かぶりはどこへいったんだろうか、Leitzですから当然シャープですけど、それが低解像度のブログで伝わるかどうかはわかりませんが、今の画像に近い。こういう写り方をしてくれたデジタル機材は始めてだ。よくみると古ライツレンズの癖が微かに残り色が少し地味かな。それにしてもSONYのカラープログラムの力なのだろうか。それに歪曲収差の補正もボディ側でやってしまうので建築を撮ってもよいのではないか。

 ならばSONYには、ツァイスのズームレンズがある。使っている人は多いのですが素晴らしいという声はあまり聞こえないので私は関心外だったが試してみるかなぁー。

 なにしろニコンのマイクロフォーサーズはいつ登場するかわからない。でたところでデザインが気に入るとは限らない。フィルムからデジタルに移るときも、ニコンはなかなかデジタル機材の決定版をださなかったから、私はニコンからEOSにいっちゃった経験がある。いっちゃうのは正解だったけど、それで高画質レンズなどを揃えちゃうと、もうそのシステムから抜けられないですね。そうやってメーカーに捕まるわけです。

 さて京都も、今週は太平洋側に前線があるので雨模様の一週間でした。今のうちにタップリお湿りを頂いておこうと思います。来週から一気に暖かくなる予報です。鴨川では、早咲きの桜が少しあります。一気に暖かくなり一気に桜が咲くのかな。

 

京都市七条通

α6000,Leitz Summicron35mm/F2.0,ISO100,露出補正0,f/8,1/125

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Nikon Freak158. デジタル・デュープ続編

2018年03月04日 | Kyoto city

 この画像、年配者ならば京都のエトランゼと古くさいタイトルをつけたくなりそうだが、フイルムからのデュープ画像。そのデジタル・デュープの操作方法をメモしておく。試行錯誤の結果最適な方法を後日複写する際の自分のためにメモをした。

 RAWとjpgの画像で保存する。外付けHDを使用する。という条件でデジタル・デュープを行う。ストリップフィルムフォルダーがあれば一番良いが、ないときはプラスチック製スライドマウントで代用する。撮影システムは2月22日のブログで紹介したシステム。カメラ側の設定は、カラーネガの場合は色の劣化があるのでiFinishモードがベスト、モノクロネガの場合はモノクロ設定、手ぶれ補正などは解除。カメラとPCとの接続は、ビュワーを立ち上げれば尋ねてくるので、カメラ側とPC側を設定。カメラ側から見て数字が正しく読める方向にスライドをキャリアにいれる。

(オリンパスビュワー)

1)オリンパスビュワーでRAW画像で複写撮影する。そのときフィルムのベースの色があるサンプル画像を一緒に撮しておく。PC画面でも操作はできるが、機材側で行ったほうが能率的。

(adobe Lightroom)

2)LIghtroomで「写真とビデオを読み込む」をクリックし画像を取り込む。

3)サンプル画像で余白部をペンツールでクリックしてベースの色を無くしておく。

4)次いでカラーかモノクロの設定、自動補正、トーンカーブを逆勾配にする。

5)サンプル画像が反転されたので、全部の画像を選択し「設定を同期」クリックすると全部の画像がサンプル画像と同条件で同期される。これが一番手間がかからない。

6)画像の縦横は、この段階で修正しておく

7)全部の画像を選択して「書き出し」、そのときに書き出し先のファイル名を尋ねてくるので、ファイル名を付け、コピーしておく。

(外付けHD)

8)HDには日付でフォルダーが生成されRAW画像がストックされ、名称未設定フォルダーにjpg画像がある。そこでこのフォルダー名を先にコピーした名前でペーストしておく。ストックされた画像は自動的に連番が降られている。RAWフォルダーにもRAWと加筆しフォルダー名をコピーする。これでRAW画像とjpg画像のフォルダーができる。

※※※

WEBや印刷で使用するためにRAW画像は必要だろう。またjpg画像は必要なときにPhotoshopなどで補正する。

 

 手元に概算5〜6000カットのネガがあるだろうか。枚数の多い複写だから、1つの手間が5000倍になる。だから手間はできるだけ省きたい。複写もなれてくると最小の手間で行えるようになる。こんな方法でデジタル・デュープをしている。

 

京都市2000年

NikonF4,AFNikkor20-35mm/F2.8,トライX

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