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Creator's Blog,record of the Designer's thinking

毎月、おおよそドローイング&小説(上旬)、フィールド映像(中旬)、エッセイ(下旬)の3部構成で描き、撮り、書いてます。

EOSな日119. 那覇の街

2017年12月04日 | Okinawa

 時期が時期だから、フルタイムでダイビングができるとは限らない。だから空いた時間に街を徘徊しようと思いEOSを手荷物でぶら下げていった。それは正解であり、実際初日は宜野湾でダイビングだったので時間が余った。那覇市内の古い民家はmapに記載されているわけではないので自分の足で探すほかない。早速そんな古い民家と路地の一角をみつけた。この民家の横の道を上がると狭い路地のある古い街区につながる。撮影できないぐらいの狭隘な古い路地だった。

 那覇の街は戦後の空気が残る退廃した都市景観の画像が記憶に残る。東松照明や森山大道といったフォトグラファー達の影響だろうか。だが今そんな光景は皆無に等しい。やはり那覇は現代都市であり、その隙間に僅かに古民家が点在している程度なのだ。

 そんな戦後風景の一つであった農連市場も再開発ビルが建ち、古い市場の姿がなくなろうとしている。再開発前に訪れたときは、もう開発間近の時期であったから市場の活気は失せていたが、それでもほんの僅かに戦後の風景を私のブログでも記録していた(2015年10月28日番外編秋がない!、同年8月21日キリコのシュールな絵画、同8月20日沖縄暮らし)。このブログの僅かな時間でも撮影した風景はすでに過去形になっており、都市景観が変わる速度が早い。

 そして沖縄県の単身者世帯数が家族世帯数を上回ったことを新聞は報じていた。実際私のダイビングでも愛知県から赴任してきたという単身者と遭遇した。本土から移り住む人たちが多く人口が増えている数少ない県だ。同様の傾向を持っている東京の頂点を目指そうとする人達とは、あきらかに志向性の違う人達が集まる沖縄県だ。私もダイビングをしなかったら、沖縄の街に関心をもたなかっただろう。

 街歩きに水中機材をそのまま使えば荷物も少なくすむのだが、わざわざ重いEOSを持ってゆくこの自己矛盾。多分心地よいシャッター音に撮ったという実感を感じるのかな。なんだ!、単に機材マニアが街歩きしているだけか。そういう機材の心地よさというサプライズがないと退屈する那覇の街歩きです。

 

那覇市桶川

EOS1Ds Mark3,EF16-35mm/F2.8L USM

ISO400,焦点距離22mm,露出補正-0.3,f/9,1/400

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番外編293. 地蔵盆

2017年08月20日 | Okinawa

 さて今日は、昔から続く京都ならではの地蔵盆。わが町内最大の行事(笑)。朝早くから夜までマイペースで少し頑張ろうと自分にいいきかせて催事に励む。つまり未来を担う子供達のお祭りである。まさに番外編の1日なのだろう。

 昨日のブログで、日本の景色なんか見慣れていてサァーとおどろおどろしく書いた。Youtubeで青森市の昔や豪雪時の映像を見ていた。そしたら、仕事で青森市に通っている頃のことを思い出しながら、あのスナックのママやそのお友達、ゆりちゃんといった、どうしているかなぁー、と思い出していた。スナックのママさんの旦那さんの運転で豪雪の中を冬の十和田湖を見て温泉にいった日帰り旅行の記憶が蘇る。

 そんな記憶を思い出していると、そうか日本の風景が見飽きたなんていうのは、一寸傲慢な言い方だったなと反省。その時々の人々との出会いすれ違いの中で風景が、私にとって思い起こす意味を持ってくる。そう、意味的風景とでもいっておこうか。それは様々な出会いすれ違いの中で、背後に凛として見えている風景だ。人間を介して見ている風景といいますか。

 そんな風に人間を介してということになると、日本の風景は見飽きたなんていってはおれない。その人間を思い出しながら記憶の中を旅しているのであろうか。旅というのは人間に会いにゆくとすれば、さて日本の中に会いたい人がいたな。そこから旅にゆく動機が生まれるのだろう

 でっ、青森市という街が私は好きなんですね。青森県は貧乏県だからと地元の人の言葉を聞くまでもなくトタン建築の目立つ少し殺伐とした街だけど、私は雪の積もった古川市場の総菜屋で、雪の降る中をオニギリと焼魚とおでんと味噌汁を立ち食いした。それは普通の青森の生活料理の味であり(つまり辛い)、今のグルメ志向の世界とは無縁だが、総菜屋のある雪の積もった細い路地の風景は記憶に残っている。多分また雪の日に青森市を訪れたら、この総菜屋でおばちゃん達が作った青森の普通の料理の立ち食いしているだろう。

 京都は地蔵盆、画像は沖縄、話題は青森、と今日のブログはバラバラだな。

 

沖縄県ダブルツリーヒルトン

iPhon7s

ISO20,焦点距離3.99mm,露出補正0,f/8,1/550

 

 

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Nikon Freak109. 心は西へ

2017年08月19日 | Okinawa

 さて夏の沖縄の画像に戻ろう。日本の都市のなかで一番緯度が低い街だ。沖縄県は、琉球王朝で続一されていた歴史があり中国と冊封体制が敷かれていた。だから当時は東南アジアの交易を介する独立国家であった。後に薩摩がちん入してぶんどったといってもよい。

 だから少し異国的な沖縄の空気が、日本の風土に辟易している人間にとっては、新鮮味を感じるわけだ。別の言い方をすると、本土のネチネチとジメジメとした湿っぽい根性の人間性に嫌気がさすといったらよいか。それに日本の風景に飽き飽きしていることもある。昔からある同じ景色をみても感動はない。それよりかは、ベトナム、タイ、インド・・・と心は西へ傾きつつある。

 そうなると撮影機材は、充電できない僻地にゆく可能性があればEOS1Dsしかない。都市部では充電できるが田舎にゆくとどうなるかなぁーと机上の空論が進む。さてPEN Fが安くなってきた。これ魅力的。小さなPEN Fでオールドデリーを撮り歩くなんて使いやすそうだし、EOS1Dsのサブに丁度いいよなぁーと妄想は膨らむ。あっ!、手元に完全防水のNikonAW130があったか。被写体の種類やら撮影の機会は少ないのに、撮影機材がやたら増える昨今である。困った現象だ。

 さて明日は地蔵盆だ。多分1日忙しく動き回ることになるだろう。これが終われば、大手を降って心おきなく沖縄へゆ期待。それが暑い京都で暮らす唯一の励みといったらよいか。

 

那覇市タブルツリーヒルトンホテル

NikonAW130,ISO125, 焦点距離18.1mm,露出補正0,f/4.8,1/500

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Nikon Freak97. 時間忘れ

2017年07月24日 | Okinawa

 画像はシングルツリーだが、首里のダブルツリーヒルトン(旧日航ホテル)から安里に向かう坂下通りは那覇の海をのぞみながら降りてゆく景観のよい道である。当然慶良間諸島が間近にみえている。このあたりから首里にかけての丘陵地帯は、緑も多くおそらく那覇でも環境のよいところなのだろう。ヒルトンのプールサイドで半日をすごし、坂道をくだり道の成り行くままに歩いていたら桜坂だった。こんなところへ道が続いていたのか。

 沖縄県は、人口が増加している数少ない県である。冬がないため本土から人々が定住しにやってく。その気分はわからないでもない。たしかに居心地のよい場所さえ確保できたら、沖縄へ移り住むというのも面白い。実際あの浜野安宏さんもモンタナの家を売り払い、備瀬に居を構え、映画をつくり沖縄映画祭のレッドカーペットを歩いていたようだ。

 私もダイビングをしつつ、魚の絵を描く売れないアーティストの看板でも掲げようかと考えそうになる。実際そんな人間達は沖縄には数多いだろう。ここへくると好き勝手にマイペースでクリエイションしたいなと思うぐらいに人生観も変わらざるを得ない気候風土がある。それは時間に対する感覚がなくなってくる、つまり時間忘れの沖縄である。そこが沖縄の魅力なのだろう。

 最近の京都は、曇天が続き雨が降りそうで降らない。雲と地上の間に熱が閉じ込められたように蒸暑い日が続く。もちろんこんな燻製にされているような日に機材をかついで街の徘徊という気分でもない。こういう日が何日か続き、やがて派手に雷雨となり夏の空になるのだろうと思われる。天気図をみたら北陸から東日本にかけて梅雨前線が停滞しているではないですか。先日秋田では集中豪雨というニュースを聞いた。まだ梅雨があけてないのだ。やだねぇー・・。

 

那覇市

NikonAW130,ISO125,焦点距離4.3mm,露出補正0,f/8.2,1/400

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Nikon Freak96. 沖縄の街歩き

2017年07月23日 | Okinawa

 那覇坂下通りを下り途中の道を左に曲がり道なりに行くとやちむん通りに突き当たった。古民家の琉球瓦特有の屋根が連なる景観が綺麗だ。こうした景観が那覇のアイデンティティだが、現存しているところは僅かだ。

 那覇も沖縄復興の過程で本土同様のつまらない都市景観になってしまった。そこには社会的な関心がスポット的だという美意識上の問題がある。一つの建物が美的であればよいのか、それともヨーロッパのように建築の連なる街並みとして美的であればよいのかという選択肢があるだろう。日本は当然前者といわざるを得ない。「はい!、これは古いから残しましたよ、あとは土地の有効利用で開発しました」という意識であれば残る手段は残された観光資源をスポット的にして売りさばくことしかないだろう。どこか日本の観光戦略は、スポット的に縛り付け、他はみないでくれという意識があるのだろうか。そうなると陳腐化である。観光戦略というのは、陳腐化した資源だけをみてあるくツアーでしかない。

 だからガイドブックにも載っていない横町を曲がってみようという探検心や意識が活きてくる。つまり観光という言葉以前に探検するという概念があったのだろう。あなたは街の観光客なのか?、それとも探検者なのか?、そう問われているようにも思われる。その探検者が探し出したところも近年ではWEBで隠れた名所として紹介されているが・・・。

 そんな街でも背中に熱い日差しを浴びながら、機材をもって徘徊していると結構面白い風景にぶつかることがある。そのうち暑さで体が衰弱してくると、そんなのはどうでもいいかという気力喪失状態になり、ほうほうの体で涼しいところへ逃げ出す。自然現象には逆らえない、それが沖縄の街歩きだ。

 

那覇市

NikonAW130,ISO125,焦点距離25.8mm,露出補正0,f/4.9,1/800

 

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EOSな日79. わからんぜよ昔の人の感性

2016年12月15日 | Okinawa
 沖縄の大型グスクなかでは後期の城跡である。石の積み方が工法の進化をうかがわせ、アーチの納まりなどは見事ではないかと、19世紀米国のペリー提督も記したようだ。城址にあがり海を見ながら古人の考え方にたつのには、随分と創造力が必要だ。うちは、わからんぜよ昔の人の感性は。
 ようやく本の出版原稿の差し替えと、事務書類の並行作業が終わった。同時に進めていたので比較的早めに終わった。
 今日の帰る天気は、京都で2°と相変わらず寒い。こうさむくなると体が慣れてくるのか、先週ほどではないなと思ったらヒートテックでガードしていた。帰りにさらにヒートテックの靴下を買い足した。冬に備えようというわけだ。
 明日金曜日の京都の天気予報は、雪。ホントに降るかなぁー。多分北の方だろう。北というのは出町柳から北という意味だが。まあホントに降れば、雪の新幹線もおつだし、それで講義がなくなるとよいかも知れないと都合の良いことを考えている。

沖縄県・中城
EOS1DsMarkⅢ.EF28-300mm/F3.5-5.6 USM
ISO800,焦点距離70mm,露出補正+0.67,f5,1/640
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EOSな日78. 古都冷え込む

2016年12月14日 | Okinawa
 今週は、実に面白みのない事務書類作成仕事で忙しいから、ブログは前日に半分ぐらい書いている。ホントは浦添グスクのCGを立ち上げたく、柱の位置まで図面化できたのだが、それを中座させるということがとてもストレスになる。こんな時は沖縄の海、そう東シナ海をみて心を休めるほかない。
・・・ここまでは昨日書いておいた。
 そしてそれ以上に書くことがないぐらいに今日は忙しかった。京都の気温は1°、明日朝、といっても6時間後だが-1°の予報が出ている。古都冷え込む。

沖縄県・今帰仁城
EOS1DsMarkⅢ.EF28-300mm/F3.5-5.6 USM
ISO400,焦点距離80mm,露出補正0,f8,1/250
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EOSな日77. ブーゲンビリア

2016年12月09日 | Okinawa
 今日は、本の原稿を印刷屋に渡したので、次に私が見るのは本屋の店頭だろう。半年ぶりの仕事が終わった。
 さて辛気くさい本土はパスして沖縄に話題をもどそう。画像は、象設計集団のデザインによる今帰仁公民館である。コンクリート打ち放しの屋根はブーゲンビリアで覆うはずであったと聞いた。だが生育が難しく断念したという話である。考え方はよかったのだがおしかった。
 さて、浦添グスクの想像復元でもとりかかろうと思い、資料を持ち帰った。ホントに週末に、そんな仕事をする意欲がわくかなぁー。まあ気分だけでも、沖縄にしておこう。
 さて大仕事が終わったので、もう文字を書く意欲もない。おやすみ!
 
沖縄県・今帰仁村
EOS1DsMarkⅢ.EF28-300mm/F3.5-5.6 USM
ISO400,焦点距離160mm,露出補正+0.3,f8,1/125
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EOSな日76. 落穂拾い

2016年11月29日 | Okinawa
 旅の始まりに戻ろうか。といってこの原稿は帰ってからすぐに書いたけど、本の校正で疲れ果てた時には、原稿のストックがあってよかった。
 浦添えグスクの3DCG上での想像復元と研究上の花火をうちあげたまではよかったが、やはり文献だけではわからない。調査に行く他ない。三日間はこの調査に没頭していた。
 そこで手かがりを求めて14世紀頃にあったであろう建築物の基礎の礎石同士の通り芯の寸法を実測することから始めた。もちろん過去の報告書を探せばそんな記載はあるはずだが探しているよりは実測した方が早いし、現場をみないことには何も始まらない。つまり地味な作業だか、これからおおよその建築物の大きさはわかるはずだが、礎石が全部揃っているわけではない。
 「あら、お城が薩摩の軍隊が攻めてきたので燃えている、ほなら焼け跡から礎石のいくつかでももらって、我が家の土台にしよう」
 そんな輩は当然いただろう。さる沖縄のオーソリティからは、戦後まもなくの物のない時代に小学校をつくるときに小学生達を動員させて城壁の一部をはがさせて校舎の一部にした、という話も聞いた。すでに公共施設でそれかよ。
 今ある情報を集めて想像復元してみる、そこから新たな課題も発見できるだろう。そんな歴史の落穂拾いみたいな作業は、まさに地味の一言。
 地味といえば、移動中にノートPCで仕事をしている人達は多いのだけど、その縮こまって一心不乱にPCに向かうというスタイルもえらく地味で、今時余りまねたくないスタイルだ。今回本の原稿の関係もあろうかとわざわざAir Macを持参したが、持ってこなくても用は足りた。私はもう移動中にノートPCを使うことはない。大体重たいぜよ。
 実際私の最近の移動中は、時間の空いたときにスケッチができるように、iPad proとこれようのペンシルと特製イエローブックをいつも持参している。いずれも近似サイズなので結構持ち歩きの相性がよいのだ。最近のクリエイションアイテムというべきか。それに画板にはさんだペーパー類が加わる。どこかドローイングと相性がよいiPad Proである。だがこのペンシルの置き場が悩ましい。磁石でくっつけばよいのだが。

沖縄県・今帰仁城
EOS1DsMarkⅢ.EF28-300mm/F3.5-5.6 USM
ISO400,焦点距離28mm,露出補正0,f8,1/400
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EOSな日61. 都市の中のひんぷん

2016年09月30日 | Okinawa
 ひんぷんがあるかられっきとした古い民家だ。この家が元気だった頃は周囲が樹林帯か畑地だったのだろうし、古来からの塀は道路拡張のためにブロック塀に変わってしまったのたろうと、かっての姿を想像する。
 那覇の市街地も本土復帰後急速に都市化してきた。この土地も広幅員道路が走りれっきとした市街地になってしまった。バス停には真和志小学校前と書かれてあり、看護大学前、寄宮中学校前という前後のバス停名も読める。
 バス停の小さな文字がちゃんと読めるところがフルサイズEOSである。私のEOSは、持ち歩く機材の重さの限度を超えている。 やはり重たいというのは、ハンディだろう。 だから使う場面が少ない。だがこれで撮影した画像をPhotoshopで修正しても変化しない位に、画像はしっかりしている。そこが取り柄で持ち歩いている。
 しかし一寸ブログには、地味な画像だな。これは研究用だが、今日は疲れたのでこのままアップさせよう。都市の中のひんぷんだ。

那覇市
EOS1DsMarkⅢ.EF16-35mm/F2.8 USM
ISO400,焦点距離35mm,露出補正+1/3,f9,1/320
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EOSな日60. 文化系のライフスタイル

2016年09月29日 | Okinawa
 いきなり沖縄からの帰り話になるが、ダイビングをしたあと18時間は飛行機に乗れない。だからいつも翌日の夕方便を予約してあるが、この日は午前中ゴザまでバスで出かけていたというのに、コザが予想外に近かったというのもあり時間は多いに余る。
 こういうときは本屋に飛び込み沢木耕太郎さんの246という日記を書いた文庫本を調達した。以後空港の待合室で、機内で、京都に向かう高速バスの中で読みふけり、まだ読み終わらない。暇なときに読むのには都合の良い本だ。短いパートで書かれてあるし、イラストも入っているから細切れで読んでも面倒がない。
 最初本を手にしたときは、また文化系の世界かと思っていたから嫌悪感があった。文化系というのは時間軸に沿うという一本調子でホントに文字とロジックの世界だ。僕なんか空間系だから、俯瞰できないと取り付けないし、第一表現するという行為が皆無だとあかん。たとえ表現行為があっても文字だけの文系の世界は、つまらんというわけだ。
 それにこの文庫本は、パソコンが登場する前の文化系が社会的に跋扈していた時代だから、いささかノスタルジックな昭和史でもある。そう出版社と新聞社と雑誌社が元気だった時代である。しかもワードプロセッサーが登場しだした頃という記述だから1980年代だということがわかる。こちらとしては時間つぶしには良いが、今時文化系は大学でも関心がなく他の領域と付けられたりして名称変更が頻繁に行われてきている。不人気学部だし、科研費もつかないから、大学人にとっても遠慮したい世界だ。
 沢木さんの記述に、毎朝仕事場にでかけ掃除をしてお茶をわかし紅茶をすすり、時には音楽をかけたりしてデスクに向かうが、肝心の文章は書けないというくだりが登場する。きちんと整頓してからデスクに向かうという発想がいかにも文化的であり、私のような芸術系とは全く違うなと思っていた。
 多分それは整理整頓しているうちに書こうとするプロットがどこかに飛んでいってしまうのだろう。そりゃ書けないでしょうね。なんか事務員あるいは、今では古典的な文化系の律儀なライフスタイルを見させられているようで面白かった。
 しかし、そうはいっても時間が迫る中で私も原稿が書けないことはあったから、身につまされる話でもある。そういうとき私はどうするかというと、執筆目標を多いに下げてかき始める。そしてさっさと終わらせて、旅に出ようという新たな別目標をかかげる。そうなると早くかたづけようという意識が働くのだろうか、まあ時間通りに終わるけだが、私が書くのは論文だから書き出す前に全ての解析が終わっているのでライターほど悩むことはない。どっちかと言えば理科系に近い世界なのだろう。

那覇市
EOS1DsMarkⅢ.EF16-35mm/F2.8 USM
ISO400,焦点距離33mm,露出補正-1/3,f4,1/200
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EOSな日59. EOSな散歩

2016年09月28日 | Okinawa
 南風原の公文書館の仕事も容易に終わってしまった。さてGoogleをみると1時間で牧志の市場まで歩いてゆける。幸い曇天で暑くはない。ならば僅かに点在する古い民家の写真でも撮りながらのEOSな散歩であった。
 台風が頻繁に来るから、建築はRC造の住宅が圧倒的に多いところは本土の都市景観とは違う。それも風雨の跡を感じさせるように汚れている建築群ばかりだ。僅かばかり残されている木造建築には、人が住んでいないところが多かった。
 住宅街の隙間の迷路のような道をGoogleのままに歩いて行くと、なんなく農連市場に出てきた。その先は牧志の市場である。距離的には意外に近く、那覇の町がおもったほど大きい街ではなかったことを実感した。

南風原町
EOS1DsMarkⅢ.EF16-35mm/F2.8 USM
ISO400,焦点距離27mm,露出補正0,f8,1/1250
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EOSな日58. 米軍の地形図

2016年09月27日 | Okinawa
 先週火曜日の夕方、台風16号が中部国際航空付近を通り過ぎた頃、欠航かと思われた沖縄便は時間通り滑走路をジグザググに走りようやく飛び上がるとディズニーランドのアトラクションさながらに揺れに揺れ、沖縄へ時間通りに付いた。それから1週間私は那覇にいた。
 それは名古屋や京都の時間を完全に忘れさせてくれた夏期休暇だった。だが当然のことながら歩き回らなければならない仕事も持参していた。だが、それでもいつもの日常を完璧に忘れた那覇の時間であった。
 そう那覇に別宅でも借りるか。だがそれは思いとどまった。その瞬間から那覇の日常になってしまうのだ。やはり、旅という非日常的世界が時々あればよいのだと考え直した。
 さて私が訪れた沖縄県立公文書館の建築設計は、沖縄の国場幸房氏(国建)であるためか、どこか同じちゅらうみ水族館のデザインと似ているところがあるなと思いつつ、私が作ろうとしているのは14世紀頃の浦添グスクである。
 公文書館には琉球関係の文献が多々収蔵されているが、私が探しているのは米軍作成の地形図だ。それは1947年頃の沖縄が米国の統治下にあった時代の、そして今では過去の地形をかすかにうかがい知ることが出来るかも知れない地形図である。
 公文書館のテラスを通り抜ける南風原の風が14世紀の浦添グスク時代の記憶を呼び覚ましているようだというのは私の単なる思い込みなのだが、そう感傷的に思いたくなるほど建築史的調査というのは面白いわけだ。

沖縄県立公文書館
EOS1DsMarkⅢ.EF16-35mm/F2.8 USM
ISO400,焦点距離16mm,露出補正0,f8,1/250
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PEN LIFE1356.  浦添城址続編

2016年08月04日 | Okinawa
 浦添市役所の文化財課へ出向いたら、新しい城壁案が城址公園の南管理事務所に展示してありますよというので早速出かけた。
 詳しい説明を聞くうちに要塞としての城であったという論拠を意識しているためか至極シンプルになつてしまった。沖縄県立博物館に展示されていた模型写真とは随分違う。なんか建築的王朝の気分が薄く、どこか三河の足助城みたいな空気だ。これで建築を考えるのは色気がないぞなもし。
 話題は変わるが、ココイチのカレーが、カレーの味がしない。つまりトッピングを前提にした味付けなのだろうけど、私はビーフやポークカレーしか注文ないのだが、やはり顕著にカレーの風味に欠けている。何故トッピングカレーにしないのかといえば量が多いからである。ここでカツカレーなんか食べたら胃がもたれるではないか。だからシンプルカレーにサラダなのだ。ここはサラダが多めなのが嬉しい。
 最近は飽食の時代になってきた。だからこちらは絶食の時代で行きたい。その方がダイビングがやりやすいからね。太る、つまり脂肪が増えると油は水に浮くという原理の通り浮力が付いて浮きやすいのだ。それってダイバーにとっては大変な恐怖だ。
 何故恐怖かというと、安全停止出来なくなるからだ。私が勉強したPADIダイビングでは、水中から上がってくるときは水深5mで3分間の安全停止が義務なのだ。そうしないと圧力の高いところから低い地上に出たときに肺が過膨張して最悪破裂したら怖いぜ。減圧症もこんなことが要因になっている。それにダイビング終了後24時間は飛行機に乗れない。だからダイビングの後に仕事をかたづけることが必須になってくる。だからいつも仕事を持ち込んでいる。
 そういうわけで、浦添城址を調べているわけだ。ようやく浦添城址の話に戻ってきた。

浦添公園南管理事務所
OLYMPUS OM-D  E-M1,M.ZUIKO DG 7-14mm/F2.8
ISO200,焦点距離7mm,露出補正-2,f6.3,1/320
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Nikon Freak17. 沖縄も梅雨

2016年06月07日 | Okinawa
 今回の沖縄フィールド調査は、糸満市であった。糸満市は、農業・漁業の街と聞く。沖縄の食を支えているようだ。
 そんな中に日本建築学会賞作品選集新人賞受賞作品がある。リーズナブルな魚料理のレストランで地元の人気もあるようだ。こちらとしては建築よりは魚だよというわけで、沖縄の高級魚ミーバエのバター焼きは淡泊な味で、味の濃い沖縄料理の中では異色だ。
 この建物を見ていたら森瑤子の小説「渚のホテルにて」を思い出していた。海の風景が似合う季節になりつつあるというべきか。あの建物は、こんな感じだったんだろうと想像していた。
 今は沖縄も梅雨の最中だが、本土のそれとは違い、青い空に積乱雲が見えていたと思ったら突然スコールのような雨が降り雷鳴がとどろくといった具合で湿度の高い日が続く。京都に戻ったら曇天の湿っぽい梅雨とは対照的だ。差の沖縄の梅雨もあと一週間もすれば終わり、暑い夏がやってくる。
 さてニコンAW130も番外編のシリーズでは整理がつかない。このシリーズの中に入れておこう。
 さてもう眠いから、今日はお終い。

糸満市
Nikon Coolpix AW130
ISO125,焦点距離4.3mm,露出補正0,f2.8.0,1/800
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