☞ The Second Coming: Wrath and Rescue
1時間22秒から最後まで。
◇◇
驚嘆することにより、主を称賛する。
テレビやらこの世のことやら、あるいは全銀河などよりはるかに主を思うこと。
それらも驚きだがキリストはそれよりもはるかに驚嘆すべき存在。
主はどのようにそれをなさるのか、どのようにあなたをふさわしい者とされるのか。
最後の文章二つ。
2Th 1:5 このことは、あなたがたを神の国にふさわしい者とするため、神の正しいさばきを示すしるしであって、あなたがたが苦しみを受けているのは、この神の国のためです。
あなたがたの苦難は、神の義なる裁きの証拠であって、あなたがたを神の国に十分相応しい者とするためです。
そのために、あなたがたは苦しみを受けているのです。
もし私が、この章において強調しているような者でないとしたら、祈りを通して、主ご自身が宣教を成し遂げることになります。
スモールグループに対して、主が宣べ伝える。
いや、そうではありません。
この章にはそういうことは宣べられていない。
この章には、苦難と呼ばれる神の義なる裁き、そして神の国に相応しくされるための苦難が書かれています。
主が来られる時、恥じるのではなく、私たちは主を称賛し、驚嘆する。
この箇所は、おもに迫害について焦点を当てていると考えることができます。
何故なら、あなたがたは、すべての悪人たちに報復するからです。
すべての神が定められた苦難から、神の目的を推定することができます。
すなわち、その苦難は、私たちの驚嘆へと向きを変えるようにデザインされているのです。
私たちの驚嘆へと向きを変える。
これは否定的な考え方ではありません。
向きを変える(redirect)ということばを選びましたが、以前にこのことばを使ってことはありません。
聖書的には罪ある驚嘆(迫害のことか)を殺すと言えるのではないか。
ただ今はこのようにしておきます、「向きを変える」と。
何故なら、驚くことは良いことだからです。
ある世界に驚くことは良いこと。
ご承知の通り、自然はあなたを驚かせます。
神は、苦難を、その世界に対する驚嘆へと向きを変えて、その上にキリストを覆い被せる。
それが苦難によって起こること。
それが、あなたの民に起こらなければ、彼らは十分に教えられてはいないということになる。
彼らは教えられなければならない。
自然に任せていてはそうなりません。
あなたがたが彼らに教えるのです。
あなたがたがすべき主なことは、彼らが癌に罹患する前に、どうすれば癌になるのか、どうすれば愛する人を失うのかを彼らに教えるのです。
人々が現実を理解できるように、あなたがたが教えるのです。
現実とは、神がお与えになった苦難であります。
彼らが神の国に相応しい者と見なされるように。
ただ私はここにいて、この世界に対してうめき声をあげ、私の背中に横たわる苦難がもはや私の気を引くことがなくなる。
絶望して、私はそれより大きなものを望む。
神に対して怒りをぶつけることも、またそれを見出すこともない。
来たる義なる裁きは、主の再臨の頂点の時にやって来る。
すべては満足し、キリストに驚嘆する。
(祈り)