みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#32 基礎教理 by Reformed Theologians

2022年10月24日 | 基礎教理

Derek Thomas: How Then Should I Live in This World?
https://www.youtube.com/watch?v=6LB5i-uFBpQ&t=1s


訳出時間枠:32分46秒から38分23秒まで
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聖書テキストにおける正しい意味はただひとつしか存在しないということを念頭に置きながら、改革派神学基礎教理を学ぶ。

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すいません。ここは8:15セッションで開く箇所でした。

中には不快に思っている人がいるかもしれませんが、これも神のことばです。

第1コリント6章は、訓練と訓戒、そして励みとなる箇所です。

第1コリント6章9節、「不義なる者は神の国を相続できないことを知らないのか。騙されてはいけない。性的不品行者、偶像礼拝者、姦淫をする者、男娼となる者、同性愛を実践する者、盗人、貪欲な者、泥酔者、罵る者、略奪者はみな神の国を相続しません。あなたがたの中のある人たちは以前はそのような者でした。しかし、主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖とされ、義とされました。」

ここで、私から質問があります。

ここでパウロが話していることとは何でしょうか。

「同性愛を実践している男たち」このことばに焦点を当てたいと思います。

単純にひとつの例として取り上げます。

このことは近年話題となっています。

毎日ニュースの話題となり、紙面を賑わし、あらゆる場面で遭遇します。

この世によって、住んでいる文化によって、私たちは日々押し潰されています。

大学の知的文化の中の学者、会社の上級管理者、弁護士、公立学校の先生などどの職業でも、この世の霊に同化するために、そしてこの世の倫理的基準に同化するために、くり返しくり返し娯楽産業によって押し潰されています。

「この世に同化してはならない。(神によって)変えて頂きなさい」と、パウロはローマ書12章で言っています。

このことに関して、ひとつの例を見てみましょう。

第1コリント6章において、パウロは何を言っているのでしょうか。

生活様式のことを言っているのです。

パウロが言っているのは、単に同性愛のことではなく、多くの他のこと、盗みや貪欲、泥酔や悪口、詐欺などであります。

もう一度言いますが、同性愛が他の罪よりも重大であるとか、忌まわしいとか言っているのではありません。

この問題に焦点を置く理由は、現在流行しているからであります。

友人は「このことについてどのように問題提起すればよいのでしょうか」と聞いてきます。

さて、パウロが教えていることを見てみましょう。

ここでパウロが言っているのは生活様式(ライフスタイル)であります。

普段の行動様式のことを言っているのです。

悔い改めや赦しを要する(時おり犯す)過ちについて教えているのではない。

そうではなく、パウロは確立された何かについて話しているのです。

(それに疑いも持たずに)信じていると公言している人において確立している生活様式についてであります。

このような習慣の関する何をパウロは言っているのでしょうか。

悔い改めて捨て去らななければ、神の国に入ることを妨げるであろう罪の様式なのです。

パウロが言っているのはこういうことであります。

同性愛という悔い改めのない生活習慣は、神の国への入城を妨げます。

それがパウロの言っていることです。

キリストに属すると主張するなら、同性の肉体関係の実践は避けるべきです。

「Malakoi oute arsenokoitai」

ギリシャ語です。

大変生き生きしたギリシャ語のことばです。

「男性同士でベッドを共にする人たち」は、文字通りの訳出です。

「男らしくない」は、文字通りの訳です。

パウロが言っているのは、同じ性でありながら女性(役)である人(男性)のことです。

つまり、ギリシャ語では実に生々しいことばなのです。

このことからパウロは何を言いたいのでしょうか。

このようなことに関りを持っている人たちはみな決して神の国に入ることはできない、とパウロは言っているのではありません。

あなたがたの幾人かはとパウロは言っています。

これがあなたの生活様式だった。

しかし、卓越した慈悲と祝福ゆえに、神が来られて、あなたの生活様式を変えられた。

そして、神は悔い改めの霊を与え、そのような生活様式やそのような行ないから立ち返り、福音へと招き入れて下さった主イエスキリストを、私たちは受け入れることができるようになったのです。