みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#26 基礎教理 by Reformed Theologians

2022年10月15日 | 基礎教理

Derek Thomas: How Then Should I Live in This World?
https://www.youtube.com/watch?v=6LB5i-uFBpQ&t=1s


訳出時間枠:最初から6分22秒まで

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聖書テキストにおける正しい意味はただひとつしか存在しないということを念頭に置きながら、改革派神学基礎教理を学ぶ。

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(挨拶)

ローマ書12章を開いて下さい。

リボン(日本ではスピンという)があれば、あるいはしおりがあれば、第1コリント6章にはさんでおいてください。

後で、見ることになるでしょう。

時間が来たら、第1コリント6章を読む準備をしようと思います。

今回私に割り当てられたトピックとタイトルは、「では一体、どのようにこの世を生きるべきか」というものであります。

では一体、如何にこの世を生きるべきか。

ローマ書12章1節と2節です。

お祈りしましょう。

父よ、私たちは今聖書に相対しております。聖書全巻は神の吐息によって与えられ、神に仕える人があらゆる良い業を完全に備えることができるように、義の道における教理と指導、そして修正のために大変有用であります。聖書は私的な解釈から出たものではなく、聖霊によってもたらされた神のことばを人が代弁したものであります。神のことばを読み、斟酌し、学び、そして心で消化できますように力をお貸し下さい。そして、すべてをイエス様のために、アーメン。

ローマ書12章1節、「そういうわけですから、兄弟たち。神のご恩寵により、あなたがたにお願いします。あなたがたの体を、神に受け入れられる、聖なる、生きたいけにえとして献げなさい。それこそ、あなたがたの霊的(あるいは、道理にかなった)礼拝です。この世に同化してはならない。神の御心とは何か、何が良いことか、何が受け入れられることか、そして何が完全なことかを見分けることができるように調べることによって、そしてあなたがたの思いを新たにすることによって変えて頂きなさい。

では一体、どのようにこの世を生きるべきか。

この世において、罪と反抗のこの世において、人間のすべての不敬虔と不義に対して神の怒りが天から啓示されているこの世において。

こういうわけで、私はあなたがたにお願いします。

ここで問題となるのは、もちろん、何度も聞いたことがあるはずです。

こういうわけで(therefore)ということばを見た時に持つべき疑問というのは、therefore(there for)とはどんなことばなのかという疑問です。

そこ(there)とはどういうことでしょうか。

パウロはひとつの結論を引き出しています。

ローマ人への手紙の流れにおいて、程度の差はあれ、この要請については何度か語っています。

実際、彼はこのことを以前に2度話しています。

ローマ書6章において、パウロは次のように教えています。

「罪の情欲に従わせるあなたがたの死ぬべき体において、罪に支配させてはいけない。不義の道具として罪を犯すために、あなたがたの器官(主に、手足)を差し出してはならない。」

つまり、義の道具として自分の体を使うために、特異的な適応、道徳的な適応をパウロは要請したのです。

そして、8章の中程で、この要請をしています、「もし、霊によって、あなたが肉の行ないを抑制するなら、あなたは生きる。」

罪を殺すように約束されているのです。

罪のあるままで、堕落のあるままで。

さて、12章へと向かいます。

12章は数章をカバーするひとつのセクションであろうと思われ、パウロは、「では一体、どのようにこの世を生きるべきか」に対する疑問に答えてくれます。

パウロは言います、「それゆえ、兄弟たち。神のご恩寵により、あなたがたにお願いします。」

これらの命令、命令を意味する動詞、これらの行ないを命じる動詞、クリスチャンに対する義務、債務を意味する動詞、すでに私たちが経験した神のご恩寵に対する反応をしっかりと理解していることを確認するために、パウロは福音において常用されている文法を駆使します。

恩恵の結果として、義務が生じるのです。