みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#438 神の法第三戒

2019年10月24日 | 神の法
第3戒
神の御名
 
p125~
The Name of God
The Third Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

絶対の主、裁き主である神は、万物の究極の仲裁者。

それゆえ、クリスチャンは神の御言葉に服従し、神を恐れなけらばならない。

真のクリスチャンが宣誓により語った言葉は、あらゆる証拠の枠造りの基礎となってきた。

法廷に影響を与えてきた教会の基本法は次のように述べている。

法廷における証明手段という意味で行われる宣誓は、「証言において神の御名を唱え、ある特定の発言の真実性を保証する」という自身の固有の性格を維持しつつ、ある事件に関する事柄が真実であることを証明したり、その真実に至るために使用されたりする最も強力かつ効果的な手段であり、判事が判決を下す上で欠くことのできないものである。

これと同じ権威は、教会の基本法において冒涜を次のように定義している。

この犯罪は、神の存在や属性を攻撃し否定する異端的冒涜として現われたり、神の御名や聖人の名を中傷したり汚したりする単純な冒涜や呪いとして現れることがある。

ここで述べられている冒涜の定義については、どちらについてもすでに触れた。

神の御名について、より具体的に説明する必要がある。

あなたの神、主の『御名』をみだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を無罪とはしない。

聖書において名前は、その人物の性格や性質を表す。

性格が変わる時に、その人の名前も変化する。

メレディスは次のように述べている。

第三戒は、宇宙の偉大な至高の支配者である神の御名、務め、立場を扱っている。
聖書において、個人の名前には意味がある。
神のすべての御名または称号は、神の御性格のある特質を啓示している。
神の御言葉を調べ、神が御自身を啓示するために用いられた新しい御名について学ぶ時に、我々は、神の御性質と御性格について新しい事実を知る。換言すれば、神は御自身に、私はこのような者であるという名を付けられる!神の真の意味と御性質を否定するような方法で神の御名を用いる時、我々は第三戒を破っている。

旧約聖書だけではなく、新約聖書が示す名前の意味も、メレディスの主張を裏付けている。

ギリシャ語新約聖書において、次のように言うことができる。

主にヘブライ的な用法では、名前は、その名前がカバーするすべてのことを表すために用いられる。

名前を口にしたり、聞いたり、思い出すことによって、心の中に、その名前が表すあらゆること、つまり、その人の職位や権威、興味、楽しみ、命令、卓越性、行為などが想起され、体感される。




#437 神の法第三戒

2019年10月24日 | 神の法
第3戒
神の御名
 
p125~
The Name of God
The Third Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

絶対の主、裁き主である神は、万物の究極の仲裁者。

それゆえ、クリスチャンは神の御言葉に服従し、神を恐れなけらばならない。

真のクリスチャンが宣誓により語った言葉は、あらゆる証拠の枠造りの基礎となってきた。

法廷に影響を与えてきた教会の基本法には次のように書いてある。

法廷における証明手段という意味で行われる宣誓は、「証言において神の御名を唱え、ある特定の発言の真実性を保証する」という自身の固有の性格を維持しつつ、ある事件に関する事柄が真実であることを証明したり、その真実に至るために使用されたりする最も強力かつ効果的な手段であり、判事が判決を下す上で欠くことのできないものである。

これと同じ権威は、教会の基本法において冒涜を次のように定義している。

この犯罪は、神の存在や属性を攻撃し否定する異端的冒涜として現われたり、神の御名や聖人の名を中傷したり汚したりする単純な冒涜や呪いとして現れることがある。

ここで述べられている冒涜の定義については、どちらについてもすでに触れた。

神の御名について、より具体的に説明する必要がある。

あなたの神、主の御名をみだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を無罪とはしない。

聖書において名前は、その人物の性格や性質を表す。

性格が変わる時に、その人の名前も変化する。

メレディスは次のように述べている。

第三戒は、宇宙の偉大な至高の支配者である神の御名、務め、立場を扱っている。
聖書において、個人の名前には意味がある。
神のすべての御名または称号は、神の御性格のある特質を啓示している。
神の御言葉を調べ、神が御自身を啓示するために用いられた新しい御名について学ぶ時に、我々は、神の御性質と御性格について新しい事実を知る。換言すれば、神は御自身に、私はこのような者であるという名を付けられる!神の真の意味と御性質を否定するような方法で神の御名を用いる時、我々は第三戒を破っている。

旧約聖書だけではなく、新約聖書が示す名前の意味も、メレディスの主張を裏付けている。

ギリシャ語新約聖書において、次のように言うことができる。

主にヘブライ的な用法では、名前は、その名前がカバーするすべてのことを表すために用いられる。

名前を口にしたり、聞いたり、思い出すことによって、心の中に、その名前が表すあらゆること、つまり、その人の職位や権威、興味、楽しみ、命令、卓越性、行為などが想起され、体感される。