第3戒
宣誓と権威
p123~
The Oath and Authority
The Third Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony
◇◇
出エジプト記21章15~17節の死刑規定から明らかなことは、悪は、さらなる悪の言い訳にはならない、ということ。
たとえ、両親が極悪人であったとしても、子どもは神の基本的法秩序である家族を攻撃してはならない。
親は、子どもに悪を行わせたり、悪を善と呼ぶように強制してはならない。
栄誉は、それにふさわしい者に与えられるべきである(ローマ13:7)。
両親はそれを受けるにふさわしい人々である。
ローマ13:7
あなたがたは、だれにでも義務を果たしなさい。みつぎを納めなければならない人にはみつぎを納め、税を納めなければならない人には税を納め、恐れなければならない人を恐れ、敬わなければならない人を敬いなさい。
この聖句は、人は正義を増進するために働かねばならないが、悪と戦う人の権利には制限があるということを意味している。
聖書は、復讐は神に属するということを強調している。
申命記32:35
復讐と報いとは、わたしのもの、それは、彼らの足がよろめくときのため。彼らのわざわいの日は近く、来るべきことが、すみやかに来るからだ。
詩篇94:1
復讐の神、主よ。復讐の神よ。光を放ってください。
ヘブル10:30
私たちは、「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする。」、また、「主がその民をさばかれる」と言われる方を知っています。
ローマ12:19
愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」
パウロは、「親しき友よ。自分で復讐してはならない。復讐は神に任せなさい。『裁くのは私である。私が彼らに報復する。』と主は言われる」(ローマ12:19、バークレイ訳)とはっきりと述べている。
宣誓と権威
p123~
The Oath and Authority
The Third Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony
◇◇
出エジプト記21章15~17節の死刑規定から明らかなことは、悪は、さらなる悪の言い訳にはならない、ということ。
たとえ、両親が極悪人であったとしても、子どもは神の基本的法秩序である家族を攻撃してはならない。
親は、子どもに悪を行わせたり、悪を善と呼ぶように強制してはならない。
栄誉は、それにふさわしい者に与えられるべきである(ローマ13:7)。
両親はそれを受けるにふさわしい人々である。
ローマ13:7
あなたがたは、だれにでも義務を果たしなさい。みつぎを納めなければならない人にはみつぎを納め、税を納めなければならない人には税を納め、恐れなければならない人を恐れ、敬わなければならない人を敬いなさい。
この聖句は、人は正義を増進するために働かねばならないが、悪と戦う人の権利には制限があるということを意味している。
聖書は、復讐は神に属するということを強調している。
申命記32:35
復讐と報いとは、わたしのもの、それは、彼らの足がよろめくときのため。彼らのわざわいの日は近く、来るべきことが、すみやかに来るからだ。
詩篇94:1
復讐の神、主よ。復讐の神よ。光を放ってください。
ヘブル10:30
私たちは、「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする。」、また、「主がその民をさばかれる」と言われる方を知っています。
ローマ12:19
愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」
パウロは、「親しき友よ。自分で復讐してはならない。復讐は神に任せなさい。『裁くのは私である。私が彼らに報復する。』と主は言われる」(ローマ12:19、バークレイ訳)とはっきりと述べている。