みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#426 神の法第三戒

2019年10月10日 | 神の法
第3戒
誓いと礼拝
 
p119~
Swearing and Worship
The Third Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

今日の法律と社会の基本的前提は相対主義。

相対主義は、万物を共通の色、共通の灰色に引き下げる。

その結果、反逆や犯罪を定義することが不可能になる。

犯罪者が法律によって保護される。

法律はだれが犯罪者であるかを知らないから。

現代の法律が、善と悪を定義する正義の絶対性を否定するから。

定義できないことに制限を加えたり、保護を与えることは不可能である。

定義とは、対象の周りに垣根をめぐらすことであり、保護壁を設けることである。

定義とは、対象をそれ以外のものから引き離し、そのアイデンティティーを保つこと。

絶対神によって定められた絶対法は、善と悪を分離し、善を保護する。

このような法が否定され、相対主義が支配するようになれば、事物の区別や認識の原理は無効になる。

全世界が等しく、同一であるならば、いったい何を、誰から守る必要があるのだろうか。

全世界が水であれば、守るべき海岸線は存在しない。

すべての現実が死であるならば、守るべき命は存在しない。

今日、犯罪を正しく定義できない世界において、裁判所は、相対主義に冒され、ますます判断能力を失っている。

そのため、多くの正しい人々や遵法者が保護を受けずに苦しんでいる。

エミール・ダークハイムは言う。

犯罪者は、進化におけるパイオニアかもしれない。

いや、実際にパイオニアであることがよくある。

彼らは、社会の未来図を描いてくれている。

ダークハイムの相対主義的社会学によれば、犯罪者とは、遵法的な市民よりもすぐれた人になるかもしれない。

それに対して、今日遵法的と言われている市民は、未来において保守的もしくは反動的な人物になり下がるかもしれない。