みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#439 神の法第三戒

2019年10月25日 | 神の法
第3戒
神の御名
 
p126~
The Name of God
The Third Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

さらに、メレディスはこう述べる。

無罪と訳されているヘブライ語は、清い(clean)と訳すほうがよいかもしれない。

つまり、主は、御名をみだりに唱える者を清い者とは見なされない、と。

その人が霊的に清いかどうかは、神の御名に対してどのような態度を取るかによって明らかになる!

神の御名を真理のために用いているだろうか。

それとも、虚栄のために用いているだろうか。

それによって、彼が清い人かそうでないかが分かる。

ピューリタン神学者トマス・ワトソンは、その著書『神の御体』の続編として著された『十戒』の中で、第三戒の定義を明示している。

ウェストミンスター大教理問答書も、同じことを次のように述べている。

第112問。 第三戒において何が命じられているか。

答え。 第三戒は、神の御名、称号、属性、命令、御言葉、礼典、祈り、誓い、宣誓、配分、御業、その他神がそれによって御自身を知らしめようとされるあらゆるものを、思い、瞑想、言葉、著述の中で、また、聖なる告白や会話において、聖く、かつ、敬意を込めて、すべて神の栄光と、自分自身及び他者の建徳のために用いることを命じている。

第113問。 第三戒において禁じられている罪とは何か。

答え。 第三戒において禁じられている罪とは、以下のようなものである。すなわち、神の御名を、命令に従わずに、無知や虚栄、不敬、冒涜、迷信、邪悪な発言の中で乱用すること。神の称号や属性、命令、御業を、冒涜や偽証のために利用すること。あらゆる罪深い呪いや誓いや宣誓、分与。合法的な誓いや宣誓の不履行。非合法的な誓いや宣誓の履行。神の命令や摂理に対するつぶやきや反抗、興味本位の詮索、不適切な適用。御言葉やその一部を、汚れた冗談に用いたり、興味本位や無益な問題、もしくは、空しい議論、間違った教理の主張のために、誤って解釈したり、適用したり、あらゆる種類の曲解を行うこと。御言葉や被造物や、神の御名の下にあるすべての事柄を、人を魅了したり、罪深い欲情や行為に誘うために利用すること。神の真理・恵み・道への中傷、あざけり、悪罵、不遜な反対。偽善や邪悪な目的のために信仰を告白すること。信仰を告白することを恥じること。または、不快・愚昧・無益・罪深い生活を送ったり、信仰から後退することによって、信仰告白に恥辱を加えること。


今日、神の御名は、善用されることよりも、悪用されることのほうが多い、ということがこの定義から分かる。

合同キリスト教会のウィリス・エリコット博士は、「聖書の無謬性への固執は悪魔的である」と言った。

B・D・オルセンは、聖書の無謬性を信じているが、「幻視(vision)」があるとも主張している。

これらの発言は、どちらも冒涜。