小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

医者同士の嫉妬

2010-06-08 03:39:21 | 医学・病気
医者同士の嫉妬。これは研修病院で感じた事だが。医者同士の嫉妬というものがある。自分がある患者の主治医になって、患者も医者を信頼すると、良い医者、患者関係が出来る。この時、医者はいい気分である。患者が自分を信頼してくれるというのは、嬉しい。しかし、そこに、別の医者が出てきて、患者が、その自分より、その医者の方を、より信頼するようになると、嫉妬の感情が起こるのである。これは患者が、素直な性格の患者だとか、容貌がいいだとか、そんな事は全く関係ない。これは医者としての自分の能力、人格において、患者が好む医者に対する嫉妬である。患者は、自分を治してくれる医者だけを求める。そして、こういう事は、大学病院、総合病院、個人クリニックに関わらず、医者をやっている限り、ついてまわる問題である。医者はある程度、能力、技術が身について、自分に自信が出てくると、こういう事に悩まされることになる。勿論、すぐに白旗をあげてしまうのは良くないが。大切な事は、自分の能力を過信しすぎずに、自分に手に負えない患者に対しては、患者離れが出来る医者になるということである。

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真実は自分で見つけ出す他にないのである

2010-06-07 06:36:28 | 武道・スポーツ
さて、テニスでどうもよく打てないと悩んでいる人へ。コーチは、色々アドバイスするコーチもいれば、アドバイスの無効性を知ってて、しないコーチもいる。コーチのアドバイスは、外見から見ただけのアドバイスなので、コーチに言われた事をそのまま守ると上達しないし、むしろ逆に下手になることもある。本質を教えられないからだ。その一つに、グリップを握る位置を変えてみる、という、ほとんどのコーチが言わない事を提案してみたい。ほとんどのプレーヤーは、出来るだけグリップの先の方を握ろうとする。小指がはみ出してしまうほど、の握り方をしている人も、プロテニスプレーヤーにもいる。これは。当然のことながら、出来るだけグリップの遠くを握った方が、スイングする時、遠心力がついて大きな力を出せるからだ。この握る位置はもうクセになっていて、変えてみようという、発想すらない人もいるのではなかろうか。しかし長くテニスをしている人はグリップの握る位置との関連によって、スイングのフォームが完成されてしまっているのである。もしも、グリップの位置を変えてみたら、スイングに違和感を感じ、うまく打てないため、すぐにやめてしまうケースが多いだろう。グリップの遠い所を握る長所は、大きなスイングが出来て、ボールに力を入れやすい点である。しかし、短所もある。まず、グランドストロークではなく、相手が速いサービスを打って来た時には、大切な事は、振り送れず、打ち返すということである。打ち返せなくては話にならない。大きなスイングは、スイングの動作が大きくなってしまう。そのため、振り遅れやすいという欠点がある。レシーブの時には、短く持った方が、直ぐにラケットを引けるから、振り遅れしない、というメリットがある。しかし、グリップの遠くを持つという事が習慣になってしまっている人は、グリップを持つ位置によってフォームが出来上がっているので、レシーブでも、そのままグリップの遠くを持ってしまいやすいのである。グリップを持つ位置によって全体のフォームが出来上がってしまっているからである。
しかし。これは野球においては、何の問題も起こっていない。なぜなら、野球のバットは、グリップエンドという物があるから、どんなに長く持っても、グリップエンドを越してバットを握る事は出来ないからである。そして野球においては、打つ前に考える時間が十分あるからである。ホームランを打とうと思ったら、バットを長く持ち大きくスイングし、投手が豪速球だったら、振り遅れないためシャープなスイングで当てる事を第一に考えるべきだから、バットを短く持ってスイングすればいいのである。だから、野球においては、バッターは、バットを長く持ったり、短く持ったりして調節する事を誰でも考えているから、両方の練習をしているため、バットを長く持ったスイングのフォームも出来ているし、短く持ったスイングのフォームも出来ているのである。しかしテニスのラケットは、野球と、この条件が違う。物理的にまずグリップエンドが無い。また相手がどんな速さの球を打ってくるか、予測できない。そのため、グリップの長さを調節するということも出来ない。し、一定のフォームが身についている以上、そのフォームで打つしかないし、また、そうした方がいいのである。テニスはグランドストロークの打ち合いでは、野球のように待つ時間がなく、休みなく打ち合い続けるからである。ここで上達に悩む人は、グリップをあまり長くし過ぎないで、やや短く持ってみるという事をしてみるといい。これは、極めて簡単に出来ることである。グリップを長く持ってスイングしている人は、ラケットに頼った打ち方のフォームが完成されてしまっているケースがあるから、これは、フォームの根本的な見直しである。グリップを短く持つと、今までとは、フォームの感覚が全くといっていいほど違ったものになる違和感を感じるだろう。そして、テニスでは、小指がはみ出してしまうほど、遠くを握るより、小指も全部、入れた五指で握った方がいいのである。そもそもテニスのラケットは、テニスという運動にもっとも合理的なように作られているのである。五指で握ったスイングこそが、基本のスイングなのである。小指がはみ出してしまうような握り方では、正しいスイングより、手首でラケットを振り回す、クセのあるスイングになってしまっている事がある。勿論、手首のスナップを利かすスイングは、大切だが、それは、ラケットを五指で握った通常の握り方で、出来るようでなくては、本当の手首のスナップを使ったスイングとはなっていない、といえる。ラケットを短く持つと、フォーム全体が変えられてしまうから、かなり抵抗を感じる。しかし、ここで諦めないことが大切である。ラケットを短く持つと、大振りできなくなり、力を入れずらい、という事が起こったら、それは今までの自分のフォームに間違いがあったという事である。正しいフォームが出来ていれば、通常の握り方でも、十分、力が入ったスイングが出来るはずである。動画などで見ると、コーチは、ラケットを長めに持とうと、短めに持とうと、余裕綽々で打てる。それは、テニスのスイングの動作に誤りがないからである。

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テニスのコーチ

2010-06-06 04:12:54 | 武道・スポーツ
何か、大阪の方に、女子中学生のテニスの天才がいるそうだ。海外に何度も行って優勝もしている。生まれた時から、父親がテニスをやらせた、というから15年、テニスをしていることになる。(ちなみに父親はテニスが、好きだが、出来ない)彼女の練習は、地元ではなく、週一回、夜行バスで茅ヶ崎のテニススクールに通っているという。ここは、杉山愛や伊達公子などを、育てたコーチがいるからだそうだ。私は、これに少し違和感を感じる。テレビで、ちょっと見ただけだから、正確にはわからないが。まず彼女ほどの技術になれば、もうフォームは完成されているはずである。フォームのチェックのためではないだろう。コーチの役割といえば、年齢にあった理想的な体力トレーニングの指導だけ、だと思う。そういう体力トレーニングの指導なら、大阪から、わざわざ茅ヶ崎まで来なくても、大阪に、ちゃんと指導できるコーチはいるはずだ。そんな難しいことではない。あるいは、フォームや、戦術などの、技術的なコーチも、テニスが一通り出来る、そこらにいるテニスコーチなら十分、出来ると思うのだが。これは、有名なトップのコーチにつくのが、自分の技術を最高に高めると、無考えに妄信している悪いタイプか、実際に近くの、いくつかのテニススクールに通ってみたが、指導に物足りなさを感じ、茅ヶ崎のテニススクールでは、満足のいく指導だと実感しているか、のどちらか、だろう。

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菅直人新総理

2010-06-05 22:18:18 | Weblog
菅直人が総理大臣になって、自民党を含む全ての党に挨拶に行った。選挙後にこれをするのならいいが、ちょうどスポーツの戦いの後、握手するスポーツマンシップのような心地よさがあるが。首相になった直後に、野党に挨拶するのは、「国会質疑では、どうぞお手やわらかに」という印象がある。連立組んでた社民党がどう豹変するか。日本は、敵味方の離合集散が激しい、まさに群雄割拠の戦国時代みたいである。

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鳩山内閣の失敗の原因

2010-06-03 06:24:34 | Weblog
鳩山内閣の失敗の原因。

これは、いくつもあると思うが。その一つ。

自民党の族議員の構造(これは菅直人がさかんに言っていたが)、を嫌うあまり、官僚を上手く使いこなせなかった、官僚とうまい協力関係をつくれなかった。ことが一つの原因だろう。クリーンな政治を主張するあまり、官僚との接触は、悪いものとのような感覚があったのではないだろうか。官僚を無視したり、ないがしろにすると、官僚は、公務員であってもストライキ的になる。彼らのプライドを無視することは出来ない。大臣の作文など、最低限のことは、やっても、(その作文も、官僚は悪戯をすることがある)、「オレ達を無視するなら、かってにしな」と、最低限のことだけやって、無気力になってしまう。政官の癒着は金銭関係だけではない。精神的な満足もある。官僚の機嫌を損ねないよう、官僚はうまくおだてて使わなくてはならない。内閣は官僚に対して低姿勢を演じなくてはならない。

検察の出世の野心。

権力を得た政治家に検察は、国策捜査のアラ探しをする。権力者を起訴すれば、検察官の出世になるからだ。この疑惑の弁明に首相の頭は半分以上、使われてしまい、国会の質疑でも、そればっかりになってしまう。本当に論ずべき、金融、外交、防衛、が疎かになってしまう。検察も日本を潰している。野党にとっても、検察の出世のためのアラ探しは、与党潰しとしてありがたい。与党と野党も、権力欲だけが頭を占めているから、ダメなのである。日本を良くするには、明治維新の薩摩と長州の連合のように、選挙で当選することより、一致団結しなくてはならない。

任期中の出来事。運。

小泉の時は、任期中に、色々、首相にとって都合のいい出来事が起こった。問題を抱えている時になった首相は運が悪い。

そもそも政治家はしたたか、である。

辺野古への基地移設の問題に関しても、首相一人まかせにして、官房長官も、その他、閣僚も無関心で助ける人がいなかった。これに関わると、勝ち目は無く、国民の人気を損ねるから、ノータッチという自分の保身しか考えていないからである。

政権維持の安全のための強引な連立。

そもそも社民党などという政策が食い違っている事が、わかっているのに、法案を確実に通すために、強引に連立を組んだことが政権発足の時点からして間違っていた。

では、どうすればいいか。

ここは、自分の保身しか考えない政治家の民主主義というものを廃止して、大政奉還して、陸海空軍の統帥権、および全ての権限を天皇に任せる君主制にすべきではないか。そういうと、すぐ独裁政治と反発される。しかし、今の天皇と日本国民の関係からして天皇が間違った方向に暴走するとはとうてい考えられない。第一、中国では、共産党の独裁政治で、うまくいっているではないか。

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カムイ伝

2010-06-03 05:48:29 | Weblog
私は白土三平のカムイ伝が好きである。それは、一人の人間の一生を、他の人のように、感傷的に描かないからである。私も、そういう考だが、氏は、それが、私とは比べものにならないほど、スケールが大きい。人生をつつがなく過ごし、子を産み、孫を産み、人々に見守られて、穏やかに、幸せに死んでいく。私はそんなのは、つまらない人生だと思っているが、白土三平のカムイ伝は、もっとスケールが大きい。命がけで、生きた人間が死んでも、死ねば、もう用なしであり、無視されるだけである。カムイ伝のラストでは、精一杯、命がけで生きた忍者が死んで海に流れているのを見ても、片手片足のサメ殺しの漁師が、忍者の死体を見て、「フン。どっかで見たツラじゃの」で、終わる。生きて必死に戦っている人間だけが、歴史を動かしている人間である、と白土三平はとらえている。これは凄い。そして、私も氏のスケールの大きな人間観が好きだから、死んだら、そのように雑に扱われたいのである。人間とは、生きて努力して何かをなしている時にのみ、価値がある、と思うからである。感傷的に人々に惜しまれ、泣かれ、墓に入れられて、安らかに眠る、なんて死に方は、私にとっては、おぞましく、鳥肌が立つ。

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菅直人

2010-06-02 23:52:14 | Weblog
今、総理大臣になったら、野党や国民からボロクソに言われる。それで人気が落ちる。今後の政治家生命にもかかわる。だからやりたくない。
しかし、総理大臣という権力の座には一度は何としてもつきたい。それは、咽喉から手が出るほどの氏の欲望、野望である。
結局、後者の野望の強さの欲求の方が前者のデメリットより上回っていたから、菅直人が名乗りを上げたのだろう。見るからに、嫌々そうである。

今、逆風の中で、民主党の首相になりたい議員などいない。誰をスケープゴートにするか、である。ただ一人、前原はやる気がある。しかし、立候補していない。氏も慎重である。

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鳩山由紀夫分析

2010-06-01 08:00:44 | Weblog
さて、鳩山由紀夫という、わけのわからない政治家を考えてみたい。氏のように、気の弱い、腰の低い性格の政治家が首相になったら、一ヶ月でノイローゼになってしまい、潰れてしまうだろうと思っていた。しかし、実際に氏が首相になったら、ノイローゼになるどころか、どんどん生き生きとしてきた。これからもまだやる気、満々である。これはどういうことか。
その理由を考えてみたい。氏ほど、政治家らしくない政治家はいない。氏は学者肌の性格である。ほとんどの首相は、首相になると、野党の厳しい意地悪な質問責めを恐れ、その覚悟をする。そして、実際、国会の質疑は首相にとって嫌なものである。口汚く批判されるだけだからである。そして、ヘトヘトに疲れる。小渕総理は死に、安部総理はストレスによって胃を悪くした。彼らに較べると、鳩山由紀夫は、彼らより、もっと気が小さい。だから、ストレスで参ってしまうだろうと思っていた。しかし、首相になったら、ノイローゼになるどころか、どんどん生き生きとしてきた。そのわけは何か。
一つ目。野党議員だった時とは違って、首相になって、日本を動かせる権力を手にして、それが面白く、やりがい、が出てしまって、その、やりがいが、野党の批判より、はるかに面白くなっているのではないだろうか。
二つ目。氏は、腰の低い、気の弱い、おぼっちゃんである。記者の質問にも、礼儀正しく答えている。腰の低い謙虚な対応をすることに、心地よさを感じているのではないか。三島由紀夫の言う「謙遜バカ」の快感が起こっているのではないか。
三つ目。氏は学者肌の人間である。本当の学者は、自我というものが無く、透明である。そして、学者は議論することが好きである。政治家気質の政治家は、野党の手厳しい質問は苦痛でしかないが、学者は、議論が好きだから、それが苦痛ではなく、むしろ楽しみになっているのではないか。
四つ目。氏は腰が低く、威張らない。よく謝罪の発言をする。謙虚な態度で、謝罪する事にマゾヒズム的快感が起こっているのではなかろうか。
五つ目。どんな職業でも、慣れてくると、だんだん、だれてくる。氏も、だんだん、だれてきて、国民や野党の批判にも動じなくなって感覚が鈍感になって麻痺してきているのではなかろうか。氏もやはり、権力を手にした人間が、共通しておちいる心理状態になってしまっているのではないか。
六つ目。氏は学者肌の人間だから、他の首相のように自己保身にしがみつく必要がなく、日本という研究対象を与えられた学者になってしまったのではないか。本当の学者肌の人間は、何かの研究対象が与えられると、もうそれに、とりつかれてしまい、その解明、解決だけが頭を占めてしまう。
七つ目。与党の権力者は、権力者としての政権の長期維持、そのための権謀術数、国民の声、支持率を気にするが、氏は、おぼっちゃんの学者なので、日本という研究対象しか頭になくなって、他の事には鈍感になってしまっているのではなかろうか。
八つ目。己を守る保身、自己正当化がなく、自然体である。自己正当化のため苦し紛れの詭弁を探す必要がないため、野党の批判もストレスとなっていないのではなかろうか。自己正当化にやっきになる首相は、野党と激しく対立するが、氏のような自然体、腰が低い性格を逆に武器にしている人間は、暖簾に腕押しであり、野党議員としても、いじめがいがない総理大臣になっているのではなかろうか。

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