小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

ナタリア・ポクロンスカヤ

2014-03-28 22:08:33 | Weblog
クリミア共和国最高検察庁検事総長。

う、美しすぎる。

選抜高校野球

2014-03-28 16:06:32 | Weblog
夏の甲子園でも、そうだか。甲子園に出る方法。

わざと単位を落として留年する。そうすれば、一回、余分に、選抜、甲子園に挑戦できる。わざと留年したか、どうかは、わからない。

そういうのって、だめなの?高野連が、そういうのダメって決めてるのか?

与謝野晶子

2014-03-28 01:08:14 | Weblog
あゝをとうとよ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ、
末に生れし君なれば
親のなさけはまさりしも、
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとをしへしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや。

君死にたまふことなかれ、
すめらみことは、戰ひに
おほみづからは出でまさね、
かたみに人の血を流し、
獸(けもの)の道に死ねよとは、
死ぬるを人のほまれとは、
大みこゝろの深ければ
もとよりいかで思(おぼ)されむ。

これは、与謝野晶子が1904年の日露戦争に従軍した弟を思って詠んだ歌である。もちろん、素晴らしい歌である。涙がこぼれるほど。と同時に、与謝野晶子の、とてつもない度胸に、タジタジとさせられる。とても私には、そんな度胸はない。
もちろん、当時の国粋主義者で文芸批評家の大町桂月氏、その他の人たちの猛烈な非難をうけた。

自衛隊 憲法九条

2014-03-27 13:46:49 | Weblog
三島由紀夫は昭和45年に、市ヶ谷の自衛隊駐屯地で自決したが。

あの時、三島由紀夫は、自衛隊を憲法違反と、さかんに訴えた。三島は、そのことに憤りを持っていて、諌死したのであろうか。私は全くそう思っていない。三島の創作は、小説と戯曲がメインだが、エッセイや思想的なことも、たくさん書いている。自分の思っていることは、ほとんど書いている。その中で、自衛隊が憲法違反であることを憤っていることを書いたものは無い。太宰治が嫌いで、太宰治を嫌っていることを憤った文は書いているが。

それに自衛隊が違憲で、自衛隊に対する憤りがあるなら、何で、自衛隊に体験入隊したり、その時に、自衛隊に対して批判をしなかったのか?三島の自衛隊の体験入隊は実に、和やかな雰囲気である。

それに、三島は演説の時、自衛隊員に向かって、「諸君は武士だろう」と、さかんに訴えた。これも、全くおかしい。自衛隊員は武士ではない。武士とは、「葉隠」にある「武士道とは死ぬことと見つけたり」とあるように、主君のために死ぬ、人間といっていいだろう。

しかし防衛大学の教育理念や自衛隊では、学生に向かって、国家のために死になさい、とは、決して言っていない。それは、戦前の軍部が言っていたことである。アナクロニズムもいいところである。

国防のために、全力を尽くしなさい、とは、言っているが、戦後の平和主義、人権尊重の観点から、無理はしなくてもいい。生命の危険を感じたら敵に投降しなさい、と言っているはずである。

三島由紀夫も、そんなことは知っているはずである。ここに、三島由紀夫の日本人に対する欺きがある。

だからといって、三島の死に諌死の要素が全くなかったわけでもない。三島は、「経済的繁栄にうつつをぬかし、精神はからっぽになった」とも言っている。このことは三島の切実な憤りである。三島は多くの小説を書いているが、そのこと自体をテーマとした小説は無い。(というより、そういうことは小説のテーマになりにくい)しかし、そういうことを皮肉った文章は、小説の中に頻繁に入れている。だから三島は小説の中で、「経済的繁栄にうつつをぬかし、精神はからっぽになった」ということを訴えてきた、と言ってもいい。三島は怠け者を嫌って、彼らを皮肉ってきた。しかし、怠け者が一念発起して超努力人間になってしまったら、三島は喜んだか、といえば、そうでもない。怠け者が全員、一念発起して超努力人間になってしまったら、三島の存在意義が希薄化してしまう。三島は、怠け者を小説の中で徹底的に皮肉ると同時に、怠け者の存在が三島の猛烈なバイタリティーの源泉でもあった。三島も、長く生きていくうちに、その自己矛盾に多少なりとも悩まされただろう。そして、三島は戦争が終わって何年も経っても、心の中に、戦争、特攻隊の存在が残っていた。人間には二つのタイプがある。戦争が終わって、歳月が経つにつれて、戦争の経験が心の中から消えてしまう人間と、歳月が経っても戦争が心の中に居据わっている人間である。残念ながら、ほとんどの人間は前者である。三島は後者であり、そういう人間は非常に稀なのである。

医師国家試験

2014-03-25 19:17:21 | Weblog
今年の医師国家試験。

総合の合格率は89.8%で、だいたい、いつも通りである。しかし、浪人の合格率が、59.4%と、やたら低い。低すぎる。東大医学部でも浪人は、9人受験して、合格者4人で、合格率44.4%と、低すぎる。(まあ、東大生は、自分の頭の良さに自信を持ってて、試験をなめているのではないか、と私は思っているのだが)私の頃の医師国家試験も、浪人の合格率は、現役より低かったが、それでも、8割は割らなかったぞ。
それ以外の医学部でも、浪人では、東北大学、10人受験、合格者2名、合格率20%、京都大学、16人受験、合格者9人、合格率56.3%、大阪大学、8人受験、合格者4人、合格率50%、慶応医学部、3人受験、合格者0人、合格率0%、となっている。ちょっと、これは信じられない数字である。

今の医師国家試験は、浪人に厳しい試験となっている、ということだろう。

国家試験の勉強法。イヤーノートを教科書として過去問を解く。浪人は、時間にゆとりがあるのだから、テコムとつながりを持って、全科目でなくてもいいから、何か苦手科目を受ける。とすべき、としか、思えない。

確かに、国家試験の過去問は、イヤーノートを使わなくても解ける問題も多い。だからといって、イヤーノートを使わない、というのは、誤りだと思うのだが。

あと、佐山サトルのシューティングジムに行かせてサンドバッグを蹴らせることであろう。

佐山サトル 「ちょっと蹴ってみ」
落ちた京大生「はい」
と言って、サンドバッグを蹴る。バシーン。
佐山サトル 「じゃあ、今度は、思いっきり蹴ってみ」
落ちた京大生「はい」
と言って、サンドバッグを蹴る。バシーン。佐山サトルが京大生に近づいてくる。
佐山サトル 「お前さー。オレが思いっきり蹴れって言ったら、思いっきり蹴らなきゃ」
落ちた京大生「・・・」
佐山サトル 「お前。国師をナメてんの?」
落ちた京大生「いえ。ナメていません」
佐山サトル 「オレ。おもいっきり蹴れって言ったんだぜ。それが、お前のおもいっきりか?」
落ちた京大生「・・・」
佐山サトル 「ナメてんのか?」
落ちた京大生「いえ」
佐山サトル 「おもいっきり蹴ろ。殺すぞ。このヤロー」
と言って京大生を往復ビンタする。京大生、必死にサンドバッグを蹴る。
佐山サトル 「よーし。これさー。自分たちでやって欲しいの。わかるー?」
浪人生たち 「はい」
佐山サトル 「精神的なこと。これも技術のうち。自分でやる気になること。自分でアドレナリンを高めていくこと。わかるー?」
浪人生たち 「はい」

女の黒ストッキング

2014-03-24 01:26:54 | Weblog
今の流行で、女は皆、黒いストッキングというかタイツを履いている。

脚の形のいい美脚の人が黒ストッキングを履くと、セクシーに見える場合もあるが、脚の形がきれいでない人が、黒ストッキングを履くと、その正反対で、非常にグロテスクに見える場合がある。

女は精神の無い画一的なロボットのように見えてしまう。

しかし。女も一人では、黒いストッキングを履いてセクシーさをアピールする、という度胸のいる行為は出来ない。しかし、皆がやっているのだから、その集団の中の一人として、どさくさにまぎれて、多少、破廉恥なセックスアピールも、やってしまいたい、と思って、やっている人も多いだろう。

だから、女は精神の無い画一的なロボットではない。

みんなでやれば怖くない、の、心理、原理から、女は、これからも、もっともっと、どんどん、あの手この手で、破廉恥なセックスアピールをしていくだろう。

診療報酬改定の集団指導

2014-03-23 22:18:12 | Weblog
昨日、診療報酬改定の集団指導に行った。

たいした改定はない。配った資料をその通り読んでいるだけで、こんなのは、資料を病院やクリニックに郵送すれば、それでいいことである。

アフォリズム

2014-03-23 22:14:15 | Weblog
常識は真理ではない。

自分は凡人だと思っている人は、自分の考えの反対が真理である場合が多い。

自分は天才だという絶対的な自信のある人は、その人の思っていることが真理である場合がある。

自分を無にして、他人を知ろう、という気持ちがなければ、自分の類似的な経験というものは、相手を理解する武器とは決して、なりえず、偏見、先入観という弊害にしかならない。

わからないものを自分流に解釈して、わかる、とすることが一番、危険である。

人間は、してはならないことをほど、したがる動物である。


単純バカ人間ほど、「人間とはこういうものだ」とか、「人間はこうあるべきだ」と定義して、それを他人に押しつけて説教したがるものである。

バカとは、自分に理解出来ないことを否定する人間である。

世間の人間は、常識、や、既成概念に無意識の内に集団洗脳されている。

バカにとっては、世間の常識が真理であり、自分の考え、価値観が絶対、正しいと信じており、そういう色メガネを通してしか、人や世間を見れないから、それにそぐわないものは、間違い、として攻撃するか、変態という便利な言葉によって、片づけて、それで終わりである。なので、精神の進歩は死ぬまで起こらない。

当然、ジークムント・フロイト、グフタフ・ユング、エルンスト・クレッチマー、クラフト=エビングの「性的精神病理」などは、チンプンカンプンである。

プーチン

2014-03-19 21:30:07 | Weblog
ウクライナのロシアへの併合。あいつなら、やりかねない。

しかし、プーチン。何者?

元KGBのスパイ。60歳を過ぎて、湖でバタフライで泳いだり、日本の柔道を身につけている。政治家うんぬんは別にして、極めて、面白い、というか、変わり者、というか、笑ってしまう。

ロシアは昔から、ホント、南下したくて、したくて、たまらない。寒いのは、可哀想で、わかるが。

そもそもプーチンの笑っている顔を見たことがない。

織田信長

2014-03-19 18:56:24 | Weblog
織田信長は、敵は女子供まで、情け容赦なく殺した。しかし、これも、信長の性格的な非情さ、か、どうかは、わからない。平治の乱で、平清盛が源義朝に勝って、義朝は死んだが、義朝の子の頼朝は、清盛の母親の助言によって殺さず、伊豆に流罪にとどめた。しかし、この、たった一人の源氏の子に情けをかけたことが、平家を滅ぼす結果となってしまった。

当然、信長もこの事実は知っている。だから、敵に情けをかけることは、自分を滅ぼすことになる、という信念からかもしれない。

条件つきストロークと無条件のストローク

2014-03-12 01:39:24 | Weblog
条件つきストロークと無条件のストローク

ストロークとは、テニスのグラウンド・ストロークのように、交流、心の交流、といったものである。「愛情」と言ってもいい。

条件つきストロークとは、親が満足した時、つまり、学校の成績で良い点を取った時、親の言うことを、はいはい聞く、いわゆる、親にとって素直な性格の時、運動会で一番になった時、教師から誉められた時、などの条件があった時だけ、我が子を愛する行為のことである。これは、本当は、「愛」とはいえない。もちろん、こういう親の場合、学校の成績が悪い時、親に反抗する時、などは、親は子供を愛さない。それどころか叱り嫌う。

一方。無条件のストロークとは。そういう条件があろうが、なかろうが、そんなことは関係なく、「お前は私のかけがえのない子供なのだよ」という気持ちを持っている親の愛情のことである。

子供にとって嬉しいのは、当然、無条件のストロークである。

条件つきストロークの親の子でも、親の愛情は欲しいから、学校の勉強を熱心にして、たとえ偽物でも、親から愛されたいと思い、行動することもある。しかし、子供の性格によっては、親に反発してグレてしまう場合もある。

普通の人間

2014-03-12 00:23:33 | Weblog
大体の普通の人。

健康に生まれ、親から愛情を持って育てられる。高校生、大学生くらいになる頃までには、(親も完全な人間でないから)、親の嫌な点に反抗し、嫌うこともあるが、虐待されない限り、基本的には、親に感謝し、親を愛している。親との人間関係が上手くいっている。だから、大学を卒業したら、親に、いつまでも甘えていていは、いけない、自活しなければならない、という自立心が自然と起こる。そして大学を卒業すると、自立する。これは、嫌々、働くのではなく、親から自立したい、自立しなくてはならない、という感情が自然に起こるのである。それが普通の人間である。

しかし親との愛情関係が無い親子の場合、子供には自立心が起こらない。

「親に愛されなかった子供は、二十歳までに必ず心身的な病気が発症する」

体調が悪い

2014-03-11 23:32:40 | Weblog
春になって、体調が良くなると思ったが、冬よりも悪くなった。

自律神経の切り替えがうまくいかない。

生き地獄である。

体調不良で、創作できない苦しみは、死んだも同然である。創作できないのなら、生きていても仕方がない。

あと三年、健康になれて、創作できるのなら、その後、呂后の人豚、ナチスの生体実験、ファラリスの雄牛、その他、この世の最悪の拷問、処刑になっても、私は構わない。

自立心

2014-03-11 23:31:28 | Weblog
温かい人間に出会い、優しい人に対して、他の人はどういう感情が起こるのだろう。

単純に、その人に近づこうとするのだろうか?

少なくとも私は、優しい人間に対しては、甘えてはいけないと、かえって、その人に近づこうとしない、近づきたくない感情が起こる。

それは、私の人間としてのプライドでもある。それは物心ついた幼児の時から起こっている。

そういう心理は、私だけでなく、多くの人に起こるだろう。

温かい人の存在は、決して人間をダメにしたりしたりしない。

人間はそんな単純な精神構造ではない。

バカは、これがわからないから、

「子供に優しい人間を近づけると、その人に甘えて駄目な人間になってしまう」

と単純に考えてしまうのである。

人間認識が間違っているのである。


寒い

2014-03-07 01:25:27 | Weblog
三月になって、暖かくなるだろうと思っていたが、寒い。自律神経の乱れも続く。今日は、体調悪くて、何も出来なかった。

最高気温8℃最低気温3℃。