小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

天皇制はなくすべきか

2014-02-27 02:30:15 | Weblog
私は右翼でも左翼でもない。ただ愛国心はあるので、日本経済が良くなって欲しいとは思っている。

天皇制はなくすべきか、などと考えている、というと、単細胞人間は、すぐに私を左翼と呼ぶのだろう。そんなことはどうでもいい。

天皇制は国防には、いい存在である。あった方がいい。しかし今は平和な時代なので、戦争が起こることは、まずない。そうすると天皇制の存在意義がなくなる。

天皇制がある限り、日本は経済的に破綻しない、という信仰めいたものを日本人は、多かれ少なかれ持っていると私は思う。それが甘えをつくりだす。これは天皇制のデメリットである。

ただ、皇太子徳仁親王は、政治に関心を持っていそうに見える。やる気も満々に見える。

「憲法第四条。天皇は、憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」

のであって。つまり、国政に関する権限は全く持っていないのである。

しかし、権限は持っていなくても、政治に関する発言は出来るはずである。というより、一見、政治と無関係のように見える発言であっても、この世の全てのことは、厳密に言えば、政治と関係があるのである。政治に全く関係のない発言というものが、あり得るのだろうか?

だから、皇太子徳仁親王が天皇になって、色々と発言すると、日本は良くなるような気がする。天皇は、錦の御旗であり、権限はなくても、その発言の威力は大きく、たとえば、皇太子徳仁親王が、「憲法は改正した方がいいと私は思う」と一言、いったら、議会でも、憲法改正案が通りやすくなる。

生麦事件

2014-02-27 01:28:40 | Weblog
生麦事件とは、幕末で、薩摩藩士がイギリス人4人を斬りつけた事件である。ノルマントン号事件などでもそうだか・・・。

生麦事件に怒ったイギリスは、薩摩に戦争しかけてきた。薩英戦争である。生麦事件では、切り掛けられたイギリス人、4人の内、1が人が死亡、2人が怪我をした。4人はイギリスのVIPではなかった。死傷者一人に対して、国家が戦争をしかける、というのは、私の感覚では、あまりにも、行き過ぎである。しかも大名行列という日本の慣習を知らなかったからである。外交で解決できる問題である。

これは、殺された一人のイギリス人に対するイギリス全国民の、怒り、であるが。たった一人の、自国の国民が殺された、というだけで、そんなに怒るものだろうか。

これは、自国の国民の一人が殺された、という事実に対する怒り(私には、愛国心とやらがないので、わからない)も、あるだろうが。自国の国民とはいえ、親類縁者でなければ、赤の他人である。

それよりも、たった一人の人間でも、自国の同胞が殺されて、謝罪しない、反省しない、という薩摩藩の態度に対する、怒りの方が、よっぽど大きな怒りである、はずである。それなら、イギリスが薩摩に戦争をしかけても、もっともである。

それは、現代でも、変わりない。

武力

2014-02-26 03:51:55 | Weblog
国家と国家の外交は、人間の個人と個人の、付き合い、外交と、ほとんど同じである。最終的に、ものをいうのは、力なのである。国家で言えば武力であり、個人で言えば、腕力なのである。たとえば。議員のアントニオ猪木と論戦する時。もちろん猪木は、殴りかかってはこない。それは、双方ともにわかっている。しかし、猪木と話す時、やはり、こわさ、は感じられずにはいられない。いざ、ケンカとなったら、こっちは必ず、負けるという恐怖、猪木にしてみれば、絶対、相手をノックアウト出来る、という自信は、無視することができない。つまり、暴力というものは、行使しなくても、持っている、ということだけで、相手に対する威嚇となり、相手に、攻撃を起こさせない、という気持ちにするのだ。国際連盟だの、軍事同盟だの、を如何に強固に約束しようが、それが守られるという保証など、というものは、ないのだ。軍事同盟など、過去の歴史において、いくらでも平然と破られている。それに、軍事同盟は、建て前と本音は違う。なので、この世に信用できるものは何もない。絶対的に信用できるものは(情けないことだが)武力なのだ。

雪の戦争

2014-02-18 18:22:12 | Weblog
「気象庁は18日発表の予報で、九州南方沖から東へ位置する前線や低気圧は日本列島から遠く離れているため、九州から関東にかけての太平洋側の大半の地域では雪は降らないとの見通しを示した。17日午前の段階では、雪が降る可能性があるとの予報だった。19日は九州南部で雨か雪が降る所がある見込みだが、19~20日の太平洋側は曇りか晴れの所が多いと予想される。」

(時事通信 2月18日(火)14時22分配信)

二週連続の大雪で、大変、不便であった。今週の中頃にも、また雪が降るとの予報たっだので、「はあ。またかあ」と溜め息をついていたところだった。

しかし、今週は雪は降らないでくれる。ようだ。助かった。おそらく、今年はもう、こんな大雪は降らないだろう。もう一度くらい、降るかもしれないが、生活に差しさわりのあるほどの大雪はふらないだろう。

まるで太平洋戦争が終わって、ほっとした日本人達の心境に似ている面がある。

核戦争

2014-02-17 15:38:47 | Weblog
「核兵器、核爆弾、核ミサイル、を使ったら人類は滅亡する」(命題1)

というフレーズをお題目のように唱え、信じている人が多いのではないかと思う。しかし私はそうは思わない。

「どこかの国が核兵器を打ち込んできたら、打ち込まれた国も核兵器で反撃する」(仮説1)

ということを当然のように思っているから、命題1を信じてしまうのである。

確かに、核兵器を打ち込まれたら、核を打ち込まれた国は、相手の国に、核兵器を打ち込んで反撃したくなる感情は当然、起こるだろう。

しかし、そうやって核のやり合いをやってしまっては、自国だけではなく、人類が滅んでしまう、ということは、わかっているはずである。

だから、核を打ち込まれても、激しい憤り、憎しみをじっと我慢して、国際連盟に訴える、という手に出るだろう。

国際連盟は、核を打ち込んだ国を徹底的に非難して、国連裁判にかけるし、全世界が、核を打ち込んだ国を徹底的に避難し、経済制裁し、膨大な賠償金を払わせ、その国とは、もう、付き合わない、ということになるから、結局は、核を打ち込んだ国が滅んでしまうだけである。

つまり、命題1が真でないのは、仮説1が間違いだからである。

スキーのジャンプ

2014-02-17 06:13:44 | Weblog
誤解している人がいるかもしれないと思うので。

スキーのジャンプの選手は、アルペンスキーが出来るか、といったら、出来ない人もいるだろう。もちろん、アルペンスキーが好きで、アルペンスキーを練習した人なら滑れるが。(ノルディックスキーは、技術が難しくないので、誰でも出来る)

スキーのジャンプは、ジャンプすることだけにスポーツとしての意味があるのであって、スキーの技術は、止まるためのエッジングの動作だけなのである。エッジングはスキーの谷回り、というかプルークであり、谷回りは、簡単な技術なのである。

スキーの技術で難しいのは、エッジを切り替えた後の、ターンの前半の山回りの技術である。これは、スキーを回す技術、スピードをコントロールする技術であって難しいのである。これが出来れば、後半の、エッジングで加速していく技術は、もうほとんど出来たも同然なのである。

それは、ちょうど体操競技と似ていて、体操競技のほとんどの技で言えることであるが、たとえば前方宙返りでは、踏切りと、体を抱え込む、運動の始めの技術が難しいのであって、それが出来れば、着地で体を開いていく動作は、意識しなくても体が、平衡感覚によって、自然に開いていくのと同じである。

スキーのジャンプは、高飛び込みの選手と同じで、高飛び込みでは、飛んだ後、死なないため、クッションである、水に入るのであって、泳げる必要は全くないのと同じである。

ソチオリンピック

2014-02-15 13:13:37 | Weblog
相手のミスを心から望み、相手がミスしてくれたおかげで金メダルをとれたことを心から喜ぶ選手や国民の心理が、私には全くわからない。

相手のミスや怪我、0.1秒の差で負けて、もう一度やれば、結果が逆転するような、そんな勝敗に何の意味があるのか私には全くわからない。

金メダルがそんなに欲しいのか。そんなに価値のあるものなのか。

まあ金メダリストという肩書きは、一生、有利に働くが。私には、くだらないことに見えてしまう。

しかし、古橋廣之進のように、明らかにオリンピックで金メダルをとれる実力があるのに、不運で、取れず、世界記録達成者という、肩書きでとどまってしまう、のは、やはり、その人に対する見る目が、どうしても低くなってしまう。

なので、やはり実力だけではなく、メダル獲得に、こだわるのは仕方がない面がある。

「古橋廣之進は明らかに金メダルをとる実力があった。彼は世界新記録を何度も出した」という、説明よりも、金メダル獲得という、説明無用の栄誉の方が歴然とわかりやすい。

死ぬ時

2014-02-14 16:52:07 | Weblog
私は、畳の上で死にたいとは思わない。

まあ、まだ死ぬ予定はないが。

私は死ぬ時は、ダイナマイトを腹に巻いて、拳銃を持って、暴力団事務所に、殴り込みをかけて、ダイナマイトに火をつけて暴力団事務所を爆破させて死にたい、と思っている。

ということなので、暴力団関係者の方々は、くれぐれも、ご注意ください。

「てめーら、命が惜しいんだろ」

「このハンチク野郎ども。命が惜しかったら、ヤクザ稼業なんざ、やるんじゃねえ」

山中鹿之助

2014-02-14 01:43:46 | Weblog
戦国時代の武将、山中鹿之助は、「天よ。願わくば我に七難八苦を与えたまえ」と祈った。

自分に試練を課して、自分を磨くためである。しかし、試練の程度は、自分を鍛えられる程度のものだったことは疑う余地がない。片足を切られたりするような試練をされては、行動できなくなり、自分を磨くことも出来なくなる。

私も、何か困難なこと、嫌なこと、が起こると、「嫌だなあ。避けて通りたい」とだけは思わない。

何か困難なことが起こると、私は、「さーて。このややこしい問題を、このオレ様の天才的な頭脳で、どう解決してやろうか」と、やりがいも起こるし、問題を解決した時には、最高の喜びが起こる。

文部科学省はバカ

2014-02-14 01:16:55 | Weblog
文部科学省は、覚えるだけの勉強では思考力が身につかない。だから、考える勉強が大切だ、と、以前から主張している。

これは、私は、全くバカげた、考え方だと思う。そもそも人間は、生まれながらにして、考える能力をもっているのである。

(程度の差はあれ)ものを考えない人間というものが、はたして存在するのだろうか?

より深く、物事を考えられるためには、考えるための道具である知識のストックが頭の中に、より豊富にある人間が勝つのである。

政府は、人間認識が全然、間違っている。彼らは、人間をコンピューターと見ているのだろう。

コンピューターは、インプットされた多くの情報を、そのままの形でしかアウトプット出来ない。

しかし人間は、インプットされた知識を使って、考えるから、コンピューターと違って、インプットされていない考え方や意見がアウトプットされて出てくるのである。そこに人間の尊厳もある。

だから、教育は、知識の詰め込み教育でいいのである。

そもそも役人や政府の考えることは、ロクなことがない。

まだ冬

2014-02-13 22:09:06 | Weblog
二月になったら、厳しい寒さは、やわらいでいくだろうと思っていたが、また寒波が来た。日中の最高気温3℃最低気温1℃

冬は12月1月2月の三ヶ月。三月になれば暖かくなってくるだろう。

復讐するは我にあり

2014-02-13 05:56:42 | Weblog
「汝、復讐するな。汝、自ら復讐するな。復讐するは我にあり」

(ロマ書十二章十九説)

キリストの言葉である。キリストは言ってはいないが、キリストは、まず、こうも言うだろう。

「汝、許すな。汝、自ら許すな。人を許すは我にあり」と。

「自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない」

(マタイ伝10章33節)

私には自分の十字架を投げ出そうする、自称クリスチャンの心理がわからない。

私は自分の十字架は死ぬまで背負う。

許しとは、人に求めるものではなく、神に求めるものである。

私か誰か人を傷つけたら、私は相手に許されたいとは思わない。それ相応の罰を神から受けたい。

私には自分の行為の責任をとりたがらない人間の心理がわからない。

形式より実質

2014-02-09 04:29:48 | Weblog
もちろん私も、(以前にも書いたが)季節にともなう行事や儀式や縁起や祭などは好きである。それは人間の本能的なものだと思う。

しかし、私は非常に、形式より実質を重んじる性格である。

私は、無神論者でキリスト教徒ではないが、イエス・キリストの思想は非常に敬意を払っている。しかし私は、床に聖書があっても、平気で踏んでいく。仏教聖典も、尊敬する池見酉次郎先生の本でも、同じである。

しかし私の思考では、聖書を踏んだから、キリストの思想を冒涜した、とは、考えないのである。仏教聖典を踏んだから、釈迦を冒涜したとは考えないのである。

それは単に物理的な現象としか私はとらえていない。古くなった聖書を焼き捨てても、何の抵抗も感じない。聖書を踏むことがキリストの教えを冒涜する行為だとは私は考えない。それより、聖書を大切に保管して、手入れしても、キリストの理想の教えを、本気で求めようとしないことの方が、ずっとキリストに対する冒涜だと思っている。

江戸時代のキリシタン弾圧の、踏み絵に、私は非常に疑問を感じる。踏み絵は、幕府が作った単なるキリストを模ったレリーフではないか。それを踏むことがキリストを冒涜することなのか?

それよりも、そんな幕府が政治的意図でこしらえた形だけ似ている偶像の崇拝を重んじて、神がさずけた尊い命を無駄に捨てることの方を、神はずっと、お嘆きになると思うのだが。

白痴マスコミ国家における権威というものの絶大な威力

2014-02-09 02:02:01 | Weblog
Yahooにおける見出しの8つのニュースでは、重大なニュースも当然あるが、ニュースがない時は、某芸能人が転んで尻もちをついた、だとか、某スポーツ選手が今年の目標を語った、などという、くっだらない、全く取るに足らない、ことが日本の8大ニュースの一つとして、デカデカと見出しに出る。全くバカげている。芸能人が風邪をひいてもニュースとして、大見出しに出る。全くバカげている。私は、そんなこと全く興味ない。そして、全く、くだらないことだと思っている。

当然、世の人間たちが、そういう、くっだらないことに非常に関心を持っているからである。ニュースがなければ、ある町の議会で、(小さなことでもいいから)ある条例が決まった、とか、どこかの高校には、面白い部活があるとか、の紹介とかの方が、私には、ずっと興味があるし、面白い。

世の人間は、スポーツ選手や芸能人の、好きな食べ物、とか、愛車は何かとか、朝起きが早い、とか、要するに、その人のことに関することには、全てにおいて、非常に興味を持っているらしい。私から見れば、バカバカしいの一言に尽きる。そんなの、どうでも、いいじゃんか。である。テレビの番組中に、おならをしてもビッグニュースになる。くっだらない限りである。、

スポーツ選手や芸能人だと、世間の人は、その人のサインだとか、その人の使ったバットだとか、が宝物になるらしい。私にはその感覚はわからない。私にも、好きな芸能人やスポーツ選手はいるが、そんな物、全く欲しいとも思わない。欲しがるのはフェティシズムの心理からである。

しかし、私も、iPS細胞の研究でノーベル賞をとった山中伸弥教授のサインなら、(熱烈にではないが)、欲しいと思う。しかし、さほど目の色を変えて欲しいとも思わない。

ブログにしても、面白いブログは、ほとんど無い。一人だけ、かかさず毎日、見ているブログがある。無名の人である。

芸能人やスポーツ選手のブログだと、「焼肉を食った。うまかった」のたった一言と、焼肉の写真だけで、1日で、数千人の閲覧と、百人を超すコメントが寄せられる。私には、そのバカバカしい心理がわからない。

これを称して、「白痴マスコミ国家における権威というものの絶大な威力」と呼ぶのがふさわしい。と思う。

また、これは、世間の人間の関心だけの問題ではない。マスコミに視点を向けると。世の中には、無名の町や人でも、面白い話題はたくさんあるはずである。しかし、そういうのを探すのは、面倒である。それよりも有名人に、金魚のフンのように、くっついていて、有名人の、どうでもいいような発言を書く方が、楽だし、世間の人間も、有名人に関すること、というだけで、一応、目を通すからだ。

要するに、大手マスコミの記者、は楽をしたい、と考えているだけで、情熱のあるジャーナリストは、いない、ということである。

経済学

2014-02-08 15:27:04 | Weblog
もしかすると誤解している人がいるかもしれないが。

経済学、とは、「お金」、の学問ではないのである。

では何の学問か、といったら、それは、「価値」の学問である。

人それぞれによって価値は異なる。たとえば、プロ野球のネット裏の良い席のチケットも、プロ野球に関心のない人には、紙クズである。

ただ、お金は、全ての人に共通して価値のあるもの、であるから、経済学を、お金の学問、と言っても、誤りではない。のである。