「自衛隊は暴力装置である」
と以前、民主党の仙石由人元大臣が言った。それは、その通りである。戦闘機や戦車および兵器、武器を持っていること、および、それを扱える人間がいること。つまり軍隊を持っているということは、クーデターを起こせる、ということ以外の何物でもない。逆に言うなら、戦闘機や戦車および兵器、武器を持っていないこと、および、それを扱える人間がいないこと。つまり軍隊を持っていない、ということは、物理的に、クーデターを起こせない、ということに何の間違いがあるというのだ。シビリアン・コントロールや、自衛隊の規律、統制なんてものが安全の絶対の保障になるというのか。なりはしない。人の心まで統制、洗脳することなど出来ない。自衛隊員の心の中までは、わからない。彼らの中から、クーデターを起こそうと思う人間が出たら、その人(その人達)は、クーデターを起こせるのだ。一国が軍隊を持つ、ということは、軍隊の中から、反乱分子、革命勢力を産み出せる、ということ以外の何物でもないのだ。二・二六事件、五・一五事件、にしても、そうではないか。逆に軍隊を持っていないということは、(絶対とは言えないが)クーデターを極めて起こしにくい、ことなのである。棍棒で拳銃に勝つことは極めて出来にくい。しかし、反乱分子の数が多くなったり、また、警察官や自衛隊員の心が変わったら、それは意味をなさなくなる。革命とかテロとかは、人の心から生まれるのである。たとえば戦闘機で訓練中の自衛隊員が「中国はけしからん国だ」と思って中国へ飛んで行き、中国を攻撃することは簡単に出来てしまう。だから連合軍マッカーサーが、日本を戦争の出来ない国にするために、憲法九条で、「陸、海、空軍は、これを保持しない」と明記したのである。
だから自衛隊を「暴力装置」と言って何の間違いがあるというのだ。軍隊は、全て、「暴力装置」である。自衛隊員の頭はコンピューターではない。
解釈の仕方で、集団的自衛権が合法にしようなどと、政府は、いい加減にしろ。ただでさえ日本は憲法違反の国だぞ。ちゃんと、憲法九条を、「専守防衛、自衛のための軍隊は、これを保持する」と改正してから、自衛権の行使範囲の議論をしろ。
ちなみに私は右でも左でもない。タカでもなければハトでもない。
と以前、民主党の仙石由人元大臣が言った。それは、その通りである。戦闘機や戦車および兵器、武器を持っていること、および、それを扱える人間がいること。つまり軍隊を持っているということは、クーデターを起こせる、ということ以外の何物でもない。逆に言うなら、戦闘機や戦車および兵器、武器を持っていないこと、および、それを扱える人間がいないこと。つまり軍隊を持っていない、ということは、物理的に、クーデターを起こせない、ということに何の間違いがあるというのだ。シビリアン・コントロールや、自衛隊の規律、統制なんてものが安全の絶対の保障になるというのか。なりはしない。人の心まで統制、洗脳することなど出来ない。自衛隊員の心の中までは、わからない。彼らの中から、クーデターを起こそうと思う人間が出たら、その人(その人達)は、クーデターを起こせるのだ。一国が軍隊を持つ、ということは、軍隊の中から、反乱分子、革命勢力を産み出せる、ということ以外の何物でもないのだ。二・二六事件、五・一五事件、にしても、そうではないか。逆に軍隊を持っていないということは、(絶対とは言えないが)クーデターを極めて起こしにくい、ことなのである。棍棒で拳銃に勝つことは極めて出来にくい。しかし、反乱分子の数が多くなったり、また、警察官や自衛隊員の心が変わったら、それは意味をなさなくなる。革命とかテロとかは、人の心から生まれるのである。たとえば戦闘機で訓練中の自衛隊員が「中国はけしからん国だ」と思って中国へ飛んで行き、中国を攻撃することは簡単に出来てしまう。だから連合軍マッカーサーが、日本を戦争の出来ない国にするために、憲法九条で、「陸、海、空軍は、これを保持しない」と明記したのである。
だから自衛隊を「暴力装置」と言って何の間違いがあるというのだ。軍隊は、全て、「暴力装置」である。自衛隊員の頭はコンピューターではない。
解釈の仕方で、集団的自衛権が合法にしようなどと、政府は、いい加減にしろ。ただでさえ日本は憲法違反の国だぞ。ちゃんと、憲法九条を、「専守防衛、自衛のための軍隊は、これを保持する」と改正してから、自衛権の行使範囲の議論をしろ。
ちなみに私は右でも左でもない。タカでもなければハトでもない。