小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

佐々木さやか

2013-07-24 09:01:26 | Weblog
さっそく、佐々木さやか、さんのWikipediaが出現した。池上彰が、公明党と創価学会の政教分離のことを、質問していたが、つまらないことを質問するべきではない。免税処置を受けている創価学会が、宗教施設を使いまくって、選挙活動をしていることも、佐々木さやかさん、のような、綺麗で純粋で、真面目で粘り強い人は、例外であると考えるべきだろう。

キャサリン・ミドルトン

2013-07-24 06:12:31 | Weblog
英国王室のキャサリン妃が第一子を産んだ。男の子でよかった。キャサリン妃は、まれにみる、癒し系女性である。こんな、見ているだけで癒される女性は珍しい。ウイリアム王子もハンサムなので、彼女だけが、騒がれることがないのがいい。お似合いのカップルである。

宴の後

2013-07-21 22:53:15 | Weblog
佐々木さやか、さんが当選した。まあ、当たり前だが。彼女が日本を確実に良くする。

丸川珠代は、もう興味ないので当選せんでもええ、が、当選した。もう彼女には興味ないが。

自民党の汚物、西田昌司も、残念なことに当選した。まあ、当たり前だが。極めて遺憾である。

選挙予想

2013-07-20 19:14:46 | Weblog
明日の参議院選挙の予想。私はエコノミストでもないし、そんなに日本の現状を知っているわけでもないので、たいして当たらないだろうが。まず自民党と公明党が議席を増やし、ねじれが解消されるだろう。アベノミクスの副作用で深刻な経営困難になっている中小企業は、もちろん自民党には入れないだろうが。大企業だけ、とはいいながらも、一応、日本の経済は快方に向かっている。政治に利害関係がなく、政治に関心を持っていて、投票に行くような偉い人は、日本の政治の停滞に、うんざりしているはずである。年金にしても、保育所にしても、いい加減、ちゃんと、一貫した法案を作って、それを通し、実行して欲しい、と思っていると思う。もう、本音は党益の拡大しか頭にないのに詭弁を弄しつづける、実行力のない、社民党や共産党は、まず伸びないだろう。それと憲法改正である。憲法9条改正、即、戦争する国、などと社民党や共産党は言っているけれど、自衛権はちゃんと明記し、もういい加減、自衛隊の中途半端な、まだるっこしい立場を解消して欲しいものである。自衛隊を軍隊と認める、ただそれだけのことで、他国(中国や北朝鮮)は、日本をなめれなくなり、かえって日本を威嚇しようという気が起こりにくくなり、ひいては戦争も起こりにくくなる。どんな動物でも、unjustis injury に対し、自衛する武器は持っている。しかし、日米同盟によって、日本の国益にならない無意味なアメリカの戦争にまで、もっと協力しなくてはならなくなると思うと、むかつく。まあ、当分はオバマが大統領でいてくれるからいいが。ブッシュみたいのが、また、ぶり返して大統領になったら、非常に困る。
維新の会は、橋下氏の従軍慰安婦に対する非常に悪い暴言があったが、それほど議席は減らないと思う。暴言は失言であり、今後の政治に対する行動力とは、別の物である。国民は、行動してくれる人に対し、期待し、暴力的であっても、橋下氏は、改革の行動をしている。しかし、石原慎太郎氏には全く期待していない。氏は、東京都知事をやって、政治を動かせないのは、官僚の縦割り行政と、単式簿記ということを痛感し、さかんにそれを主張しているが、主張しているだけで、どうやったら、日本の官僚独裁支配を崩せるか、ということの具体的、現実的、解決策を何も提示してないし、出来ない。氏は、吠えているだけである。しかし、熱心に吠える人さえいなくなったら、日本はもっと悪くなる。したたか自民党が、ますます、したたかになる。まあ、氏は確かな野党人とでもいうべきか。では、どうやったら日本の官僚独裁支配を崩せるか。それは、官僚の採用基準を、東大法学部卒だけでなく、アントニオ猪木のような、腕力が強く、正義感も強いような、こわい人間を、ある程度の人数、入れてみたら、少しは良くなるのではなかろうか。

再度。佐々木さやか

2013-07-15 20:15:18 | Weblog
参議院選挙の活動が始まった。佐々木さやか、さんは、もう戦わずして当選確実である。一体、どの位の票が入るがが関心事である。そうとうの票が入るだろう。しかし、神奈川では、狭い路地裏にまで、ポスターが貼ってあって、ポスターの量は膨大である。

そもそも彼女は弁護士だが、親に命じられて弁護士になったのでは、当然、ないだろう。(弁護士は世襲性のある仕事ではない)弁護士になりたいという彼女の志からだろう。そもそも彼女は大学は法学部を選んだ。これも彼女の意志だろう。すると、高校の時から、将来は、法律に関する仕事をしたい、と思っていたことになるのではなかろうか。

選挙活動が始まって、You-Tubeで、彼女の映像が増えた。前は、一つだけだった。彼女は、決して、公明党にそそのかされて、公明党の看板ガールとして立候補したのではない。信じられないことだが、彼女は弁護士では、法律の限界を感じて政治家になろうと志したのである。つまり彼女の意志である。おそらく、まず、彼女も(彼女の親も)創価学会の会員だろう。と推測する。彼女は創価大学を出ているのだから。信じられないが、こういう純粋な人もいるのである。純粋なだけ、口はあまり達者ではない。

しかし、結果として、公明党としては、こういう綺麗で、本気のやる気のある人が、立候補してくれたことは、公明党の人気アップの効果があって、嬉しいこと限りないだろう。だから、選挙活動でも、公明党は彼女に対し、ものすごく全面的に協力している。

しかし彼女が参議院議員になったら、どうなるのだろうか。ちょっと、想像がつかない。しかし、彼女は純粋だから、小賢しい計算などせず、自然体で、淡々と質疑し、そして、神奈川県民の面倒の悩みや相談を引き受けようとし、自分の国政に対する考えを発言するようとするのだう。まあ参議院の限界もあるが。今はまだ、政治家を体験していないから、議員になったら、どういうふうになるのか想像もつかないが、かなり伸びるように感じる。

ニューハーフ考察

2013-07-11 02:48:00 | Weblog
たまたまニューハーフの動画を見て、美しいニューハーフに魅力を感じた。

もしかすると、どんなに美しい女より、美しいニューハーフの方が魅力があるかもしれない。

まず性器の問題。男の性器は、はっきりと生殖器官として目に見えて、存在する。男の視点や男の感性から見れば、男のマラと金玉は、美しくなく、むしろグロテスクに見える。しかし、女の性器は、というと、・・・存在しないのである。女の性器は、男の性器を受け入れるための役割として、むしろ欠けている組織なのである。つまり女には性器がないのである。女の視点から見ると、はっきりと存在している男の性器は、非常に魅力的に見えるだろう。だから、フェラチオなんて行為は、男の視点から見ると、淫乱な女にだけ起こる汚い行為のように見えるが、女の視点からすれば、ぜひとも、やりたくて、仕方がないほどの欲求を起こさせるのである。

ここらへんのことは、古典精神分析学のフロイトの考察に近いが、確かに当たっている面があると思う。

そしてもう一つ。男には、どっしりとした不動の精神がある。もちろん女にも精神はあるが、男の精神と比較した場合、女の精神は、男のように、どっしりとした物ではなく、非常に軽い軽率な薄っぺらな物である傾向がある。(一応、学問的考察なので、女性差別、云々は言わないで頂きたいものである)

そして、これは感覚的なことなのだが、女の精神が薄っぺらな原因は、女には性器がなく、性器といわれているものは、単に閉じられた形をしているだけであって、体の欠けた穴であり、消化器官と同じように、精神が女の穴から入っても、それは体の中で、どっしりと、とどまることが出来なく、頭からつつ抜けに体外へ出て行ってしまうような感覚を感じさせる。というか、体に穴が開いているから、そこから精神が抜け出でしまう、ような感覚を起こさせる。

一方、男には、体に欠けた穴というものがないから、それが、精神を外へ逃がさず、どっしりと体内にとどまって存在しうるのである。

ちゃんとした性器を持っていて、どっしりとした精神を体内に持っていて、それでいて、外見だけは女と変わりなく美しければ、これは外見が美しいだけの女以上に、魅力的に見えるのは、当然ともいえる。

それと、もう一つは、(当たり前のことだが)、男でありながら女に変身している、という、まれな特殊能力を持っていることの魅力である。というか、男でありながら女のように美しい、という不可能なことを実現している事実に対する魅力である。

しかし、だからといって、美しいニューハーフが、恒久的に、美しい女より、魅力的でありつづけることは、あり得ない。当たり前のことだが、男同士では子供が生まれない。女の子宮は、男にとって、そこから生まれてきた、生命の故郷であり、苦しい時、男はそこへ戻りたい、という子宮回顧願望が起こり、そしてニューハーフには、本物の乳房が無い。乳房だけではなく、曲線美のある女の体がない。声もニューハーフでは女の声が出せない。というか存在しない。そして、精神にしても、よくもあしくも、長所欠点をあわせ持っていても、それが女の精神なのだから、それが女を女たらしめいてるのだから、男は、それを求め、受け入れるしかない。否。女の精神というものは、先天的なものもあるだろうが、多分に、女に生まれた、という生物学的条件によって形成されている、と見るべきだろう。

だから、美しいニューハーフの魅力は、一時的なものであって、結局は、男は女にしか魅力を感じられないのである。これは生物学的な宿命である。

体罰。しごき

2013-07-10 00:37:52 | Weblog
スポーツや教育において、体罰とか、しごき、のことがさかんに言われている。体罰は暴力で言語道断、という意見が多いように見受けられる。体罰肯定の意見は少ない。しかし私は、体罰(体罰という言葉は私にとっては適当ではなく違和感を感じるのだが)を無条件に否定する者ではない。体罰とか、厳しい訓練とかが、選手の技術を上達させるケースもあるからである。(もっとも、そういうケースは、非常に数少なく、そして、それは結果論であって、基本的に肯定すべきものではない)もっとも、もし私が指導者だったら、優しすぎてしまって、それが問題になりかねない。

いい例がある。You-Tubeで、「佐山サトル」で検索してみれば、出てくるが。初代タイガーマスクの佐山サトルが、どこかの大学のシューティング部の合宿の訓練で、まさに一見すると、暴力的な荒っぽい体罰指導をしている画像が出てくる。一見すると、言語道断の体罰指導と、とらえてしまう人もいると思う。しかし、はっきり言っておくが、あれは素晴らしい暴力的指導である。私は、あの指導を完全肯定する。佐山サトルは、選手たちに、シューティングが上手くなってほしい、優れたシューティング選手になって欲しい、というのが、佐山サトルの、思いだからである。佐山サトルは、非常に頭がいい。どう指導すれば、上達するか、という論理をしっかりと理解している。本で読んで研究したのか、直観力からかはわからないが、おそらく、彼の頭の良さからして、直観力からだろう。

しかし、世の中で行われている、体罰指導の9割は、言語道断の、無能でバカな指導者どもの、勝利至上主義の、すぐやめさせるべき悪質な暴力体罰である、と私は推測している。すぐにやめさせるべきである。私もテニススクールで指導者を見てきているが、今、所属しているテニススクールのコーチの全員は、白痴である。思考力0である。

ただ、困ったことは、言語道断の暴力的体罰指導でも、選手の技術が上手くなるケースも、あることがあるのである。もちろん、世の中の思考力0のバカ指導者どもの指導では、技術が上手くならないケースの方が多いだろうし、さらに、せっかく、あるレベルまでは上達できる能力を持っているのに、思考力0の暴力的バカ指導者どもに、運悪くかかってしまうと、伸びる能力があるのに、つぶされてしまうケースや、さらに嫌になってやめていくケースも、そうとう多いことだろう。むしろ、そのケースの方が多いだろう。

体罰的指導とか、厳しい指導、というものには、ちゃんと論理があるのである。優しいだけの指導では、伸びないケースもあるのである。佐山サトルのような頭のいい人間なら、書物に頼らずとも、直観力だけで、それを見抜けるのだが、世のスポーツ指導者の多くは、バカだから、指導や上達の論理を学ばせる規則を作ったらいいと、思うのだか。おすすめの本は、南郷継正氏の「武道の理論」や氏の他の本である。氏は、「しごきの理論」というものを、論理的に正しく書いている。「しごきの理論」なんてものを、正面切って書いている人は、他に思いつかない。あるいは、スキーのSAJの指導理論も、非常に優れている。

だが仮に、指導者にそれらの本を読むよう義務づけたとしても、まずダメだと思う。彼らは、真剣に読もうとしないだろうし、そもそも理解できない、というか、理解しようと努力しないだろうし、軽い気持ちで読み流すだけで、読んでも、さっぱりわからず、読んだ翌日には、全て忘れているだろうから。私は多くの指導者や教師を見てきたが、非常に残念なことであるが、やはりバカは死ぬまで治らないのである。

「彼らは見ても見ようとせず、聞いても聞こうとせず、理解できないのである」(マタイ伝13章)

もう一つ、重要なことに、選手の指導者に対する「愛」、あるいは逆に、指導者の選手に対する「愛」というものがある。スクールウォーズのモデルの伏見工業高校ラグビー部を京都一までの強豪にしたのは、山口良治先生の生徒に対する「愛」であり、生徒の山口良治先生に対する「愛」である。

容疑者Xの献身

2013-07-07 02:03:37 | Weblog
東野圭吾先生の「容疑者Xの献身」を昨日テレビでやっていたので見た。ちょうど、小説を読みかけていた所だった。東野圭吾先生の作品は、かなり前に、「×笑小説」を読んで、凄い才能だと思った。一番の理由は、文章がきわめて読みやすい文体であること。確実に読者を満足させている所。ユーモアがある所。ちょっとエッチな物も書けること。などである。しかし私は、その後、氏の作品を意図して読まなかった。その理由は、私も、一応、小説を書いていて、これからも一生、書き続けるつもりだが、私は楽しむためには小説は読まない主義であるからである。自分の創作の糧になるものを私は選んで読んでいる。いわば創作のヒントのためである。それで氏の作品を読むのは、危険ではないか、と思ったからである。いい作品を読んでしまうと、自分が書けなくなってしまう危険があるからである。しかし今は、その危険は感じなくなった。

さて「容疑者Xの献身」の感想。

私は、以前から、そもそも推理小説は読みたいとも、書きたいとも思わなかった。それは、推理小説は、再読できないからである。やはり、推理小説は、読者にとっても、作者にとっても、なぞ解きの小説であって、一読して、なぞが分かった後では、再読しようという気が起こらないからである。

まず最初に思った違和感。花岡靖子と娘の美里が、別れた夫の富樫を殺すが、母娘は自首していれば、情状酌量が十分、あり得るはずである。悪いのはダニのように、つきまとう富樫であるのだから。

二番目の違和感。石神は、自分が殺人の罪をかぶって花岡親子を救おうとする。しかし、天才ともいわれる石神が、花岡靖子のような徳性の優れた人間が、石神の献身的な自己犠牲を知ったら、自分たちだけが幸せになることなど出来ず、本当の事を言ってしまう、という推測は天才でなくとも凡人でも容易に出来るはずである。ここに無理がある。

三番目の違和感。花岡靖子は、徳性の優れた女性であり、石神が彼女を好きになったのも、そのためだが、石神が必死になって花岡親子を救おうと頭脳と行動をフルに発揮して、花岡親子を献身的に守ろうとする。自分も犯罪に加担するほどに。そのように自分に対して命がけで尽くしてくれる石神に対し、ありがたい、という感謝の思いだけしか起こらないというのも、不自然である。花岡靖子は、石神に対し、強く慕う気持ちが起こる方が普通である。はたして命がけで自分を守ってくれる人に対して、ありがとう、という、お礼の感情しか起こらない朴念仁がいるだろうか。

石神が罪のないホームレスの人を殺すのも無理がある。

さて、批判的なことを書いたが。

東野圭吾氏は、これらの無理は、当然わかっているだろう。しかし、氏の才能というか、情熱は、まさに、この無理を突破する勇気にあると思う。現実性に無理がある、だから書けない、といって、書かないで終わってしまう作家は非常に多いと思う。実際、無理のない見事な推理小説も多くあるだろう(私は推理小説を読まないので、よくは知らないが)しかし、超多作で、連載という形式で十分に構想を練ることが出来ないが、それでも、文芸評論家や読者の批判も覚悟の上で、書くという氏の勇気は立派である。そして、一つの作品を書くことによって、より質の高い、作品の着想を得て、書いているのだろう。