今年、亡くなったモハメド・アリ、は、自分の敵は、アメリカの白人すべてだ、と、主張していた。
もちろん、モハメド・アリは、アメリカの白人すべてが、黒人差別をしている、とは、思っているはずがない。
白人でも、黒人を差別する白人もいれば、差別しない白人もいる。
そんなことは、モハメド・アリ、も、十分、承知していたに決まっている。
では、なぜ、モハメド・アリ、は、乱暴な言い方をしたのか。
それは、たとえば、武田邦彦先生は、NHKの、クローズアップ現代の、やらせ、や、政権批判の手ぬるい八百長傾向、に、激しい、憤りを感じている。
「NHKは詐欺だ」の一言で、断じて批判している。
武田邦彦先生のNHK批判を聞くと、NHKの、全てが、悪いように、聞こえてしまう。
しかし、NHKだって、内容のいい番組だって、作って放送している。
むしろ、民放の、ワイドショーや、バラエティー番組など、騒々しいだけで、くだらなく、時間の無駄で、僕は、ほとんど、見ていない。
しかし。
「NHKは、いい番組も作っているが、やらせ、や、八百長も、やっている。これは詐欺だ」
と、いうように、批判すると、批判の、インパクトが、弱くなってしまうのだ。
同様に、モハメド・アリ、も、「黒人を差別する白人もいれば、黒人を差別しない白人もいる。オレの敵は、黒人を差別する白人だ」というように、長たらしい、フレーズにすると、批判の、インパクトが、弱くなってしまうのだ。
それよりも、ワンフレーズで、「オレの敵は、アメリカの白人すべてだ」、と言った方が、批判の効果も上がるのだ。
それに、当時の、アメリカでは、黒人差別に対して、それくらいの、荒療治が必要だった。
それは、何事にも当てはまる。
日本人は、中国を批判するが。
「共産党の洗脳によって、日本に対して間違った批判をする中国人もいるが、歴史や事実に詳しく、日本に対して正当な認識をもった中国人もいる」
というふうに、言うと、中国に対する、批判の、インパクトが、弱くなってしまうのだ。
かく言う私も、粗削りに、「医者はバカだ」とか、言っているが、もちろん、良心的な優秀な医者もいれば、バカな医者もいる、ということくらい、十分、知っている。
しかし、そういう、長たらしい、言い方をするのは、面倒で、批判にパンチが出ないから、粗削りに、一括りに、「医者はバカだ」とか、言っているのである。
僕が書いた、「武道・スポーツ上達法」の、前書きで、僕は、こう書いている。
「まず言っておきたい事がある。文の中で、断定的な言い方をしている所もあるが、もちろん世の中には、当てはまらない人もいる。しかし文章において、いちいち、「そうでない人もいるが・・・」とか、「全員がそうではないが」と言い続けるのは、面倒であり、また、文章にインパクトがなくなってしまう。文章は60%くらい当てはまるものなら、断定的に言い切った方が、インパクトが出るのである。私の性格を誤解されたくないので、野暮な前置きを念のため・・・」
全く、僕の思いも、この通りなのだ。
ましてや、モハメド・アリ、にとっては、ボクシングは、彼の命だったのだから、ボクシング・ライセンスを剥奪した、白人に対する、怒りは、想像に余りある。
黒人を差別しない白人の評論家のほとんどは、モハメド・アリ、の、暴論を、彼が頭が悪いから、と見なしているが、それは、こういう理由で、違う、ということを、まぎれもない天才である僕が、ちゃんと、説明しておかないと、全ての人が、モハメド・アリ、の、真意を誤解してしまう。