小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

野球小説(小説)

2024-01-30 04:08:41 | 小説
「野球小説」

という小説を書きました。

ホームページ「浅野浩二のHPの目次その2」にアップしましたので、よろしかったらご覧ください。

「野球小説」

山野哲也は子供の頃から野球が好きだった。
小学生の時からリトルリーグで湘南パイレーツというチームに入って投手として活躍した。
同じチームに田中健二という少年が所属していた。
山野哲也と田中健二は親しい友達だった。
二人はともに投手になりたがった。言うまでもなく野球で一番、目立って格好いいのはピッチャーだからである。
しかし哲也は、才能があるのか、運動神経がいいのか、頑張り屋なのか、コントロールが抜群で、しかも、ストレートも速かった。
なので対抗試合では勝つために哲也がピッチャーをまかされるようになった。
哲也がピッチャーをすると勝てるので哲也が毎回ピッチャーをやることになった。
そして、それによって湘南パイレーツは対抗試合で勝った。
毎回ピッチャーをやっているうちに哲也もチームを勝たせるためピッチングの練習を毎日、励んだ。
父親は仕事が終わって帰ってくると、ほとんど毎日、哲也は父親とキャッチボールをした。
父親がキャッチャーの役をやって哲也は父親の構えるミットに投げ込んだ。
雨の日も、風の日も、暑い日も、寒い日も。
そのため哲也の投手としての技術はどんどん上手くなっていった。
哲也の友達の田中健二は、そのため、投手はあきらめて打者としてバッティングに打ち込むようになった。
しかし二人は仲が良かった。
「ははは。哲也君。僕もピッチャーに憧れていたけれど君にはかなわなかったな。うちのチームが対抗試合で勝てるのは君のおかげだよ」
と田中健二が言った。
「いやあ。君は打率5割で、ホームランも打てるし君のバッティングで得点できるから勝てているんだよ。いくらピッチャーが相手チームをおさえても打って点を取ってくれる人がいなかったら勝てないよ」
と哲也は言い返した。
田中健二は誉められて嬉そうだった。実際、田中健二はバットコントロールが良く長打力もあった。
このチームは哲也のピッチングと田中のバッティングによって勝てていた所が大きかった。
哲也は田中を打席に立たせてバッティングピッチャーの役をやってやった。
力一杯は投げずに田中が打ちやすいように、ど真ん中のストレートを投げてやった。
そして田中の様子を見て少しずつスピードを上げていった。
「今度はインコースの高めに投げるよ」とか「今度はアウトコースの低めだ」と予告して哲也は田中のバッティング技術を高めてあげた。
そのため田中のバッティング技術はメキメキと上手くなっていった。
二人は野球以外でも親友として仲が良かった。
・・・・・・・・・・・・・
中学は哲也は青葉台中学に入り田中は花園中学に入った。
どっちの学校も中高一貫校だった。
二人はもちろん、ともに、それぞれの学校の野球部に入った。
しかし対抗試合で青葉台中学と花園中学が対戦すると田中は思い切り投げる哲也の球を打つことは出来なかった。
哲也は、もうカーブやスライダーなどの変化球も投げられるようになっていたからだ。
・・・・・・・・・・・・
中学を卒業すると二人は高校もお互い付属の高校に進学した。
哲也は青葉台高校に進学し田中健二は花園高校に進学した。
もちろん二人とも、それぞれの学校の野球部に入った。
甲子園大会の夏の地区予選が始まった。
哲也も田中も将来はプロ野球選手に絶対なりたいと思っていたので甲子園には絶対、何が何でも出いと思っていた。
そのため二人は、ともに猛練習した。
哲也は1年からエースとなり、一方、田中は1年から打席は3番となった。
哲也が1年生の時、神奈川県の地区予選の決勝戦では青葉台高校と花園高校との対決になった。結果は哲也の投げ勝ちで甲子園に出たのは青葉台高校だった。しかし甲子園大会の一回戦の相手は大阪桐蔭高校で青葉台高校は一回戦で破れた。
2年の時も神奈川県の地区予選の決勝戦では青葉台高校と花園高校との対決になったが、結果は、またしても哲也の投げ勝ちで甲子園に出たのは青葉台高校だった。しかし甲子園大会の一回戦の相手は智弁和歌山で、またしても青葉台高校は一回戦で敗退した。
そして3年になった。
これが高校野球、最後の年である。
夏の甲子園大会の地区予選が始まった。
今回もまたしても神奈川県の地区予選の決勝戦では青葉台高校と花園高校との対決になった。
・・・・・・・・・・・・・・・
哲也の父親はスーパー山野の社長だった。
しかし1年前から田中健二の父親が社長をしている大手の田中スーパーが、この町にも店を出店するようになった。田中スーパーの方が山野スーパーより、はるかに大手なので山野スーパーは経営が苦しくなった。
山野スーパーは対抗策として安売りをしたが田中スーパーは更に安く売ってくる。山野スーパーは田中スーパーに太刀打ちできない状況に追い込まれた。山野スーパーの経営は徐々に圧迫されていった。このままでは数年後には田中スーパーの圧力に押されて、山野スーパーは店舗縮小に追込まれ、やがては倒産するのは、ほとんど目に見えていた。
・・・・・・・・・・・・
毎日、家に帰って来る父親は毎日うかない顔だった。
「あなた。スーパーの経営は大丈夫?」
哲也の母親が夫に聞いた。
「きびしいね。このままでは経営できなくなるかもしれないね」
父親が言った。
哲也は黙って聞いていた。
父親と母親の対話から父親のスーパーの経営が倒産の危機にあることを哲也は非常に心配した。
・・・・・・・・・・・
第××回甲子園大会の神奈川県の地区予選が始まった。
青葉台高校はエースの哲也の連投で順調に勝ち進んでいった。
一方の田中健二の花園高校野球部も田中健二ひきいる強力打線によって勝ち進んでいった。
哲也と田中健二は何が何でも将来はプロ野球選手になりいと思っていたので甲子園大会には絶対に出たかった。
高校球児にとっては当然だが。
とうとう神奈川県の地区予選の決勝戦は青葉台高校と花園高校の対決となった。
当然、勝った方が甲子園大会に出場できるのである。
「お母さん。ただいま」
練習が終わって哲也が家に帰ってきた。
「おかえり。哲也」
母親は居間のソファーに座っていた。
うつむいて、うかない顔だった。
「どうしたの?お母さん?」
哲也は母親の隣りに座って、しょんぼりしている母親に聞いた。
「いや。別に」
母親は憔悴した口調である。
「地区予選の決勝戦の相手は田中健二くんの花園高校ね」
母親が小さな声でボソッと言った。
「うん。そうだよ」
「勝つ自信はある?」
「あるとも」
哲也は自信を持って言った。
「そうなの」
元気で強気な哲也の発言に母親は、なぜか、うかない顔つきだった。
哲也は超高校級の剛速球投手として新聞記事にも載ったことがあった。
哲也は花園高校の田中のバッティングを録画して見て「これなら抑えられる」と絶対の自信を持っていた。
「お母さん。どうしたの?」
黙っている母親に哲也は聞いた。
しかし母親は黙っている。
「青葉台高校が花園高校に勝っちゃうと田中健二君は甲子園大会には出られなくなるわね」
母親は小声で、ひとりごとのようにボソッと呟いた。
哲也はなぜ母親が、そんなことを言うのか、わからなかった。
確かに母親の言うことは、その通りである。
スポーツでは試合をすれば、どっちかが勝ち、どっちかが負けるのは当たり前のことである。負けたチームは確かに可哀想ではあるが、あくまでフェアープレーの対等の条件での戦いである。
戦いといっても戦争なんかとは違うクリーンな戦いである。そんな事は母親だってわかっているはずである。哲也は母親の態度に疑問を持ったので母親に聞いてみた。
「どうしたの。お母さん。スポーツの試合では勝つチームと負けるチームが出来てしまうのは当然じゃない」
そう哲也が聞いても母親は黙っていた。
「そうね。その通りね」
母親は元気の無い声で言った。
母親は黙ってしばし迷っている様子だった。
「どうしたの。お母さん?何を悩んでいるの?」
哲也は、どうしたのかと思って母親に聞いた。
哲也に急かされて母親は、しばしの沈黙の後、重たい口を開いた。
「今日、郵便ポストにこんな封書が入っていたの」
母親はひとりごとのように言って、そっと、その封書をテーブルの上に置いた。
そしてソファーから立ち上がって二階の寝室に登って行った。
何事だろうと哲也は封書を手にとった。
封書を開くと、一枚の便箋があった。それにはワープロでこんなことが書かれてあった。
「率直に要件だけを言おう。哲也君には、田中健二君に対して、全ての打席において、二球目にはど真ん中のストレートを投げて欲しい。一球目は何を投げても構わない。それ以外は実力を出し切って構わない。だが青葉台高校の打線も強いから、もし青葉台高校の得点が花園高校より上回ったら、フォアボールや、牽制球のミスや、ワイルドピッチなどをして花園高校が勝つようにして欲しい。観客にはわからないように。そして花園高校が僅差で勝つよにして欲しい。哲也君の実力なら、それは容易だろう。花園高校が勝ったら田中スーパーは山野スーパーを潰さないように計らう。約束は必ず守る」
八百長の要求だった。
田中を甲子園に出場させる代わりに、哲也の父親のスーパーの事業は守る、という交換条件だ。
一体、誰が、こんな物を送ったのだろう?
父親の仕事の関係者なのか、それとも山本スーパーの関係者なのか。
山本健二の父親が送ったのか、それとも、まさか山本健二本人が父親に頼んだのか。
一体誰が?
哲也は考え回したが、わかりようもなかった。
そして哲也は、この要求に、どう対応するかを考え出した。
なるほどな。
さっきお母さんが悩んでいたのは、このことだったのだなと哲也は理解した。
八百長なんて卑劣だ。
しかし、お父さんの会社が潰れたら、お父さんは、悲しむどころか、自殺するかもしれない。
その葛藤に哲也は悩まされた。
しかし、いくら考えても答えは決められなかった。
・・・・・・・・・・・・・
青葉台高校と花園高校の地区予選の決勝戦の日になった。
先攻は青葉台高校で後攻は花園高校となった。
田中の第一打席。哲也は送られてきた郵便に書かれていたように一球目は変化球を投げた。田中はそれを見送った。二球目はど真ん中のストレートを投げた。それを田中健二は打った。場外ホームランになった。哲也は複雑な気持ちだったが、これでいいんだ、と無理に自分に言い聞かせた。その後も哲也は第二球目は、ど真ん中のストレートを投げ続けた。田中はそれを打ってレフトオーバーの二塁打にしたり、三遊間を抜くヒットにしたりした。しかし後続が続かず得点には結びつかなかった。その後は両チームとも得点がなく試合が進んだ。花園高校のピッチャーも哲也なみに優れた投手で青葉台高校の打線はヒットすることもあったが、なかなか得点には結びつかなかった。しかし青葉台高校の打線も8回表に一点とって1対1の同点になった。9回裏の田中健二の打席になった。哲也は二球目に、ど真ん中のストレートを投げた。それを田中健二は打った。それは、きれいなレフトスタンドへのホームランになった。こうして花園高校は2対1で青葉台高校に逆転して勝った。
青葉台高校の部員が泣く姿を見ると哲也は心が痛んだ。
泣いてる部員たち全員に対しても、応援してくれた応援団や吹奏楽部の生徒たち全員にも、全校生徒にも、そして応援してくれた町の人たち全ての人々に対しても。
・・・・・・・・・・・・
花園高校は甲子園に出場してベスト8まで勝った。
哲也は迷いに迷った挙句、甲子園に出ることよりも父親の仕事を守ることを選んだのである。ただドラフトでどこの球団にも指名されなかったら、と思うと哲也は、つらかった。
そして田中健二が、プロ野球選手になりたいために、父親に八百長を頼んだのではという猜疑心が起こって哲也はその猜疑心に悩まされた。
あいつは、そんな事をするヤツじゃない、と田中健二と幼い頃から付き合ってきた哲也は確信していたのだが、その猜疑心は哲也の心の中で、どうしても消えてくれなかった。
「田中健二はそんなことをするような男じゃない」と何度も自分に言い聞かせても、どうしても、その猜疑心は哲也の頭から離れなかった。
夏の甲子園大会が終わった。
八百長要求の約束は守られた。
田中スーパーは、新しく出店する予定だった店を、哲也の住んでいる藤沢市ではなく、隣町の大和市に出店した。
おかげで山野スーパーは倒産することなく営業を継続できた。
「やった。経営していける」
父親の顔に笑顔がもどった。
「これでいいんだ。これで」
哲也は無理に自分に言い聞かすように、つぶやいた。
その年の秋のドラフトで、田中は、東京ヤクルトスワローズに一位指名された。
そして入団の契約をした。
しかし甲子園には出られなかったが、哲也も横浜DeNAベイスターズにドラフト5位で指名されて哲也は横浜ベイスターズに入団した。
・・・・・・・・・・・・・・
年が明けた。
交流戦で東京ヤクルトスワローズと横浜DeNAベイスターズの試合が行われた。
哲也と田中は久しぶりに再会した。
ヤクルトスワローズの選手を乗せたバスが神宮球場に到着した。
哲也には田中健二が八百長にどのくらい、かかわっているのか知る由もなかった。
なので田中に会っても何と言っていいか、わからなかった。
なので田中とは、口を聞かないようにしようと思った。
しかし。
哲也はポンと背中を叩かれた。
振り返って見ると、田中健二が、くったくない満面の笑顔で哲也を見つめた。
「よう。哲也。久しぶり」
田中の屈託のない笑顔を見た時、哲也の猜疑心は一気に吹っ飛んだ。
(田中は父親に八百長勝ちを頼むような、そんな卑劣な男じゃない)
八百長の要求の封書を送ったのは誰だかわからない。田中スーパーの上層部と山野スーパーの上層部で裏取引が行われていたのかもしれない。しかし本当のところは全くわからない。
しかし哲也の田中健二に対する猜疑心は一気に吹っ飛んだ。
田中健二は八百長の要求には全く関与していない。
彼は自分の実力で地区予選の決勝戦に勝ったと思っている。
しかし彼は第二球目がど真ん中のストレートに来るとは知っていなかったのだ。
田中健二は地区予選の決勝戦で哲也に打ち勝ったが、それは田中の選球眼の良さ、バットコントロールや長打力など彼の本当のバッティングの実力で勝ったのだ。
地区予選の決勝戦での対決は自分も田中も八百長なんかではない真剣勝負の戦いだったのだ。
哲也は100%そう確信した。
「やあ。田中君。久しぶり。地区予選では負けてしまったけどプロでは負けないぞ」
哲也は笑って言った。
「オレだって負けるもんか」
田中も笑って言い返した。
二人はガッシリと握手した。
交流戦が始まった。
先発は、横浜DeNAベイスターズの浜の番長、三浦監督に「どうだ。投げてみるか?」と言われて哲也は元気よく「はい」と答えた。
哲也はピッチャーマウンドに立った。
一方、東京ヤクルトスワローズの1番のリードオフマンは、ドラフト一位の田中だった。
田中がバッターボックスに立った。
哲也はニヤッと笑った。
「いくぞ。田中。オレのストレートを打てるものなら打ってみろ」
哲也は心の中で、そう言って大きく投球動作に入った。


2024年1月30日(擱筆)


作者注
単純な話であまり面白くないと思う。
もっと丁寧に書きたいのだが他に書いている小説が、いくつもあって、そっちの方を書きたいので一応これで完成とする。
後で、こういう基本的な話をベースにして、もっとエピソードを入れて話をふくらませようかとも思っている。


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給湯器(小説)

2024-01-27 14:00:47 | 小説
「給湯器」

という小説を書きました。

ホームページ「浅野浩二のホームページの目次その2」にアップしましたので、よろしかったらご覧ください。

「給湯器」

僕が今の賃貸アパートに引っ越してきたのは3年前である。
僕は医学部を卒業した後、千葉県の研修指定病院で2年研修した。
その後、藤沢市の藤沢北部病院に就職が決まり藤沢市に引っ越して来た。
どこのアパートを選ぶかは迷ったが図書館を使いたいため図書館に近い所にあって賃貸料も比較的、安い所ということで細井ハイツというアパートに決めた。
そして僕は生活し始めた。
月曜日から木曜日まで、四日、病院で勤務して金土日は図書館で小説を書いた。
最寄りの駅は湘南台駅で、ここは横浜市営地下鉄ブルーラインと、相鉄いずみ野線のターミナル駅で小田急線も通っていて交通の便は良かった。
まあまあ快適な生活を僕は送っていた。
そうこうしている内に、3年が経った。
3年経った、ある日のことである。
ピンポーン。
チャイムが鳴った。
「はーい」
僕は布団の中の入って寝ころんでいたが急いで玄関に向かった。
カチャリ。
僕が玄関の戸を開けると、そこには、この世のものとは思われないほどの美しい女性がニコニコと笑顔で立っていた。
「あ、あの。私、今日から、このアパートに住むことになった山本美津子と言います。部屋は102号室です。よろしく」
そう言って彼女は、ペコリと頭を下げた。
「あ、こ、こちらこそ、よろしく。僕は山野哲也といいます」
僕はへどもどして挨拶した。
「あ、あの。これ、つまらない物ですが・・・」
そう言って、彼女は、引っ越し挨拶の手土産として、鳩サブレーの箱を差し出した。
「あ、ありがとうございます」
僕は深く頭を下げ礼を言って鳩サブレーを受けとった。
僕は101号室なので102号室といえば僕の隣の部屋である。
僕は飛び上がらんばかりに嬉しかった。
なぜなら、あんな奇麗な人が、これから隣に住んでくれるのだから。
生活にハリが出るというものだ。
実際その日から僕の生活はハリが出た。
隣にきれいな美津子さんが居るということだけで嬉しかった。
彼女はどういう人なのだろう?
彼氏はいるのだろうか、結婚しているのだろうか、バツイチなのだろうか、と僕は色々と想像してしまう。
この集合住宅は2LDKなので女が一人暮らしするには大き過ぎる。
父親、母親、子供二人の四人家族で住んでいる世帯に適しているアパートなのである。
僕は一人暮らしだが、僕は狭っくるしいアパートだと体調が悪くなので多少ゆとりのある、このアパートを選んだ。
それに僕は小説や医学書など書籍がたくさんあるので狭いアパートでは、それを置く場所がないのである。
なので僕はこのアパートを選んだ。
ここのアパートは防音が悪く、隣の部屋の音が聞こえてしまう。
しかし隣は山本美津子さんだ。
ザーと勢いのいい音がすると「あっ。美津子さんがお風呂に入っているな」と気づく。
それを聞くと僕は嬉しくなる。
僕は想像力過多なので彼女が裸になって全身を洗い湯船に浸かっている姿が想像されてしまうのである。
彼女は夕方、毎日、風呂に入っていた。
しかしである。
ある時から彼女が入浴する音が聞こえなくなった。
彼女は毎日、入浴しているのに、どうしてだろう、と僕は疑問に思った。
入浴の音が聞こえなくなって三日経った。
その日の夜である。
ピンポーン。
僕の部屋のチャイムが鳴った。
「はーい」
僕は玄関を開けた。
すると山本美津子さんが立っていた。
「あっ。こんばんは。どうしたんですか?」
「山野さん。こんばんは。夜分遅く申し訳ありません」
彼女は深く頭を下げた。
「こんばんは。どうしたんですか?」
「実は、お風呂に入ろうとしても、お湯が出ないんです。それで、そのことを不動産屋に言って調べてもらったら給湯器が故障していると言ったのです」
「そうですか。ここの不動産屋はケチですからね。給湯器の寿命は大体10年くらいなんです。僕も、このアパートに入って半年で給湯器が動かなくなりました。不動産屋に連絡して修理の人に来て見てもらったら中はボロボロで、しかも、なんと給湯器は40年前に取り付けられたものでした。ここの不動産屋は、ずさんで、付属設備はぶっ壊れるまで使って、ぶっ壊れたら交換しようという方針です。まあ気にしてないですがね。ところで御用は何でしょうか?」
「あ、あの。山野さん。申し訳ありませんが、お風呂を貸して頂けないでしょうか?」
彼女は卑屈そうに言った。
僕は表情には出さなかったが心の中では飛び上がらんばかりに喜んだ。
なにせ憧れの美津子さんが僕の部屋に入ってくれて、しかも風呂にまで入ってくれるからだ。
「え、ええ。かまいません。どうぞ使って下さい」
「あ、有難うごさいます。では失礼します」
そう言って彼女は僕の家に上がった。
彼女は6畳の畳の部屋につつましく正座した。
僕は風呂場に行き蛇口をひねって浴槽にお湯を入れた。
「さあ。どうぞ使って下さい」
浴槽にお湯がいっぱいになったので彼女に言った。
「あ、有難うございます」
彼女は風呂場に行った。すぐに、パサリパサリと服を脱ぐ音が聞こえた。
そして彼女がザブンと湯船に入る音が聞こえてきた。
僕は想像力過多なので、彼女が裸になって全身を洗い湯船に浸かっている姿が想像されてしまった。
彼女の全裸姿までもが想像されてしまった。
20分くらいして彼女は風呂からあがって服を着てやって来た。
「山野さん。どうも有難うございました。私、毎日、風呂に入る習慣なので給湯器が故障してしまって困っていたんです。どうも有難うございました」
彼女は深く頭を下げ僕に礼を言った。
「いえ。かまいません。給湯器がなおるまで毎日でも風呂をお貸しします。どうぞ遠慮なくお使い下さい」
「山野さん。有難うございます」
彼女は何度も礼を言って、「それでは、お休みなさい」と言って部屋を出て行った。
彼女が去ると僕は急いで風呂場に行った。
浴槽には彼女が入った後の湯が満たされていた。
僕は興奮した。
(ああ。このお湯は彼女が入ったお湯だ)
(このお湯は彼女の体液の沁み込んだお湯だ)
そう思うと僕は、そのお湯がこの上ない貴重な宝物のように思われた。
僕はコップで風呂のお湯をすくった。そして、それを飲んだ。
彼女の体液が沁み込んだ、お湯を飲めたことに僕は最高の喜びを感じていた。
出来ることなら風呂のお湯を全部、飲みたかったが、そういうわけにもいかない。
僕は服を脱いで浴槽に入った。
彼女の体液の沁み込んだ、お湯に浸かることによって、ほんの微量ではあっても彼女の体液に触れているようで、彼女と間接的に触れているような気分になって僕は最高に幸せだった。
その日から一週間、毎日、彼女は僕の所にやって来て僕の風呂に入った。
そうしているうちに、僕はだんだん彼女と親しくなっていった。
しかし彼女の部屋の給湯器は一週間後に修理されて使えるようになった。
「山野さん。有難うごさいました。給湯器は修理してもらって使えるようになりました」
アパートの前で彼女と出会った時、彼女はニコッと微笑して僕に言った。
そのため彼女は自分の部屋の風呂に入れるようになったので僕の所には来なくなった。
僕にとっては、とても残念だった。
だが、まあ仕方がない。
そうして一週間ほど経ったある日の夜ことである。
ピンポーン。
僕の部屋のチャイムが鳴った。
「はーい」
僕は玄関を開けた。
すると山本美津子さんが立っていた。
「あっ。こんばんは。美津子さん。どうしたんですか?」
「山野さん。こんばんは。夜分遅く申し訳ありません」
「どうしたんですか?」
「山野さん。実は。私いつもスーパーで閉店間際の値下げした食材を買っているんです。それで、数日前、牛肉、野菜の、大特価があったものですから、ちょっとたくさん買い過ぎてしまったんです。それで捨てるのも、もったいないですから全部、料理してしまったんです。でも一人では食べきれない量なので。それにお風呂を貸してもらったお礼として。もしよろしければ、山野さんに食べていただけないかと思いまして」
そう言って彼女は皿に盛られラップをかけられた肉野菜炒めを申し訳なさそうに差し出した。
「うわー。嬉しいな。美津子さんの作ってくれた料理を食べられるんて。有難く頂きます」
「有難うございます」
「でもタダでもらうわけにはいきません。食材と調理してくださった分のお金は払います」
そう言って僕は彼女に3000円渡した。
「あっ。こんなに頂くわけにはいきません」と彼女は言ったが、こればかりは僕は譲らなかった。
彼女は、3000円を受けとると「すみません。有難うごさいます」と申し訳なさそうに言って去って行った。
僕は自炊をしない、というか、出来ないので、食事は外食かコンビニかスーパーの弁当だった。
彼女が作ってくれた食事を食べられるなんて夢のようだった。
僕は彼女の作ってくれた肉野菜炒めを食べた。
物凄く美味しかった。
僕は皿を洗って、それを彼女に返しに行った。
ピンポーン。
僕は彼女の部屋のチャイムを押した。
「はい。どちらさまでしょうか?」
インターホンから彼女の声が聞こえた。
「山野です」
僕は答えた。
「あっ。山野さん。お待ちください。すぐ行きます」
彼女の声が聞こえ、パタパタと玄関に向かう足音が聞こえ玄関の戸が開いた。
「あ。あの。美津子さん。肉野菜炒め美味しかったです。お皿を返しに来ました」
そう言って僕は彼女に皿を渡した。
彼女はニコッと微笑んだ。
「美味しかった、なんて言ってもらえて嬉しいです。たいして手間をかけて作ったわけでもないのに」
「いやー。僕は自炊なんか面倒くさくてしないので食事は毎日コンビニ弁当です。コンビニ弁当は人工着色料、人工甘味料、人工保存料などの食品添加物が、ふんだんに使われているので健康にも良くないんです。だから手作りの料理は美味しいんです」
彼女はニコッと微笑んだ。
「あ、あの。山野さん」
「はい。何でしょうか?」
「もしよろしければ、これからも食事をたくさん作り過ぎたら山野さんに差し上げてもいいでしょうか?」
「ええ。そうして頂けると嬉しいです。ただ一つ条件があります」
「何でしょうか。その条件というのは?」
「それは、食材と調理の手間代です。タダで貰うわけにはいきません。その条件を聞いて頂けるのなら喜んで頂きます。しかし、その条件を聞いてくれないのならタダで頂くわけにはいきません。どうでしょうか?」
僕は強気に彼女に判断を求めた。
「わ、わかりました。本当のこと言うと。山野さんは、きっと自炊してないだろうと思っていたんです。コンビニ弁当は人工着色料、人工甘味料、人工保存料などの食品添加物が、たっぷり入っていますから、そしてコンビニ弁当はビタミンやミネラル、食物繊維などが無いので栄養のバランスが悪く健康に良くないと思っていたんです」
「そうだったんですか」
それから彼女は、時々、料理を僕の所に持って来てくれるようになった。
僕は金を払って彼女の料理を受けとって食べた。
ある日、彼女は、
「あ、あの。山野さん。よろしかったら一緒に食べませんか」
と言った。
「ええ」
僕は喜んで答えた。
僕は彼女の部屋に入った。
そして食卓に向き合って座った。
その日の料理は、すき焼きだった。
「いやあ。嬉しいな。美津子さんと一緒に食べられるなんて」
僕は嬉しそうに言った。
「私もです。食材は一人分で買うより二人分買って、二人分、作る方が、ずっと安上りですから。それに一人で食べるより二人で食べた方が美味しいです」
彼女は少し照れくさそうに言った。
「いただきます」
僕は彼女と一緒に、すき焼きを食べた。
彼女は野菜ばかり食べて、あまり肉は食べなかった。
僕に肉を食べてくれるよう配慮してくれているのだ。
僕は彼女の好意を感謝して素直に肉を食べた。
ホカホカご飯も美味しかった。
食べ終わって「ごちそうさま。美味しかったです」と言って僕は立ち上がった。
彼女の部屋に入るのは初めてだったが、彼女の部屋はガランとしていて荷物はほとんど無かった。
彼女は一人暮らしで彼氏はいないんだな、とわかった。
ここの集合住宅は親子4人で生活できるほどのスペースがあるのに彼女は一人暮らしなのに、どうして、このアパートを選んだのかは僕にはわからなかった。
僕は「さようなら。おやすみなさい」と言って彼女の部屋を出た。
そして自分の部屋に入って布団をかぶって寝た。
その晩はぐっすり眠った。
翌日になった。
その日は美津子さんの部屋は物音が全くなくシーンとしていて彼女がいないのが、わかった。
その夜のことである。
ピンポーン。
僕の部屋のチャイムが鳴った。
「はーい」
僕は玄関を開けた。
すると山本美津子さんが立っていた。
「あっ。こんばんは。美津子さん。どうしたんですか?」
何事かと僕は思った。
「山野さん。こんばんは。夜分遅く申し訳ありません」
「どうしたんですか?」
「あ、あの。大変申し訳ないのですが一晩泊めて頂けないでしょうか?」
突然のことに僕は驚いた。
が僕は気を取り直して彼女に聞いた。
「え、ええ。かまいません。何か事情があるんですね。どうぞ、お上がり下さい」
「失礼いたします」と言って彼女は僕の家に入った。
彼女が僕の部屋に入るのは給湯器が故障して僕の部屋の風呂を使って以来、久しぶりのことだった。
座卓の前に彼女は憔悴した様子で座った。
「どうぞお泊まり下さい。遠慮はいりません。でもどうしてですか?」
実は・・・・と言って彼女は語り出した。
「実は私、お金が無くって家賃をずっと滞納していたんです。それでずっと不動産屋に家賃を払うよう催促されていたんです。私は必ず払いますから、どうか待って下さい、と土下座までして不動産屋に頼んでいたんです。しかし、不動産屋はとうとう私にアパートを出るように命じたんです。それで仕方なく私はアパートを出ました。なので私、泊まる所がないんです。なので、すみませんが、山野さんの部屋に泊めて頂けないでしょうか?」
彼女は畳に頭を擦りつけて僕に頼んだ。
「そうですか。僕はかまいません。どうぞ泊まって下さい」
僕がそう言うと彼女は、
「あ、有難うごさいます」
と言って涙をポロポロ流した。
彼女の持ち物といったらカバン一つだけだった。
2LDKなので部屋は二つある。
6畳の二つの部屋はふすまで仕切られている。
なので一つの部屋に僕は寝て彼女は隣の部屋に泊めた。
こうして彼女は僕の部屋に住むようになった。
僕は朝、出かけ、病院で働いて夕方、帰って来るという今まで通りの生活をした。
しかし帰ってくると彼女は、
「お帰りなさい」
とニコッと微笑んで、
「今すぐ料理を作ります」
と言ってキッチンに行った。
僕は自炊を全くしないので、コンロも換気扇もホコリをかぶっていたのだが、彼女が来たことによって、コンロに火が灯り、フライパンでジュージュー食材を調理する音が鳴り、そして換気扇が初めて動き出した。
料理が出来あがると彼女は食卓に料理を並べた。
「山野さん。夕食が出来ました」
彼女に呼ばれて僕は食卓に彼女と向き合って座った。
食卓には、ホカホカの鮭のホイル焼きの料理が用意されていた。
「うわっ。美味しそうだ。頂きます」
僕は彼女と一緒に夕食を食べた。
彼女も嬉しそうだった。
家庭の味、普通の生活とは、いいものだな、と僕はつくづく感じた。
彼女が僕の部屋に来てくれたことで死んだ家に活気が出てきた。
僕は無精なので、掃除は1年に4回くらいしかしなく、布団はもちろん敷きっぱなしの万年床で、朝、窓を開けるということも面倒くさくてしなかった。
しかし彼女は窓を開け、布団をベランダに干し、毎日こまめに掃除してくれた。
そのおかげで部屋の空気が新鮮になり布団も干されて日光を浴びて、ふっくらと温かくなった。
そして僕が仕事を終えて家に帰ってくると彼女は、
「お帰りなさい」
とニコッと微笑んで、
「今すぐ、料理を作ります」
と言ってキッチンに行って料理を作った。
何だか僕は彼女と同棲しているような気分になった。
というより実質的には同棲と同じである。
しかし僕にはどうしても譲れない一つの事があった。
それは夜の営み、つまりセックス、性的行為であった。
世間の男女が一つ家に同居したら100%セックスするだろう。
「だろう」ではなく「する」のである。
しかし僕(山野)はそれが嫌だったのである。
もちろん山野は女に飢えている。
しかし彼は100万人に1人いるかいないかの、プラトニストだったのである。
彼にとって女は憧れの対象だったのである。
なので憧れは、いつまでも憧れのままにしておきたかったのである。
彼にとって女とは人間の言葉を話す美しい美術品だった。
美術品には手を触れないものである。
世間の男女がお互いに好意を持つと、その後どうなるかは決まっている。
初めの頃は相手の事ばかり想うようになる。そしてデートする。そして同棲する。そして結婚する。である。しかし結婚すると相手に遠慮がなくなり、言いたい事をズケズケ言い合うようになる。そして相手の全てを知ってしまうと相手の嫌な所もわかってくる。相手に対して遠慮がなくなってしまう。意見が合わず口ゲンカをするようにもなる。ダラダラ、ズルズルの関係になっていく。そして激しい口ゲンカをして相手に幻滅して「離婚しよう」ということになる。それが繊細でデリケートで、もののあわれ、を知っている僕には嫌だったのである。
実際、彼女と同棲するようになって、僕は彼女に対して、最初に彼女が鳩サブレーを持って挨拶に来た時の天にも昇るような胸のときめきの感度が少し低下していた。
武士道の心得を書いた葉隠の恋愛観
「恋の至極は忍ぶ恋にありと見立て候。会いてからは恋の丈が低し。一生忍んで想い死するこそ恋の本意なれ」
というのが僕の恋愛観なのである。
なので僕は食事中に彼女にそのことを釘さした。
「美津子さん。ここに泊まりたいのなら泊まっても構いません。あなたには何かの事情があるのでしょう。そのことは聞きません。しかし一言、いっておきますが、僕はあなたの体に指一本触れません。そして僕の前で着替えるようなことはしないで下さい。それを守って下さるのであれば、ここに泊まっても構いません。僕もあなたとの生活は楽しいです。しかし、それを守ってもらえないのであれば、あなたをここに泊めることは出来ません。僕はあなたを憧れの対象にとどめておきたいのです。どうですか?」
僕は彼女に判断を求めた。
彼女は素直な表情で、
「わかりました。山野さんがそう仰るのならそうします。私には泊まる家がありませんから、ここを追い出されたら凍え死ぬだけですから」
と少しさびしそうに言った。
こうして僕と彼女のセックスなしの同棲生活が始まった。
セックスが無いという以外は普通の同棲生活と同じであり僕は彼女との共同生活が楽しかった。
彼女も僕との共同生活が楽しいのは、いつもニコニコ微笑んで「山野さん。お帰りなさい」と笑顔で出迎える彼女の態度から明らかだった。
しかし休日には、鶴岡八幡宮や円覚寺、建長寺、銭洗弁財天、高徳院、明月院、江ノ島神社などにドライブに行った。
鎌倉には寺や神社など名所旧跡がたくさんあるので休日には色々な所に行った。
こうして一カ月が過ぎ二カ月が過ぎた。
ある日のことである。
彼女は、
「哲也さん。言わなくてはならないことがあります」
とあらたまった口調で話し出した。彼女は、
「実は私は幽霊なんです」
とか
「実は私は宇宙人なんです」
とか
「実は私は殺人犯なんです。指名手配されているんです。どうか、かくまって下さい」
とか、そういう変なことは言わなかった。
彼女はこう言った。
「哲也さん。正直に率直に言います。実は私は、山野さんと結婚したくて、この集合住宅に越してきたんです。山野さんのことは知っています。お医者さまで、女性に優しくて、女性を大切にしてくれる素晴らしい男の人だということを。なので、私はぜひとも哲也さんと結婚したくて哲也さんに接近したんです。給湯器も本当は故障していなかったんです。山野さんと付き合いたい口実で言ったウソなんです。どうでしょうか。私と結婚してもらえないでしょうか?」
僕は、うーん、と腕組みをして悩んだ。
僕は一生、結婚する気はなかったからだ。
だが僕は人生において、一度、結婚というものをしてみたい、という願望も持っていた。
なので僕は、
「じゃあ、入籍だけならいいです」
と答えた。
しかし彼女は、「有難うごさいます。嬉しいです」と言って喜んだ。
こうして僕は市役所に婚姻届を出した。
他人に知られたくないので結婚式などというものはしなかった。
しかし婚姻届を出した後。
一カ月経ち、二カ月、経った。
僕は勇気を出して、
「美津子さん。そろそろ結婚ゴッコは終わりにして離婚してもらえませんか」
と言うと彼女は、
「さびしいわ。さびしいわ。えーん。えーん」
と泣き出すのであった。
それを見ると僕は、それ以上、彼女をさびしがらせることが出来なくて何も言えなくなってしまうのである。
こうして僕は美津子と結婚生活を続けている。
それが今の僕の妻、美津子との物語である。


作者注。
この話を信じるか信じないかは読者の勝手である。
面白い小説になっているか、つまらない小説に過ぎないかはわからない。
僕は、ともかく小説を書いてないと、うつ病になるので書いた。
わざと奇をてらったりはしていない。
作者(僕)の心情に偽りはない。


2024年1月18日(木)擱筆

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車輪の一歩(小説)

2024-01-27 05:40:24 | 小説
「車輪の一歩」

という小説を書きました。

ホームページ「浅野浩二のホームページその2」
にアップしましたので、よろしかったらご覧下さい。

「車輪の一歩」

これは1970年代の話である。
1970年代にはまだ今のようなバリアフリーはなかった。
・・・・・・・・・・・・
「さあ。いよいよ第××回、××オリンピック、女子バレーボールの決勝戦です。日本対アメリカ。泣いても笑ってもこれが最後の試合です。日本は強敵アメリカに勝つことが出来るでしようか?」
アナウンサーの声は緊張していた。
「木村さんはこの試合をどう予測しますか?」
アナウンサーが解説者の元オリンピックの木村香織に聞いた。
「そうですねー。技術ではアメリカが有利ですが、日本は一心同体のチームワークの結束力が素晴らしいです。それによってここまで勝ち上がってきたといっても過言ではありません。それと佐藤京子選手の必殺、火の玉スパイクです。日本は佐藤京子選手の必殺火の玉スパイクで得点して勝ってきたというのも事実です。しかしセンターの佐藤京子選手が前の試合で足首を捻挫したと聞いています。それがどこまで回復しているか、それが心配ですね」
と木村香織は言った。
試合が始まった。
第一セット、アメリカ。
第二セット、日本。
第三セット、アメリカ。
第四セット、日本。
と試合は進んでいった。
「さあ、ファイナルセットです。優勝ははたして日本か、それともアメリカか」
アナウンサーの声も高まっていった。
ファイナルセットは日本24対アメリカ23となった。
アメリカチームのサービスした球が日本チームのコートに入った。
それをバックが受け止めた。そして、その球を日本選手が佐藤京子がスパイクをするようにトスした。
宙に浮いた球を佐藤京子が渾身の力を込めてスパイクした。
それがきれいに相手コートに決まった。
「日本優勝。日本優勝。決めたのは日本の佐藤京子の火の玉スパイクです」
観客席から、わーと歓声が起こった。
・・・・・・・・・・
その時、佐藤京子は目を覚ました。
はーいい夢だったな、という一瞬の思いは、すぐに、それが絶対に出来ないという現実によって失望に変わった。
さあ勉強しよう。
京子は気を取り直してベッドから這って車椅子に乗った。
そして勉強机に向かった。
佐藤京子は幼少の頃、急性散在性脳脊髄炎を発症して下半身不随の車椅子だった。
そのため佐藤京子は小学校から車椅子で通学した。
生来、内気で無口な京子は小学校で、散々いじめられた。
男子生徒にも女子生徒にも。
脊髄が障害されているので便や尿の排尿コントロールが出来ず、京子は、おむつをして学校に通っていた。
そのため、京子が朝、学校に行くと机にマジックで、「バーカ」「カタワ女」「おむつ女」などとマジックで書かれていることが、しょっちゅうだった。
京子の持ち物が無くなることも、しょっちゅうあった。
車椅子でトイレに入るとトイレの外に置いておいた車椅子が無くなっていることもあった。
京子は女子生徒とも話が出来なかった。
なぜなら女子生徒の話題は、他人の陰口、悪口ばかりで、京子は、そういう話題には加わりたくなかったからである。
そのため京子は友達は一人も出来なかった。
しかし佐藤京子は真面目でがんばり屋なので成績は全科目トップだった。
母親の勧めで京子は絵画を描きバイオリンを練習した。
小学校は主席で卒業したほどなので中学は偏差値の高い進学校に入れる学力があったが車椅子では遠い学校には通学できない。
なので京子は家に近い偏差値の低い中学校に入った。
しかし、ここでも京子はいじめられた。
内気で優しい性格の子はいじめられるのである。
なので京子は部活には入らず、学校が終わると、すぐに家に帰った。
そして勉強した。
京子は特に勉強が好きというわけではなかった。
しかし勉強できると先生に褒められるので、それが嬉しくて勉強に打ち込んでいたのに過ぎない。
京子は本当は、勉強なんか出来なくてもいい、友達が欲しいと思っていたのである。
友達とスポーツをやったり、旅行に言ったり、遊びに行ったり出来たら、どんなに楽しいことか。と京子は思っていた。
京子はスポーツ観戦が好きだった。
なのでテレビで女子アスリートの試合は、ほとんど観ていた。
京子も体操の授業に出なくてはならなかったが車椅子なので体育の授業は見学だった。
学校でも部活で元気に駆け回っている生徒たちを見ると、うらやましさ、と、それが出来ない、さびしさに悲しくなるのだった。
京子は学校が終わると、すぐに家に帰った。
「お帰り。京子」
「ただいま。お母さん」
そして、テレビでスポーツ観戦をしたり、マンガを読んだり、勉強したりした。
車椅子の子でも友達と仲良く出来る子もいる。
そういう子は、性格がおおらかで劣等感を感じない性格の子である。
しかし京子はデリケートな性格なので一人、車椅子だと、みなに気を使わせてしまい、それが、みなに迷惑をかけてしまう、みなは、同情して、表向きには、そのことは言わないがデリケートな京子には、それが受け入れられなかった。
・・・・・・・・・・・・・
ある時、山野哲也という男子生徒が転校してきた。
彼はハンサムで、子供の頃から野球をやっていたらしく、150km/hの剛速球を投げられ、バッティングも打率8割の強打者だった。
当然、彼は野球部に入りキャプテンになった。
そんな彼が休み時間に京子に話しかけてきた。
「あ、あの。佐藤京子さん。授業でわからない所があるんですが教えてもらえないでしょうか?」
京子は人の心を察知する能力が優れていたので彼が優しい人間であることは、すぐに感じとった。
京子は丁寧に勉強を教えてあげた。
「ありがとう。佐藤さん」
と言って彼は笑顔でお辞儀して去って行った。
哲也は色々と京子に親切にしてあげた。
・・・・・・・・
ある日曜日。
山野哲也が京子の家にやって来た。
ピンポーン。
「はーい」
カチャリ。
玄関が開いて京子の母親が出てきた。
「こんにちは。山野哲也と言います」
「ああ。こんにちは。山野哲也さんですね。あなたのことは娘から聞いて知っています。どうぞ、お入り下さい」
母親は嬉しそうに言った。
「失礼します」
哲也は居間に通された。
母親は哲也にクッキーと紅茶を持ってきた。
「山野さん。娘から聞きましたが娘にとても親切にして下さっている方とのこと。感謝の言葉もありません。有難うごさいます」
「いえ。そんなこと、どうでもいいんです。ところで京子さんは?」
「二階の自室に居ます」
「そうですか。彼女と会いたいのですが・・・」
「そうですか。わかりました」
母親は山野哲也を連れて二階に上がり京子の部屋をノックした。
トントン。
「京子。ちょっと開けて」
「なあに。お母さん」
「京子。山野哲也さんが来て下さったわよ。あなたと話がしたいと言って」
すると京子の部屋の戸が開いた。
京子が心を開けるのは母親だけだった。
車椅子に乗った京子が顔を出した。
「こんにちは。佐藤京子さん」
「こんにちは。山野哲也さん」
京子は哲也を見ると身構えてしまった。
優しい哲也のこと。
きっと慰めに来てくれたのだろう。
しかし彼も休日は野球の練習をしていて、それをやりたいだろうに、それを犠牲にして、自分のことを慰めてくれることが、心の優しい京子にはつらかった。
優しい人間というのは自分より相手のことを考えてしまうのである。
「あ、あの。山野さん。こんにちは」
「こんにちは。京子さん」
「哲也さん。今日は野球部の練習があるんではないですか?」
「いや。今日は、ちょっと事情があって練習はないんだ」
「そうですか」
そうは言ったものの、京子は、哲也が気を使わせないようウソを言っていることはわかった。
「京子さん。こんな晴れた日に部屋に閉じこもっているのはよくない。外へ出るべきです」
哲也は強気の口調で言った。
「・・・で、でも・・・」
それ以上、京子は言えなかった。
「近くの公園へ行きましょう」
「・・・で、でも・・・」
「京子さんが前、教えてくれたじゃないですか。日光を浴びないと、ビタミンDが作られないと。その結果、骨が弱くなると。それと日光を浴びないとセロトニンという物質が分泌されなくなって、うつ病になると。さあ、公園に行きましょう」
そう言って哲也は京子を車椅子から降ろして床の上に座らせた。
そして哲也は車椅子を二階の京子の部屋から玄関に持って行った。
そして京子を抱き抱えて階段を降り玄関の前に置いた車椅子に乗せた。
雲一つない青空の中で太陽が照りつけた。
ああ。何て気持ちいいんだろう。
部屋に閉じこもりの京子は嬉しくなった。
セロトニンが分泌されたのだろう。
「さあ。公園に行きましょう」
そう言って哲也は車椅子を押して京子を近くの公園に連れて行った。
「じゃあ、バレーボールをしましょう」
そう言って哲也はバックからバレーボールの球を取り出した。
そして京子に向かって、やさしく投げた。
京子はトスやレシーブでそれを哲也に返した。
ポーンポーンと哲也と京子の二人のバレーボールのやり取りが続いた。
京子にとって人とこんな体を使った遊びをするは生まれて初めてのことだった。
しかし、体を動かしたい、人と遊びたい、と思っていた京子は、だんだん嬉しくなっていった。
(ああ。人と遊ぶって何て楽しいんだろう)
京子は最高の幸福を感じていた。
その日から日曜日になると哲也は京子の家に来て色々な所に連れて行った。
・・・・・・・・・
哲也は、早くもプロ野球の全ての球団に目をつけられていた。
いくつもの球団のスカウトが哲也の家に来て、将来、入団して欲しい旨を伝えた。
そのことは学校中に知れ渡った。
当然ではあるが。
・・・・・・・・
ある日曜日。
いつものように哲也は京子の家に行った。
「哲也さん。プロ野球の全球団がスカウトしているんですってね。おめでとうございます。哲也さんなら、きっと素晴らしい選手になれると思います。頑張って下さい。応援します」
京子が言った。
「京子さん。そんな、よそよそしいことは言わないで下さい。今日はもっと重要な要件で来たんです」
哲也は真顔で京子を見た。
「・・・な、何でしょうか。重要な要件って?」
「もし僕がプロ野球選手になったら・・・・その時は僕と結婚して下さい」
京子は面食らった。
突然のプロポーズに。
しばし言葉が出なかった。
京子はしばし迷った後、
「哲也さん。私を同情してくれるのは嬉しいのですが・・・」
と言った。
「同情なんかじゃありません」
哲也は大きな声で言った。
「いいんです。哲也さんには五体満足な奇麗な女子アナか女優がふさわしいんです」
京子が言った。
「あなたは自分が素晴らしい物を持っていることに気づいていない」
「何ですか。私の持っている素晴らしい物って」
「誰よりも優しい心と人を思いやる心です」
哲也は京子を直視して言った。
京子は涙を流した。
「う、嬉しいです」
「ただし条件があります」
「何でしょうか。その条件というのは?」
「・・・それは、京子さんにとって、つらいことだろうと思います。しかしその条件を聞いてくれないのなら僕はあなたとは結婚したくはありません」
哲也はキッパリと言った。
「な、何でしょうか。その条件というのは?」
「プロ野球選手になれば遠征も多くなります。そういう時には僕は居ませんから、あなたは一人で生活しなければなりません」
京子は黙って聞いていた。
「だから僕が居ない時でも車椅子で外へ出て、勇気を出して、恥ずかしがらずに人に物を頼むということを身につけて欲しいのです。この条件を聞いてくれるのなら僕はあなたと結婚したい。しかし、この条件を聞いてくれないのなら僕はあなたとは結婚したくはありません」
哲也はキッパリと言った。
うっ。うっ。
京子は泣いていた。哲也の優しさに。
・・・・・・・・・
次の日曜日。
哲也は最寄りの駅である豪徳寺駅に京子を連れて行った。
豪徳寺駅は10段も階段があるので、車椅子の人は一人で、その階段を昇るのは不可能だった。
どうしても車椅子を両側から持ち上げてくれる男二人の協力が必要だった。
「さあ。僕が見ているから勇気を出して人に物を頼んでごらん。世の中は決して冷たい人ばかりじゃない。優しい人だっているんだ」
「・・・は、はい」
京子はおびえながら車椅子を押して豪徳寺駅の階段の前まで行った。
しかし、なかなか見ず知らずの赤の他人を直視することは出来なかった。
今まで、そんなこと一度もしたことがなかったからだ。
しばし迷っていたが京子は勇気を出して小さな声でボソッとつぶやいた。
「誰か私を上まで上げて下さい」
京子が人に物を頼むのは、これが生まれて初めてだった。
しかしその声は蚊の鳴くような、あまりにも小さい声だったので人には聞こえなかった。
京子はもう一度言った。
「誰か私を上まで上げて下さい。どなたか私を上まで上げて下さい」
少し声が大きくなった。
しかし誰も足を止めなかった。
思った通りだった。
どうせ私が頼んだからといって10段もある階段をあげてくれる人なんていないんだわ。
京子は捨て鉢な気持ちになっていた。
京子はもう一度言った。
「誰か私を上まで上げて下さい。どなたか私を上まで上げて下さい」
京子は、かなり大きな声で言った。
その時。
一人の男が立ち止まった。
「おーい。誰か手伝ってくれないか。この子は階段の上に昇りたがっているんだ。しかし私一人じゃ無理だ。誰か手伝ってくれないか」
男は大きな声で言った。
別の一人の男が立ち止まった。
男は言った。
「オレも手伝うよ」
二人の男は京子の乗った車椅子を両側から持って、よいしょ、よいしょ、と京子を豪徳寺駅の階段の上に運んだ。
こっそりついてきて、その光景を見ていた母親は、うううっ、と泣き崩れた。
「あ、ありがとうございます」
京子はお礼を言った。
世の中には優しい人だっている。
京子はそれを実感した。
私も勇気を出して、もっと強くならなければ、と京子は思った。
商店街ではゴダイゴの「The Sun Is Setting On The West」が流れていた。
・・・・・・・・・・
哲也は近くの青葉台高校に進学した。
京子は成績は良かったが、いじめられるのが怖くて高校には進学しなかった。
哲也は青葉台高校の野球部で大活躍した。
哲也の進学した青葉台高校は野球の強豪校ではなかった。
むしろ甲子園に一度も出場したことのない無名校だった。
しかし哲也は一年の時から150km/hのストレートを投げられ、バッティングもバットコントロールが素晴らしく長打力があったので対抗試合では、いつもノーヒットノーランで勝てた。
高校の三回の夏の甲子園大会には、青葉台高校は全部、出場して三回とも優勝した。
哲也の素晴らしいピッチングとバッティングのおかげで。
三年の甲子園大会が終わると哲也は全てのプロ野球の球団にドラフト1位で指名された。
くじ引きの結果、哲也は横浜DeNAベイスターズに入団した。
そして京子と結婚した。
哲也は大きな教会で、友人、知人を大勢呼んで盛大な結婚式をした。
白髪の牧師が聖書を開いて哲也に向かって厳かに言った。
「山野哲也。汝、この女を妻として娶り、その健やかなる時も、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しい時も、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り真心を尽くすことを誓うか?」
牧師が言った。
「誓います」
哲也は力強く言った。
次に牧師は車椅子に乗っている佐藤京子の方へ視線を向けた。
「佐藤京子。汝、この男を夫とし、その健やかなる時も、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しい時も、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り真心を尽くすことを誓うか?」
牧師が言った。
「誓います」
京子は厳かに言った。
二人はエンゲージリングを交換し合った。
パチパチパチと盛大な拍手が起こった。
オープン戦の日。
巨人VS横浜DeNAベイスターズの試合。
京子は車椅子で始球式をした。
パチパチパチと球場から盛大な拍手が起こった。
この話はテレビ、新聞、週刊誌、あらゆるメディアで日本全国に報道された。
山田太一という脚本家が、これはドラマになる、と感動し、脚本を書き、女優の斎藤とも子を京子役にし、京本政樹を哲也役にし、そして鶴田浩二、清水健太郎、岸本佳代子、赤木春恵、柴俊夫、などの豪華キャストをそろえて、「車輪の一歩」というタイトルでドラマを作った。
それは日本中で大ヒットした。
それがキッカケで日本のバリアフリーは一気にすすんでいった。


2024年1月27日(土)擱筆




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伊藤美誠の母親はスポーツ指導者としてバカの典型

2024-01-26 18:03:01 | 武道・スポーツ
伊藤美誠の母親はスポーツ指導者としてバカの典型。

こういうバカな指導者が生徒を潰す。

巨人の星じゃねーんだよ。

スポーツ上達の理論を何も知らない。

壮絶!英才教育 卓球・伊藤美誠物語 ~愛情あふれる深夜の猛特訓



では優れた指導者もあげておこう。

それは元阪神の藤川球児である。

彼はピッチャーとしても優れていたが、指導者としても優れている。

スポーツ上達の理論を知っている。

藤川球児が火の玉ストレートの投げ方を伝授します

この動画を見て藤川球児は指導者としても優れているとわかった。

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水泳5時間

2024-01-22 19:15:01 | 医学・病気
水泳5時間。1時~6時。寒くない。喘息起こらず。寒暖差アレルギー起こらず。体が寒さに慣れたか。大寒を過ぎたためか。

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ブルース・リーが振っているのはヌンチャクじゃない

2024-01-22 04:02:01 | 武道・スポーツ
ブルース・リーが振っているのはヌンチャクじゃない。

確かに二つの棒をチェーンで結んでいるので形としては、ヌンチャクである。

僕は最初、ブルース・リーの映画をテレビで観た時から、そう思っていた。

ヌンチャクは沖縄空手の武器である。

そしてヌンチャクの型というものもある。

しかし、沖縄空手のヌンチャクの型はもっと地味なもので、ブルース・リーのように派手に振り回したりしない。

ブルース・リーが振っているのは、おそらく、ブルース・リーの友達であるダニー・イノサントのフィリピン武術、エスクリマの武器、タバクトヨクだろう。

ブルース・リーが振っているヌンチャク(と言われているもの)は、形は確かにヌンチャクと同じであるが違う点がある。

ブルース・リーが振っているヌンチャク(と言われている物)は沖縄空手のヌンチャクと比べて、二本の棒をつないでいる、チェーンの部分が非常に長い。

そして、あまり重くないだろう。

僕も2021年の5月9日に、武道具屋でヌンチャクを買って、ブルース・リーが「燃えよドラゴン」や「死亡遊戯」で振っている型と全く同じ型を練習して身につけたが、ブルース・リーのように、速く華麗には振れない。

ヌンチャクを買った

「死亡遊戯」でブルース・リーとダニー・イノサントが対決している動画があるが、ダニー・イノサントが振っているのは、つなぎの部分が短く、あれはヌンチャクである。

ブルース・リーとダニー・イノサントのヌンチャク対決の動画




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さよなら(オフコース)

2024-01-20 11:14:42 | Weblog
さよなら(オフコース)

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台湾の総統選挙

2024-01-14 12:02:16 | 政治
台湾の総統選挙で、蔡英文氏の路線、親米対中国強硬路線を訴える民進党の頼清徳氏が、勝利したのは単純に嬉しい。

しかも。

民進党の頼清徳氏 558万6019票、
国民党の侯友宜氏 467万1021票、
民衆党の柯文哲氏 369万466票、

なので二位の侯友宜氏に100万票の差をつけての大差である。

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能登半島地震は人工地震か?

2024-01-13 18:10:51 | 考察文
能登半島地震は人工地震か?

snsでは能登半島地震が人工地震という説が出ているようだ。

(私もツイッターをやりたいのだが作り方に失敗して作りたくても作れない。教えてくれる人を探したけどダメだった。いつか作ろうと思っている)

地震の大きなエネルギー量は単純に考えても、水素爆弾100個を、爆発させても起こすことは出来ないはずだ。

しかし。それは水素爆弾100個を単純に海中で爆発させた場合のこと。

そんなことしても地震は起こせない。

しかし。

日本は環太平洋造山帯で地震は起きやすい。

なので、プレートの状態を綿密に調べ、プレートの弱い所に、水素爆弾100個を、仕掛ければ、話は別。

なので、能登半島地震が人工地震なのか、どうかを調べよう。

人工地震Wikipedia

これによると、マグニチュード5の地震は人工的に起こせるらしい。

なら、マグニチュード7の地震も起こせるだろう。

なので能登半島地震が人工地震である可能性は否定できない。

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倉田真由美氏、能登半島地震で亡くなった5歳児への医師対応に怒り「真っ先に診療されるべき」

2024-01-12 01:05:21 | 医学・病気
倉田真由美氏、能登半島地震で亡くなった5歳児への医師対応に怒り「真っ先に診療されるべき」

一部引用「続く投稿では「換気だのマスクだの、非常時に優先されるようなことか。ウクライナやガザでそんなこと言う人なんか一人もいない。日本でだけいつまでもいつまでも、何よりも優先してコロナを恐れ続けている。低体温症より、大火傷による発熱より、コロナが怖いというのか」と憤っていた。」

その通り。

日本医師会、日本政府はいつまで、風邪より症状が軽いコロナ利権を続けるつもりか?

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水泳4時間

2024-01-10 17:58:05 | 医学・病気
水泳4時間。2週間ぶり。喘息起こらず。ジャグジーが出来ていた。しかし10分の休み時間にジャグジーに入って温まると、次、泳ぐ時、水が冷たい。なので、ジャグジーには入らない。寒暖差アレルギー。休みがなく、続けて長時間、泳げる方がいい。

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コロナ対策は間違っていた「清水宣明教授」

2024-01-03 22:09:17 | 医学・病気
コロナ対策は間違っていた「清水宣明教授」

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宮沢孝幸先生のコロナ総括の話

2024-01-03 22:02:17 | 医学・病気
宮沢孝幸先生のコロナ総括の話

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謹賀新年

2024-01-01 00:02:33 | Weblog
謹賀新年

あけましておめでとうございます。

今年が皆様にとって良い年でありますように。

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