小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

古林尚氏と三島由紀夫

2014-10-30 23:40:55 | Weblog
五木寛之さんは、

「引揚者は、自分だけ生きのびたことに罪悪感を感じている」(1)

と言った。

これは、三島由紀夫の自殺の動機と、同じである。

三島由紀夫も、学徒出陣、特攻隊で死んでいった、学生に対し、自分は、徹底的に、(父親の作戦でもあるが)徴兵逃れ、をし、それでも、乙種合格して、遺書まで書いて、しかし、肺炎と誤診されて即日帰郷した。三島は、生きたことに、飛び上がって喜んだ。

しかし、同時に、三島由紀夫は、特攻で死んでいった学生に対し、自分だけ、生きのびた、ことに、戦後になっても、ずっと後ろめたさを感じていた。三島由紀夫は、特攻隊の学生の苦悩を、日本と、ドイツという西洋のギャップに悩みぬいて、しかし、決断した、と言っているが、これは、三島由紀夫、個人にとっての苦悩であって、ああまで、軍部の洗脳を受ければ、アメリカは、鬼畜であり、日本がアメリカに負けたら、日本の天皇制、文化、伝統、が、壊されて、アメリカの植民地にされてしまう、と思って、命をかけて決断した人も多いだろう。

三島由紀夫の死の10日前に、古林尚氏と対談しているが。古林尚氏も海軍で、誠実な人で、自分だけが生きのびたことに、苦悩した。その点、三島由紀夫と共通点がある。しかし、古林尚氏は、死んだ兵士を忘れることは出来なかったが、それでも、いつまでも、過去のことばかり考えていてはいけない、日本を作っていかなければならない、と、苦悩を切断した。それが、日本人の多くの気持ちでもあった。

しかし多くの日本人は、朝鮮特需、高度経済成長、もはや戦後ではない、所得倍増計画、あたりから、うかれだし、アメリカの平和主義の教育から、戦争=悪、と考えるようになった。なので、太平洋戦争は、いまわしいものとして、目をそむけるようになった。

しかし、五木寛之にしろ、三島由紀夫にしろ、古林尚氏にしろ、誠実な人間は、うかれることなく、過去を背負って生きているのである。

古林尚氏と三島由紀夫を比較すると、古林尚氏の方が、考え方として、まっとうである。過去を忘れず、しかし、残された者の使命として、生きて日本を再建する、という考えなのだから。

ただ、三島由紀夫にとっては、徴兵合格し、遺書まで書いた、そして戦後の日本を批判し続けた、など、古林尚氏などより、はるかに、戦争で死んでいった特攻隊のことが、忘れることが出来なかった。それで、自分の言動の責任をとり、自決した。

ただ、それだけが三島由紀夫の死の動機ではない。歳をとりたくない。ボディービルで作り上げた肉体を衰えさせたくない。維新の志士たちや、特攻隊のように、一図に行動して、死にたい、英雄的な死に方をしたい、など、自分のための理由もある。

私は、「三島由紀夫の最後の反社会的な行動を感心出来ない」などと言っている人が嫌いである。

三島由紀夫にとっては、自分の死後、自分がどう評価されるかは、わからないのである。しかし、反社会的な行動なのは明白であり、非難されることは、もう十分、死ぬ前からわかる。

作家と作品は、世間では、共通のものと見なされる。ああいう、反社会的な行動をとったら、三島の文学作品まで、否定されかねない。それをも、覚悟の上で、とった行動が、どんなに、勇気のいるものであったことか。

梶原一騎の場合にしても、編集長に暴行して逮捕された、ことで、その直後から、梶原一騎の作品まで、一挙に全面的に否定された。ではないか。

ソフトバンク優勝

2014-10-30 22:40:34 | Weblog
ソフトバンクが、日本シリーズで、阪神をやぶり優勝した。ソフトバンクが勝つと思っていた。

内川、松田、イデホ、など、強い選手が多い。

それにしても、阪神の和田監督は、感情を全くあらわさない。

マリア・シャラポア

2014-10-30 14:33:43 | Weblog
美しい。美しすぎるテニスプレーヤーである。

テニスの賞金と、写真集の印税の、両方で稼げる。

五木寛之

2014-10-29 17:56:40 | Weblog
テレビで、五木寛之さんが話しているのを見た。本人は謙遜しているが、何て理想の高い人なんだろう、と尊敬した。

「引揚者は、自分だけ生きのびたという罪悪感を感じている」(1)

「世で成功している人は、他人を蹴落とす競争社会で勝ってきた人間であり、みな悪人である」(2)

という言葉が印象的だった。

(1)(2)ともに、全ての人が、そう思っているはずなど絶対ない。むしろ、世人の感性は逆である場合もある。

(1)(2)とも、他人に対する非難ではなく、五木寛之さんが、自分自身に対して感じてしまう、自責の念である。はっきり言って、一般人の感性は、愚鈍である。

ああいう優れた感性を持っているから、五木寛之さんは、素晴らしい作品を膨大に書けるのだ。

私が、五木寛之さんのファンになったのは、たまたま、図書館で、「疾れ。逆ハンぐれん隊」の1巻から5巻までが、リサイクルの棚にあったのを、持って帰ったことによる。初めは、タイトルからして、あまり、面白そうでないように感じて、ツン読だったが、読み始めると、何と面白いこと。中学生から大人まで読めるが、子供向けのため、文体が凝っていなく、テンポがいい。五木寛之が、カーマニアだったことも知った。車に乗りたいのに、時間がなくて乗れない博学のバンドー先生に自分を少し重ねているのだろう。続編が、もっとあって、面白い作品なのに、絶版なので、だけど、どうしても、手に入れたくて、ネットで、全巻、手に入れた。一生、捨てることは出来ない。

「狼たち伝説」の中の、「フライパンの唱」と、パターンが似ている所がある。

「平凡な物が、超一流に勝つ」という、パターンである。

「フランチェスカの鐘」の中の、「当麻寺の雨」や、「蓮如」などでは、わずかな一文に、美しいエロチックさを感じる。

五木寛之というと、代表作、「青春の門」から、真面目な、堅苦しい小説、というイメージを抱きやすいが、「疾れ。逆ハンぐれん隊」のように、極めてユーモラスな作品も書けることに、驚いた。

私は、「疾れ。逆ハンぐれん隊」に出会っていなかったら、五木寛之のファンにはなっていなかった、だろう。

そういう点、読書は、一期一会である。

イスラム教

2014-10-29 04:58:37 | Weblog
イスラム教では、アラーの神の偶像を、作ることを禁止している。

それが、イスラム教の優れた点であり、同時に、イスラム教が広まりにくい点でもある。

しかし、イスラム教は、戒律が厳しい。それは、キリスト教のカトリックの厳しさに似ている。だから、カトリックやイスラム教の信者は、信仰心が本物なのである。

海外旅行

2014-10-28 23:30:21 | Weblog
寒くて、腹が痛くて、不眠で、元気が出なくて、小説が書けない。

体調の良かった、7月8月には、一日中、10時間以上、書いていた。一日、原稿用紙30枚、書く時もあった。

しかし、今は、体調が悪くて、一日、一行も書けない。体調が悪い時は、本も読めない。

五年前の冬、小説を書くために、ハワイに行った。本土では、寒くて書けなかったが、ハワイでは、体調が良く、書けた。

小説を書くため、沖縄かハワイかグアムへでも、数日、行こうか、と本気で思っている。

どうして腱を痛めた時、筋肉を鍛えるのか

2014-10-28 00:09:35 | Weblog
腱は、筋肉の先についていて、骨と筋肉をつなげている。腱が炎症を起こすと、治療に、その筋肉を鍛える。

それは、なぜか。

それは。スポーツ、では、トップアスリートといえども。運動においては、全力を出し切っているが、個々の筋肉においては、全力を出し切っていないからである。

一つの部位の筋肉だけを、使うスポーツというのは、無いのである。

全てのスポーツでは、一つの、運動の始まりから、終わりまで、の過程で、体全体の調和のとれた運動をしているからである。

たとえば、水泳のクロールなら、エントリーから、いきなり、入水した手で、全力で、水をかく、ことなど、しない。のである。そんなことをしたら、水をキャッチしていなく、一瞬、水をピュッとかくだけで、推進力など、生まれないのである。いかに、水をキャッチし、水の塊を壊さず、押さえつつ、後方に、それを、いかに、効率よく、押すか、が、推進力を生み出すのである。それには、肩、大胸筋、体幹の筋肉、脚、などの、各筋肉が、バランスをとって、運動しているから、よいフォームとなり、もっとも、有効な推進力を生み出しているのである。

これは、水泳に限らず。野球では、まず、腰の回転、体重移動、それから、体幹の筋肉、上半身の力、そして、腕の力、バットを握る握力、と、一連の動作によって、パワーが出ているのである。

一つの部位の筋肉だけを、使う場合、といえば、それは、体力測定の時か、筋トレの時か、だけである。筋トレも、正しい、やり方で、やらないと、一つの部位の筋肉だけを、有効に、鍛えることにはならない。

なので、どんなに、運動量が多く、筋肉が多い人でも、体の個々の、一部の筋肉を、フル稼働させて、運動しているのでは、ないのである。

なので、普段、使っている以上に筋肉を使うと、腱に、普段以上の、負荷がかかり、健を、痛める、ということが、起こりうるのである。

そして、腱が炎症を起こしたら、どうすればいいかというと、その筋肉を鍛えることなのである。

筋肉が弱いと、腱に、多くの負荷が、かかり、筋肉が多いと、腱にかかる負荷が、少なくなるのである。

それは、どんなに激しいスポーツでも、筋肉というものが、普段の運動において、全力を出し切っていないからである。

プロ野球選手の妻

2014-10-26 23:58:24 | Weblog
女子アナは、プロ野球選手なんかと、金に目がくらんで、結婚するな。

彼女らは、人間と結婚しているのではなく、金と結婚している。

プロ野球選手は、20歳から40歳までの20年間の人生である。あとは、おまけの人生である。しかも、それが出来るのは、幸運な少数派である。

40歳で人生が終わり。というのは、情けない。

松本清張なんかは、40歳から、小説を書き出して、80歳の死ぬ前日まで、小説を書き続けた。その作品数は、膨大である。

・・・

2014-10-26 23:58:24 | Weblog
・・・

湘南台ファンタジア

2014-10-26 16:00:19 | Weblog
湘南台ファンタジア、が行われた。

サンバの女の心理。

恥ずかしさ<生きている実感。

旅の恥は、掻き捨て。

濃いメイクによって、顔をわかりにくくしている。

30代後半~40代のおばさん、だろうが、肉体が崩れないうちに、肉体を見せびらかせたい。

体調がガタガタ

2014-10-25 22:33:11 | Weblog
不眠、腹痛、筋肉痛、腰痛、アレルギー、便秘、偽性イレウス、肩凝り、頭痛。

7月8月と、絶好調だったが、9月10月と、体調が地獄と化した。普通の人は、平均寿命の80歳以上まで、生きれることを前提に人生設計をしているのだろうが。私は、一年、生きれるかどうかの勝負という、感覚で生きている。再来年、生きていられる保証は全く感じていないので、まあ、一年は死なないだろうから、来年。今年の冬、乗り越えられるかどうか、で精一杯である。

道具を使ったスポーツ

2014-10-25 22:12:06 | Weblog
考察(体調が悪いので、これは下書きである。体調が良くなったら書き直します)

私は、空手が出来る。水泳も出来る。技術のレベルは、共に、「達人」である。技術が全て、とっくの昔に、完全のレベルに達して、今では、練習して、これ以上、上達する、ということも、なければ、練習しないブランクが、どんなに長く、あっても、技術が落ちる、ということもない。そういう意味での「達人」である。一度、自転車に乗れるようになったら、どんなに、長いブランクがあっても、自転車を操作する技術が落ちる、ということは、ありえない。それと同じである。スキーヤーは雪が降る、冬しかスキーが出来ない。しかも、スキーヤーは、ひと冬に、合計、約10日、滑るという人もいるだろう。年に10日しか、しなくても、技術が達人のレベルに達した人なら、技術が落ちるということは、ないのである。水泳にしても、一度、達人になったら、夏、10日しか、泳がない、という人もいるだろう。しかし、一度、技術が完成された人なら、練習しなくても、技術が落ちる、ということはないのである。それが、「技術」というものである。

しかし、こういうことは、私だけに限ったことではない。
「空手」がいい例である。空手を習ってる人は、(練習をやめない限り)上達の早い、遅い、は、あっても、熱心に続けて練習していれば、まず、みな達人になれる。これは、水泳でも、言える。
久しぶりにテニスを再開して、ある疑問が起こった。
それは、(私も含めて)テニスでは、練習を続けて、「達人」になっている人というのが、「いない」ことである。コーチの技術のレベルは、「達人」である。コーチには、直すべき悪い所というものはない。では、スクール生は、なぜ、コーチほどの技術レベルに到達することが出来ないのだろうか。
中級クラスで、サービスを打つ人を見て、確かに、それなりに、サービスは打てている。しかし、フォームも、完璧ではなく、技術も、完璧とは、さらさら言えない。私は、これを、なぜか、と考えた。女は筋肉量が少なく、体格が華奢だから、と一瞬、思った。しかし、それは、違う。

テニスでは、ラケットという物を使う。野球では、物は使わないで体だけで投げる。だから、野球の、投げる技術は、ごまかし、が利かないのであるが。物を使って打つと、物の利点をフルに利用できてしまうので、体の力で打たなくても(打てなくても)打ててしまうことが、起こるのである。物は手の延長。でなければならない。物を持った、体が、一つの体になったと考えなくては、ならない。つまり、テニスでいえば、手の先にラケットが、生えている体と、考えなくてはならない。物が自分の体の一部という感覚がなく、物は、体とは別のモノという、感覚でいる限り、テニスの技術は上達しない。
鞍上人なし、鞍下馬なし。オートバイ。棒術、ヌンチャクは簡単。剣道も簡単。ブルース・リーのヌンチャクの見事さ。剣道は、素人同士でも、出来る。卓球。

物を使ったスポーツでは、物(テニスならラケット。剣道なら竹刀)に頼ってしまう。という弊害が起こりうるからだ。パワーの元となる力は、あくまで、体の正しい動作によって、生み出されるべきなのだ。
道具を使わないスポーツでは、道具という物が、そもそも無いのだから、道具に頼る、という弊害、というか現象は、起こらないでくれる、というか、起こりようがない、のである。しかし、道具を使うスポーツでは、ややもすると。
中国拳法では、武器は手の延長。というが。
そもそも人間の手は、道具を使うことが器用であって、(というより人間の手は道具を使うためにある、と言ってもいいし、そう人類の発達でそう進化してきたのであり)。何も持たないで、何かをする、ということの方が、難しいのである。
何も持たないで、何かをする。これには、どんなものがあるだろうか。空手。ダンス。床体操。など。みな、難しい。
ピッチング。は難しい。始球式で、素人が投げるのが、いかに下手なのばかり、かを見れば、それは明白である。
つまり、こういうことが言える。
「道具を使ったスホーツは、初心者でも、出来やすい。しかし、それは、手先で道具を上手く操っているだけであって、正しい体の動かし方が身についているのではない。道具を使ったスホーツで、本当にそのスポーツの正しい動作を身につけるのは、非常に難しい。長い期間の訓練が必要である。そして、本当に、その技術が身についた状態、というのは、道具が体の一部として、体と一体化して、もはや、道具を使っている、という意識さえ、なくなってしまっている状態である」

箸や鉛筆は、幼少の頃からの訓練の結果、身につけた技術であるが、人間は、食事をしている時、箸を使っている、文章を書く時、鉛筆を使っている、という、意識を持っていない。

今日から日本シリーズ

2014-10-25 09:33:39 | Weblog
今日から日本シリーズである。

ソフトバンク対、阪神。今日は、6-2で、阪神が勝ったが。何となく、ソフトバンクが勝ちそう。

テニス再開

2014-10-21 20:09:42 | Weblog
テニスを再開した。二年ぶりである。去年の春に、右膝の内側側副靭帯を部分断裂して、(バキッと音がした)もうテニスは無理かと、思ったが、問題なく出来た。それと、前のテニススクールの権威主義、儲け主義に、嫌気がさしてもいた。しかし、新しいテニススクールが、いつの間にか、出来て、いて、威張らない、誠実な所なので、やることにした。

二年間、全く、やらなかったが、技術は落ちていない。

テニスをやる理由は、もちろん、大腿四頭筋と心肺機能を強くするためだけである。両方とも、物凄く効果がある。

ジムのトレッドミルでは、やはり面白くない。

里崎智也

2014-10-21 20:01:51 | Weblog
ロッテの里崎智也が引退した。好感の持てる選手だった。まだ若いのに、なぜか。プロ野球界で、おそらく一番、大きなオープンスタンスで構えて、打つ時は、インステップして打つ。どうして、ああいう打ち方をするのか、は、正確には、わからない。You-Tubeで、古田敦也氏が、オープンスタンスで構えるメリットを、説明している。