五木寛之さんは、
「引揚者は、自分だけ生きのびたことに罪悪感を感じている」(1)
と言った。
これは、三島由紀夫の自殺の動機と、同じである。
三島由紀夫も、学徒出陣、特攻隊で死んでいった、学生に対し、自分は、徹底的に、(父親の作戦でもあるが)徴兵逃れ、をし、それでも、乙種合格して、遺書まで書いて、しかし、肺炎と誤診されて即日帰郷した。三島は、生きたことに、飛び上がって喜んだ。
しかし、同時に、三島由紀夫は、特攻で死んでいった学生に対し、自分だけ、生きのびた、ことに、戦後になっても、ずっと後ろめたさを感じていた。三島由紀夫は、特攻隊の学生の苦悩を、日本と、ドイツという西洋のギャップに悩みぬいて、しかし、決断した、と言っているが、これは、三島由紀夫、個人にとっての苦悩であって、ああまで、軍部の洗脳を受ければ、アメリカは、鬼畜であり、日本がアメリカに負けたら、日本の天皇制、文化、伝統、が、壊されて、アメリカの植民地にされてしまう、と思って、命をかけて決断した人も多いだろう。
三島由紀夫の死の10日前に、古林尚氏と対談しているが。古林尚氏も海軍で、誠実な人で、自分だけが生きのびたことに、苦悩した。その点、三島由紀夫と共通点がある。しかし、古林尚氏は、死んだ兵士を忘れることは出来なかったが、それでも、いつまでも、過去のことばかり考えていてはいけない、日本を作っていかなければならない、と、苦悩を切断した。それが、日本人の多くの気持ちでもあった。
しかし多くの日本人は、朝鮮特需、高度経済成長、もはや戦後ではない、所得倍増計画、あたりから、うかれだし、アメリカの平和主義の教育から、戦争=悪、と考えるようになった。なので、太平洋戦争は、いまわしいものとして、目をそむけるようになった。
しかし、五木寛之にしろ、三島由紀夫にしろ、古林尚氏にしろ、誠実な人間は、うかれることなく、過去を背負って生きているのである。
古林尚氏と三島由紀夫を比較すると、古林尚氏の方が、考え方として、まっとうである。過去を忘れず、しかし、残された者の使命として、生きて日本を再建する、という考えなのだから。
ただ、三島由紀夫にとっては、徴兵合格し、遺書まで書いた、そして戦後の日本を批判し続けた、など、古林尚氏などより、はるかに、戦争で死んでいった特攻隊のことが、忘れることが出来なかった。それで、自分の言動の責任をとり、自決した。
ただ、それだけが三島由紀夫の死の動機ではない。歳をとりたくない。ボディービルで作り上げた肉体を衰えさせたくない。維新の志士たちや、特攻隊のように、一図に行動して、死にたい、英雄的な死に方をしたい、など、自分のための理由もある。
私は、「三島由紀夫の最後の反社会的な行動を感心出来ない」などと言っている人が嫌いである。
三島由紀夫にとっては、自分の死後、自分がどう評価されるかは、わからないのである。しかし、反社会的な行動なのは明白であり、非難されることは、もう十分、死ぬ前からわかる。
作家と作品は、世間では、共通のものと見なされる。ああいう、反社会的な行動をとったら、三島の文学作品まで、否定されかねない。それをも、覚悟の上で、とった行動が、どんなに、勇気のいるものであったことか。
梶原一騎の場合にしても、編集長に暴行して逮捕された、ことで、その直後から、梶原一騎の作品まで、一挙に全面的に否定された。ではないか。
「引揚者は、自分だけ生きのびたことに罪悪感を感じている」(1)
と言った。
これは、三島由紀夫の自殺の動機と、同じである。
三島由紀夫も、学徒出陣、特攻隊で死んでいった、学生に対し、自分は、徹底的に、(父親の作戦でもあるが)徴兵逃れ、をし、それでも、乙種合格して、遺書まで書いて、しかし、肺炎と誤診されて即日帰郷した。三島は、生きたことに、飛び上がって喜んだ。
しかし、同時に、三島由紀夫は、特攻で死んでいった学生に対し、自分だけ、生きのびた、ことに、戦後になっても、ずっと後ろめたさを感じていた。三島由紀夫は、特攻隊の学生の苦悩を、日本と、ドイツという西洋のギャップに悩みぬいて、しかし、決断した、と言っているが、これは、三島由紀夫、個人にとっての苦悩であって、ああまで、軍部の洗脳を受ければ、アメリカは、鬼畜であり、日本がアメリカに負けたら、日本の天皇制、文化、伝統、が、壊されて、アメリカの植民地にされてしまう、と思って、命をかけて決断した人も多いだろう。
三島由紀夫の死の10日前に、古林尚氏と対談しているが。古林尚氏も海軍で、誠実な人で、自分だけが生きのびたことに、苦悩した。その点、三島由紀夫と共通点がある。しかし、古林尚氏は、死んだ兵士を忘れることは出来なかったが、それでも、いつまでも、過去のことばかり考えていてはいけない、日本を作っていかなければならない、と、苦悩を切断した。それが、日本人の多くの気持ちでもあった。
しかし多くの日本人は、朝鮮特需、高度経済成長、もはや戦後ではない、所得倍増計画、あたりから、うかれだし、アメリカの平和主義の教育から、戦争=悪、と考えるようになった。なので、太平洋戦争は、いまわしいものとして、目をそむけるようになった。
しかし、五木寛之にしろ、三島由紀夫にしろ、古林尚氏にしろ、誠実な人間は、うかれることなく、過去を背負って生きているのである。
古林尚氏と三島由紀夫を比較すると、古林尚氏の方が、考え方として、まっとうである。過去を忘れず、しかし、残された者の使命として、生きて日本を再建する、という考えなのだから。
ただ、三島由紀夫にとっては、徴兵合格し、遺書まで書いた、そして戦後の日本を批判し続けた、など、古林尚氏などより、はるかに、戦争で死んでいった特攻隊のことが、忘れることが出来なかった。それで、自分の言動の責任をとり、自決した。
ただ、それだけが三島由紀夫の死の動機ではない。歳をとりたくない。ボディービルで作り上げた肉体を衰えさせたくない。維新の志士たちや、特攻隊のように、一図に行動して、死にたい、英雄的な死に方をしたい、など、自分のための理由もある。
私は、「三島由紀夫の最後の反社会的な行動を感心出来ない」などと言っている人が嫌いである。
三島由紀夫にとっては、自分の死後、自分がどう評価されるかは、わからないのである。しかし、反社会的な行動なのは明白であり、非難されることは、もう十分、死ぬ前からわかる。
作家と作品は、世間では、共通のものと見なされる。ああいう、反社会的な行動をとったら、三島の文学作品まで、否定されかねない。それをも、覚悟の上で、とった行動が、どんなに、勇気のいるものであったことか。
梶原一騎の場合にしても、編集長に暴行して逮捕された、ことで、その直後から、梶原一騎の作品まで、一挙に全面的に否定された。ではないか。