小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

厚生省は殺人省である

2009-10-30 18:13:23 | Weblog
檄文

厚生省は殺人省である。これは何の誇張もない。事実である。支払基金は頭が狂っている。薬の量の上限を決めて、それ以上だすな、とは、どういう事だ。たとえば睡眠薬にしても、上限を決めてそれ以上ださせないとは、どういうことだ。病気は教科書に書いてある理屈どおりには、いかないのは当たり前である。世の中に一人として同じ病気、病人はいない。上限以上の量、飲まないと眠れない患者は、眠らず苦しめ、と言っているのである。いくら医療費が日本経済を逼迫しているとはいえ、狂った医療費の切り詰め方は人を殺すのは当然である。民主党よ。「ムダをなくす」のバカの一つ覚えのスローガンはいいが、ムダをなくすために人を殺してもいいのか。霞ヶ関の官僚を動かしてみろ。霞ヶ関を変えられないなら、自民党から民主党と、内閣の雛壇の名前が挿げ替っだけに過ぎない。そもそも、前回の選挙では、民主党が実力で勝ったのではなく、自民党が負けただけに過ぎない。しかも小選挙区の戦いでは、自民党の大物議員は、僅差で負けているに過ぎない。圧勝でも何でもない。国民の意識が雪崩現象を起こしたのに過ぎない。もう日本にいいかげん愛想がつきた。お坊ちゃまの鳩山、きれい事の菅直人、すべて偽善の象徴である。てめえが権力の座にしがみつきたいだけである。国民もそれに、すぐに目が覚めるだろう。民主主義は衆愚主義政治である。そうじゃないと言うなら霞ヶ関の官僚を動かしてみろ。出来やしねえに決まってる。

医者には、どういう方法の治療がいいか決める裁量権がある。(医者は患者の病気を治す事しか考えていない)また患者も、こういう方法の治療をして欲しいと医者に言う権利がある。そして医者と患者が話し合った上で治療方法や、出す薬が決められるべきなのである。それが当たり前である。病人の病気の事を一番良く知っているのは当事者である医者と患者だけである。なのに、なぜ患者を診療もしていない役人が、病名だけで、こういう治療はしてはいけないだの、こういう薬は出してはいけないだのと言えるのだ???役人は超能力者で患者を診察しないでも、病名を見ただけで患者に一番いい治療法や薬がわかるというのか???厚生省の官僚はバカだから医者性悪説をかってに決めつけ、医者は儲けるために必要もない薬をジャンジャン出していると信じきっている阿呆どもなのである。

より正確に言うと、「休まず、遅れず、働かず」が役人、官僚の守るべき三大原則であるから、真面目に医療問題を考えようとしておらず、昼はマンガを読んで、夜は、国民の税金で遊び、また官僚はしたたか、だから、自分達がおかしな事をしている事を知っているうえで、医者性悪説を口実にして、可能なかぎり医療費を引き下げている、というのが厚生省のホンネで現実なのである。

精神科のメリット。デメリット

2009-10-26 04:23:30 | Weblog
メリット

訴えられない。
9時~5時勤務。アフターファイブを楽しめる。
手術しなくていい。
クリニック開業しやすい。
なんやら世間からインテリと見なされる。
やっかいな患者がいなければ、わりと楽。

デメリット

精神的ストレスがかかる。
病人を治したというやり応えが無い。
内科医から精神科は転科、出来るが、逆は出来ない。
休日も患者の訴えに悩まされる。
内科の知識が低下する。
アナムネや書く事が多くウザッたい。
神秘的でも何でもない。
威張った性格になり人間としての人格が崩壊する。
座ったままなので体力が落ちる。
患者から「退院させろ。お前は医者じゃない。不当監禁だ。訴えてやる」等々あらゆる悪罵を浴びせられる。
ストレスのため精神科医自身が、うつ病になり睡眠薬を飲まなくては眠れなくなる。




湘南台ファンタジア

2009-10-25 16:21:02 | Weblog
今日は湘南台ファンタジアの二日目である。昨日は行けなかった。今日は、朝、雨で昼にはやんだが少し寒い曇り空である。金魚すくいがあったので、やった。持ち帰りなしの遊びだけだと2回できて、3百円である。金魚は、弱そうな金魚ばかりが狙われるので、ますます弱ってしまう。元気な金魚は狙われない。金魚の世界にも資本主義的な所がある。金魚めいわくである。持ち帰りでなく遊びだけなら、破れにくい、わりと強い網と書いてあった。もっともらしい。一回目20匹。二回目10匹とれた。しかし、網が破れにくい網であるという証拠は無い。それで金魚屋のおやじに聞いてみた。
「本当に破れにくい網なんですか?」
「ああ。本当だよ」
「じゃあ、それを証明して下さい」
すると、5~6人の頬に傷のあるガラの悪い連中がやってきて、私を取り巻いた。
「おう。にいちゃんよ。ちょっと、顔かしな」
男の一人がドスの効いた声で言った。
私は彼らと公園の隅の方に行った。
「おう。ドラゴン。命はおしくねえのか」
男達は小刀を取り出して抜いた。
「ううん。別に」
私は、焼き玉蜀黍をかじりながら余裕の口調で言った。
「やっちまえ」
男達は一斉に私に襲いかかった。
キエー。
ジャンプ一番、ブルース・リャン顔負けの飛び後ろ回し蹴りで一人を倒した。
他の男も、連続回し蹴りや横蹴り、飛び二人蹴りで倒した。
「あっははは」
私は高らかに笑った。
「ちくしょう。おぼえてろ」
ガラの悪い連中は、お決まりの捨てセリフを吐いて、一目散に逃げていった。

終劇

幸いなるかな心貧しき者

2009-10-21 23:19:56 | Weblog
幸いなるかな心貧しき者、天国は汝らのものなり(マタイ伝5章3節)

これはキリストの言葉である。この意味が解る人がクリスチャンの中にでもいるだろうか。私は中学、高校とミッションスクールである自由学園で過ごしたが、毎日、礼拝があった。私はこの文に躓いた。
「なぜ心の貧しい者が幸いなのか」
これは日本語としてなっていない。
「幸いなるかな心豊かな者」
なら正しい日本語である。誰も納得する。では、なぜ心の貧しい者が幸いなのか。多くのクリスチャンは、「心貧しい」の意味をこう解釈するだろう。「心貧しい」とは、「おごらない者」「へりくだった者」「おのれの愚かさに悩む者」などなどと。理想的模範解答的解釈である。しかし私は全く、そうは解釈していない。ではさらにクリスチャンの方々に質問したい。ではなぜキリストは、
「幸いなるかな、おごらぬ者」
「幸いなるかな、へりくだりたる者」
「幸いなるかな、おのれの愚かさを知る者」
と言わなかったのか。そう言った方が解り易いではないか。日本語としても全く矛盾がない。そう言わなかった理由を答えられるクリスチャンはいるであろうか?
おそらくいないと思う。私の解釈はホームページの「失楽園」という小説に書いてある。
キリスト教を博愛の宗教と思っている人はよほ、どおめでたい人である。勿論、そういう人は聖書なんか読んだことのない人である。聖書を通読すればわかるが、キリストはかなり過激な事を言っている。当然、私はそれらの意味を全部、説明できる。ミッションスクールや教会でも、キリストの無難な発言だけをとりあけで話すが、キリストの過激な発言は決して触れない。まあ、ミッションスクールの礼拝では、それでもいいとは思うが。クリスチャンは意味の解らないまま、お人よしとして一生、過ごすのものいいのではなかろうか。

冬に向かう

2009-10-19 21:27:56 | Weblog
とうとうエアコンが冷房から暖房に切り替わり始めた。来年のカレンダーも書店で売り出されている。5時はまだ明るいが6時には、外はもう真っ暗である。

同窓会

2009-10-19 21:10:34 | Weblog
中学、高校を過ごした自由学園から同窓会の知らせが来た。私のクラスは、ほとんどは大学部に進学している。一部、私のように、大学部に行かなかった者もいるが。私は自由学園が嫌いだか、行ってみようと思う。一期一会である。同級生がどんな仕事や人生を送ってきたのかには興味がある。そもそもあんな学校の大学部に行く人間は覇気のないヤツであるから、たかが知れている。

私には学校の授業をサボって寮で麻雀をする生徒の心理がわからない。10時の開店前のパチンコ店の前で行列をつくって並んでいる人間の心理もわからない。おそらく永遠にわからないだろう。また、わかりたくもない。

嘉門達夫

2009-10-17 23:14:04 | Weblog
天才という言葉を安直に使うべきではないとは思っているが。そもそも、天才の定義は何なのか。E・クレッチュマーや宮城音弥が定義するところの天才の定義は、大体、同じである。
クレッチュマーの定義では嘉門達夫は天才と言えなくなってしまう。
しかし私は嘉門達夫を天才と言って全く差し支えないと感じている。言うなれば、嘉門達夫は自分の先天的な才能を見誤る事がなく、その感性で見事な独創的な作品を作っているからである。ああいう、同音異義語のギャグは、単なるふざけ、ではない。精神科医なら知っているが、統合失調症の患者に現れる言葉のサラダは同音異義語と大いに関係があるのである。統合失調症と天才は紙一重、という諺は大いに妥当性があるのである。私が嘉門達夫が好きなのは、彼はギャグを言うが、人をキズつける事を全く言わないその感性ゆえである。

精神科医ほど人間の心理が読めない

2009-10-17 21:52:40 | Weblog
精神科医は、人間の心理を読める医者だと世間では思われがちだが、私は、前から精神科医の方が他科の医者より人間の心理が読めない、という思いを密かに持っていた。そして、ある時、他科の医者と話をして、その人が、ものの見事に、そのことを言って、しかも、理由まで、きちんと述べたので痛快な思いがした。
精神科医は、統合失調症の患者との会話が多いが、統合失調症の患者の訴えは、明らかに間違っている。そのため、どうしても、どうやったら、相手の考えの過ちを気づかせようかと、いわば、上から人間を見がちになるのである。それは、統合失調症に限らず、神経症、人格障害、などでも同じである。つまり、精神科医は精神を病んでいる患者ばかり診ているから、対話は、相手の考えの過ちを気づかせようとする説教的な気持ちになるのである。精神科クリニックに行く患者も、精神科医の意見を請いにクリニックに行く。そのため、会話は、対等というより、上下関係のある会話になりがちなのである。
それに較べると、他科の医者は、肉体の病気だから、対話は、対等であり、虚虚実実のやりとりになる。さらに、医者よりも、商談をまとめようとする商社マンの方が、もっと、虚虚実実の手に汗にぎる、やりとりが要求されるから、相手の心理を読むことに必死である。それに較べると、精神科医なんて、対話において、たいして緊張感など持っていない。精神の病人ばかりを診ているからだ。
精神科医が、詳しいのは、統合失調症の患者の病人に現れる特有の心理だけである。これは、専門的な知識が要求され、一般の人の常識的アドバイスでは、ダメな場合も多い。
そのため、精神科医は、精神を病んでいない一般の人の心理を読むのが特に優れているわけではない。

ブルース・リーの蹴り

2009-10-17 21:52:40 | Weblog
フルコンタクト系の空手の廻し蹴りは、足が、棒を振って止めた時のように撓る。一方、ブルース・リーの蹴りは撓っていない。映画をよく見てみればわかる。ブルース・リーの回し蹴りは、フルコンタクト系のような回し蹴りではない。空手の蹴りは流派やルールによって、外見の形は変わるが原理の基本は同じである。極真空手の第一回大会の時には、まだ撓る蹴りではなく、また、人によって間合いや、戦い方も様々だった。しかし、これは、全てのスポーツで言える事であるのだが、ルールというものが出来てスポーツ一つのとして完成されると、選手の体の動きは、そのルールの試合で勝つのに最も有効な形に変わっていくのである。スキーにしても、スキー板の性能の進歩によって、滑り方も変わっていく。テニスもラケットの進歩によって、フォームが変わっていく。それで、極真の場合を考えると、極真の試合では、一撃が敵に最も強いダメージを与えるように、蹴りの形が完成されているように見受けられる。そのため出来上がった蹴りが、あの脱力の撓るような蹴りとなっているのだろう。しかし、ああいう蹴りではブルース・リーが映画でやっているような、変幻自在の連続蹴りは、出来にくいのではないだろうか。私は、極真の試合は、ほとんど見た事が無いのでよく知らないのだが。実際、極真のルールの試合では、変幻自在の連続蹴り、というものは必要ではない。ほとんど相手と密着した状態での、パンチとキックのコンビネーションの洗練さ、であり、つまり接近戦で最も有効なキックである。一方、ブルース・リーは、映画でもそうだが、おそらく、截拳道の練習でもそうだろうと思うが、相手と距離が離れた状態から、飛び込んでのキックで最も有効なもの、という観点で考えられているから、撓らないテコンドー的なキックになっているのだろう。

注射の出来ない医者

2009-10-17 02:21:53 | Weblog
家の割と近くのクリニックに点滴の出来ない医者がいる。
「点滴に自信ありますか」
と聞くと、
「失礼な」
と怒る。プライドが高くて怒るのは、いいが、それならちゃんと点滴を血管に入れてみろ。5回も6回もやっても、入れられないのである。私は痩せていて、静脈が浮き出ているから、非常に入れやすい理想の血管である。他のクリニックのナースで外された事はない。一発で入る。私の血管に入れられないのなら、太った人やDMの人ではとても、入れられないだろう。普通、注射は医者よりナースの方がうまいのである。だが、そのクリニックでは、ナースもまともに注射が出来ないのである。ルート確保など医者の常識である。血圧下がった患者に、ルート確保出来なかったらボスミン(昇圧剤)入れられないではないか。ルート確保できずに患者を死なせたらシャレにもならない。練習する機会はいくらでもあるのに、いつまでたっても下手で出来ないのである。私が研修医の時は、私は最初の半年は、注射の練習にあけくれた。ルート確保は医者の基本中の基本であるからである。看護婦もやる気のないヤツばかりである。診療時間が終わったら、ごろ寝してテレビみるより、注射の練習をしようという覇気のあるヤツなどいない。根性が腐ってる。普通の真面目なナースは、注射は絶対的に基本的な事であるという自覚があるから、自分の弟を使ったり、あるいは、生徒どうし、お互いに必死で注射の練習を看護学校時代にする。医療は人の命をあずかる仕事である。いいかげんな気持ちで、やる気がないなら、医学部や看護学校へ行くべきではない。

私はテロを是認する

2009-10-17 01:44:12 | Weblog
私はテロを是認する。だが私はテロを是認する、と発言したところで、私には何の権限もないから、どうなるわけでもない。それにテロリストはテロを起こすべくして起こしているのだから、どんなに治安のいい民主主義国家にあってもテロリズムを無くす事は不可能である。ということで、これは私の思いにとどまる。
ただ私が是認するテロリズムには、絶対の条件がある。それは、テロリストがその人の思考の限界でテロを起こすべきだと判断している、というのが一番目の条件である。二番目の条件は、テロを行なった場合、そのあと逃げ隠れせず、しっかりと責任を取る、という事である。これには、自殺という責任の取り方もいいだろうし、警察に自首して、司法の判断をあおぐ、という方法のどちらかである。
もしも誰かが、私を殺すべきだと、その人の思考の限界で判断したなら、私はその人のテロを認める。ただし、その後、逃げ隠れするような卑怯な二番目の条件のないテロリズムは認めない。
ただ、テロリストの思考の限界と言っても、洗脳ということが絡んでくると、ややこしくなる。洗脳された人の思想とは、その人の思想とは、言いにくいからである。
具体例で言うと。オウム真理教は、テロをした人は洗脳されているので、やっかいであ。しかし私はオウム真理教のテロを認めない。テロをした後、逃げ隠れして、第二の条件を守っていないからである。
2001年9月11日のアメリカのテロの場合。第一の条件も第二の条件も守っている。もっとも、組織的なテロだから上層部は逃げ隠れしているから、第二の条件を守っているとは言いにくい。そして、もう一つ、乗客という無辜の人間を道連れにしている、という点で、私はこのテロも認めない。というより私が是認するテロの条件は、三つあって、三番目は、目的と無関係の無辜の人間を殺さない、という事がある。そして、四番目の条件では、組織ではなく、孤独な個人のテロだけを私は認める。その四つの条件が満たされていれば私は、テロリストに甘んじて殺されてもいい。
私は、小泉の無条件のテロリズム否定に反対である。小泉の支持率が高かったのは、任期中に、9・11とか、北朝鮮の拉致問題で、平壌に行ったこと等があるだろう。「テロは断固として許されるべきものでない」と言った、あの嬉しそうな顔。氏にとっては、9.11は自分の正義感をアピール出来る最高の出来事だった。アホである。テロされる人間には何らかの思想的問題があるからテロされるのである。テロというものは無条件に否定すべきものではないと私は思っている。
日本人の好きな、忠臣蔵、にしたってテロである。

オウム真理教のテロの場合、麻原が首謀者であるが、テロの動機が、彼の純粋な思考ではさらさらない。麻原の、自分が日本に認められなかったための感情的な復讐心という低レベルな動機である。そしてテロした後、責任もとらず、逃げ隠れしたからオウムのテロは全く認めない。もし動機が純粋でテロの責任をとっていたなら私は認める。

「正義は成就されよ。たとえ世界が滅びるとも」
(カント)

とっちゃんこぞう武術家

2009-10-16 21:07:07 | Weblog
とっちゃんこぞう武術家
マーシャルアーツのロマンを進める武術家がいる。アホである。ストリートファイトでケンカを、売られたら、逃げればいい。逃げる事はなんら恥じではない。たとえ、相手がチンピラでも、骨の髄からの悪人というのは、極めて少ない。また、今、チンピラでも、将来、良い人間になることはある。高校生の不良は、将来、みな、ヤクザになるのだろうか。そんな莫迦な事はない。悪ぶっているのは、生理的に起こる反抗期にすぎない。もし、そういう人に、後遺症の残る怪我をさせたら、どうする気なのだ。いうまでもない。ほったらかしである。自分のとった行動に対する責任感が欠如しているからだ。後遺症の残る怪我人の治療を誰がしていると思うのだ。誰がアホ武術家の尻ぬぐいをしているのか、わかっているのか。自分のとった行動の責任をとれないような武術家を、とっちゃんこぞう武術家という。そういうのは、武術家とさえ言えない。

大島渚

2009-10-15 03:05:23 | Weblog
You-Tubeで野坂昭如が大島渚を殴るのを見つけた。痛快である。私は大島が嫌いである。映画監督としては非常に高名ではあるが。彼は映画指導でも、朝まで生テレビでも、やたらバカヤローと怒鳴る。私は、あらゆる指導的な立場の人でバカヤローしか言えない人間をこそ思考力の無い馬鹿だと思っている。それでも、その人の偽りのない性格が厳しくてバカヤローと言っているのなら、それほど悪いとは思わない。そういう人は他人と真剣な喧嘩的議論をするであろうから。しかし、大島氏は、バカヤローと怒鳴る事が、威厳のある指導者である、と勘違いしているように感じられる。これは、あらゆる分野の指導者に於いて言えることである。怒鳴られると、怒鳴られた新人の俳優は、萎縮してしまって、出来る演技さえ、出来なくなってしまう。怒られる事を怖れる事に意識が行ってしまい、出来る演技さえ出来なくなってしまう。そして、監督が満足すると、「よーし」などとおもむろに言われる。新人の俳優は何が何だかわからない。そしてやめていく。
「巨人の星」の星一徹の影響もあるのではいだろうか。
それなら、ひたすら優しい、「いい子。いい子」と誉める指導がいいのか、とアホな大島に反論されそうである。それは違う。指導に「厳しさ」や「しごき」は必要な場合もあるのである。ただ「しごき」には理論がしっかりあり、また「しごき」の理論をわかっている才能のある指導者は極めて少ないのである。空手家の南郷継正氏は、「しごき」というものの理論を解っていて、しっかりと論理的に文章といて書いている。
一方、アホの指導者は、生徒の持っている良い物まで潰す。

テニス考察

2009-10-13 20:51:20 | Weblog
テニススクールでは振り遅れている人が多い。そういう人はボールがワンバウンドしてからテークバックしている人が多い。これを直すには。これは意識するという事が大切である。漫然と打っていたのではフォームは変わらない。テークバックを早くする事をしっかり意識して、相手がボールを打ったら、「早く。早く」と唱えるといい。そしてテークバックは小さくした方がいい。大きなテークバックをすること自体が振り遅れの原因になる。テークバックが大きいと、来るポールが速い場合、打点が後ろになってしまう。これでは腕の力で強引に打たなくてはならなくなる。テークバックを小さくすること自体が振り遅れを防ぐ効果を出す。私は厚い握りではなく、薄い握りなので、打点は後ろになりやすい。テークバックを小さくすると、ラケットを引いた位置からボールが当たる打点までの距離が短くなるので、スイングの距離が短くなる。そのためスイングの距離を長くするためには、打点を前にしなくてはならなくなる。これも振り遅れを防ぐ効果を生む。そして打点が前になるという事が前足に体重を乗せ、体の回転も起こし、体重を乗せ、体の回転力でボールを打つというフォームに体が変わるのである。だだし、これは相手のボールが速い場合である。テニスはリズムのスポーツである。来るボールは速い場合もあれば、遅いのんびりとした場合もある。遅いボールに対し素早い小さなテークバックはナンセンスである。遅いボールに対しては、それにあわせた大きなテークバックと、テークバックをする時期もボールに合わせた、ゆっくりしたものでいいのであり、そうすべきなのである。つまり、来るボールの速さに合わせたテークバックをすべきである、ということなのである。速いボールは、運動エネルギーを持っているから、はじきが良く小さなテークバックでも、しっかり当てれば速いボールを返す事が出来る。しかし、遅い、ゆったりしたボールには運動エネルギーがないから、速いボールを返そうと思ったら、大きなテークバックをして力強くスイングし自分の力でボールにエネルギーを与えなくてはならない。

またコーチがフォームで注意やアドバイスをしたら、即座に外見のフォームだけコーチの言うように変えてみても、ほとんど上達はしない。自分が今、身につけているテニスの基本の動作は変えないまま、それでもコーチのアドバイスは頭にしっかり入れて、それを常に意識しつつ練習すべきなのである。コーチがアドバイスした事を忘れずに常に意識しながら練習をつづけると、ある程度の時間が経った後、フォームがコーチの言ったように自然と変わっていくのである。これはコーチのアドバイスが頭に意識されているか、されていないか、という意識の問題なのである。また、コーチや他の人のフォームをよく見たり、技術書を読んだり、ビデオを見たりして自分で考え、研究する事が大切なのである。スポーツは運動神経だけのものではない。考える人は上達し、考えない人は上達しない。のである。





テニス

2009-10-13 19:37:59 | Weblog
テニススクールに行って、テニスをした。テニススクールに行って野球をする人はいないだろうから、二重表現である。テニススクールに行って汗を流した、とでも言った方がいい。テニススクールでは、サーブ&ボレーや、試合では、平行陣で、ボレーが多く、それが不満だった。今のテニスのダブルスの試合はプロでも平行陣が主なのでしかたがない面はある。平行陣は速戦速決である。だからボレーの練習が多くなる。しかし、私はグランドストロークがしたいので、平行陣とコーチが言っても前には出ない。そんな私の気持ちを察してくれたのか、今日はグランドストロークの打ち合いをしてくれた。コーチとのグランドストロークのラリーは気持ちがいい。しかし、転んで膝を擦りむいてしまった。皮膚科でイソジンにユーパスタにソフラチュールの処置を受けた。一ヶ月は運動できなくなった。今日は暑く蝉が鳴いていた。