小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

詐欺メール

2010-06-13 05:54:06 | Weblog
変な詐欺メールがきた。私が昔、携帯サイトに入会して、長期に渡って料金の未払いをしているから、電話で連絡しろ、と言って電話番号が書いてある。というような内容である。しない場合、民事訴訟するという。私は携帯サイトに入会した事などない。

他の人は、こういう場合、どうするのだろうか。すぐに削除してしまうのだろうか。私は削除しなかった。警察に電話して、メールの全文を知らせてやった。私の予想では、おそらく電話したら、金を振り込めと、振込口座を言ってくるだろう。しかし、口座番号がわかれば、相手の名義と住所がわかる。アホだと思った。しかし、そこは詐欺師も考えてて、口座を他人から借りていて、本人の口座ではないらしい。しかし、口座がわかれば、貸しているヤツも共犯である。ともかく巧妙にやってて、詐欺メールからだけでは犯人はつきとめられず、警察もあまり乗り気ではなさそうだった。だが、電話番号が書いてあるのだから、犯人の声を聞くことは出来る。話をすることも出来る。警察が動かないのなら、私がだまされた振りをして、犯人と話をしようと思う。携帯やパソコンに疎い人を狙った稚拙犯であるかもしれない。警察が動かないならオレが動く。

よく医者は、善人悪人を問わず、相手が病気ならば治す、というパターンの人道的、感動的な考え方がある。しかし私は残念ながら、人間が出来ていないせいか、そうは考えない。ウジ虫は、ぶっ殺した方がいいと思っている。私はウジ虫に対しては、どんなにでも残酷になれる。とっ捕まえたら、カリギュラ以上の悪魔の拷問で、内臓を引きずり出す。法にまかせるべきだが、残念ながら私は、人間が出来ていないせいか、日本の法は、いかなる時でも遵守すべきという高邁な考えの人間ではない。また私は、世の不正を全て糾すべきだという立派な考えの持ち主ではない。私に、詐欺メールを送ってきたから、むかつくのである。他の人に詐欺メールを送るぶんには、別に何とも思わない。かってにやってな、である。ただ私にちょっかいを出すヤツは許さんだけである。

「男は一発、殴られたら10発、殴り返せ」

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梶原一騎論

2010-06-13 02:38:37 | Weblog
梶原一騎の作品の最期は、ほとんど全て、主人公の死で終わる。これはどうしてか。梶原は、戦前生まれであり、戦争を知っている。梶原は、漫画で特攻精神を描いているが、これは戦争を見た影響からではない。梶原一騎、自信が、戦争を見る、見ないに関わらず、生まれつき特攻精神を持った、そして特攻精神に価値を認めている人間であるからである。そして、ラストが主人公の死で終わるのも。必然がある。それは。三島由紀夫も論じているが、ある事にひたむきに命がけで行動に突き進んだ行動家が、目的を為した後どうすべきか、ということである。那須与一は、扇の的を射た後も生き延びた。行動家が、命がけの行動を成し遂げた後、平凡な人生を生き延びる事の、さびしさを論じている。それは、ちょうどオリンピックで、金メダルを取り、人生の目的を達成した後、解説者や、コーチや、芸能人や、平凡な家庭人になってしまうことの、さびしを、梶原一騎も三島由紀夫も感じているからである。それは私も、そして、一般の人の中にも、それを感じる人はいるだろう。子供向きの童話にしてもそうである。苦難の中で、ある青年と女が結ばれる物語で、苦難の末、二人が結ばれた後の平凡な、つつがない幸せな結婚生活を延々と書いた名作童話があるだろうか。行動家が最も美しく見えるのは、行動を成し遂げた瞬間である。その後など見たくないのである。もし行動の直後、死ねば理想的な美しい人生になる。そして、もし、その死が行動のエネルギーの激しさによる必然性の結果である死であれば、矛盾無く美しい。しかし現実には、それは出来ないし、現実には、行動を成し遂げた後にも、平凡人として生きることは、仕方がない。
しかし、そういう人の一生を正直に描いても美しいだろうか。漫画はフィクションであるから、最も美しいラストにしても、かまわない。し、梶原は、そういう意図で、主人公の最期を死で終わらせているのである。だから、梶原一騎は、特攻精神を描いてはいるが、特攻精神によって死ぬ事を奨励しているのでは、決してないのである。

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