小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

2010-04-25 01:40:15 | Weblog
鶯の鳴き声が近くに聞えた。あまりにもきれいなので、しばし立ち止まってしまった。まるで口笛を吹いて自分の声を自慢しているようである。鶯は当然、「どうだ。お前ら人間なんかに、こんなきれいな口笛など吹けないだろう」と人間を見下しているのである。私が、「ホーホケキョ」と口笛を吹いたら、鶯は、「オッホホホ ホケキョ」と啼いた。因みに日蓮は、この鶯の声の美しさに感動し、法華経こそが真理の教えだと悟ったという説がある。

オレもなったよ

2010-04-23 19:26:33 | Weblog
私の最も嫌いな言葉に、「オレもなったよ」というのがある。ある病気で苦しんでいる患者に、慰めのためや、自分がその病気を理解している事や、自分の見識、体験の豊富さや、それを克服した自分を自慢するため、からである。「オレもなったよ」だけでとどめるのなら悪くはない。むしろ、患者にとって力づけられる。しかし、その後、何を言うかで、180°方向が違ってしまう。「オレもなったよ」だけで、それで終わりならいいのだが。しかし、自分の経験だけから相手を理解した気になったり、自分の克服法を相手に押しつけずにはいられない人はよろしくない。そういうデリカシーのない人は結構、いるのである。そういう人は、苦しんでいる人にさらに鞭打っているということに自分でも気づいていないのである。世の中に、同じ顔の人が一人もいないように、全く同じ病気の人というのは一人もいないのである。本当に共通する部分だけに限定して、相手を慰めたり、自分の体験を話したりするのならいいのだが。そして、食い違う部分については、触れない方がいいのだが。世の中には、百花繚乱の健康法の本がある。それは自分の体験を一般論に敷衍させてしまっているからである。

うつ病

2010-04-09 06:09:35 | Weblog
さて、うつ病のつづき。「早くよくなるといいですね」という言い方は、患者を焦らせるため、良くないと言った。たかが言葉の言い方の微妙な違いなどとバカにしてはいけない。うつ病患者というのは、働きたくても働けず、そのため家族や会社に対して罪悪感を感じているのである。では、どう言えばいいか、というと、基本的には何も言わない方がいいのである。何も、うつ病患者に限らず、誰にだって、やりきれない事があって、一人になりたくなるという経験は、あるだろう。そういう時、周りの、慰めや批判やアドバイスなど、全てが、うるさく、「お願い。一人にして」と怒鳴った経験はあるのではなかろうか。では、何といえばいいか。それは逆にすればいい。「早くよくなるといいですね」がよくないなら、「遅くよくなるといいですね」と言えばいい。(イヤミを込めず)これは日本語として、おかしいが、そう言えば、うつ病患者にとって精神的苦痛とはならない。

岡田有希子

2010-04-08 02:01:03 | Weblog
今日は岡田有希子さんの命日。世間では、死の動機は何か、動機は何か、という事をさかんに知りたがる。それは好きな人の事に強い関心を持ち、好きな人は、その人の全てを知りたいと思うからで悪い事ではない。しかし私は、動機には全く関心がない、といっても全く誤りではない。勿論、ユッコさんの死のニュースは私にとって青天の霹靂だった。しかしユッコさんの自殺をニュースで知った時も、その後も、私は彼女の死の動機には関心がなかった。あえて動機というのなら、何かの理由で、「生きている事が死ぬ以上に苦しくなったから」というのが、動機だと私は確信している。

そもそも人間の精神というものも諸法無我であり、精神というものは厳密には実体をつかめない、あるいは刻々変わる精神の実体というものは無いと思うからである。


うつ病

2010-04-05 19:29:56 | Weblog
さて、うつ病について書こうと思う。まずYou-Tubeで「北杜夫」で検索すれば、出てくるが、黒柳徹子の、徹子の部屋、での娘さんの斉藤由香さんとの動画がある。あの北杜夫は典型的なうつ病状態である。亡くなった北杜夫の母親は、北杜夫に優しく、時々、「お前にのうつ病が早くよくなるよう祈ってますからね」と本心から温かい慰めをした。その発言なら、うつ病患者にとって、温かい発言だと思うだろう。しかし私はそうは思わない。もしかすると、つらい励ましになっている可能性はある。北杜夫にとって、どうなのかは、わからないが。
その理由。この発言で、「早くよくなるよう」という部分が問題だと思うのである。これは、どんなに温かい思いやりから、発した言葉であっても、患者をせかす面があるからである。うつ病患者は、抗うつ薬を飲み、精神科にかかって治療を受けている。しかし、うつ病というのは、いつ治るという保障はないのである。治るのに半年かかるかもしれないし、一年かかるかもしれないし、あるいは、それ以上、かかるかもしれない。いつになったら治る、という予測が出来ない病気なのである。それが、うつ病患者にとって、一番つらいことでもある。もし、一年で治る、とわかったのなら、一年という期間は長いが、うつ病患者にとって、これほど嬉しい事は無い。なぜなら一年で確実に治るのだから。それを聞いただけで、うつ病は翌日には治ってしまうことだってありうるだろう。しかし残念ながら、うつ病は、いつになったら治るという予測など出来ない。では、うつ病患者にとって、どういう人が有難いか。それは、ボケナスのような人間である。鈍感で、ボケーとした人間である。そういう人は怠け者だったら社会人として困るが、誠実な人にも、そういう人はいる。よくないのは、神経がカリカリしてて、人に小言を言わずにはいられない人である。そういう人は、行動的で、エネルギーがあって、何事にも積極的で、いい性格である場合が多い。しかし、うつ病患者にとっては、そういう人はつらいのである。ボケナスより、もっといいのは、ロボット人間である。何も感じない人間である。うつ病患者にとっては、ほっといて欲しい、そっとしておいて欲しい、静かに休ませて欲しい、というのが本心なのである。だから、「うつ病が早くよくなるよう祈ってますからね」という思いやりの言葉ですら、患者にとっては精神的負担になるのである。心の優しい人で、うつ病患者を、思いやった言葉をかけても、それがかえって、患者には負担になることさえあるのである。
「早くよくなってね」
「早く良くなるといいですね」
「早く仕事にもどれるようになるといいですね」
これらの発言は、患者にとっては、相手が思い遣りから言っているとわかっていても、精神的負担になるのである。うつ病患者は、基本的には、精神科医にまかせた方がいいのだが、精神科医にも色々な性格の医者がいて、相性の合う医者を探す事が大切なのである。では、一般の人は、うつ病患者に何も言葉をかけるべきではない、のか、といったら、そういうわけでもない。うつ病患者に対処する資格があるのは精神科医だけである、などという傲岸不遜な事が真理なわけでもない。別に精神科医じゃなくても、また、うつ病に関する知識がない人でも、いい場合もある。それは、人の心をじっくり考えられ、相手の立場になってものを見れるような、デリケートな人である。とにかく、せっかちな人は良くない。
娘さんの斉藤由香さんが、さかんに、「うつ」とか、「うつ病」という言葉を多用しているが私は賛成できない。なぜなら人間とは基本的に、うつ病にはならないからである。人間の80%は、人生で一生うつ病を経験しないで死んでいく。人間は、ちょっとやそっと、あるいは、相当大きな困難な状態になっても、何とかしようと四苦八苦するものである。それは、「生きよう」という意志が根本に強く根を張っているからである。そのため、ほとんどの人は、困難な状態になると、家族にあたり、ぐるぐると考えまわす。その結果、頭が混乱する。つまりパニック状態、神経症(ノイローゼ)になるのである。神経症と、うつ病は違うのである。では人間は、うつ病にはならないのか、といえばそうではない。なる時もあるのである。
では、うつ病になるのは、どういう時かといえば、それは、ガンが見つかって余命を宣告された時である。この場合には、「死」から逃げることが出来ないからである。ガンになったら、もう解決策がないからである。「死」の恐怖を本当に実感した時に、人間は、うつ病になる。