小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

大晦日

2008-12-31 15:26:03 | Weblog
今年は、良かった。五月頃、職を失って、死ぬ事を本気で考えていた事がウソのようである。「恒産なければ恒心なし」で、小説も書けなくなってしまった。何とか、死を思いとどまろうと考えていた。夏になって、金の事は一時忘れて、プールや海でうんと泳いだ。困った時には、すぐに対策を考えるのではなく、困った事は一時忘れ、好きなことを思い切りやったのがよかった。これは、うつ病の対処法と同じである。幸い、職も見つかった。仕事は、贅沢を言わなければいくらでもあるのだが、私は人生を仕事の奴隷になりたくないのである。ただ単に食ってくだけなら動物と同じである。人間の人間たる所以は、目的を持って生きるところにある。泳いで体力がついて、秋からも運動して、冬になっても冷え症に悩まされずにすんだ。来年の一月、二月と極寒の冬も乗り切れるだろう。胃腸の具合もよく、風邪もひかなかった。去年、毎日、点滴で生活していたことがウソのようである。私は何か、健康になるとなんだか申し訳ないような気になる。私は絶えず、不健康に悩まされているのが自分の宿命であり、健康に生きてられると何だか申し訳ないような気分になるのである。

ジャンパー膝

2008-12-30 14:45:10 | Weblog
ジャンパー膝

今年は秋になってテニスをするようになった。といっても、わざわざテニススクールに決められた時間に行くのは面倒である。そこでテニススクールをネットで色々探してみたが、どこのテニススクールも最初の体験レッスンは無料で一回させてくれるが、二度は出来ない。私は気の向いた時だけ、やりたいので、そういう所がないか探してみた。が無い。だが、あるスクールで、ワンレッスン90分3800円でやっている所が、あった。ので二回やった。が、二回ともドロップショットを拾いに急いで走って膝がカクッとなってしまった。靭帯を痛めたのか、スポーツ障害になるのは嫌だったので、その後やらなくなった。が、また、やりたくなって、電話して行った。その日は土曜だった。「今日は初級クラスしかあいてないですが、いいですか?」と聞いた。私は、体を動かしたいのと、テニスをしたかったので、別にかまわず、「はい。それで、いいです」と答えた。
テニススクールについて、待っていると2時になっても、始まる様子がない。一人で素振りをしていたら、「浅野さーん」と呼ぶ声がした。コートが違っていたのだ。前と違う女のコーチだった。スケジュール表には姓だけなので女とは思ってなかった。今日はボレーの練習がメインだった。サービスの練習をして、ボレーの練習をした。コーチは私がボレーする度に、「うまいですね」と言った。「では、今度はボレーボレーをします。まずデモンストレーションをします」と言って、「浅野さん」と言って私を呼んだ。私は彼女とネットを挟んでボレーの打ち合いをした。私は出来るだけ相手のフォアの打ちやすい所に返した。リンゴの皮むきのように、いつまでつづけられるかが面白い。個人チェックを一人一人にした。私には、「フォームもきれいですし、いいですよ」と言った。何か、とても嬉しかった。私は女の人と喋ることは出来ないが、スポーツを通じてなら、心のやりとりが出来るようで、嬉しかった。しかし、最後に試合になった。私は膝を痛めないよう、ハッスルプレーはひかえた。しかし、スポーツでは一生懸命やる事に価値がある。相手が、せこいドロップショットを打ってきたので、とりに走った。するとまた膝をカクンとやってしまった。痛くはないが、習慣になるのは嫌である。近くの整形外科に行ったが、異常ない、の一言だった。私はネットで近くで、スポーツ障害に詳しい整形外科を探した。すると見事にあった。行って、事情を話すと、さすが専門家で、すぐに、「それはジャンパー膝です」と診断した。そしてジャンパー膝の説明のコピーを渡してくれた。読んで、その通りだと実感した。しばしテニスはひかえる事にした。
あの女のコーチに会えないのが、すこしさみしい。

自由学園2

2008-12-29 16:31:48 | Weblog
自由学園

完全出席

自由学園に入った時、こりゃ、とんでもない所に入ったものだと思った。自由学園では完全出席というのをやってて、その月、全員一度も休まないと、女子部との合同礼拝の時、完全出席といって手をたたいて誉めるのである。学園には体育の時間に4.5キロのマラソンがあって、全員やらなくてはならないのである。私は、これを初めてやらされた時、終わり頃に喘息が起こり、チアノーゼになり、足はガクガクし、意識が朦朧としてきた。それで、次回からは、そのマラソンは休む事にした。
そうしたら、クラスの剛のヤツがやって来て、
「それじゃあ、俺達のクラスは完全出席できないじゃないか」
と言って、襟首をつかんで何度もビンタした。私は、大変な学校に入ってしまったと驚いた。
「この学校じゃ病気になっても休むことも許されないのか」
そして、この学校でしてる唯一の卒業式である大学部の卒業式の時にも、この完全出席を、今度は個人に対して誉めるのである。初等部(小学校)や幼稚部から大学部卒業まで一度も休んだ事のない生徒が、素晴らしいと言って誉めるのである。
こんなのはショーだ。
その生徒は、自分が誉められるためか、学校のおかしな教育方針を守るため、風邪をひいても他の生徒に移す迷惑もおかまいなく出席したのであろう。
病気の時には、無理をせず休むのが物事の本道であるはずだ。

この学校では、よく無断借用という事が問題になる。人の物を無断で使用する上級生が多いのだ。よくサンダルの無断借用が多い。まあ法的にいえば、これは使用窃盗、といって、窃盗罪になるのだが。それでも、使った後、元の所に戻しておくならまだいいだろう。しかし、ほとんどのヤツは、使いっぱなしでほったらかし、なのである。これでは、所有者の手に戻らない。こんなのは借用とは言えない。無神経なヤツが多いのだ。

寮では毎日、掃除が日課だが、時には、丁寧にワックスを塗る事もある。そして、きれいにワックスがけして、まだ乾いてない床を土足で歩くヤツの気が知れない。

夕食のかたずけ、皿洗い、は生徒の仕事である。だが、この学校は金持ちの莫迦息子が多いため、寮の飯はまずい、と言って街に出て飲食店で何か食ってくるのである。私は寮の食事が美味くて美味くてしかたがなかった。上級生になると、寮の夕食を食わないヤツが出てくるのである。そうなると、皿洗いが、いなくなるから、食事の係りが順番にいる人の名前を言っていく。誰もいないので、結局、私となる。私は人の何倍も皿洗いをさせられた。呼ばれる度に、またか、と嫌気がさした。

この学校に入ると、一年(中学)は、まず、「出来がいい」か「出来がわるい」かの生徒に分類される。そして、「出来の悪い」生徒はいじめられるのである。

学校も偉そうなこと言ってても、足し算、引き算も満足に出来ないような生徒を、その親が日本を代表する権威ある学者だから、といって入学させてるのはおかしい。

私の時は、この学校に入るのは、学力ではなかった。学園長の鶴の一声だった。
一番、有利なのは、この学校とつながりがある事である。私の場合、母親が卒業生で母の弟は男子部の卒業生だった。学園長は私の母親をよく覚えていて、私と合うと、「山田(仮名)さんですね」と、微笑んだ。「山田」は母の結婚前の苗字である。私も丁寧にお辞儀した。しかし私が生まれてるって事は、結婚したからであって、結婚すると女は苗字が変わる、という簡単な事がわからないのだろうか、と疑問に思った。

監査対策

2008-12-28 17:11:25 | Weblog
監査対策

どこの病院でも監査はある。監査はいやなものである。研修病院の時の監査では、何だか自分達が悪者になったような気分になった。次の民間病院での監査は、こんな方針をとった。つまり、わざとある無難で目立つ欠点をいくつか、つくっておくのである。監査は一日であり、監査する方の心理としても、何かもっともらしい注意をすることで、自分達の仕事を果たしたという気分になる。民間病院でもっと重要な根本的な問題点をあげればきりがない。もっとも、これは医療行政に問題があるから、無下に叱るわけにも出来にくいのである。そこで、全ての問題点を論じる事は出来ないから、わざと無難な欠点をつくっておいて、監査する人間の関心を、そっちの方に持っていくのである。
そもそも監査してる人間の人格や行動を監査してみたいものである。

男子病棟

2008-12-27 20:07:52 | Weblog
男子病棟

半年の女子急性期病棟がおわったら、次は男子病棟になった。もう精神科は、大体わかったので、不安は無かった。私は空手が出来るので、どんなヤツが挑戦してくるのか、楽しみだった。映画「ブラックボード・ジャングル」(邦題=「暴力教室」)に乗り込む教師のような感覚である。だが、男子は急性期ではなく、慢性期だったので、暴れる患者は少なく、むしろ、静かだった。女子急性期では、一日中、個室の患者がギャーギャー言ってたので、男子病棟はむしろ静かだった。しかし中にはやっかいな患者もいた。腕相撲と将棋を患者とよくやった。もちろん腕相撲は、私の全線全勝である。将棋はルールを知ってる程度なので、はじめ患者に見事に詰まされた。これでは医者の威厳に関わると思い、詰め将棋の本を買ってきて、読んでみた。詰め将棋の本は面白い。詰め将棋は、「肉を切らせて骨をたつ」である。つまり飛車を捨てて、王手をかけて詰めさせる、というパターンが多いのである。みるみる将棋の実力がついた。相手には、わざと負けて相手に花を持たせるという事はしなかった。そうしている看護士もいたが、私はそういう主義ではない。片八百長で患者を喜ばすのは、子供だましである。いわば、ガン患者に、「治りますよ」などといって慰めるようなものだと思う。患者は医療者が本気で戦っていると思っているから嬉しいのである。ばれずに隠しおおせたら、問題は無いが、たとえばれなくても、本質的な面で、八百長は好きではない。逆の立場になって、相手が自分に手加減されたら私は嬉しくない。タイマンでの決闘も申し込まれたが、これは辞退した。まさか病院で医者と患者がタイマンで決闘するわけにもいくまい。第一、相手は、若く体も大きいとはいえバイク事故で片麻痺になっている患者である。しかも精神薬を飲んでいる。患者同士のケンカもたまにあったが、精神科医はレフリーのようなこともしなくてはならない。
女子と違って、男子の中には哲学を話し合える患者もいた。4月28日に書いた患者がそうである。ある時、患者の親が死んだ。それで、葬式に行く事になった。私と婦長つきそいである。タクシーで行ったが、外出したら逃亡の可能性もある。男は力が強い、し走るのも速い。何より、火事場の莫迦力は強い。逃げても、逃げ切れるものでもあるまい。結局、無事に葬式を終えて、病院にもどった。だが、あとで患者が二万円持っていたことがわかった。
中には病院を脱走して、飯場で半年くらい生活していた患者もいた。私は人の自由は拘束したくないので、こういう患者には拍手したい気持ちである。よくぞやった、と誉めてやりたいくらいである。しかし離院を喜ぶ医者というのも変なものである。しかし結局、彼は幻聴に耐えられず病院にもどってきた。結局、物理的には患者は一時的には病院を脱出できても、病気があるから、いつかは戻ってくる事になるのである。戻って来ずに、ずっと一人で問題なく生活できるなら、その患者は退院の適応になる患者である。
しかし、離院で怖いのは患者が自殺する可能性もあるという事である。
男子慢性期は実に楽だった。
女はともかく、やりにくい。
その点、男はやりやすい。
私は、胸部、腹部の聴診、打診、健反射、など色々と積極的にやった。

元警察官の医者

2008-12-26 19:57:49 | Weblog
元警察官の医者

私は研修病院の初めに、女子急性期病棟に配置された。そこには、おおらかな医長と三年目のレジデントと二年目の研修医がいた。この二年目の研修医は、元、警察官で、理由は知らないが、医学部に入って医者になったのである。この人はやたら、女が好きで、きれいな女の患者が入院すると、全部とってしまった。そして、頼まれもしないのに、患者に自分のアパートの電話番号を教え、「困ったら、いつでも電話かけてきて」と平気で言っていた。これは、よくないのである。医者は患者とは、ある程度の距離をとることが必要なのである。あまり患者にちやほささせると患者の自立心を、かえって無くしてしまう。そして外来では、女を抱きしめる、という信じられない事までしていた。医長が、注意しても、彼は、「今はその時」と言ってもっともらしい事を言っていた。そして、「今はその時」と言いなからら、半年たっても、一年たっても、抱きつづけていた。彼に言わせると、そういう愛が患者を救うらしい。
私は、最初に女子急性期病棟に配置されたが、もちろん、私から頼んだのではない。病院の方が決めたのだ。しかし、面接の時、「何か希望はありはすか」と院長が聞いたので、私は、「別にありません」と答えた。後になって考えると、これは病院の作戦で、希望を言わせておいて、そこに配置させる。そして自分から望んだんじゃないか、と研修医に責任感を感じさせ、病院側を精神的に有利にさせるものである。と、わかったのである。私の推測だが、私は無口で弱々しく、いきなり男子を担当させたら、精神科を嫌がってしまい、そのため最初は女子病棟にしたのではないか、と思う。
女子急性期病棟では、医者もナースも、私が、最初は女子と望んできたものと見ているようだった。私は真面目なので、夜12を過ぎてもカルテを読み、勉強していた。
「先生。死んでしまいますよ」
と夜勤のナースに言われた。
私も、「別に私が望んで来たんじゃありません」とキッパリいうと、しらけさせ、おもむきがなくなるので、黙っていた。元警官の医者は、私が望んで来たものと思ったらしく、病棟には定員があるから、私を敵視し邪魔者と見て、色々、意地悪した。考え違いもいいとこである。
元警官の医者は、単細胞きわまりない。「愛は患者を救う」などという感動ものは、テレビドラマにとどめるべきた。現実の患者はややこしい。そして、きれいな女の患者を抱いたり、電話番号を教えたりするのは、職権乱用もいいとこである。それでも、彼がハンサムならいいが、これがでっぷり太った豚ヅラ男なので笑ってしまう。
彼は暴れる患者を取り押さえるため、身につけた柔道で絵に描いたような袈裟固めで、患者を取り押さえていた。おかしくて笑ってしまった。私は空手が出来たが、自分が空手が出来るとか、空手の技を見せたりする事は一度もしなかった。自分の特技をひけらかすなどみっともないからだ。それに、私はいかなるレッテルも貼られたくない。精神科医として働いている時は、一人の精神科医という視点だけで見られたいからである。

おばか

2008-12-25 20:07:17 | Weblog
おばか

研修病院には、私ともう一人の人が入った。最初、私は女子急性期病棟だったが、彼は男子病棟に配置された。女子病棟で、嬉しくないか、といえば、確かに嬉しくはあった。私は半年、ここの病棟で研修した。20代後半のきれいな人も何人か受け持った。だからといって、嬉しかったかというと、しんどかった。もう女子はこりごりだ、と思うほどになった。女でも健康な人とならいいが、相手は妄想をもった病人である。退院を何度も要求し、妄想から、無理難題を言ってくる。相手が男なら、きびしく叱ることも出来るのだが、女にはそうは出来ない。実際、私は男子病棟に移った時、実に肩の荷がおりて、ほっとした。男子病棟は実に楽で、また面白かった。しかし、最初の半年の女子急性期は、しんどかったが、たいへん実力が身についた。三年目ののオーベンは厳しかったが、やはり厳しい指導のため、実力がついた。楽をしようとすると、後で困ることになる。
ある一人のきれいな患者がいた。もちろん親が連れてきたのである。彼女は、もちろん入院することを嫌がった。本当は十分、保護入院で本人が嫌がっても入院させることが出来るし、他の先生ならそうしただろうが、私は無理矢理、入院させるのが、嫌だったので、(何か変なことを考えていると思われるのが嫌だからである)、その日は返した。ただ、「今日は帰ってもいいですが、あなたは、必ず病院に入院することになりますよ」と言っておいた。私は現実の女には興味がないので、彼女が来なくなっても何ともなかった。
一ヶ月くらいして、彼女は、また親に連れられて病院に来た。家で、あばれて家族もまいってしまったのである。私の予測が当たったため、彼女との関係はうまくいった。
彼女は治療抵抗性で薬がなかなか効かなかった。妄想も幻聴もとれない。彼女は両親との関係は良かった。彼女は、薬に違和感を訴え、自分は薬に過敏な体質だと言った。私は薬を増やしたくなかったのだが、医長が薬を増やすようアドバイスしたので、嫌々、増やした。また、私も薬は増やさない方がいいと医学的にも思っていた。事後、書いているからウソはいくらでも書けるが、私は、その時、本当に増やさない方がいいと思っていた。替えた薬を増やしたら、彼女の体にバーと薬疹が出てしまった。医長もあせって、「薬はやめ、やめ」と言って、薬疹治療に専念することになった。私は気が動転した。彼女の薬疹はひどく、とても街を歩けないほどである。私は彼女の発疹がひいてくれる事を神に祈った。もし、醜い発疹が残ってしまったら、私は死んでお詫びしようと思った。私は、うつ病になってしまった。直ちに抗アレルギー薬の治療が開始された。幸い、彼女も彼女の両親もあまり発疹に関しては気にしていなかった。幸い、発疹がだんだん、ひきだし、ついに元通りにもどってくれた。私は、ほっとした。
困るのは、彼女の父親が病院に面会に来ると、「青年の主張」をするのである。父親は「娘が暴れだすと、由美子(仮名)頑張れ、頑張れ、と言ってるんですよ」と言って、だんだん泣き出しそうになってくるのである。父親は涙もろい性格だった。私は神じゃない。まだ、経験、半年の研修医である。ただ私のようなくだらん人間の命と引き換えに彼女の妄想がとれてくれるのなら、私はいっこうにかまわない、と思っていた。
彼女は外泊をよく求めた。私は全部、許可した。だが帰院の日より、しっかり、ちゃっかり、一日か二日、必ず延びた。
彼女とは精神療法で、よく話した。精神科の精神療法は、単純に患者の妄想を否定するのではない。妄想は患者にとっては、間違いない現実なのである。だからといって、「そうだ。そうだ」と言うわけにもいかない。精神科の患者の治療のゴールは、妄想を持ちつつも、わからないままで、納得し、薬を飲み、自分の妄想を行動に移さず、日常生活を無事に出来るようにする事である。彼女は自分の妄想を、私が気が小さいことをいい事に堂々と主張した。無下に否定しては、かわいそうだが、認めるわけにもいかない。しかし何とかしてやりたい思いは強かった。彼女との精神療法は疲れた。私は訥弁で、激しい胃腸の病気もあって上手く話せない。いいかげん疲れて、私がどもりどもり、彼女と話そうとするので、とうとう彼女の方があせって、私を憐れんでくれて、「あっ。この前の新聞にも××という事は無い、と書いてありました」と自分の妄想の間違いを言って、私を慰めてくれた。もちろん、本心から、彼女がそう思っているわけではない。
「おばか」とは、彼女が自分の幻聴につけている名前である。
彼女は、また薬を替え、今度は少し効き出した。だが、思考力も押さえ、眠気を起こすので、あまり薬は増やしたくなかった。
半年過ぎ、私は女子急性期病棟から去り、男子病棟に移った。女子で受け持っていた患者は全部、医長にひきついでもらった。
彼女は、花屋で働くことを希望していた。だが、彼女は人と話すと顔がひきつってしまう。
だから、もしどこかの花屋で、きれいなのに顔がひきつって、対応が上手く出来ない店員がいたら、その理由に疑問を持たずに、あたたかく見守ってほしいと思う。

花と蛇と哲也

2008-12-24 18:23:54 | Weblog
「花と蛇と哲也」

という小説を書きました。

ホームページにアップしましたので、よろしかったら御覧下さい。

人権擁護局は馴れ合い

2008-12-23 04:55:56 | Weblog
人権擁護局は八百長

精神科の閉鎖病棟には電話があるが、電話の横に、人権擁護局の電話番号が書かれてある。精神科では、患者の人権を治療のため、制限する事が多いからだ。不満や不審に思うことがあったら、人権擁護局に電話できるよう、電話番号が書かれてあるのである。私が研修医の時、私はある女性の患者を受け持った。彼女は、措置入院だった。彼女は、色々と面白く、また、かわいく、彼女の事は、また書きたい。しかし、彼女はある時、病院に不満を持って、人権擁護局に電話してしまったのだ。患者は、滅多な事では、人権擁護局に電話しない。医療者に文句を言う。そして、人権擁護局の人が来る事が決まった。その時の私のオーベンの医長の先生は、かなり権力を持った人で、また、やたら明るかった。私は先生を尊敬していた。そもそも付属の准看護学校の入学式に先生の誘いでついていったら、生徒達が、一斉に、「××先生」と歓声を上げた。私は、この先生は、こうまで愛されているんだ、と少し嫉妬したほどである。先生のおおらかな性格なら、それも無理はないが。あからさまに見せつけられると、やはり驚いた。
さて、人権擁護局の人が来る事になった時、先生は、
「人権擁護局の人は僕の友達だからね」
と言って私を安心させてくれた。
考えてみれば、それも無理はないだろう。人権擁護局の人も地域によって担当者が決まっている。だから、同じ人が病院に何回か来るうちに、先生の明るい性格から話してるうちに友達になってしまったのだ。しかし、これでは八百長だ。人権擁護局の人は中立であるべきだ。患者だってそう思ってる。しかし、だからといって、本当に八百長とは言えない。親しくしても手心を加えるという事はない。しかし病院に問題がある事はまずない。患者の人件制限での不満は、ほとんど100%が患者の被害妄想的なものだからである。もっとも医者ももっと丁寧に説明すべきなのだが、仕事に慣れてしまっているので、患者が納得いくまで説明すべき事を、少しいいかげんにしているところがある。

芸は身を助く

2008-12-22 20:11:16 | Weblog
芸は身を助く

去年の春頃、医事新報で、ある割のいい医者の仕事のバイトがあったので、応募した。しかし行ったら何か、応募の内容と実際が違う。しかもどんな仕事なのか説明しようとしない。なので私がしつこく聞くと、やっと説明した。こういう手口は私だけでなく、誰でも嫌うだろう。そして、たかがバイト程度なのに、面接で根掘り葉掘り質問する。面接というより、取調べという感じだった。私は医師免許のコピーと履歴書を持っていったのに、医師免許の原本を持ってきてほしい、と言った。こんな経験は初めてである。常勤の採用の面接でも、医師免許はコピーだけで十分なのである。医療界では医師の就職では、医師免許=医師免許のコピーなのである。第一、ニセ医者だったら、医学知識が無いから、すぐわかるじゃないか。一言、「バビンスキーの反射って何」と言えば、済むことじゃないか。その人の経歴はすごい。××大学、東京大学、××大学医学部という三つの国立大学を出ている。しかも、二度目の東京大学を出てから、ある医療法人の事業を立ち上げたのである。それで、医師免許の必要性を感して、××大学医学部に入ったのである。しかも、氏は学費はアルバイトをして自活して、医学部を卒業したのである。氏は医師というより実業家という感じである。これほどの学歴を持った人は日本に二人といないだろう。もっとも氏は変な学歴マニアではなく、人生の軌道修正から必要があって、大学に入り直したのである。氏はともかくバイタリティーのある人間である。内向的な人間を嫌っていて、高圧的な態度だった。しかし私が哲学や文学をよく知っているので、今時、めずらしい人だと、だんだん見直しだした。決定打は、その人は仏教や輪廻転生に非常に強い関心を強く持っていて、私が般若心経を諳んじてみせたら、驚いたことによる。それで、二ヵ月後位に、採用の知らせが来た。だが、私は氏の人格にあまり好感を持てなかった。偽りの求人広告でだまして募集するような事。医者という感じが全くせず、金儲けのためだけに医師免許を取った事。実際、それは保険のきかない自由診療の仕事である。仏教に関心を持ちながら全くの現実家で宗教的なものが全く感じられない事。説明会で同業者をあからさまに非難している事。氏は自分がお山の大将でないと気がすまず、私まで洗脳しようとした。しかも、実業家なのに先を読む目がない。ある学会で、その人に不利な条項が決まってしまった。それは、簡単に予測できるはずの事態である。ワンマンで超多忙だから、ヨットを持ってても乗る時間もないだろう。毎日、50人以上、手術しなくてはならないのである。しかし、先行投資で高額な先端機器を買ったり、熱心に勉強したり、と度胸や誠実さもある面もある。保険の利かないあまり医療らしくないものなので、クレームを言いに来て喧嘩腰で文句を言った患者もいた。手術が失敗して、苦しげな説明もしていた。私は、合わないと感じたので、5回くらいで辞めた。
医者なら、どんな悪い医者でも患者の治療に真剣だし、病気を治したいと思っている。それは、純粋に患者をかわいそうだと思い、何とか治したいと思う気持ちと、患者を治せれば、自分が有能な医者になれるからである。前者は患者の利益のためであり、後者は医者の利益のためである。
医学部にいく人は、金儲けのためだけにいく人は、まず無いだろう。
もっとも、勉強が出来るからといって医学部に行く人は全然、世間知らずである。
もし大学に残って研究職につこうと思っている人なら、医者の給料がどれだけ低いか、よく調べてから決めた方がいい。私の時は、私立の研修医は給料、月5万だったぞ。勤務医にしても医者の仕事が激務で、医者は、ほっちゃれ、だという事を調べてから考えた方がいい。私の大学でも私の後に卒業した人で、もう8人も過労死で死んでいるぞ。
もっとも、医師免許だけは理系の最強の国家資格なので、不況には強い。
彼はあまりにも、わりきり過ぎていて、いささかうんざりした。
私が耳鼻科や皮膚科だったら、絶対ピアスなんかしない。
ピアスとか美容整形は保険の利かない自由診療だから儲かるのである。
しかし、ピアスも美容整形も、とうぜん完全に安全なものではない。
失敗や後遺症はある。
少なくとも私は美容整形なんか全く興味ない。
どんなツラでも私の顔は神様が私のために選んでくれた顔なのだから。

愛子と鬼二

2008-12-21 17:26:07 | Weblog
「愛子と鬼二」

という小説を書きました。

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学閥

2008-12-20 18:04:33 | Weblog
学閥

私は学閥というものの嫌らしさをつくつぐ感じた。
ある民間の精神病院に勤めた時である。
私はそこで精神保健指定医をとる条件で就職した。
給料は、その代わり安かった。
そこの院長は慈恵医大出身だった。そして勤務している医者も皆、慈恵医大出である。医師の求人というのは、院長が自分の出身大学の医局の教授に何百万かだして、医師を派遣して下さい、と頼んで医師を送ってもらうのである。僻地では、なかなか医師が来てくれない。医師の給料を上げて条件を良くして、ネットの医師斡旋業者に頼む手もあるが、来てくれる保証はない。確実に医師が欲しければ、出身医局の教授に頼むのが一番、確実である。教授の一番大きな権限は医局員の人事権と博士号認定の権限である。医局員、特に研修医は教授の命令には逆らえない。逆らいたかったら医局を辞めるしかない。なので医師の確保の確実な方法は教授に頼むことである。
そこの医局は、まるで慈恵医大のミニ医局だった。
私は余所者である。就職して、いつまでたっても受け持ち患者を持たせてくれない。これではケースレポートが書けない。なので、何度も院長と交渉した。だが、話題をそらすだけで話し合ってくれない。私は院長の受け持ち患者の診察や雑役などをやった。
私も院長の受け持ち患者の診察はしているので、ケースレポートは書く資格がある。だが院長は、完全に自分で受け持った患者でなければ、ケースレポートは書く資格がない、などと言う。
数ヶ月して慈恵医大から医師が一人来た。ケースレポートは8症例、必要なのだが、その医師は、小児の症例がなかった。ケースレポートは8症例きっちり、そろっていなくてはならないのである。
ある医局会議の時である。
院長も私もその先生もいた。その先生は、小児のレポートは別の先生が受け持った患者のカルテを見て、その子供を診療した医師に頼んで小児の症例のケースレポートを書いた事を言った。私なんか余所者なのでそこにいることさえ、眼中になかったから、口が軽くなって言ったのである。その先生は、その子の診療には全くのノータッチである。そして院長は、そのレポートにサインしたのである。
どんなにしっかりレポートを書いても院長のサインが無ければ駄目なのである。逆に言えば、自分が診療してなくても院長のサインがあれば、それはレポートと認められるのである。私はそれを聞いた時、ギロッと院長をにらんだ。院長はヘラヘラ笑って私の視線をそらした。
こんなのが病院において行われている学閥というものである。
そもそもこういう事は、してはいけないことなのである。
厚生省の指定医の審査はかなり厳しい。結局、彼は指定医になった。
もし私が、厚生省に連絡したら、その指定医の資格は取り消しになる可能性がある。また、そんな事を知っててサインした院長の指定医の資格も取り消し、か、厳重に注意される可能性がある。厚生省が監査に来て、カルテを見れば、その先生の字が一文字も全く無いから一目でわかる。

その院長の人間性には問題があった。
悪いヤツは何事でも悪いのである。
精神科では認知症の患者は出来るだけ拘束しないのが厚生省の方針である。そんな事は当たり前の事である。自分が拘束された場合を考えてみりゃ、わかることである。そこで厚生省の方針として看護婦を増やし、看護基準を上げる事によって、診療報酬の点数も上げるようにした。ほとんどの病院では、その方針に切り替える。しかし、そこの院長は慎重というかケチというか、看護婦を増やすと人件費が上がるので、看護婦の採用は極力ひかえた。結果、人手が無いから認知症の患者は胴をベッドに縛ることになった。ともかく胴拘束の患者が多いのである。患者が徘徊したり転倒して頭を打ったり、転んで骨折すると寝たきりになってしまいがちになるからである。
老人の認知症の患者も、その程度は変動するのである。認知症は不可逆ではなく、可逆性があるのである。そのレベルは長谷川式簡易知能評価スケールというので簡単にわかる。自分の名前、ここの場所、簡単な計算、野菜の名前を知ってるだけ言わせる、などのテストで点数として簡単に出来るのである。私がその病院に入った時、ある認知症の老人がいた。程度は悪かった。ここが病院である事さえわからなかった。野菜の名前も一つも言えなかった。しかし数ヶ月して、その老人の症状が改善しだしたのである。話が通じるようになった。野菜の名前もいくつも言えるようになった。ここが病院であることは、もちろん理解できている。
では病院は喜んだか、といえば、喜ぶどころか困った事になったと悩みだしたのである。症状が改善したとはいえ、全く元通りになったわけではない。70を越し歳もとっている。自由にして転倒したら困るから、拘束は解けないのである。人手が多ければ、拘束を解くことも出来るが、そこの病院は人件費をおさえ看護婦をギリギリにおさえていたので、それが出来なかった。
意識のしっかりしている人を拘束しておく事はおかしい。人手がたりないという理由で。
私が毎日、その患者に会いに行くと、その人は、
「どうして僕が縛られなくてはならないんですか」
「こんな人間は早く死んだ方がいいんですね」
と泣いて訴えた。私は病院の方針に逆らうわけにはいかない。逆らったら辞めさせられるだけである。
私はウソにならないよう、何とか、転倒による寝たきり予防などの理由を説明した。私立では息子を一人医者にするには一億かかる。手前の莫迦息子を医者にするために意識のしっかりした患者を一日中縛っておくのはどう考えてもおかしい。

こんなのはまだかわいい方である。
この病院の院長はもっとひどい事を平気でする。
私は病院に勤めた時から、人間以下の雑役夫だった。私は受け持ち患者を持たせてもらえず、もっぱら院長の患者との精神療法だけだった。他の医者の受け持ち患者に話す事も許されなかった。そのため、ある気の強い看護婦は私を莫迦にした。私は院長の受け持ち患者にひたすら問診し症状をカルテに書いた。院長は病院の経営やら患者集めやら何やらで忙しいので私に院長の仕事をさせたのである。ある強迫神経症の患者がいた。私はその患者とは就職した時から相性が合い、よく話した。彼の精神症状は悪かったが、それほどひどいものではなく、私のアドバイスや薬で何とか、病気を飼いならしていた。半年以上たった頃の事である。彼の症状がひどく悪化した。私は彼とはよく話しているので、症状の変化はよくわかる。そもそも、この病院では入院患者の受け持ちは一人の医者が60人以上いて、患者の症状はナースから聞いて薬を処方する場合もある。しかし、私は患者と直に話しているので、実感としてわかるのである。彼は息をハアハア言わせながら苦痛を訴え、「病院にはご迷惑をおかけになることになるかもしれません」と真剣な表情で言った。私ははっきりと自殺の意志を感じとった。それで、詳しく彼の悩みを聞き、自殺未遂の経験も聞いた。自殺未遂の経験は数回あった。ちょうどその頃、院長がその患者の薬を替えていて、それが原因かもしれないとも思った。それで、彼の病状のひどさをカルテに書き、「自殺の可能性あり」、「隔離、拘束も必要」とカルテに書いて、さらに目立つように、その文に赤線で印をつけた。私を莫迦にしていた看護婦に、「隔離、拘束してほしい」、「紐やシャープペンはとりあげてほしい」と言った。しかし看護婦は私を莫迦にしているため、聞く耳を持たなかった。ナースは患者の病状は医者より自分達の方が上だというプライドを持っているのである。その後、院長も病棟回診で私の書いたカルテを見ているのに、平気で単独外出を許可した。私は彼の外出中、気が気でならなかった。こんな病状では外出などもってのほかであり、あえて許可するなら看護婦付き添いにすべきだ、と思っていた。幸い、その日は無事に帰ってきた。私は彼が帰ってくるや、すぐに彼の所に行った。彼は息を切らしていて、不安が激しい。私は病状のひどさをさらに詳しくカルテに書いた。その数日後の事である。院長はまた彼に単独外出を許可した。私は気が気でならなかった。そして、外出した先で彼はカッターで自分の体を切り刻んだのである。直ぐに救急病院に運ばれた。幸い、傷は浅く、数日で彼は病院に転送された。と、まあ、こんなことがあったのである。

私は彼がカッターで自分の体を切り刻んでくれた事が、本当に嬉しかった。なぜって、私の予測が見事に当たったからである。数日後の病院の全体会議でその事が問題となった。もはや、院長も、私を莫迦にした看護婦も私には頭が上がらない。それ以来、そのナースは私に頭が上がらなくなった。さらにひどいのは院長である。再三、私が注意の警告を言い、カルテに記載したのに。院長は能無しのクセにプライドだけは人一倍強く、私が何か主張すると余計、むきになって私を否定しようとする。かわいそうなのは、そんな医者のプライドによって体を切り刻んでしまった患者である。人の命がくだらん医者のプライドによってもてあそばれている。所詮、医学なんて他人のつくってくれたものであり、誰がやっても同じである。だから私は医学なんかにたいして興味が無いし、プライドなんか無いのである。
こんなのが病院の現状なのである。権力を持った病院の院長は皆、タヌキである。嫌気がさしたので私はその病院をやめた。

ちなみにこの病院は神奈川県の清川遠寿病院で、院長は増田直樹である。

神風特攻隊

2008-12-19 22:55:58 | Weblog
神風特攻隊

物事を完全に認識することは不可能である。どんなに常識と信じられているものでも学問はそれを、くつがえす。それが学問である。白と思っていたものが実は黒だった、などという事はいくらでもある。よく、歴史のウソや、本当の歴史の真実などと書いた本がある。そう考えると人間は何も正しい認識が出来なくなる。人間は認識に基づいて思想を持ち行動するから、そう考えると人間は何も行動できなくなる。歴史学者になっても、完全な認識など神でない限りできない。認識には、ある程度の線引きがどうしても必要である。当然、私の認識にも間違っているものはあるはずである。だから何も行動しないか、というと私はそう考えない。もしかすると私の認識は全て幻なのかもしれない。しかし私は国家のために殉じた人間はいると信じている。人間の感じ方にそう違いは無い。人間は自分の心の中にある感じ方をもって、人間一般の感じ方というものを理解しようとする。そして私は小賢しい認識の正確さを求めるより、その私の信念のために思想を持ち行動する。

二十四の瞳

2008-12-18 06:27:22 | Weblog
二十四の瞳

名作、「二十四の瞳」は洗脳映画である。もちろん私は高嶺秀子の、「二十四の瞳」しか観ていない。私は右でも左でもない。しかし、心情的には日本の文化、伝統、日本民族は好きである。心情的には右より、というより愛国心では人後に落ちてないつもりである。しかし、「二十四の瞳」の瞳を観ると、どうしても、
「天皇陛下よ。こうなった人々の責任をとれ」
と言いたくなる。もちろん、陛下は開戦の前、御前会議で、明治天皇の歌を詠んだ。
「四方の海みな同胞と思う世になど波風の立ち騒ぐらん」
(世界の国々を兄弟だと思うのならば、どうして争い事が起こるのだろう)
そして広島に原爆を落とされ、陸軍はそれでも本土決戦を主張し、内閣は降伏を主張した。その御前会議で陛下は、
「自分の身はどうなってもいい。日本民族を絶やしてはならない」
と言った。その発言があったからこそ、血気盛んな陸軍も納得させることが出来たのである。陛下の発言が無ければ、第三の原爆が落とされた可能性は高い。一億総玉砕してしまった可能性もあるだろう。言わば、陛下が戦争を終わらせて、今の日本があるとも言える。そう考えると天皇に戦争責任はとても、とえない。
しかし、「二十四の瞳」を観ると、猛烈に左になってしまう。
「天皇陛下よ。こうなった人々の責任をとれ」
と言いたくなる。何人の人間が、「天皇陛下万歳」と叫んで死んでいった事か。
だが、そもそも「二十四の瞳」は洗脳映画なのである。監督の木下恵介の思想も反戦だし、作者の、坪井栄の思想も反戦である。こうまで見事につくられると左に洗脳されそうになる。
戦時中は、これの逆を大本営がやったのである。天皇は神であり、日本は神国であり日本人の大和魂を刺激する、あらゆる映画、ラジオ、新聞、その他、ありとあらゆる事をした。はたして私がそれらを観ても、戦争を悪と言えただろうか。事後、物事を言うのは子供でも出来る。本当に自分か非戦論者で戦争が悪と言える資格があるのは国が総力をあげて国民を洗脳していた時に、反戦を主張していた者だけである。日本人は、本当にアメリカ人を鬼畜生と思っていたのだから。「君死にたもうことなかれ」を発表した与謝野晶子のような人間だけが本物なのである。
私は、ドラマとかで、戦時中に反戦を言っている人のシーンを見ると、しらじらしく見える。
今では日本人のかなりが、日の丸、君が代、まで否定するようになった。
「君が代」の歌の意味は、「天皇陛下万歳」である。
ある学校で、朝礼の時、君が代を歌わない生徒に体罰を加えて、世間がそれを非難したとかいう事があった。
私は、詳しい事は知らないが、教師は間違っていないと思う。
その生徒が「君が代」を思想的な意味で否定して歌わなかったといのならすごい。
しかし、どうもそうも思えない。それに、校則は校則である。学生は校則を守る義務がある。「君が代」を歌わせる事が思想の強制などとも全く思っていない。国歌は歴史の流れの中でつくられたものである。歴史をブチ壊す事に私は反対である。その学校の思想が右で、生徒に右の教育を押しつけようとしたのでも無かろう。戦時中に「君が代」を歌わなかったら特高警察につかまってアカとして拷問された。今の日本の国歌に、そういう思想的な押し付けは無い。
戦争がおわって平和ボケしてる人にかぎって、そういう人は時代に流される根無し草であることが多い。

そもそも戦争とは無条件に否定すべきものではないのである。
時と場合と事情によってはしなくてはならないものである。
どこかの無法の国が日本を侵略し、植民地にしようと戦争をしかけてきたら日本は憲法九条を守って、あまんじて侵略国の植民地になるべきなのか。

外交や防衛は全然、難しいものではない。
中学生の友達付き合いでの困った問題は国家の外交や防衛と全く同じである。

あなたは道を歩いてて見ず知らずの人に、いきなり殴られたら自分は暴力反対主義だからをと言って相手を許して我慢するのだろうか。よほどのお人よしだねー。

精神科

2008-12-17 11:01:52 | Weblog
精神科
精神科とは、どういう所かと言うと、外科系と内科系のどちらかと言えば、やはり内科系の方だろう。手術はしないのだから。精神科は、半年やれば十分できるようになれる。精神科医は、精神科の薬を出して、患者と対話しているようなイメージがあるだろうが、そうではない。暴れる患者をすぐに沈静させるために注射しなくてはならないから、注射は出来る。また、精神薬は、副作用で、立ちくらみ、ふらつき、があるため、転倒して頭を切ることもある。そのため、縫合も少しは出来る。し、出来なくてはならないのである。小さな縫合にいちいち、内科医を呼ぶわけにはいかない。また、精神病院では内科医がいないか、いても常勤で毎日いるという事は無い。週、一回くらいである。その間に患者に内科的病変が起こったら、精神科医が対処するしかないのである。第一、当直は一人だから、夜、病変が起こったら精神科医が対処しなくてはならない。昼の病気では、簡単なものだったら、精神科医が処置するが、大抵は紹介状を書いて専門医に送る。精神科医は紹介状を書く事が多いのだ。腸閉塞や肺炎、皮膚疾患などは精神科医が対処する。さて、精神科医の仕事は患者に薬を飲むように説得することに尽きる。なぜかと言うと精神薬を患者が飲んでくれれば問題ないのだか、飲まない患者が多いのである。なぜ飲まないかというと、それは当然、副作用が嫌だからである。思考が抑えられる、口渇、便秘、ふらつき、などである。患者のQOLを低下させてしまうからである。だからといって、薬を出さなかったら幻聴や妄想はとれたり、軽減されたりしない。どのへんで、折り合うか、である。また、精神科は診断は難しくない。言う事が支離滅裂だからである。あと、入院時や定期病状報告書などで書く事が多い。極めて小さいマスの中に膨大な量の情報をまとめなくてはならないので、これは結構、難しい。しかし、慣れれば、ポイントがわかってくる。あと精神科医は、イエス・キリストにならなくてはならない。被害妄想をもった患者は、当然、医者に食ってかかる。ののしる。しかし、だからといって怒ってはいけないのである。「汝の敵を愛せ」の精神を持たなくてはならないのである。そのため、精神的に疲れる。休日も、やっかいな患者の事が気になるストレスがかかる。しかし、そういう患者は割合としては少ない。あまりデリケートな人間だと、このストレスに負けてしまう。内科はデリケートな人が向き、外科は、肝の太い人が向くと言われるが、そういう点からすれば、精神科医は外科気質の人の方がいい。また精神科医が一番いやがるのは人格障害の患者である。人格障害の患者には出す薬がないのである。また、人格だけは治らないのである。精神科は半年やれば、身につく。だから楽して精神科を選ぶより、内科や外科で技術を身につけといた方が、後で圧倒的に有利なのである。精神科は、体力が落ちて外科手術が出来なくなった医者が行くべき医療の墓場である。それに、外科や内科は、治療したあと、やりがいの満足感を感じられるし、手術してる時も精神が充実している。しかし精神科はそういう充実感もあまりない。しかしこれは精神病院の勤務医のことである。クリニックを開業すると、様子が全然、違ってくるのは明らかである。病院には親が患者を連れてくるが、クリニックでは患者が、悩みを医者に訴えに行く。そのため、聞く事が圧倒的に多くなる。精神科では他科のような医療器具は必要ない。ただ精神的ストレスは大きいだろう。だが、これからは高齢化社会で認知症の患者も増え、若者のフリーターやニートも当たり前になってしまっているほどだから、若者の人格障害の患者も増えている。需要はあるのである。