小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

許し

2010-11-29 05:42:29 | Weblog
私は、「人間が人間を許す」という行為が非常に嫌いである。それは、よく安直な感動映画で使われる。私は、そのセンチメンタリズムが嫌いなのである。「人間が人間を許す」という行為は、一見、美しい行為のようにみえる。が、はたして深いところにおいて、人間が人間を許す、という権利があるのだろうか。人間には人間を許す権利はない。人間を許す権利を持っているのは神だけである。無神論者の場合は。神ではなく、見えざる真理の絶対意志とでもいうべきものが許す権利を持っているのだろう。
だから私は、たとえ許したくても、一時の感傷で安直に人を許すべきではないと思っているし、また私も安直に他人に許されたいとは思わない。許し合う社会というのは、要するに、罪から逃げることを、お互いに認め合っている社会であり、許し合わない社会というのは、自分の罪を各人が背負っていく社会である。

私は何度も見ているが、横暴のかぎりを尽くし、他人をいじめ抜いておいて、後になって、ほとぼりが冷めた頃、「あの時はすまなかった」と謝ってチャラにしようと、最初から計画している、そんな性格の人間を数多く見ている。

総理大臣と医者

2010-11-28 01:12:53 | Weblog
総理大臣と医者には共通している点がある。社会的地位が高い。収入が多い。いい面ではその二つである。しかし悪い面も共通している。大変なストレスのかかる仕事である。失敗は許されない。壊れた物を元通りに直す仕事である。何も後世に残らない。総理大臣は、歴史教科書に、自分の名前が一字載る。医者は何も残らない。確かに医者は、患者を治療した直後は充実感がある。しかし、それは一時のものである。人生を振り返って何も残らない人生というのは、私には、虚しいかぎりの人生に思われてならない。私は壊れた物を元通りに直すより、ゼロから何かを作り出す仕事の方がやりがいを感じる。

民主党がマニフェストを実行していないからといって、あまり非難すべきでない。政治家は、公職選挙法に違反しない限り、何を言っても違法ではない。選挙などお祭り、運動会のようなものである。選挙前の宣伝合戦で選挙結果は大いに左右される。聞こえのいいマニフェストなど、何が何でも政権とるための、手段であって、民主党もマニフェストなど、いい加減な気持ちで書いていて実行する気など、元々ない。政治家はウソをつくものである。こんな常識もわからないのであれば、有権者の方が悪い。

政治家に必要なのは、自分なりのポリシーを持っていて、かつそれを行動に移す行動力である。そういう点、小泉純一郎の行動力は評価できる。
野党の質疑に対しては、アドリブで舌がよく回る人間が有利である。菅直人は、皮肉は達者だが、与党としての答弁の能力は優れてはいない。面白みがない。やはり野党の質疑にうまく対抗するのには、ユーモアのセンスが必要である。菅直人にはユーモアのセンスがない。歴代総理を見ても、一番ユーモアのセンスがあったのは田中角栄である。中曽根や麻生太郎も、けっこうユーモアのセンスがあった。
石波茂氏は、非常に論理的で口が達者で、その点、総理大臣に向くと思うのだが、なる気はあるのかどうか。総理大臣はストレスがかかるから、やる気を持ってないように見受けられる。総理大臣ほどの重責は、やりたくないが、その下の、総理大臣ほどの重責のかからない大臣にはなりたいと思っているよう見受けられる。

答弁で、「自民党が今の日本にした」と発言するのは、前置きの発言としてはいいだろう。しかし、それだけが答弁だとしたら幼稚すぎる。その前置きはいいが、今後の方針を述べなくては無責任である。自分らだってマニフェスト実行していないウソつきなのだから、えらそうなことを言う資格がない。

北挑戦の挑発

2010-11-24 23:49:16 | Weblog
北朝鮮が延坪島に砲撃してきた。一体、北朝鮮は何を考えているのやら。もし軍の単独行動なら、北挑戦は世界に、軍のかってな行動だと声明するはずだ。そして行動した兵士達を処罰するはずだ。それをしないというのは、やはり北朝鮮の首脳の命令だからだろう。それにしても、同胞民族が敵対するという心理は一体、どのようなものなのか。外交というものは、個人の人間関係の相似性で考えられる。いわば、敵対関係にある兄弟の争いといえる。全く血のつながりのない赤の他人なら、徹底的な喧嘩になりうる。しかし兄弟喧嘩では、殺し合うことまでは出来ない。北朝鮮はそういう心理につけ込んでいるのではなかろうか。
1950年に起こった朝鮮戦争は、赤化を後押しするソ連と、赤化を阻止しようとするアメリカの冷戦の犠牲である。ただ日本は、この朝鮮戦争による特需景気が戦後の復興に非常に有利な出来事になったのは事実である。
ドイツも第一次世界大戦で負けて、屈辱的なベルサイユ条約によるガタガタな経済を、ナチスが軍需産業によって立て直そうとした。
しかし、たとえソ連が崩壊し、ベルリンの壁が壊れたからといって、赤化ということがこの世からなくなることはない。独裁政治の国では政界と財界が結びついて甘い汁を吸っているかぎり、赤化の危険は絶えずある。赤化というよりも革命だが、革命では革命を成功させた指導者が、その場で新しい国のトップになりやすい。まあ、国民の民意で選ばれたのだから民主主義的といえるが、議会制民主主義の政治制度をしっかり作らないと、新元首が、今度は独裁者になりかねない。人類の歴史はこの繰り返しである。

鬼ごっこ

2010-11-19 13:01:25 | Weblog
「鬼ごっこ」

という小説を書きました。

ホームページにアップしましたので、よろしかったら御覧ください。

祈りの日記

2010-11-17 19:49:22 | Weblog
「祈りの日記」

という小説を書きました。

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小説家の憂鬱

2010-11-15 15:05:15 | Weblog
「小説家の憂鬱」

という小説を書きました。

ホームページにアップしましたので、よろしかったらご覧ください。

ほとんどエッセイですが、主人公を「私」という呼称ではなく「彼」と書いたので小説とします。

洗脳

2010-11-13 01:10:44 | Weblog
「洗脳」に関して。
私は、洗脳という行為においては、人を洗脳しようとする人間より、洗脳されてしまう人間の方が悪いと思っている。(国家的規模の洗脳には問題があるが)もっとも「悪い」という言い方は適切ではない。所詮、洗脳されてしまう人の思考力が、その程度だったということである。個人による洗脳という行為も思想、行動の自由として民主主義国家においては法に抵触しないかぎり保障されねばならない。
教育において、人間が健全に育つようにと、悪い物、恐ろしい物を見せない、とか、ばれない犯罪の方法などは教えるべきではない、などという考えは、一見、いい考えのように思う人もいるかもしれないが、私はそんな考えこそ人間を冒涜した考えだと思っている。それは人間を胎内にとどめておく、人間を赤ん坊にしてしまおうという考えだと思う。それこそがまさに洗脳だと思う。もっとも尊重すべきものは、人間の意志である。全てを知った人間が、自分の意志でどう決断し行動するか、ということこそが人間の人間たりえることであると思う。

ただ、幼い子供にいきなり、全てを教えるような性教育などというものを奨励しているわけではない。年齢に応じて、徐々に教え、最終的には、全て教えればいいのである。

私、個人に関しては、洗脳は大歓迎である。私を洗脳できる人間がこの世にいるのなら、ぜひお目にかかりたいものである。

異種格闘技戦

2010-11-12 23:20:28 | Weblog
アントニオ猪木が、以前、異種格闘技戦をした。彼はプロレスこそ最強の格闘技という信念を持って、それを実行した。しかし、これはおかしい、というか滑稽である。彼はボクサーやマーシャルアーツと戦う時は、ボクサーやマーシャルアーツには、グローブをつけるというハンデをつけさせていた。プロレスラーである猪木は、相手の顔面をパンチで殴ることは、認められている。プロレスラーのパンチは腰の入っていない、素人のパンチだから危険なパンチではない。一方、ボクサーの素手の相手の顔面に対するパンチは、あまりにも危険だから、といってグローブをつけさせるというハンデをつけていた。格闘において、はじめから一方にハンデをつけさせなくては危険であるという認識自体がすでに、最強の格闘技はどっちかという優劣の答えを出している。

共産主義国家

2010-11-12 22:54:11 | Weblog
共産主義。民主主義国家に生まれた人は誰でも、自分が共産主義国家に生まれなくてよかった、と思っているだろう。そして共産主義を毛嫌いしているだろう。共産主義国家の弊害とは。それは。思想の自由を否定されるくらいなら、乞食になった方がマシだからである。しかし、共産主義国家においては自分の思想を社会に発言した時にだけ、思想犯として、とっ捕まえられて、投獄されるのである。しかし、心の中で思っているだけなら、投獄されることはない。国家を非難する文を書こうとも、それを、わからないようにばら撒いて、見つからなければ、投獄されることはないのだ。だから、共産主義国家にいても、思想を自由に持つことは出来るのである。思想を持ってることが、当局にばれたり、社会に向かって発言したりと行動した時に、投獄されるのである。人の心の中まで変えることは、出来ないのである。

むしろ日本は思想的には共産主義国家まがいになってしまっている。これはメディアの発達による。日本では、みんなと同じ事を考え、みんなと同じように感じなくては、実質的に非国民として全マスコミ、世論から非難される。人に合わせて無難なことを言っていなければ、いけなくなってしまっている。共産主義国家とたいして変わりゃしない。

そもそも中国は私有財産を認めているのだから、これは共産主義国家の定義に反する。中国は共産主義国家とは言えない。


空手は固い物に対するパンチ、キックである

2010-11-11 11:30:54 | Weblog
空手の突き、蹴り、は固い物を壊すために考え出されたパンチ、キックである。だから空手家は、レンガやブロックなどで試割りをするのである。

一方、ボクシングやムエタイのパンチ、キックは、人体という弾力のあるものに、大きなダメージを与えるために考え出されたパンチ、キックである。だから、ボクシングやムエタイでは、サンドバッグを殴り、蹴ることが練習の基本なのである。ボクシングやムエタイでは、試割り、ということはしない。勿論、空手家やカンフーもサンドバッグのような物を突くこともあるが、それは、手の骨や皮膚を固く鍛えるためであって、巻き藁と同じであって、技術の訓練のためではない。

固い物を壊すためには、当たる面積が小さい方がいいのである。だから空手では、点(中手骨の骨頭)で突き、点(虎趾)で蹴る。一方、ムエタイの蹴りは、どこで蹴るかというと、膝下から足首までの下腿の脛で蹴るのである。ムエタイでは脱力して蹴るから、足首を固定していないから足背で蹴ると足首を捻挫してしまう危険があるからである。人体で硬い所はどこかといえば、それは頭だけである。他の部位は筋肉がクッションになってしまうのである。

ボレーはガニ股で構える

2010-11-10 23:48:07 | Weblog
テニスのボレーは、少しガニ股で構えた方がいい。ガニ股というより、足先を平行ではなく、少し開いた方がいい。なぜかというと、ボレー、特に敵が左右に揺さぶってくるような場合、左右に素早く移動できる構えの方が有利だからである。足を平行に構えていると、左右に動く場合には、まず動く側の足先を横に向けるという動作をしなくてはならない。ガニ股で構えていれば、この動作を省略できるからである。特に、敵が左右に揺さぶるタイプのファイターの場合、効果がある。ボレーでは高さは、ハイボレー、ミドルボレー、ローボレーとラケットの高さを変えれば、打てる。前後の動きより、左右の動きの方が大切なのである。これは、相手がサービスで、こちらがレシーブの場合でも言える。

ただ、相手が左右に揺さぶるタイプではなく、足元を狙ったり、ロブや、コーナーを狙うような、何をするかわからないタイプの人間だった場合は、足先を左右に開きすぎるのは良くない。前後や、あらゆる方向に素早く動くためには、ガニ股は、動く動作を遅らせてしまう。あらゆる方向に素早く動ける構えは、水平な方がいいのである。

敵に読まれないようにし、敵の心理を読む

2010-11-10 22:01:44 | Weblog
おおよそ格闘においては、敵に自分の心理を読まれないようにし、敵の心理を読むことが大切である。当たり前のことだが、それが出来ていない現状も多い。テニスのダブルスで、前衛(ボレー)の人は、足踏みしているが、これは精神を緊張させて、敵の攻撃に対し、素早い反応が出来るよう、気を引き締めている、のであるが。さらにもっといいのは、守る位置を変えたり、前後左右に動いたりすると、もっといい。ただし、あまり動いていると体力を消耗させる、というデメリットがある。自分の位置をいつも、一定の所に固定してしまうと、敵が頭脳的に優れたファイターの場合、敵にこちらのウィークポイントを狙う策略をつくらせてしまう。だから、敵にこちらが何を考えているのか、わからなくさせてしまう事が必要なのである。そして逆に、敵の心理を読めてしまえば、敵に対処できるのである。止まって構えるのではなく、絶えず予想して、動くいているのである。

野球では、敵のバッターの特性や心理や状況によって、敵がどう攻めてくるかを予想して、前進守備にしたり、深い守りに変えたりしている。今年の高校野球を見ていて、ちょっと疑問に思ったことだが、またプロ野球では、いつもしているが、勝った後でのインタビューは、できたら拒否した方がいいのである。特に戦術的なことは、本心を言わない方がいいのである。これはプロ棋士の将棋の試合の後でも感じる事である。こちらが、どう考え、どう作戦を立てたか、ということを知られてしまうと、次の戦いの時、相手にヒントを与えてしまう。また自分の考えを話してしまうことで、相手を安心させてしまう。もっとも恐ろしいファイターとは、何を考えているのか、わからないファイターである。人間は、思っていることを話さずにはいられないという欠点を持った動物である。ただ、優れたファイターなら、本当に隠すべきことは、喋っていないだろう。喋っても問題のないことだけ喋っているのだろう。

武道の戦いにおいても、必殺技とか得意技というのは、隠すべきものである。特に飛び蹴りにおいては、ほとんどの人は利き足の方でしか蹴れないから、試合前では、決して見せるべきではない。見せた後では、もう敵に読まれてしまう。だが人間は自分のテクニックを誇示したいという欲求を持ってしまうため、自己顕示欲から披露してしまう。
本当のファイターとは無口で何も喋らないネクラ人間である。

将棋でもプロ棋士は相手の戦法を読んで、それに合わせた戦略を立てる。小池重明が強かったのも、小池は何を考えているのか、わからないから強かったのである。小池は序盤戦で、戦法をあまり考えていないから、小池の戦法というものは読むことが出来ない。だから、撹乱されてしまうのだろう。

お鶴と亀吉

2010-11-08 22:40:19 | Weblog
「お鶴と亀吉」

という小説を書きました。

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男おいどん

2010-11-06 23:34:42 | Weblog
松本零士の漫画では、私は「男おいどん」が好きである。一般に、松本零士というと、「宇宙戦艦ヤマト」だとか「銀河鉄道999」に圧倒的に人気がある。しかし、私は「宇宙戦艦ヤマト」も「銀河鉄道999」も、全く興味がない。何がいいのか、さっぱり分からない。というより、一部しか読んで、面白くないので、全部よんでいない。アニメも面白くない。好きな人は、熱烈に好きらしいが。しかし、「男おいどん」はとても好きである。一般の人は、「男おいどん」は、汚らしい作品として嫌う人もいるくらいである。私と世間の人とは価値観が反対である。

「男おいどん」は、あの汚らしさがいいのである。汚いアパートの一人暮らしで貧乏。夜間高校中退という、みじめな境遇。それでも、アルバイトして大学を出ようと思っている志の高さ。親に学費も生活費も頼らず、自活しようという男のプライド。そして夢は大きくても、それが実現されない救われなさ。あの生き方にすごく惹きつけられるのである。何とか、おいどんの夢が叶って欲しいと思う一方で、いつも失敗ばかりして、意志も弱く、救われないみじめさ、に何とも言えない、もどかしい気持ちにさせられるが、そのもどかしさが面白いのである。

スマッシュは打ち返せる場合もある

2010-11-04 16:46:23 | Weblog
スマッシュは、打ち返せる場合もある。
こちらが打ったボールが高く上がって、相手がスマッシュを打ったら、スマッシュはもう、打ち返せない、と思われがちである。確かに、スマッシュは、ほとんど打ち返せない。しかし、「スマッシュは、打ち返せないもの」という固定観念を持ってはならない。スマッシュは、場合によっては、打ち返せる場合もある。というのは。スマッシュは、コートの中での、叩きつけるサービスである。相手が、スマッシュの体勢に入ったら、確実にスマッシュを決めるために、相手の準備動作は、はっきり見える。どこに打ってくるかも、ある程度、予想が出来る。だから、ボールが高く浮いて相手がスマッシュを打とうとしたら、あきらめてしまわないで、ボールが来る場所を想像して、そこに急いで行く。そしてボールがコートに叩きつけられた直後の上がってくるライジングを、何とか当てれば、返すことが出来る場合もある。