小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

NHK記者

2008-09-30 02:07:21 | Weblog
NHK記者

去年の秋の事である。ある日、私は渋谷で仕事した。医療関係の仕事である。私は患者、特に女の患者とは、病気の事に関して淡々と話すが、けっして感情は入れない。まあ、当たり前と言えば当たり前であるが。公と私は、ちゃんと区別する。それは、医療に限らず、たとえばマクドナルドの店員で、お客になれなれしく話しかけてくる人がいないのと同じである。それが仕事のマナーである。しかし、医療では、患者も色々聞いてくる人もいるし、こちらも説明しなければならないので、会話が多くなる時もある。また、患者も時には、感情を入れて話しかけてくる人もいる。しかし、私は、患者とは個人的なつながりはけっして持たない。たとえ、診療する短い時間の間だけであっても。だが、まあ、ほとんどの場合、患者も病気の事だけを聞いてくるので、そういう事は滅多にない。ちょうど八百屋に野菜を買いに行く人はいい野菜を買いにいくのであって、八百屋のおやじとお喋りを楽しむために行くのではないのと同じである。
だが、去年の秋のある日、診療してたら一人の女の患者が診療の後、名刺を渡してきた。
「私、NHKの記者なんです。医療関係を担当してます。医療に関してお聞きしたい事があるんですが、よろしいでしょうか」
こういう事ははじめてだったが、たいして驚かなかった。名刺を見ると、確かにNHK記者と書いてある。私は彼女の顔を見た。彼女は素晴らしい美人だった。(と言っておこう)
要するに診療を兼ねた取材である。さほど、乗り気もしなかったが、まあ、話のネタにもなるだろうし、
「いいですよ」
と答えた。その時はちょうど診療のおわる時刻だった。彼女もそれを計算していたのだろう。
診療がおわって、外へ出た。だが、彼女は見当たらなかった。しばし待ってみたが、彼女が来ないので、私は、帰ろうと思って駅に向かった。すると、彼女があらわれた。渋谷駅前なので、喫茶店はいくらでもある。
一番近いファーストフード店に入った。
私はアイスティーで、彼女はコーヒーを注文した。
そして二階に上って向かい合わせに座った。
「私はNHKで医療分野を担当していますが、××で診療報酬が大幅に変わりましたね」
「ええ」
「それによって、診療所では何か変化がありましたか」
「どういうことですか」
私は逆に聞き返した。彼女が何を聞きたいのかわからなかったからである。
「たとえば経営のために必要もない検査をしているとか」
「それはないと思いますね。私の知る限り。むしろ検査が足りないくらいだと思ってます」
必要もない検査をしたら支払基金でカットされるじゃないか、そんな事も知らないのか、取材は基本的な事くらい調べてからしろ、と言いたい思いを抑えて私は穏やかに答えた。
私はいささか、彼女に不快感を感じた。何て、あまちゃん、なんだろうと思った。ので、こう言った。
「NHKだって八百長じゃないですか」
「そんな事ないです」
彼女はすぐにむきになって言い返した。
子供なんだ。NHKの記者でありながらNHKが清く正しい番組であると本気で思ってるほど子供なんだ、と「伊豆の踊り子」の川端康成のように思って私は朗らかな喜びでことことと笑った。頭が拭われたように澄んで来た。微笑がいつまでもとまらなかった。
そもそも医者が自分の不利になるような事は言わないのが普通ではないか。
どんな企業に取材しても、自社の欠点や企業秘密など言う会社などあるわけがないではないか。人に、あなた達はインチキをしていますか、と聞いてるようなものではないか。
「誰か詳しく知ってる人知りませんか」
彼女はさも残念そうな表情で独り言のように言った。
「知りません。私はあんまり医者の友達がいないもので」
私は彼女の思っている事は全て見抜いている。
しかし、私は人を傷つけたり、からかったり、恥をかかせたりしたくないので何も言わなかった。
その後、少し話した。
「僕、浅野浩二ってペンネームで小説を書いてるんです」
「へー。すごいんですね」
「ホームページに小説を出してますから、よかったら見て下さい。「浅野浩二」で検索すればすぐ出てきます」
「じゃあ、見させてもらいます」
そんな事で彼女と別れた。
もちろん、ホテルで一休みしませんか、何て一般の男が聞くような事はしなかった。
彼女にあまり魅力を感じなかったからだ。
(だが彼女は他の人が見れば、すごい美人でキュートに感じるだろう)
そんな事で彼女と別れた。渋谷から東急東横線に乗って家に帰った。
家に帰って、彼女の名前で検索したら、二つくらい出てきた。もっと出るかと思ったが当てが外れた。

自由学園高等科の成績

2008-09-29 00:40:43 | Weblog
自由学園高等科の成績

高校時代の成績表も見つけたので書いておこう。

(一年、二年、三年の順。評価は1~5の5段階評価。×は学校が授業しなかったもの)

現代国語 454
古典Ⅰ乙 45×
古典Ⅱ  ××5
倫理・社会××4
政治・経済×4×
世界史  ×45
地理A  ×45
数学Ⅰ  55×
数学ⅡB 5×5
数学Ⅲ  ××5
物理Ⅰ  555
化学Ⅰ  554
生物Ⅰ  33×
体育   333
保健   455
音楽Ⅰ  444
美術Ⅰ  4×4
英語   555
欠席日数 13日(一年)4日(二年)11日(三年)

教科についての所見 各学科にわたってかなり優れた能力を持っている。特に数学、物理、化学がよい。

一般的所見 本人は中等科より本学園に在学し、六年間ここの寄宿舎で生活してきた。理性的に考えて行動する。決意したことを実行し通す粘り強さがある。小さい頃より喘息があり、時々発作で苦しむこともあったが意志的にそれを克服して来た。

英語もオール5なのに良いと書いてない。これを書いた三年の時の担当の先生が英語の先生だったので、照れくさかったのだと思う。要するに理系が得意と言いたいのだろう。意外に成績が良くないのは、テストは一夜漬けで、他大学進学の意志がなく勉強はただ受け身でやっていたため。勉強以外でやっていた事が多くあった。在学中ガリ勉と言われた事は一度もない。

欠席は、高校一年時では、風疹にかかり一週間、家に帰った事と、伯母が車に轢かれて死に葬式に出たため。高校三年では喘息重積発作が起こって一週間、病院に入院したため。

奈良県立医科大学医学部の成績

2008-09-29 00:33:32 | Weblog
医学部の成績

基礎医学(3年、4年)
解剖学第一 60
解剖学第二 70
生理学第一 60
生理学第二 63
生化学   60
病理学第一 60
病理学第二 67
寄生虫学  87
細菌学   80
薬理学   69
衛生学   60
公衆衛生学 60

臨床医学(5年、6年)
法医学   60
腫瘍病理学 60
内科学第一 68
内科学第二 70
内科学第三 60
神経内科学 60
外科学第一 60
外科学第二 60
整形外科学 66
産婦人科学 60
眼科学   83
小児科学  60
精神医学  62
皮膚科学  69
泌尿器科学 73
耳鼻咽頭科学61
放射線医学 72
麻酔科学  70
病態検査学 60
口腔外科学 85
腫瘍放射線学60
救急医学  60

見るも無残な成績。だが、それには正当な理由がある。大学は過去問をいかにたくさん集められるかにかかっているのだ。私は友達がいなくて過去問が手に入らなかった。他の大学でもそうだが、過去問があれば阿呆でも100点だが、過去問が無ければ0点である。友達がいないため、単位の情報もわからなかった。特に休学して下のクラスになった臨床の成績はひどい。友達が一人もいない。他の生徒のようにカンニングも一度もした事もない。それと過敏性腸症候群で生きているのが、精一杯で何度も自殺を考えてたほどである。

順位は基礎医学100人中72位。臨床医学100人中95位。1年、2年の教養課程の成績はかなり良かった。その成績表は見つからない。捨ててしまったのだろう。

男子生徒は絶対、主席にならない。主席になるのは女である。なぜかというと、優秀な男子生徒は大学時代に学問以上の事をしているからである。それと男は適度に遊ぶが、女は遊び方を知らないため、やることといえば勉強だけになるからである。

医師国家試験模擬試験の成績

2008-09-29 00:23:44 | Weblog
医師国家試験模擬試験の成績

たまたまテコムの医師国家試験の模擬試験の本試験前の第4回目の成績を見つけたので、書いておこう。

配点  560点
得点  425点
得点率 75.9%

偏差値 
総合成績 58.1
一般問題 55.3
臨床問題 59.1

A問題   58.5
B問題   52.0
C問題   39.6
D問題   60.5
E問題   64.4

全国受験者数 5171人
全国順位    1070位
学校受験者数 104人
学校順位    31位

得点率
一般問題
内科系    82.6%
外科系    76.5%
小児科系   80.0%
産婦人科系 73.7%
公衆衛生系 70.6%
マイナー系  60.7%

臨床問題
内科系    77.8%
外科系    80.0%
小児科系   69.2%
産婦人科系 70.0%
公衆衛生系 50.0%
マイナー系  81.8%

国家試験は過去問集めが全てである大学の中間試験や卒業試験と違い条件は対等だからこれが私の客観的な学力てある。

ストレス解消法

2008-09-28 01:22:41 | Weblog
ストレス解消法

人間、生きていると誰でもストレスがたまる。私のストレス解消法は、連続回し蹴りで思い切り足を振り回す事とバッティングセンターで、憎いあんちくしょうを頭に浮かべて、「このやろー」と言いながら思い切りボールをひっぱたく事である。これによって、多少ではあるが、一時的にストレスが軽減されるのである。

リングに上がる

2008-09-27 22:25:36 | Weblog
昨日、はじめてボクシングのリングに上がった。たまたま仕事で行った所の近くにジムがあったから、寄ってみた。受け付けの階がボディービルで、その上の階が格闘技で、キックボクシング、空手、テコンドー、柔術、レスリング、総合格闘技などをやっていた。以前、一度そこで、体験でボクシングを受けたことがある。ボクシングのパンチは空手と違う。その後、去年の秋、ボクササイズを5回くらいやった。それで、フックやストレートなど、ボクシングの打ち方も多少わかった。ボクササイズ程度では面白くないので、やめてしまった。フットワークやシャドーの仕方まで教えてくれるのなら、つづけたのだが。やはり、ボクササイズはエアロビクスのためである。昨日は格闘技の日ではなかったので、サンドバッグを蹴ったり、叩いたりした。リングにも初めて上がった。かなり以前にもサンドバッグを蹴ったり叩いたりしたことはある。やはり、空手が身についてしまっていると、空手の蹴り方になってしまう。後ろ回し蹴りは、空蹴りの仕方で蹴ると破壊力が出ない。実戦では実戦用の後ろ回し蹴りで蹴らなくてはならない。アクション映画のように美とパワーとは両立しないのである。実戦での蹴り方はきたなくなる。しかし、後ろ廻し蹴りが身についていれば、実戦用に変える事は、そう難しくない。ケースによって、使い分けする事ができるのである。

今日も用事があって行った。今日は、練習生とトレーナーがワンツーの練習をしていた。実力がどれ位の人かはわからない。

しばし見てたら、受け付けの人が来た。

私「彼はどのくらい練習してるんですか」
彼「彼はプロ」
私「ウェートは」
彼「65kg」
私「ならウェルター級ですね」
私「トレーナーの人もプロか元プロですか」
彼「いえ。でもそれなりの経験はあります」
私「あなたも何か格闘技をするんですか」
彼「私はしません」
○(私、彼の上腕を触る。太い)
私「すごいですね。ボディービルはやってるんですね」
彼「ええ。少し」
○(私、彼の胸や腹を触る。筋肉がついている。彼、恥ずかしがる)
私「安心して下さい。私はホモじゃありませんから」

彼は格闘技に関するパンフレットを渡してくれた。

しかし、私は通う気はしない。少し遠いし時間がもったいない。

リングのプロボクサーと戦いたかった。もちろん、ボクシングのルールで。
もちろん、まず、勝てないが1ラウンド程度ならノックアウトされない自信はある。何ラウンドもつか、である。

ちなみに私がそういう自信を持てるのは、私が空手を身につけているからとか、ボクシングの打ち方を少し知っているから、とかいう理由だけではない。むしろ、そういう事に対するこだわりがあったら自分の身を滅ぼす。私は、自分の能力を冷静に鑑み、自分を白紙にして、その場において最も有効な対応をとれる謙虚さと融通さに自信を持っているからである。
空手道とは狭義においてだけでなく精神的な面の広義においても護身術なのである。

なお、格闘技に関しては、ホームページに、
「武道・スポーツ上達法」
「武道雑感」
「武術雑感2」
などで私見を書いてますので興味のある人は御覧ください。

オウム真理教

2008-09-27 15:45:42 | Weblog
オウム真理教

オウムの幹部や出家信者、在家信者が出てきた事は民主主義、自由主義の平和な時代においては必然性がある。否。それは平和な時代だけではなく戦時においても言える。これは何もオウムだけに限らず、全ての新興宗教で言える。人間の生きる意味が永遠にわからない以上、新興宗教はいつの時代でも出て来うる。

幸福の科学の大川隆法氏はそれに関して、いや、それ以外でもいい説明をしている。彼にスキは見出せない。

もちろん私は無神論者だから、オウムも幸福の科学もいかなる新興宗教も、キリスト教などの既存の宗教にも帰依することはない。ただ宗教は多少は関心があるから、多少は関心を持っているだけである。

ひかりの輪の上祐氏によると、イエス・キリストは神秘的な人だそうだ。

私にとってはキリストは神秘的でも何でもない。単なる一人の天才的な頭脳を持った人間である。しかしキリストは神の子でもあり、キリスト教は矛盾していないのである。ここら辺の事はホームページの「西方の人」に少し書いた。

仏教はキリスト教と違い、絶対神というものがないから、そもそも宗教とは言いにくい面がある。なら思想や哲学か、と言えば、そうとも言えるが、やはり絶対的な開祖者がいて、そうも言い難い面もあるのである。国も仏教を宗教ではない、とは言い難い。

もし国が仏教を宗教法人ではない、と国が決定したら坊さん達は絶対怒ると私は確信している。その理由はあまり高尚なものではないとも思っている。

ちなみに日蓮宗に関しては。日蓮はキリストの日本版だと思っている。もっとも日蓮はキリストよりはるかに下だとも思っている。

しかし、そうすると宮沢賢治先生に失礼なような気がする。ので、日蓮宗は、素晴らしいと言うべきだろう。その宗派を支持母体としている大きな政党もあることだし。

ということなので、日蓮様は素晴らしいお方です。

光クラブ事件

2008-09-26 01:47:50 | Weblog
青の時代

私は三島由紀夫の作品で特に好きなものに、「青の時代」がある。あれは戦後に起きた「光クラブ事件」および、その事件を起こした山崎晃嗣をモデルとしている。三島由紀夫は小説として、かなり正確に描いている。
最も、正確に言うなら、あの小説が好き、という以上に山崎晃嗣という人間に私は非常に魅力を感じるのである。もちろん世間では彼を悪い人間と言うし、また事実そうである。
しかし私の感じたのは、とてつもない人間という魅力である。
現在の犯罪は、論理もなければ信念もない、ただ感情の赴くままのくだらないものばかりである。
しかし彼は違う。彼には論理があり、信念があり、哲学がある。
東大法学部に在籍していた彼は全科目で優を取ろうと本気で思い、必死で勉強し、そして実際にほとんどの科目で優をとってしまっている。
彼は、自殺することが契約不履行を法的に正当化する、と言って自殺した。
これは、当たり前の事だと思う人も多いと思うが、そうではない。
江戸時代では百姓は土地から逃げたり、一揆を起こしたら、その罰は、その人だけにとどまらず、連座制によって、親族やグループまで処罰された。もちろん、これは徳川幕府がつくった狡猾な法ではあるが、法には違いない。明治維新によって日本は法治国家となり、近代法も相当、妥当なものに変わった。
また、現代においても自殺して責任放棄したら、死後その人の生前の良い点まで剥奪する、という事だって、決して滅茶苦茶な理論ではなく、かなり妥当な考えである。しかし現代において、そういう法律はない。現代の法では、自殺したらその人にはもう責任はない。さらに言えばその人は自殺したことによって犯罪の責任をとった、と考えてそれ以上、責めないのである。
また、彼の遺書もすごい。これほど理性的な人間はいない。
また、遺書として、ちょっとふざけ気味の面も感じるが、辞世の句までつくっている。
大正生まれの古い人間にしか、こういう事は出来ない。
もちろん、彼の実際の人生は、全てが論理で統一されているわけではない。矛盾や感情で行動している面だってある。
しかし、それを割りひいても彼は論理と哲学を持った人間である。
私は、犯罪において、こういう人間はもう今後、絶対、出てこないと確信している。
ちなみに私はライブドアのホリエモン程度の人間には全く魅力を感じない。規模がやたら大きいだけで、彼には山崎晃嗣ほどの論理も哲学も無い。

小説としては、ひしひしとカント哲学を感じた。
そもそも、小説の前の序文からしてカント哲学そのものである。
三島の金閣寺にしてもそうだが、三島はかなり、認識と行動の問題を小説で論じている。三島は意識してか、しないでかはわからないがカント哲学が根強く頭にあったのではないだろうか。少なくとも結果としてそうなってる。

ちなみに人の一生を小説にするという教養小説が私は好きである。
岡田有希子さんの一生をモデルにした拙作、「ある歌手の一生」も、この「青の時代」のテクニックがかなり参考になった。

大学の医局へ行った

2008-09-25 02:38:35 | Weblog
昨日、(9月24日)地元の医学部の医局に行った。医局員を募集していたから、応募したのだ。精神科ではない。×科としておこう。7月の末日にも以前、一度行ったので、今日は二回目である。この大学に入れなかった事が私の人生において非常に不利になっている。勉強会をしていたが、アメリカから来た医学者がスライドを使って、英語でレクチャーしていた。英語だけで話していたが、大まかに、どんな事を話しているのかは、見当がついたが、もちろんついていけない。やはり大学はアカデミックだ。大学にいれば英語の論文を読まなくてはならないから、大学の医局員は医学関係の英語はかなり読めるだろう。だが、ヒアリングは難しいだろう。読むことは出来ても、聞く、話す、は難しいだろう。医局から派遣されてアメリカに行った人ならわかるだろうが。教授や、一人の医局員は理解できていた。
大学にいると、どうしても医療の最先端の事はアメリカなので英語の医学論文は読まなくてはならない。私はそんなのもウザッたい。それに基本的な診断能力が十分身についていないのに、最先端の論文を研究させるというのもおかしなものである。ちょうど因数分解がわからない人に相対性理論を学ばせるようなものだ。そもそも医者に誤診は一生つきものである。そもそも消化器科の開業医で過敏性腸症候群を正しく診断できる医者は少ないのである。過敏性腸は非常に頻度の多い疾患なのに。
そんな事はいくらでもある。
教授はやたら明るい人だった。私は明るい人が苦手で、やりにくい。私は、うつ病かと思われるほどの、しょんぼりした人の方が疲れなくていいのだが。
幸い、精神的コンディションが良かったので教授と色々な事を話した。精神的コンディションが良かったので、むしろ私の方がハイな位だった。
忘れないうちに一部書いておこう。


私 「先生はちょっとパワーがありすぎますよ。先生は一生、うつ病にはならないと思います」
教授「そう?僕はデプレッションだよ」
私 「そうですか?先生は絶対、平均よりハイですよ。僕はあまりパワーのある人は苦手なんです」
教授「波がある。あがったり、さがったり」
私 「市大は住所が横浜市だと入りやすいと聞いて、本にも書いてありますけど本当なんですか?」
教授「そういうことはない」
私 「でも点数が同じ人が二人いたら、横浜市民の方をとるんじゃないんですか?」
教授「これは秘密の事なんだけど・・・」
私 「僕は聞いた事はすぐ忘れちゃうんです」
教授「・・・・・・・・・・・・」
私 「私もぜひ、ここに入りたくて受けたんですけど落ちたんです」
私 「教授の息子とか、関連病院の院長の息子とかは、手心が加わっちゃうんじゃないんでしょうか?」
教授「それはない。完全に点数だけで決める。一点差があれば、上の人の方をとる」
私 「僕の同級生でも×科の教授の息子がいましたよ。教授は○先生です」
教授「ああ。知ってるよ」
教授「試験は点数だけで決めるけど、面接があって、AからDまであってDだと点数がよくても落とすことはあるよ」
私 「僕も面接は受けましたよ」
私 「僕は×科は素人ですけど、国家試験ていどなら60点はとれます」
教授「それはすごい。入局する人は知識ゼロだよ」
私 「そうですか?国家試験に通ってるんだから国家試験レベルの知識はあるはずじゃないんですか?」
教授「・・・・・」(何て言ったか忘れた)
教授「統合失調症って10人に1人なんでしょ?」
私 「そんなんだったら大変ですよ。100人に1人です」
私 「精神科は薬が全てだから、製薬会社の主催する新薬の説明会があって、あれがすごく勉強になるんですが、×科では、そういうのはあるんですか?」
教授「あるよ。弁当食べながら聞く、あの製薬会社の説明が勉強になるんだよ」
私 「抗アレルギー薬でもいろいろな種類のがありますが、違いがありますか?」
教授「あるよ。抗ヒスタミンだけのとか、マストセルをコーティングするのとか、両方の作用を持っているのかとか。作用機序に違いがある」
私 「ここは黒字なんですか?」
教授「ここの科?」
私 「いえ。病院全体でです」
教授「黒字だよ」
私 「民間病院は経営のため必死ですが、ここは公立病院ですね。公立だと経営感覚が起こりにくいんじゃないんじゃないんですか?」
教授「いや。そんなことはないよ」
私 「ここは地の利がいいですね。それに病院もきれいだし」
私 「厚生省が診療報酬の点数を変えて、医療者側は、それに対応するイタチごっこですね」
教授「うん。でも、厚生省がどんなに診療報酬の点数を減らしても×科だけは大丈夫」
私 「どうしてですか?」
教授「患者数が多いから。DMの患者は×科の検査もするでしょ」
私 「でも支払い基金で切られたりしないんですか?」
教授「大丈夫。むしろ、検査が少ないと言われるほどだから。最も○の患者を月、10回も診てたりしたら、切られるけどね」
私 「外来患者は一日、何人位くるんですか?」
教授「100人くらい」
私 「外来診療を見学させてもらえないでしょうか?」
教授「うん。いいよ」
私 「でも、患者の個人情報の点で問題はないんでしょうか?」
教授「医者には守秘義務があるから大丈夫」
○(今日は飲み会だった。教授の携帯がなって、教授は携帯の相手と話す)
教授「ああ。すぐ行くよ。今、車の中だから」
○(ここは車の中ではない。教授室である)
私 「先生。はやく行って下さい。今日は有難うございました」



その他、×科に関する事を色々聞いた。
×科が何科かを知られたくないので、それは書かない。



医師国家試験

2008-09-24 00:19:30 | Weblog
医師国家試験の設問分のひっかけ

医師国家試験のひっかけである事を思い出したので書いておきたい。
症例は摂食障害の女生徒で、細かい事は省略するが、ようするにダイエットしてやせた、という症例である。
この問題の設問にこういうのがあった。
「この患者は登校拒否する」
これは、○とする人が多いのではないだろうか。しかし、これは模擬試験だったが、正解は×だった。理由は、摂食障害の女生徒はやせると、痩せた自分の体を自慢するために学校に行くからである、とあった。これはひっかけである。確かにそういうケースもあるだろう。しかし現実には、痩せても登校拒否する女生徒はそうとう多い。これは模擬試験だったが、本試験でも、このくらいのひっかけは十分出すだろう。

私はホームページで、「医師国家試験に通る方法」というのを一気に書いたが、どうも私個人にとっての方法を書いてしまった面がかなりあると思って少し反省している。しかし自分が受けた試験の感覚を書く事が一番インパクトがあり、またそれは今の国家試験でも当てはまる点は多いと思っている。
それと国家試験が2日から3日に変わった事がかなり大きい。2日から3日への変更によって国家試験対策もそれに合わせたものにしなければならない。私にとって冬はとても健康面で辛い季節なので、私にとっては健康管理が何より大切だった。できれば、また、もう少し書き加えたいと思っている。それはホームページでするか、ブログで書くかは、まだ決めていない。

理系の人の文系科目勉強法

2008-09-23 00:34:34 | Weblog
理系の人の文系科目勉強法

多くの場合、文系の勉強は好きだが、理系の勉強は嫌いという人が多いだろう。
文系の勉強は現実的で意味があるが、理系の勉強は観念的で実社会で有効ではなく、そもそも面白くないだろう。
だが例外もあってガチガチの理論的な人間は理系の勉強は好きだが、文系の勉強が苦手という人もいるだろう。私自身そうだった。
では文系の勉強法について述べたい。
これは理系の人だけでなく、中学生、高校生、ともに言える事だと思う。
国語について。読書(文学書)がいいと言われているが、私はそうは思わない。確かにしないよりした方がいいのは当然である。しかし、読書する時間の割りに国語の成績が上がる程度は極めて低く、時間がもったいない。また小論文対策も必要である。大学入試の英語は欧米の一流の作家や評論家の文章で内容も難しい。その内容は欧米の一流作家の思想、文化論、歴史観、世界観、人生観などである。内容は欧米人が読んでも難しい。もちろん現代国語の内容は英語以上に内容が難しい。

今の高校生で休み時間に天下国家を友達と語り合う生徒が多いとは思えない。高校生の関心は、彼氏彼女とのつき合い、ファッション、プロ野球、プロサッカー、芸能人、音楽観賞、携帯のゲーム、メールのやりとり、パソコンゲーム、などが大きいのではないだろうか。好きなものはやらずにはいられない。時間は限られている。では、そういうものをやりつつ、文系科目も身につけるには、どうしたらいいか。

結論から言うと私は、新聞の見出しだけを時たま見て、テレビのニュースもたまに見て、選択科目に選ばなくても、中学校の教科書でいいから、日本史、世界史、政治、経済は一通り読んでおくのがいいと思う。それと父親とよく話す事だと思う。父親は世間を知ってるから。あと国会中継を録画しておいて後で見るのもいいだろう。
それと一度、数日でいいから海外旅行するといいだろう。外国を見れば一気にその国の歴史や文化、政治、経済などに関心が出て、そこから芋づる式に世界に関心が持てるようになる可能性があると思う。自分の町や国は子供の頃から慣れっこになっていて新鮮味がないから、かえって興味が沸きにくい面がある。

水泳上達法2

2008-09-22 00:34:52 | Weblog
クロール考察

クロールは自分の技術に合ったスピードで泳ぐものである。クロールは速く泳ぐものである。しかし練習では自分の技術に適したスピードというものがあり、そのスピードで泳ぐのがいいのである。クロールと平泳ぎを較べると。平泳ぎでは、速く泳いだり、ゆっくり泳いだり、とスピードを自分の意志で調節できる。しかし、クロールはそれが出来ないのである。その理由は。平泳ぎは、左右対称で、両手、両足を同じ運動によって泳ぐ。そのためスピードのコントロールが出来るのである。しかし、クロールは、手だけで泳ぎ、しかもいつも片手だけで水をつかまえている。平泳ぎと較べ条件が悪い。不利な泳ぎ方である。そのため、スピードのコントロールが出来にくいのである。ゆっくり泳いだらキャッチした水が動いてしまう。クロールはいつも片手だけで水を捕まえていなくてはならない、という厳しい条件があるため、平泳ぎより難しいのである。

これはボートでも同じである。慣性の法則で動いている物体はそのまま動きつづけようとする。ボートでは、スピードが出ている方が漕ぐのが楽なのである。
また鉄道で1トン以上もある車両を一人の人が楽に押しているのを見た人がいるだろうか。慣性で動いているものは、それを動かすのに大きな力はいらないのである。止まっている物を動かす時には、大変なエネルギーがなくては不可能である。
クロールでもそうである。水の抵抗があるとはいえ、浮いてスピードがあると、体はそのまま動きつづけようとする。それを壊さないようにしつつ水を後方に押す、というのがクロールの原理である。

平泳ぎやバタフライでは、どうか、というとやはりそういう要素はあるだろう。しかし平泳ぎや、特にバタフライでは体の上下運動が大きくそのしなやかな上下運動が多少、魚が泳ぐ原理と似ている面があるようにも見受けられる。その点クロールに体の上下運動はないから、水の抵抗を減らして慣性での推進状態を大事にしなくてはならないのだと思う。

なお水泳に関しては8月27日のブログ「水泳上達法」で、またホームページの「武道・スポーツ上達法」でも書きましたのでよろしかったら御覧ください。

過敏性腸症候群

2008-09-21 00:25:52 | Weblog
過敏性腸症候群

私は過敏性腸でかなり生活がつらい。しかし私はだからといって、過敏性腸だけ国が理解してほしいとは思わない。世の中にはもっと苦しい病気がある。自分が苦しんだんなら人に理解を求めるより、自分よりもっとつらい病気の人を理解したい。

バク転

2008-09-20 00:26:24 | Weblog
バク転論
器械体操やバク転について
バク転が上手く出来ない人の理由は共通している。それは頭を床にぶつけて首の骨を折る事を恐れ、すぐに背を反らしてしまう事による。これは人間が自分の身を守るための反射である。しかしそうすると後ろへ高く飛ぶ事も後方への回転力もなくなってしまう。
ではどうするか。
運動において自分の感覚と現実の運動とは非常に異なっているのである。カガミで自分の運動を見ることが出来れば問題はないが。
バク転で大切な事は、勇気を出して後ろへ高く、背を反らせないで手を大きく振って後方への回転力をつけて飛ぶ事である。しかし感覚的にそれは怖い。高い所から落ちて頭を打ち首の骨をより折りそうな恐怖が起こる。
しかし、現実にはそれは、まずほとんどの人で起こらない。なぜかというと、飛んでから、頭を守ろうと反射ですぐ手が伸びるからである。これは意識しないでも反射で手が伸びるのである。これはバク宙や前宙においても言える事だが、器械体操で大切なのは踏み切る最初の動作だけである。バク宙や前宙では一回転したら自分の身を守ろうと反射で着地の動作が意識せずとも行われる。

なお運動では意図的に変な運動をしようとするのは危険である。

小さな恋のメロディー

2008-09-19 00:42:49 | Weblog
なぜラテン語を学ぶか
私はイギリス映画、「小さな恋のメロディー」が好きである。
あの映画の中でマーク・レスターの友達オーンショーがラテン語の宿題をさぼって教師に叱られた。教師が、「なぜ宿題をさぼったのか」と質問したら、彼は、「ラテン語は時代遅れの言葉だからです」「死んだローマ人とは話が出来ません」と答えた。当然、教師は怒った。ではラテン語は何のために学ぶのか。わかる人がいるだろうか。
私が中学に入った時、英語の教師が同様の質問をした。「何のために英語を学ぶのか」と。
みな、我こそはと答えた。すなわち、「英語は国際語だから」「英語は現代において必須だから」などなどと答えた。しかし教師は、全ての答えに、「違う」と答えた。それらは学ぶ結果、身につく副産物であって、主目的でない、と教師は言った。私は生徒以上の理由がわからなかったので、何か奥深い理由があるのだろうと思ってムキになって答えなかった。
さてヒント。少女にピアノを習わせる理由は何か。将来、ピアニストにするためか。特技や上品な趣味を身につけさせるためか。実はそうではないのである。
ラテン語、英語、ピアノ、学ぶ理由はみな同じである。
これの意味のわかる人がいるだろうか。