「フリースクール・ごはん学校」
という小説を書きました。
ホームページ「浅野浩二のホームページの目次その2」
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にアップしましたのでよろしかったらご覧ください。
「フリースクール・ごはん学校」
神奈川県の藤沢市にあるフリースクールである。
そこは、登校拒否やいじめ、発達障害、人格障害、児童虐待、PTSDなどで、普通制の学校に行けなくなった少年たちのために、教育評論家の尾木直樹氏が作った小規模学校である。
校則は無く、出席するのも欠席するのも生徒の自由、入学金5千円出せば、一日だけの体験入学も自由という、極めて自由な学校だった。
唯一、規則といえば生徒は年齢が16歳から20歳まで、という年齢制限があるだけだった。
特に何を教育するという方針もないフリースクールである。
校名は、フリースクール・ごはん学校、と呼ばれている。
ただ、みな、落ちこぼれの少年少女たちなので、普通制の学校では友達が作れず、ごはん学校に来る子供たちは、みな小説を書きたいという思いは持っていた。
友達を作れない子供でも、人間である以上、自分の思いを人に話したい、という気持ちは人並みに、持っていた。
そこで校長は、
「お前たち。小説を書いてみないか。2週間に一作書くというルールにしてみないか?そして、それを発表して、その作品を批評し合うんだ。作品の長短、出来の良し悪しは問わない。それをまとめて、落ちこぼれの書いた小説集、として出版するんだ。オレはある出版社の編集者とつながりがあるから、頼んで読んでもらう。もし出版の見込みがあるようならば、出版するよう頼んでみるぞ。どうだ?」
と言った。
「でも先生。僕たちのような落伍者の書いた、駄作の小説集なんかが売れるんでしょうか?出版社は慈善事業のNPO法人じゃありません。宣伝やら印刷、製本、東販日販の取り次ぎぎの経費だけがかかって、一冊も売れないような本が売れるはずはないと思います。何部、刷るのかは知りませんが全部、返本されて、倉庫代もかかりますから、全部、裁断されて処分されるだけだと思います」
と、ある生徒が言った。
「いや。あながち、そうとは言えないぞ。お前らは落ちこぼれだ。世間の落伍者だ。だから世間は、お前らに同情して買ってくれるかもしれないぞ。世間は、身体障害者とか、お前らのような、出来損ない、のダメ人間に同情してくれる可能性があるぞ」
と先生は言った。
「・・・・・」
先生にそう言われても、生徒たちは黙っていた。
「それと。お前たちの書いた小説集が売れるためには、当然のことだが作品の出来がよくなくてはならない。本が出版されて売れるかどうかは、お前たちの努力にかかっているのだ。お前たちも覇気のカケラでもあるのなら、頑張って良い作品を書いてみろ。そうして世間の人間を見返してみろ。お前たち。このまま、一生、グータラな人生を送って、誰にも知られることなく野垂れ死にして・・・・そんな人生を送って・・・・口惜しくないのかー?」
先生は泣きながら言った。
皆、黙っていたが、一人の生徒(小畑)が、
「く、口惜しいでーす」
と言って、泣きじゃくった。
あたかも、昔のテレビドラマ、スクールウォーズのようだった。
「ぼ、僕も口惜しいです」
「私も口惜しいです」
「僕も口惜しい」
小畑につられて、みな泣き出した。
「じゃあ、みな、必死になって、小説を書いてみろ。異論はあるか?」
「ありません」
皆、異口同音に言った。
こうして、このフリースクール・ごはん学校は、2週間に一度、在籍生徒が、一作、小説を発表する、というルールが、作られた。
・・・・・・・・・・・
「哲也―。夕ご飯よー」
階下から、母親の山野由美子が、二階の自室にいる息子の哲也を呼んだ。
哲也はいつものように、一日中、ネットのエロサイトを検索して、見つけたSМサイト、で見つけた、裸にされて緊縛された女の画像を眺めていた。
哲也はとても優しい性格だったので、裸にされて縛られて辱められている写真の女性に、本当に恋していた。
なので、哲也は写真の女に向かって、
「お姉さん。寒くない?」
「つらくなったらいつでも言ってね。縄を解いてあげるから」
と語りかけていた。
すると、写真の女も、
「ありがとう。哲也君。私は大丈夫よ。だって優しい哲也君が見守ってくれているんだもの」
と言い返してきた。
写真の女が語りかけることなど、現実的には、あり得ないはずだが、哲也には、本当に写真の女の声が聞こえていたのである。
夕ご飯が出来たことを母親が階下から言ってきたので、哲也は写真の女に、
「お姉さん。僕、ちょっと夕ご飯食べてくるね。それまで待っていて」
と写真の女に語りかけて、階下に降りた。
母親が食卓に夕ご飯の用意をしていた。
哲也は食卓に着いた。
「さあ。今日は哲也の好きなハンバーグにしたわよ」
美しい哲也の母親の由美子が言った。
哲也の母親は30を少し過ぎた歳だったが、それはそれは美しく、絶世の美女で、そして性格も優しかった。
哲也の優しさは、母親ゆずりなのである。
哲也に父親はいない。
哲也がまだ物心つかない幼少の頃、自動車事故で死んでしまったのである。
母親は、銀座でブティクを開いていて、儲かるわ、儲かるわ、の商売繁盛で、母子家庭であっても生活費には困らなかった。
母親も食卓に着いた。
「いただきます」
と言って、哲也はハンバーグをナイフで切ってフォークで食べた。
「美味しい?」
母親がニコッと笑顔で哲也に聞いた。
「うん。美味しいよ」
哲也は、ハンバーグを食べながら言った。
「ねえ、哲也君」
母親は息子を君づけで呼んでいた。
「なあに?お母さん」
哲也は母親を「お母さん」と呼んでいた。
「哲也君。今日、近所の奥さんに聞いて知ったんだけど。この近くにフリースクールがあるらしいの。そこでは小説を書くこと生徒にさせているらしいの。よかったら哲也君、その学校に入ってみない?」
母親が遠慮がちに聞いた。
「・・・・・」
哲也はすぐには返答できなかった。
哲也は幼少の頃から小児喘息で過敏性腸症候群で冷え性でアレルギーもちの超病弱で、性格も内向的で、無口で超神経質で、高校に入学したものの、友達が出来ず、学校生活が嫌で1年の一学期に退学してしまったのである。
しかし、哲也は優しく繊細な感性を持っている上に想像力が豊かで、物心ついた時から小説を書いていたのである。
それが哲也の唯一の楽しみだった。
いや、哲也には裸で緊縛された女性の写真を見て妄想にふけることも楽しみだったので、小説を書くことと、SМ女優の写真を見るという、二つのことが哲也の楽しみだった。
哲也にとって、そのどっちの方が上かといえば、小説を書く方だった。
なので、哲也は、ずっと小説を書いてきたので、書いた作品は180作を越していた。
しかし、哲也は内気なので、小説を書き上げても、それを誰かに見せるということはせず、机の中にしまっておくだけだった。
母親は、時々こっそり哲也の書いた小説を読むことがあった。
読みやすく、ちゃんとストーリーがあって、作品として完成している。
なので、母親はもっと自分の小説を人に見せてはどうか、と哲也に勧めていたのである。
「哲也君。将来、何かやりたい仕事はある?」
黙っている息子に母親が聞いた。
「・・・・ない」
哲也はキッパリと言った。
「じゃあ、フリースクール、ごはん学校に入学してみない?哲也君は、小説書くの上手いんだから・・・」
母親は哲也にさりげなく言ったが、本心では、ぜひともごはん学校に入って、友達を作って欲しいと思っていたのである。
「じゃあ、ちょっと考える」
しばし黙っていた哲也は、そう答えた。
「ごちそうさまでした」
そう言って、哲也は、デザートのチーズケーキとオレンジジュースを盆に載せて持って、階段を登って、自室に入った。
哲也はベッドに寝ころんで、パソコンを起動させ、デスクトップにある、さっきまで見ていた緊縛された女の写真を出した。
そして、その女に向かって、
「お姉さん。お腹が空いているでしょう。チーズケーキとオレンジジュースを持ってきたよ。食べて下さい」
と写真の女に語りかけた。
すると写真の女は、
「いいの。私はお腹、空いてないわ。それ哲也君の食後のデザートでしょ。本当は哲也君が食べたいんでしょ。それを私にくれるなんて、なんて哲也君って優しい子なのかしら。私、嬉しいわ。でも、私、本当にお腹、空いてないから大丈夫よ、哲也君が食べて」
と言ってきた。
「そう。じゃあ、無理には勧めないよ。つま先立ちがつらくなったら言ってね。すぐに縄を解いてあげるから」
「ありがとう。哲也君」
そんな会話がなされた後、哲也は、デザートの、チーズケーキとオレンジジュースを、写真の女を見ながら食べた。
・・・・・・・・・・・・
「お母さん。僕、ごはん学校に入るよ」
哲也が母親にそう言い出したのは、それから三日後だった。
母親はニッコリ笑った。
「ありがとう。哲也君。私の提案を聞いてくれて。さっそく入校の手続きをしてくるわ」
そう言って母親は家を出た。
哲也は母親が自分の息子が引きこもって、誰とも付き合わず、友達が出来ないのを心配していること、そして何とか息子に友達が出来るように仲間を作るようにと切に願っている思いを、カンがいいので分かっていた。
本当は哲也は、ごはん学校への入学なんて、あまり乗り気がしなかったのだが、母親思いの哲也は母親を喜ばせたくて、イヤイヤ、ごはん学校へ入ることに決めたのである。
その日も哲也は、一日中、ベッドに寝ころんで、パソコンを開いて裸にされて縛られている美しい女と会話して過ごした。
「お姉さん。僕、ごはん学校というフリースクールに入ることにしたよ」
と哲也は写真の女に話しかけた。
「そう。それはよかったわね。哲也君は一日中、私のことを見ていてくれるでしょ。それは嬉しいんだけど、哲也君も友達を作った方がいいと私も思っていたの」
と写真の女が言った。
「それで、その、ごはん学校って、どういう学校なの?」
写真の女が聞いてきた。
「小説を書いて発表する学校らしい」
「そりゃー良かったじゃない。哲也君。小説、書くの好きで、上手いんだから」
「でも僕はお姉さんと一緒にいるのが一番楽しいんだ。お姉さんを見ていないと心配なんだ。悪いヤツが来てお姉さんを虐めないか心配なんだ」
「ありがとう。哲也君。私を心配してくれて。でも私は大丈夫よ。だって私は写真なんだもの。それより私は哲也君に生きた女の子と付き合って欲しいの。その方が哲也君にいいと思うの」
写真の女と、そんな会話を哲也は一日中していた。
やがて夕方になり、母親が帰ってきた。
ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴った。
哲也は急いで、階下へ降りて、玄関を開けた。
買い物をして、食料品がいっぱい入っている買い物カバンを持っている母親が玄関の前に立っていた。
「ただいま」
「お帰りなさい。お母さん」
「哲也君。今日、ごはん学校に哲也君の入学手続きをしてきたわ。入学は1週間後に決まったわ」
と言って母親はニコッと笑った。
「そう。ありがとう」
ありがとうと言ったものの哲也はあまり乗り気ではなかった。
・・・・・・・・・・・・
さて、一週間、経った。
2021年の4月の初めである。
哲也はカバンにノートパソコンを入れて、ごはん学校に行った。
もちろん母親と一緒に。
ごはん学校は、この町の繁華街から少し離れた所にあった。木造平屋建ての建物だった。
木々の梢の中に潜んでいる、ウグイスの鳴き声が聞こえた。
建物の前で哲也は入るのを躊躇した。
それを察したかのように、母親が、
「哲也くん。お母さんも一緒に入ろうか?」
と聞いてきた。
「いいよ。そこまでしてくれなくても。そんなことされたら恥ずかしいよ。僕だって一人で入れるよ」
そう言って哲也は一人で、ごはん学校に入った。
哲也はチャイムを鳴らした。
ピンポーン。
「はい。どなたでしょうか?」
インターホンから声が聞こえた。
「今日、入学することになりました山野哲也です」
哲也はキッパリと言った。
「ああ。山野哲也くんだね。すぐ行きます」
パタパタと足音が聞こえた。
戸が開かれて、ラフな服装の男が出てきた。
「いらっしゃい。待っていたんだよ。よく来てくれたね。さあ、入って。入って」
お邪魔します。
言われて哲也は校舎の中に入った。
「私が校長の××です」
と男は自己紹介した。
学校の中は、生徒たちの教室と、トイレと食堂があるだけだった。
それは、一週間前に母親が持ってきた、ごはん学校のパンフレットで知っていた。
校長が教室の戸を開けた。
さあ、入って、入って、と言われて、哲也は教室に入った。
生徒は20人くらいいた。
フリースクールで、規則らしいものは、何もない学校なので、みな、だれて、好き勝手なことをしていた。
ある生徒はタバコを吸っていたり、ある生徒は、かっぱえびせん、をポリポリ食べていたり、ある生徒はヘッドホンをして音楽を聞いていたりしていた。
それでも、一応、学校なので、黒板もあれば教壇もあった。
哲也は教壇の前に立たされた。
「みんな。ちょっと、こっちを向いてくれ。今日から、この学校に入学することになった山野哲也くんだ」
と校長がみなに言った。
さあ哲也くん、皆に挨拶して、と校長に言われて、哲也は、
「や、山野哲也と言います。よろしく」
と、オドオドとたどたどしい口調で挨拶した。
しかし、ここは、校則らしきものがほとんどないので、必然アナーキズム的な状態なので、生徒たちはチラと一目、哲也を見ただけで、挨拶もしなかった。
「じゃあ、どこでもいいから好きな席に座って」
と校長に言われて、シャイな哲也は、教室の隅っこの席に座った。
となりの席には、可愛い女の子が座っていた。
女の子は哲也を見ると、ニコッと微笑んで、
「山野くん。よろしく。私、李林檎と言います」
と挨拶した。
「よ、よろしく」
と哲也は、たどたどしい挨拶をした。
哲也は生まれてから、今まで、生きた女の子と話したことがないので、極度に緊張してしまい、体と声はガクガク震え、顔は茹蛸のように真っ赤になっていた。
校長が山野哲也の所にやって来た。
「さあ。山野哲也くん。君は小説を書くのが好きで、たくさん小説を書いてきた、ということは、お母さんから聞いているよ。以前、私が君のお母さんに話して、君もお母さんから、聞いて、ここの学校のルールは知っていると思うが。ここでは、2週間に1度、小説を発表することになっているんだ。よかったら君の書いた小説を発表してみないかね。ネットの(作家でごはん)というサイトに投稿するだけでいいんだよ?」
と校長が言った。
「は、はい」
哲也はそれまで、180作も小説を書いてきた。
長いのもあれば短いのもある。
良い出来と思っている作品もあれば、あまり自信の無い作品もある。
180作品の他にも、短い小説を何作か、書いていて、合計すると200作は超えていたが、あまり雑に書いた短いものは、1作品とカウントしていなかった。
しかし、そういうものでも、ちゃんとストーリーのあるお話にはなっていた。
そういう点で哲也は理想が高いと言うべきだろう。
哲也は、どの作品を出そうかと迷ったが、ここの生徒がどういう傾向の作品を書くのか、どの程度のレベルの作品を書くのか、全く知らなかったので、本当は、6万文字くらいの、長い自信作を出してみたかったのだが、臆病な哲也は、無難な掌編の「一人よがりの少女」という掌編を投稿した。すぐに(作家でごはん)のサイトに哲也の小説がアップされた。
短い小説なので、3分あれば読める。
好き勝手なことをしていた、生徒たちも、こいつはどんな小説を書くのだろう、という興味本位からパソコンを起動して、哲也の「一人よがりの少女」を読み出した。
3分あれば読める掌編なので、みな完読した様子だった。
「おー。割といいやんけ」
「結構おもろいじゃん」
と数人の生徒が言った。
哲也は、それまで小説投稿サイトに小説を投稿したことがなかったので、ボロクソにけなされたら、どうしようかと、ハラハラドキドキしていたのである。
もしボロクソにけなされたら、即退学しようと哲也は思っていたのでほっとした。
・・・・・・・・・・・・・
キーン・コーン・カーン・コーン。
午前中の授業の終了のベルがなった。
「さあ。哲也くん。昼食に行きましょう」
李林檎に手を引かれて哲也は食堂に行った。
食堂には、ご飯やスープや肉や野菜やデザートなどが入った大きな皿が、いくつも並んでいた。
「哲也君。ここの昼食はランチバイキングなの。好きな物を好きなだけとっていいのよ」
と李林檎さんが教えてくれた。
李林檎さんは、ご飯とみそ汁と魚とデザートの杏仁豆腐を、適量とった。
哲也も、彼女と同じ物を同じ分量とった。
そして二人は隣り合わせに座った。
「哲也君。遠慮しなくていいのよ。本当はもっと食べたいんじゃないの?」
李林檎さんが聞いた。
「い、いえ。僕、小食なので・・・」
と哲也は顔を茹蛸のように真っ赤にして言った。
「そうなの。私、本当はもっと食べたいんだけれど、太りたくないからダイエットしてるの」
と彼女は言った。
女は肉体が「美」でなくてはならないから、食べたいものも食べられず、可哀想だなとフェミニストの哲也は思った。
頂きますと言って、手を合わせ哲也と李林檎は、昼食を食べ出した。
他の生徒たちも、ゾロゾロと食堂に入って来た。
落ちこぼれの落伍者の集団なので、みな精一杯生きようする覇気がなく、そのため食事もなおざりだった。
一人のキリッと眉目秀麗でスーツを着た礼儀正しそうな青年がいた。
青年は、午前中の授業中も一心にパソコンを打っていたので、きっと、この外人部隊のような、だらしのないフリースクールの中でも例外的な生徒で真面目な性格なのだろうと思っていた。
実際、青年はご飯もおかずも大盛りで、席に着くとガツガツ旺盛に食べ始めた。
午前中に小説を熱心に書いていて、腹が減ったのだろう。
「彼は何という名前なの?」
哲也は李林檎に聞いた。
「彼は青木航というの。坂東の風という歴史大長編小説を書いているのよ」
と彼女は説明してくれた。
やっぱり凄い人もいるんだな、と哲也は感心した。
こんな学校にも真剣に生きている生徒がいるんだなと哲也は感心した。
すると驚いたことが起こった。
何人もの生徒が、彼の後ろから、忍び寄って来て、青木航の頭にみそ汁をぶっかけたからである。
「あちー」
青木航が悲鳴をあげた。
「青木―。お前の歴史小説なんて誰も読まないんだよ。歴史小説なんて全て書き尽くされているんだよ。しかも膨大な分量を連載なんかで投稿されると、読者は途中から読まなくちゃならないだろう。今時の若者は歴史小説なんて読まないし、お前の駄作は連載形式だから途中から読まなくちゃならないだろ。読者にストーリーがわかんないじゃないか」
と言って笑った。
「やったなー。お前ら。僕は史実を正確に読者に学ばせるのと同時に、面白い読み物としての歴史小説という、吉川英治と海音寺潮五郎の形式をミックスした、新しい形式の歴史小説を模索しているんだよ」
と反駁した。
「だからそんな変な小説なんて読むヤツいないんだよ。所詮、お前は自己満足で書いているだけなんだよ。他人の迷惑も少しは考えろ」
と、生徒たちは揶揄った。
「うるせー」
青木航は、オニオンスープの入った鍋をつかむと、自分にみそ汁をぶっかけた生徒たちに、オニオンスープをぶっかけ返した。
そして、掴み合いで殴り合いのケンカになった。
食堂は修羅場と化した。
「哲也君。教室にもどりましょう。最初に言っておくべきだったわね。ごめんなさい。今日は哲也君という優しい新入生が入学して、穏やかな雰囲気だったから、大丈夫だと思ったけれど、甘かったわ。昼食はいつもこんな調子なの」
哲也は李林檎さんに手を引かれて教室にもどった。
やっぱり、このフリースクールは、落ちこぼれ、落伍者の集まりだと残念に思った。
哲也は一人の生徒に目が行った。
彼は食堂で、生牡蠣、ニンニク、鰻、などを一人で、大量に食べていたので、哲也は一体どうしてなんだろうと、疑問に思っていたのである。
「ねえ。あの生徒さんは真面目そうに見えるけれど誰なの?」
哲也は李林檎に聞いた。
「あの生徒さんね。あの人は大丘忍というの。あの人は頭はいいけど女はセックスの道具という妄想があってね。前の学校で、いじめられている女生徒に対して慰めてあげる、と言って、放課後の教室でその子に抱きついたの。そして、その子の着ている服を脱がせて、自分も裸になってセックスしたの。それが先生に見つかってね。退学処分になったの。まだ未成年の少年犯罪ということで保護観察中なの。精神鑑定しても(女を幸せにすることはセックスすることだ)という妄想が固定されてしまっていることが精神鑑定でも成立したの。普通なら少年刑務所行きだけど、裁判では、被告の少年は精神に異常があるから、まっとうな人間に更生するように教育しなさい、という裁判長の判決が下されて、親がこの学校に彼を入学させたの」
と李林檎が哲也に説明した。
哲也は、ふーん、変な妄想を持った生徒もいるんだな、と驚いた。
大丘忍の机の上には受験参考書がうず高く積まれていた。
「でもあの人は熱心に英数国理社の勉強をしているじゃない。ここは小説を書くフリースクールでしょ。何で勉強しているの?」
皆は、パソコンのワードで小説を書いているのに、彼だけは受験参考書を広げて勉強しているので、哲也は疑問に思った。
それに強姦するような不良少年がどうして受験勉強を熱心にしているかも、わからなかった。
「そ、それは・・・・」
と言って、李林檎も言いためらった。
哲也はきっと何か言いにくいことなのだろうと思って、それ以上は、彼女に聞かなかった。
その時、一人の男子生徒が大丘忍に近づいてきた。
そしてこうののしった。
「おい。大丘。お前の頭は脳ミソではなくザーメンで満たされているんだろ。キモいんだよ。小説というものはな、世の中を良くする物を書くべきなんだよ。オレはあんたを一生、軽蔑するぜ」
生徒はこうののしった。
「君。僕の勉強の邪魔をしないでくれ。僕は何が何でも、京都大学医学部に入るんだ。京大医学部卒なら、エリートコースでいい女と結婚できる。いい女と毎日セックスするためには、どうしても京大医学部に入らなくてはならないんだ」
とキッパリ言い切った。
「ちぇっ。始末におえないヤツだな。お前のその狂った頭は一生治らないぜ」
と言って、その生徒は去って行った。
哲也は、はー、そんな目的のために勉強するヤツもいるのかと驚いた。
「わかったでしょ。あの人は、愛=セックス、という妄想から抜けられない可哀想な生徒さんなの」
李林檎が哲也に言った。
哲也はセックス嫌悪症だった。
哲也にとって女とは、手を触れるのも恐れ多い崇拝の対象だった。
女はいわば神さまのような存在だったからだ。
それは宗教にも近かった。
哲也にとって女とは絶対的な神で自分は、ひたすらその神を崇める信者という感覚だったからである。
「ねえ。李林檎さん。大丘さんに注意したあの勇気のある生徒さんは誰なの?」
哲也は李林檎に聞いた。
「あの人はね。上松煌というの」
「ふーん。勇気がある生徒もいるんだね。正義感が強いんだね」
「哲也君。彼もあんまり信じ切っちゃダメよ」
「どうして?」
「彼は正義感は強いけど、ワガママで自己中心なの。自分が絶対正しいと信じ切っているの。あまり近づいちゃダメよ。それに彼は、小説は世の中を良くする物だという、おかしな考えにとりつかれているの」
「・・・・小説が世の中を良くする???」
ぶわっははは、と思わず哲也は笑ってしまった。
「小説って娯楽じゃない。読む人にとっても。書く人にとっても。坪内逍遥も、小説は婦女子の眠気覚ましに過ぎない、って言っているじゃない。その程度のものでしょ。確かに純文学の中には、人を感動させたり、シリアスな深いテーマの小説もあるけれど。小説は娯楽的な芸術でしょ。世の中を良くするのは行動する人だけじゃないの。明治維新の志士とか、イエス・キリストとか仏陀とかの宗教の教祖とか、マザーテレサとか、キング牧師とか、緒方貞子とか」
「そうよ。確かにその通りよ。でもあの人は自分の書いた小説で世の中が良くなると本当に思い込んでいるのよ。そのおかしな信念を否定されると、怒り狂って、咬みついてくるから、あまり近づかない方がいいわよ」
そう李林檎は哲也に忠告した。
「李林檎さん。色々と教えてくれて有難う」
「いえ。いいわよ。私、哲也さんの、一人よがりの少女、を読んで、とても、ほのぼのとした小説を書く人なんだな、と気に入っちゃったの。哲也さん。お友達になってくれない?」
「李林檎さん。嬉しいです。あなたのような美しく優しい人と友達になれるなんて。僕、女の子と話したの、今日が初めてなんです。あなたのような方と友達になれるなんて夢のようです」
「ありがとう」
彼女はニコッと微笑んだ。
それ以外にも彼女は、ここの学校の生徒たちは、グータラの落ちこぼればかりだから、ちゃんと小説を完成させることが出来ない、とか、この学校は小説を書かせようという理念で始められたのだけど、みんな、文学者きどりで、気取って、くどくどと美しいレトリックに凝る文章を書くだけで、ちゃんとストーリーのある小説を書ける人は、ほとんどいない事、など色々なことを教えてくれた。
ジリジリジリー。
午後の終業のベルが鳴った。
「ふあーあ。疲れたな。今日も何もない一日だったな」
「帰ろうぜ」
ごはん学校のグータラな覇気のない生徒たちは、億劫そうに立ち上がって帰り支度を始めた。
・・・・・・・・・・・・
哲也もパソコンをカバンの中にしまった。
「あ、あの。哲也君」
李林檎が哲也に近づいてきた。
「なあに?」
「哲也君の家どこ?」
「湘南台の7丁目です。467号線の亀井野の交差点を少し先に行った所です」
「私の家もそっちの方向なの。一緒に帰らない?」
「う・うん」
こうして哲也は李林檎と一緒に、ごはん学校を出た。
「哲也君。ごはん学校はどう?」
歩きながら彼女が聞いてきた。
「・・・・」
哲也は答えられなかった。
あまりいい感じは持たなかったからだ。
「哲也君。ごはん学校、あまり好きになれなかったでしょ?」
図星だった。哲也はもうこんな学校、一日で辞めようかと思いかけていた。
「・・・・・・・・」
「哲也君には辞めないで欲しいな。確かに、ごはん学校は、落ちこぼれのならず者の集まりだわ。どうしようもない不良生徒がいっぱいいるわ。でも、なかには真面目な生徒もかなりいるの。今日は来ていなかったけれど。私もごはん学校に入学した時は、一日でやめようかと思ったわ。でも、普通制の学校を中退した上に、落ちこぼれのフリースクールのごはん学校まで退学したんじゃ自分があまりにもみじめになっちゃうから、続けることにしたの。私、何をやっても続かなかったから。私、哲也くんのような誠実で優しい努力家の素晴らしい人には居いて欲しいの。哲也くんにごはん学校を良くして欲しいの。ごはん学校の生徒さんたちの書く小説は駄作ばかりでしょ。でも哲也くんの書く小説は素晴らしいでしょ。だから哲也くんの作品が載っていれば、それが目玉作品となって先生も出版してくれる気になってくれる可能性があると思うの」
李林檎は少し顔を紅潮させて言った。
ごはん学校はフリースクールなので、制服などないが、彼女だけはセーラー服を着ていた。
瑞々しく初々しく爽やかだった。
「李林檎さん。どうしてセーラー服を着ているのですか?」
哲也が聞いた。
「・・・・そ、それは。普通制の高校に未練があるからなの」
「そうだったんですか。嫌なことを聞いてしまってゴメンなさい」
「いえ。いいんです」
歩きながら李林檎と哲也は、そんなことを話した。
そのうち亀井野の交差点が近づいてきた。
「哲也君。よかったら私の家に寄っていかない?」
哲也は一瞬、迷った。
哲也は女の子の家に行ったことなど、一度もなかったからだ。
「じ・・・じゃあ、行きます」
哲也はへどもどとした態度で言った。
哲也はシャイで今まで一度も女の子の家に入ったことなどなかったからだ。
「嬉しい」
李林檎は××の交差点を左折した。
そして小さな路地に入っていった。
やがて二階建ての赤い屋根の家が見えてきた。
「あれが私の家なの」
彼女はその家を指さした。
彼女はカバンの中から財布を取り出した。
そして財布の中から鍵を取り出した。
そして鍵を差し込んで、玄関を開けた。
「さあ。どうぞ。入って下さい」
「お邪魔します」
哲也は玄関で靴を脱いで彼女の家に入った。
家には誰もいなかった。
「哲也くん。私の部屋に行かない?」
李林檎さんが聞いた。
「うん」
彼女が二階への階段を登り出したので、哲也も彼女についていった。
そして彼女の部屋に入った。
6畳の部屋で勉強机とベッドがあるだけだった。
「李林檎さん。お母さんは?」
哲也が聞いた。
「お母さんはスーパーのレジ係りのパートで働いてるの。だからいつも帰っても一人きりでさびしかったの」
「ふーん。そうですか」
「哲也君のお母さんは?」
「僕のお母さんは、銀座のブティックの社長なんだ。フランチャイズチェーン店が全国にあって、その社長なんだ。お母さんはお店の経営が上手くてね。月に一度、各支店の店長を集めて経営の話し合いをすることはあるけど、ほとんど、いつも家にいるよ。2020年からコロナになって、各支店の店長とリモートで経営状況や経営方針について話すようになったけどね」
「哲也君のお父さんは?」
「僕のお父さんは、僕が子供の頃、死んじゃったんだ」
「そうだったの。嫌なことを聞いちゃってゴメンね」
「いや。別に全然、気にしてないよ」
「李林檎さんのお父さんは?」
「私のお父さんは、××商事に勤めているの。でも今、関西支店に出向しているから、お母さんと二人の生活なの」
「ふーん。そうなの」
「ところで哲也君は女の子と付き合ったことってある?」
「ない」
「どうして?」
「そりゃー僕だって小学生の時から、クラスの可愛い女の子を好きになったことはあるさ。でも僕に女の子に付き合って下さい、と告白する勇気なんて、とてもじゃないけどないんだ。それに僕は女の子と何を話したらいいか、わからないんだ。僕は生まれた時から病弱で、体力がないから、みなと外で鬼ごっこや、野球やサッカーなどで遊ぶことが出来なかったし。内向的な性格なので話題もないし。女の子と居ても、何を話したらいいのか、わからないんだ。それで一人でマンガを読んだり、テレビを観たり、空想にふけったりしていたんだ」
「哲也君はどうして学校を辞めちゃったの?」
「友達も出来ないし。勉強は月並みにはやっていて、そこそこの成績だったけれど。一番の理由は、僕は集団に属せないんだ。みんな、元気で、ガヤガヤ喋っているけれど、僕には、みなの中に入っていくことが出来なかったんだ。みなが、仲良く遊んでいるのに、僕だけ、一人ぼっち、というのが、つらくてつらくて耐えられなかったんだ。それで学校は辞めちゃったんだ」
「そうなの。それにしては、哲也君。小説、上手いわね。どうして、あんなに上手い小説が書けるの?」
「僕は子供の頃から、マンガやテレビドラマを観ていてね。僕は子供の頃、将来は漫画家になりたいな、と思っていたんだ。それと、僕は、友達がいなくて、空想にふけることが多くてね。僕は何時間でも空想にふけることが好きだったからね。それで、ある時、その空想を文章にしてお話を作ってみたんだ。そしたら、それが楽しくなっちゃってね。僕にはいろんな空想がたくさん、あったからね。それを次々と、文章で書いて、お話を作るようになったんだ。学校には好きな女の子は、たくさんいたけど、僕は生きた女の子とは付き合えないからね。好きな子を想像して、その子と付き合うお話を書くことが楽しくなっちゃったんだ。それで次から次へとお話を書いていくようになったんだ。それで、だんだん文章を書く技術も上手くなっていってね。僕はもっとお話を書く技術を上げようと思って、小説を買って読むようになったんだ。プロの小説家って、文章も上手いし、お話を作るのも上手いな、って感心したんだ。それからは、小説を読むことと、小説を書くことだけが楽しみになってしまったんだ」
「ふーん。そうだったの。どうりで哲也君の小説は上手いなと思ったわけがわかったわ。じゃあ山野くんは将来は小説家になりたいの?」
「そりゃーなれるものならなりたいさ」
「哲也君。女の子と話が出来ない、って言ってたけど、今、私と話が出来ているじゃない。どうしてなの?」
「僕はね。集団の中で女の子と話が出来ないんだ。集団の中だと他人の目があるでしょ。そのため集団の中だと女の子と話が出来ないんだ」
「どういうことなの。よくわからないわ?」
「僕は女の子と話しているのを人に見られるのが、こわいんだ。アイツは女とデレデレするヤツだと見られることが。実際、僕は女の子に飢えているんだ。女の子と親しくなりたいんだ。でもそれを他人に見られるのが嫌なんだ。だから、今は君と二人きりで、誰にも見られていないから、そういう時なら、女の子と話せるんだ。でも、二人きりでも口が軽くて、僕と話したことをペラペラ喋っちゃうような子とは話せないんだ。でも君はおとなしくて、僕とのことを、人に喋るような子じゃないと確信している。だから君とは話せるんだ」
「なるほど。哲也君の性格が少しわかったような気がするわ。シャイで神経質で恥ずかしがり屋。でも女に甘えたい、って性格。そうじゃない?」
「うん。その通りだよ」
「でも哲也君も将来は誰かと結婚するんでしょ」
「いや。しないよ」
「どうして?さびしくはないの?」
「さびしくはないよ。僕は結婚とは女の人を幸せにすることだと思っているんだ。僕にはその自信がないんだ」
「哲也君ほどのフェミニストなら結婚しても結婚しても女の人を幸せにすることは出来ると思うけどなー。哲也君ほど純情な人と結婚した女の人は幸せになれると思うけどなー」
「僕は出来たら小説家になりたいと思っているんだ。別にプロの小説家になれなくてもいい。一生、小説を書き続けるだろう。作家なんて一日中、机に向かって、小説のアイデアを必死に考えている生活だよ。結婚したら、妻は夫とお喋りしたり、一緒に外へ出で色んな所へ行って生活を頼みたいと思っているよ。夫が作家では妻が望むような、そんな、ささやかな幸せな日常生活が送れないからね」
「子供は欲しくないの?」
「欲しくない」
哲也はキッパリと言った。
「どうして?」
「僕は病弱で生きているのがつらいんだ。人間は、どうしても自分の価値観で他人や、人間というものを考えてしまう。だから僕は子供が幸せな人生を送れるという保障がない限り、子供を生むのがこわいんだ」
・・・・・・・・・・・
黙って聞いていた李林檎が、いきなりベッドに横たえた。
「ねえ。哲也くん。私を抱いて」
彼女は泣きながら訴えた。
「えっ?」
「私、哲也君に抱いて欲しくて哲也君を家に招いたの」
「えっ。どうしてですか?」
「女って、素敵な男の人に抱かれたいものなのよ」
・・・・・・・・・・・・
「僕にとって女の人は美術品なんです。美術品は手を触れるものじゃないでしょ」
「すごい境地に達しているのね。そんなこと考えているの哲也君だけよ」
「何か事情がありそうですね。何があったのか教えて下さい?」
・・・・・・・・・・・・・・・
哲也は彼女を起こして彼女を部屋のカーペットの上に座らせた。
「どうしたんですか。何かあったんですか。よろしかったら教えて下さい。言いにくいことだったら、無理に聞き出そうとは思いませんが。何か僕で力になれることがあれば何でもします」
彼女はわっと泣き出した。
そして語り始めた。
「私がこのごはん学校に入学したのは、2年前です。大丘忍さんが、私に色々と小説のアドバイスをしてくれました。私は、こんなフリースクールにも優しい人がいるんだな、と感動しました。大丘忍さんは、(君の家に行ってもいいかい?)と聞いてきました。私は嬉しくて(はい)と二つ返事で答えました。家でも小説のアドバイスをしてくれるのかと、何て親切な人かと思いました。しかし彼は、私の部屋に入るなり、いきなり私を抱きしめて、キスしてきたんです。私は吃驚しました。そして彼は私の服を全部、脱がせ、そして自分も全裸になりました。そして勃起したマラを私のアソコに入れてきたんです。それで腰を揺すりながら、(愛しているよ。李林檎さん)と言いました。腰の前後運動は、どんどん速くなっていきました。そしてついに彼は(ああー。出るー)と叫んで、私の体内に射精したんです。私は吃驚しました。しかし彼は嬉しそうな顔つきで、ニコニコ笑っています。私は不思議に思いました。あとでごはん学校の生徒さん達に聞いてわかったことなんですが、大丘忍さんは、人を好きになることはセックスをすることだ、という妄想を持った精神病患者さんだったんです。精神病患者さんなら、悪意も責任能力もないですし、精神病患者さんは、皆でいたわってやるべきです。その後も何度も、大丘忍さんは私の家に来ては、69とか、網代本手とか、燕返しとか、ありとあらゆる四十八手の体勢で、私にセックスし続けたんです。私が泣くと、(まだ愛が足りなんですね。もっと激しくして欲しいんですね)と言ってセックスの度合いを激しくしたんです。私は心も体もボロボロになりました。男の人は女を性愛の対象と見る傾向は、一般の人でもありますが、女が男の人に求めるものは恋愛なんです。そこで、山野さんのような、純粋で女をまるで神のように大事に扱う素敵な人に出会えて、私の傷ついた心を癒して欲しかったんです。女にとってセックスなんて一時の刹那的な肉体の快感に過ぎないのに・・・・。私は3回妊娠してしまい3回とも人工中絶しました。3回目の中絶は時期が遅かったため子宮を全部を摘出しなければ命が危ないと産婦人科の医師に言われました。そのため私は仕方なく子宮の全摘の処置を受けました。そのため私はもう子供を産めない体になってしまったんです」
そう言って彼女はわっと泣き出した。
哲也は黙って聞いていた。
「そうだったんですか。そんなことがあったんですか。それはさぞつらかったでしょう。僕は何と言っていいのかわかりません」
そう言って哲也は李林檎の手をギュッと握った。
そして、咽び泣く彼女の背中を黙って優しくさすってやった。
1時間くらい。
すると、初めは、ただ茫然自失していた彼女の顔に穏やかな微笑みの微光が浮かんできた。
「哲也君。有難う。すべてを告げてスッキリしました。黙って精一杯、私を慰めてくれた哲也君のおかげで、私は救われました」
「そうですか。それは良かった。李林檎さんが僕に何を求めているのかはわかりませんが、僕はセックスが出来ないんです。セックス嫌悪症なんです。ごめんなさい。僕に出来ることは、話を聞くことと、黙って手を握ることくらいなんです」
「いえ。それでいいんです。私、本当に癒されました。救われました」
もう彼女の目に涙はなかった。
「ごはん学校の生徒さんは、自己中心で、自分がまるで神のように正しいと思っていて、自分はロクな小説を書けないのに、上から目線で、威張っている人が多いんです。哲也君。ごはん学校をやめないで下さい。お願いです。あの学校は、ソドムとゴモラの町以上に廃退した学校なんです」
「わかりました。李林檎さんのために僕はごはん学校に通います」
「私のために・・・。嬉しい。哲也さん。有難う。その一言で私は救われました」
腕時計を見ると、もう午後7時を過ぎていた。
「哲也さん。私のために長い時間をさいてくれて有難うございました」
哲也は彼女が自分のために、気を使っていることはわかった。
「今日はこれで帰ります。困ったことがあったら、いつでも電話なりメールを送るなりして下さい。すぐに駆けつけますから」
そう言って哲也は立ち上がった。
「有難う。哲也さん」
「いえ。気にしないで下さい。僕はいつも暇ですから」
哲也が李林檎の部屋を出て階下に降りようとすると、彼女もついてきた。
「では、さようなら。明日またごはん学校でお会いしましょう」
玄関で靴を履きながら哲也は言った。
「あっ。哲也さん。ちょっと待ってて」
そう言って、彼女はパタパタとキッチンの方へ走っていき、そして、すぐにもどってきた。
そして、彼女は恥ずかしそうに、そっと、小さな袋を渡した。
「これ私が作ったクッキーです。よかったら食べて下さい。私、小説は下手だけどクッキーは作れるんです」
「ありがとう」
哲也はニコッと笑って、彼女の作ったクッキーの入った袋を受け取った。
そして彼女の家を出た。
哲也は夜道を通って家に着いた。
李林檎さんの家から20分ほどかかった。
彼女の家は同じ藤沢市内だが、近くても行ったことのない場所だった。
家に入って、ただいま、と言うと母親が玄関にパタパタとやって来た。
「哲也君。遅かったわね。何かあったの?」
母親が聞いた。
「ううん。別に」
哲也は素っ気なく返事した。
「お腹へっているでしょ。お食事にしましょう」
「うん」
哲也は食卓に着いた。
食卓にはビーフシチューが乗っていた。
「今日は哲也君の好きなビーフシチューにしたの」
そう言って母親はニコッと微笑んだ。
「お母さん。僕が用があって出かけている時は、一人で先に食べてよ。お腹すいちゃうでしょ」
それは前から哲也が言っていたことだった。
しかし、いくら母親に言っても母親は哲也と一緒に食べたいらしくて、聞かなかった。
母親は哲也にビーフシチューの入った皿を渡した。
いただきます、と言って哲也と母親は遅い夕ご飯を食べ始めた。
「ねえ。哲也君。ごはん学校はどうだった?」
母親が聞いた。
「悪くなかったよ」
「そう。それはよかったわね」
母親は、それを聞いてほっと一安心した様子だった。
「友達も出来たし、小説も褒められたし。僕、ごはん学校に通おうと思う」
「そう。それはよかったわね。それを聞いて安心したわ」
母親の顔に喜色があらわれた。
母親がそれを一番、気にしていることは、哲也にはわかっていた。
それを母親の口から先に言わせるのではなく、自分から先に言って母親を安心させたかったのである。
「お母さん。友達からクッキーを貰ったよ」
そう言って哲也は、李林檎から貰ったクッキー数個をカバンから取り出して母親に渡した。
「まあ。さっそく友達が出来たのね。よかったわね」
嬉しそうな顔で母親はクッキーを受け取った。
食事が済むと、哲也は、ごちそうさま、と言って、階段を登り、自室に入った。
・・・・・・・・・・
哲也はベッドにゴロンと横になった。
そして、朝、見ていた緊縛された写真の女を見た。
哲也は裸で緊縛された写真の女をたくさん、愛していたが、その時々に応じて、一人の女にはまることが多かった。
ネットの「しばられた女性有名人たち」や「女縄」のサイト、その他のSМサイトで、気に入った女が見つかると、それをコピペしていた。
「お姉さん。ただいま」
哲也は写真の女に帰宅の挨拶をした。
「おかえりなさい。哲也くん」
写真の女が答えた。
「今日、ごはん学校、というフリースクールに行ったよ」
「どうだった。ごはん学校は?」
「そうね。変な学校だったよ。変なヤツが多かったよ」
「そうなの。それで哲也君はごはん学校を辞めるの。それとも通うの?」
「通おうと思う。李林檎さんという、可愛い女の子の友達も出来たし・・・」
「そうなの。初日から友達が出来たの。それはよかったわね」
写真の女は心から、友達が出来た哲也を祝福してくれた。
「でもお姉さん。彼女は現実に生きている人間だからね。一定の距離をとった友達としては、ちょっぴり、付き合うかもしれないけれど、僕が本当に愛しているのは、あなただけだよ」
「ありがとう。哲也くん。でも私はさびしくないわ。哲也くんは、もっと現実の女の子と付き合った方がいいと思うわ。その方が哲也くんのためだと思うの」
「いや。僕が愛しているのは、あなただけだよ」
「その気持ちは嬉しいわ。でも、私は、哲也くんに、もっと現実世界で活き活きと生きて欲しいの」
「ありがとう。お姉さん」
哲也はカバンの中から、李林檎に貰った、クッキーの入った袋を取り出した。
そして、写真の女を見ながら、クッキーを食べた。
美味しかった。
李林檎さんが手をかけて焼いてくれたと思うと一層、嬉しかった。
「お姉さん。お腹へっているでしょ。クッキーを貰ったから食べて」
そう言って哲也は、写真の女の口にクッキーを入れた。
「ありがとう」
写真の女はモグモグ、クッキーを咀嚼してゴクンと飲み込んだ。
「美味しいわ。本当言うと、ちょっとお腹が減っていたの」
「これ、今日、友達になった女の子が僕にくれたクッキーなんだ」
「そうなの。クッキーを哲也くんにあげるなんて、優しい子なのね」
「お姉さん。誤解しないで。僕が本当に愛しているのは、お姉さんだけだよ」
「その気持ちは嬉しいわ。でも私は大丈夫よ。嫉妬なんかしていないわ。だって私は哲也君に守られているんだから。私は、哲也君に、その子と親しくなって哲也君に幸せになって欲しいの」
「ありがとう。お姉さん」
哲也は李林檎に貰ったクッキーの半分を自分で食べ、半分は写真の女に食べさせた。
もう11時だった。
哲也は部屋を出て、風呂に入った。
湯船に浸かっていると、李林檎さんの顔が浮かんできた。
哲也は自分が本当に愛しているのは、やはり李林檎さんではなく、写真の女だと思った。
なぜなら、現実の女は、哲也の予想しないことを言ったり、やがては歳をとる。
しかし写真の女は永遠に若く美しく、哲也のことを本気で心配してくれるからだ。
風呂から出ると、哲也はパシャマを着て、ベッドに入った。
・・・・・・・・・
翌日から哲也のごはん学校通いが始まった。
朝、母親は哲也に、
「いってらっしゃい。つらくなったらいつでも帰ってきていいのよ」
と優しく言ってくれた。
李林檎さんはいなかった。
しかし哲也はさびしくなかった。
やはり自分が本当に愛しているのは、写真の女なのだ、と哲也は確信した。
ごはん学校は、フリースクールなので、校則というものがない。
出席しようと欠席しようと、それは生徒の自由なのである。
哲也は「先天性友達作れない症候群」という難病だったので友達は作れなかった。
それでも、哲也がフリースクール・ごはん学校に通い続けるのは、写真の女の励ましのため、そして母親の期待をかなえてやりたいという思いやり、そして李林檎さんとの約束のため、であった。
哲也は思いやりのある優しい生徒なのである。
おそらく世界一思いやりがあって優しい人間だろう。
哲也は毎日、ごはん学校に通い続けた。
しかし2週間もすると、ごはん学校の様子がわかってきた。
ごはん学校は、何の規則もないフリースクールなので、いわば、アナーキズムの社会であった。
人間をアナーキズムの状態にすると、どうなるか、という実験が、ごはん学校ではまさに行われていた。
哲也は結構、物事に対する探求心が強く、(おそらく立花隆より強いだろう)、人間という未知なる動物に興味を持っていた。
あいかわらず、大丘忍は京大医学部入学のため、受験参考書を山積みにして、一心に勉強していた。
ランチバイキングの昼ご飯では、あいかわらず、青木航とその敵対者たちが、みそ汁のぶっかけ合いをしていた。
大丘忍は、時々、詰め込みの受験勉強で頭がパンクしそうになったのか、時々、立ち上がっては、「うおー。セックスーしてー」と叫んだ。
おそらく将来、京大医学部を卒業して、いい女と結婚して、セックスする夢が嵩じてしまって我慢できなくなってしまったのだろう。
大丘は受験勉強ばかりしているわけではなく、時々、息抜きに、小説も書いていた。
大丘の書く小説は、セックス小説ばかりで、小説を書いているうちにだんだん興奮してハアハアと息が荒くなっていって、股間がテントを張ってきた。
大丘はズボンの中に手を入れて、ハアハアと息を荒くしながら、小説を書いていた。
セックス小説を書くことで、性欲を高めているのだろう。
哲也は友達は作れなかったが、ごはん学校に通っているうちに、ごはん学校の生徒たちの、交わす会話から、大体、の生徒の傾向がわかってきた。
それと、ごはん学校では、ネットの(作家でごはん)というウェブサイトに生徒の作品を投稿し、200作までは、保存しておく、というシステムだったので、哲也は過去の作品を読んでみた。
常連は8人くらい居て、常連の書く小説は、一応、ちゃんと一話完結のストーリーのある小説になっていた。
青木航は常連の一人なのだが、「坂東の風」という大長編歴史小説を、一回に、10万文字くらい書く猛者だったが、一話完結ではなく、連載小説なので、読みにくい、と、ごはん学校の雑魚どもに嫌われていた。
哲也は友達が出来なかったが、A君という哲也と同じ内気な生徒が、哲也の隣の席に座って色々と生徒の特長を教えてくれた。
A君の言うところによると。
ドリーム君は、真面目な職人的小説書きで、毎回、欠かさず小説を完成させて発表していた。
世の中をよく観察していて、絶えず、小説のネタを考えていて、自分の知らない業界でも、臆することなく関心を持ち、きちんと取材して、面白い小説に仕立てていた。
面白い小説というのは、印象に残るもので、ドリーム君の書いた、「町のパン屋さん」「貴方に愛の歌を グッマイラブ」「免許を取ろう」その他、上手いなあ、小説を面白くする方法を知っているなー、と哲也は関心した。
時にはスランプでいまいちな作品もあったが、2週に一度、必ず小説を完成させてくる根性に哲也は感心した。
A君の言うところによると、ドリーム君のお母さんは車椅子で、父親は酒飲みの、飲んだくれで、そのため、大家の代筆をして収入を得ている覆面作家らしい。つまりプロ作家らしい。
・・・・・・・・・・
上松煌は子供の頃から、自分の呼称を、どうしても「僕」と言うことが出来ず、「オレ」と言ってしまう発達障害だった。熱血教師が必死になって、上松煌に自分のことを「オレではなく僕と言いなさい」と鉄拳制裁までして、治そうとしたが、どう努力してもダメだった。母親もそれを心配して、日本全国の精神科の名医に診療させて、悪いクセを治そうとしたが、ダメだった。そのため、普通制の高校は退学させられて、このフリースクール・ごはん学校に入学することになったらしい。
彼は小説は世の中を良くする物という、おかしな妄想をもっていて、まあ、言わば、白樺派、と言えるかもしれない。そして、いかにも白樺派らしく「我」が強く、キリスト教を邪教と否定し、仏教こそ真の正しい教え、と思っていた。そして日蓮が他の仏教諸派を折伏したように、植松煌も小説は、白樺派が正統、文学は人道主義であるべき、という絶対の信念を持っていた。そのため、その主張を、他の生徒にも押しつけた。
本人は良い事をしているつもりなのだろうが、忠告される新入生にとっては、いい迷惑だった。
・・・・・・・・・・・・・・・
茅場義彦は会話だけのライトノベルで一応、小説は完成させているが、それほど面白いとは思わなかった。やはり小説はボリュームがあった方が面白い。だからといって哲也は掌編小説を否定してはいなく、むしろキリッとしたラストのあるショートショートは、思わず、上手い、と感心させられる。その点、ラノベは、楽して小説を書こうとしている貧弱な、あらすじ小説にしか思えなかった。
茅場義彦は「ぐgyふゅfyっふゅぎゅぐyぐ」とか、大体の意味はわかるが、ふざけた英語まじりの文を書くのが好きだった。哲也にはそれを面白いとは思えなかった。
・・・・・・・・・・・・
森嶋は「んでもって・・・・」という書き出しで、書くが、自殺とか、犯罪とか、常識人から見たら危ない小説という人もいるかもしれないが、ちゃんとストーリーがあって、真面目に小説を書いている生徒だった。
短い小説が多かったが、レトリックも上手く、文章もストーリーも滑らかで、好感が持てた。
・・・・・・・・・・・・・・
そうげんや、アリアリドネの糸、は、特別に派手なぶっとんだストーリーではなかった。
日常で自分が体験している対人関係で感じる心の機微を小説の中で述べている、といった感じで、ぶっとんだストーリーが面白いと思っている哲也はあまり読む気がしなかった。
だが、読んでみると、結構、いい小説だと思った。
哲也にはこういう、繊細な心の機微を書いた心境小説は書けないので、そして、哲也は劣等感が強いので、自分が書けない小説はみな、上手く見えてしまうのである。
・・・・・・・・・・・
飼い猫ちゃりりん、というのも常連の一人だった。
いい年して自分の呼称を「私」ではなく、「飼い猫は・・・」と書くのが、変なヤツだなーと哲也は思っていた。
こいつは、ごはん学校の常連に共通した特徴である「我」が強く、天上天下唯我独尊といった感じで、生意気なヤツだった。
人生や芸術に意味はない、とか、芸術は生まれるもの、とか、ぶっ壊れたレコードのように同じことを繰り返し主張していた。
哲也は西洋哲学には精通していたので、飼い猫とやらの、言いたいことは容易に理解できたが、要するに、東進の塾講師でテレビによく出ている林修が言っているように「大学入学で出題される現代国語の現代文は簡単なことをわざと、わかりにくく書いている文章」というヤツで、飼い猫とやらも、「簡単なことをわかりにくく書いて気取っている」ヤツだった。
個性やexpressしたいものが特にないので、飼い猫の書く小説は、3000文字ていどで、物事の本質的なこと、テーマがありありとわかる作品ばかりだったが、そういうものを、短い文字数で、ちゃんとまとめて書けるのは、やはり才能と言える。と哲也は感じた。
哲也は非情に知性的な人間なので、嫌いなヤツの書いた小説でも、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ということをせず、作品だけを正当に評価していた。
芥川龍之介も、物事の本質的なこと、1つのテーマがあって、そのテーマがありありとわかる短編小説が多いが、飼い猫の書く小説もそれに似た所があった。
ただ自信過剰は構わないが、他の人の作品に対するコメントは上から目線で威張っているところが鼻持ちならなかった。
ある時、いかめんたい、という真面目な生徒の作品に対するコメントで、もめごとになったが、飼い猫は、「読めばわかる」とか、「You-Tubeを見て」とか、質問者の質問にちゃんと答えないいい加減な返答をするだけで、そういう所に人格の下等さが現れていた。
聞くところによると、飼い猫ちゃりりんは、他の生徒たちに、陰で、アバズレちゃりりん、と呼ばれているらしい。
・・・・・・・・・・・・・・
ここは、落ちこぼれ、不良少年少女のフリースクールなので新しい入学者が入って来ては出て行った。
新入生が、「新しく入りました。××です」と自己紹介しても、グータラなごはん学校の生徒たちは、スマホをいじったり、LINEをやったりと、好き勝手なことをしているだけで、見向きもしなかった。
しかし新入生が、「小説を書いてきました。感想もらえると嬉しいです」と言って、皆に書いてきた小説を見せると、みなは、一斉に、その小説を読み出した。
しかし、ごはん学校の生徒たちは、才能がない上に、人格も狂っていて人間のクズばかりなので、自分はロクな小説を書けないクセに、他人の小説に対してはクソミソにけなした。
なので、新入生のほとんどは、その日のうちに、うえーん、うえーんと泣きながら、一日で退学していった。
哲也は優しい性格の上、小説を見る目も優れていたため、やめていく、新入生の小説の美点を指摘してあげた。
すると新入生は、
「哲也さん。ありがとう。哲也さんにそう言って貰えると嬉しいです」
と言って、ごはん学校のクズどもに、けなされて、心身ともにボロボロになって、憔悴している顔に希望の光が差し出した。
哲也は親身になって、新入生の悩みを聞いてあげた。
「哲也さん。ありがとうございました。今日、発表した小説は僕の自信作だったんです。僕は昨日、明日ごはん学校に入学して、僕の小説をみんなが褒めてくれるのを想像してワクワクして眠れなかったんです。しかし、予想と違って自信作がボロボロにけなされて、僕は今日、家に帰ったら、首を吊って自殺しようと思っていたんです。優しい哲也さんの温かい励ましによって、僕は自殺を思いとどまることが出来ました。哲也さんは、命の恩人です」
と、今度は嬉し泣きしながら言った。
「いやあ。命の恩人なんて、そんなの大袈裟だよ。君に小説を書く能力が無いのではなく、あいつらが狂っているだけだよ。あんなキチガイどもの言うことを真に受けちゃダメだよ」
「はい。ところで、哲也さんから見て僕に小説を書く才能があるでしょうか?」
「才能の議論は難しいね。一言で簡単に言えることじゃないよ」
「哲也さんはたくさん、小説を書かれていて、しかも面白い作品ばかりです。哲也さんには、才能があるんですね。才能って生まれつきのものなんでしょうか?」
「そうだね。僕は生まれつき、特異な感性を持っていたからね。それが小説を書く上で有利だったという点はあると思っているんだ。しかしね。本当の才能、というものは、小説を書きたい、という情熱を持ち続けられるか、そして、どんなにスランプになっても、一生、小説を書き続けられるか、どうか、ということが本当の才能なんだ。これは、(天才の心理)を研究したエルンスト・クレッチマー、という学者も言っているよ。天才とは情熱家であると。君には、一生、小説を書きたいという情熱があるかね?」
「わかりません。僕には。友達で小説を書いている人がいて、読んでみたら、すごく上手くて、僕も小説を書いてみたいと思って、幼い頃、体験したことを、小説ふうに書いてみたんです。書いているうちに、面白くなってきて、僕は小説を書ける人間なんだ、と思い込んでしまっただけなんです。それで、小説を書くことが楽しく面白くなって続けて何作か書いていたんです。でも一生、小説を書き続けよう、などというような強い思いは持っていません」
「小説を書くのが楽しいと思えるのなら、小説を書ける可能性があると思うな。君はまだ若いから、無理に小説を書くことを自分の義務に課すことはないと思うよ」
「ではどうすればいいんですか?」
「君にも友達がいるだろう。お父さんもいれば、お母さんもいる。つらいことや、嬉しいこと、困った事など、生きていると日常生活で色々なことがあるだろう。小説とは人間関係のドラマだからね。そういうことを、いい加減にしてしまわないで、自分の思っていることを、真剣に話してみるといいよ。子供がムキになって真面目な話をすると、大人は、子供のクセに、とせせら笑うかもしれないけれど、そんなのは無視した方がいい。つまり自分が今、置かれている環境で精一杯、生きる、ということさ。そうすると、それが大人になった時、小説を書きたい、という強い情熱になってくれる可能性は大いにあるさ。そういう時が来たら、小説を書き出せばいい。もちろん遊ぶこともいい。真面目だけである必要はないよ。いつもいつも真面目に生きていると、疲れちゃうからね。しかし、遊ぶことのみ考えて生きていると、何もない人間になってしまう。僕が見る所、君は真面目な人間に見えるよ。だから、毎日の生活を真剣に生きることを勧めるよ。それと勉強や読書もした方がいいよ。知識があった方が小説を書くのにいいに決まっている。それと読書もだ。多くの作家が色んな小説を書いている。本を読むことは小説を書く勉強になるよ。色んな小説を読んでいると、ストーリーの作り方というものがわかってくるからね。そして、自分はどんな小説を書きたいのか、ということもわかってくるからね」
と哲也は古事記の因幡の白兎の話のように、意地悪な八十神にいじめられて泣いているウサギに優しい正しい教えを教えてあげた大穴牟遲神(大国主神)のように、優しく正しいアドバイスをしてあげた。
生徒は、因幡の白兎のように泣きながら、
「ありがとうございます。山野さん。おかげで自殺を思いとどまることが出来ました。山野さんのアドバイスのように、毎日の生活を精一杯、真剣に生きてみようと思います」
と言った。
「もちろん、日常の生活をしていて、小説を書きたい、と思ったら、小説を書いたらいいよ。菊池寛は25歳までは小説を書くな、生活を真剣にしろ、と言っているけれど、あれは、ちょっと暴論だよ。25歳という数字が何の根拠で、どこから出ているのかは、わからないけど、小説を書きたい、どうしても書きたい、と思えるようになった時が、小説を書き出せばいい時だと思うよ」
「ありがとうございます。山野さんは神様です」
大体、山野哲也のアドバイスはこんなふうだった。
・・・・・・・・・・・・・
しかし哲也ひとりが新入生に親身になってアドバイスしても、ごはん学校の(特に常連)は人格障害が多いので、そして人格障害は治らないので、新入生が、自信の小説を持って、入学してきて、その小説を披露すると、ごはん学校のクズどもは、あいかわらず、総攻撃で新入生の小説をけなしまくり、そして、それによって、新入生は泣きながら、辞めていった。
という小説を書きました。
ホームページ「浅野浩二のホームページの目次その2」
http://www5f.biglobe.ne.jp/~asanokouji/mokuji2.html
にアップしましたのでよろしかったらご覧ください。
「フリースクール・ごはん学校」
神奈川県の藤沢市にあるフリースクールである。
そこは、登校拒否やいじめ、発達障害、人格障害、児童虐待、PTSDなどで、普通制の学校に行けなくなった少年たちのために、教育評論家の尾木直樹氏が作った小規模学校である。
校則は無く、出席するのも欠席するのも生徒の自由、入学金5千円出せば、一日だけの体験入学も自由という、極めて自由な学校だった。
唯一、規則といえば生徒は年齢が16歳から20歳まで、という年齢制限があるだけだった。
特に何を教育するという方針もないフリースクールである。
校名は、フリースクール・ごはん学校、と呼ばれている。
ただ、みな、落ちこぼれの少年少女たちなので、普通制の学校では友達が作れず、ごはん学校に来る子供たちは、みな小説を書きたいという思いは持っていた。
友達を作れない子供でも、人間である以上、自分の思いを人に話したい、という気持ちは人並みに、持っていた。
そこで校長は、
「お前たち。小説を書いてみないか。2週間に一作書くというルールにしてみないか?そして、それを発表して、その作品を批評し合うんだ。作品の長短、出来の良し悪しは問わない。それをまとめて、落ちこぼれの書いた小説集、として出版するんだ。オレはある出版社の編集者とつながりがあるから、頼んで読んでもらう。もし出版の見込みがあるようならば、出版するよう頼んでみるぞ。どうだ?」
と言った。
「でも先生。僕たちのような落伍者の書いた、駄作の小説集なんかが売れるんでしょうか?出版社は慈善事業のNPO法人じゃありません。宣伝やら印刷、製本、東販日販の取り次ぎぎの経費だけがかかって、一冊も売れないような本が売れるはずはないと思います。何部、刷るのかは知りませんが全部、返本されて、倉庫代もかかりますから、全部、裁断されて処分されるだけだと思います」
と、ある生徒が言った。
「いや。あながち、そうとは言えないぞ。お前らは落ちこぼれだ。世間の落伍者だ。だから世間は、お前らに同情して買ってくれるかもしれないぞ。世間は、身体障害者とか、お前らのような、出来損ない、のダメ人間に同情してくれる可能性があるぞ」
と先生は言った。
「・・・・・」
先生にそう言われても、生徒たちは黙っていた。
「それと。お前たちの書いた小説集が売れるためには、当然のことだが作品の出来がよくなくてはならない。本が出版されて売れるかどうかは、お前たちの努力にかかっているのだ。お前たちも覇気のカケラでもあるのなら、頑張って良い作品を書いてみろ。そうして世間の人間を見返してみろ。お前たち。このまま、一生、グータラな人生を送って、誰にも知られることなく野垂れ死にして・・・・そんな人生を送って・・・・口惜しくないのかー?」
先生は泣きながら言った。
皆、黙っていたが、一人の生徒(小畑)が、
「く、口惜しいでーす」
と言って、泣きじゃくった。
あたかも、昔のテレビドラマ、スクールウォーズのようだった。
「ぼ、僕も口惜しいです」
「私も口惜しいです」
「僕も口惜しい」
小畑につられて、みな泣き出した。
「じゃあ、みな、必死になって、小説を書いてみろ。異論はあるか?」
「ありません」
皆、異口同音に言った。
こうして、このフリースクール・ごはん学校は、2週間に一度、在籍生徒が、一作、小説を発表する、というルールが、作られた。
・・・・・・・・・・・
「哲也―。夕ご飯よー」
階下から、母親の山野由美子が、二階の自室にいる息子の哲也を呼んだ。
哲也はいつものように、一日中、ネットのエロサイトを検索して、見つけたSМサイト、で見つけた、裸にされて緊縛された女の画像を眺めていた。
哲也はとても優しい性格だったので、裸にされて縛られて辱められている写真の女性に、本当に恋していた。
なので、哲也は写真の女に向かって、
「お姉さん。寒くない?」
「つらくなったらいつでも言ってね。縄を解いてあげるから」
と語りかけていた。
すると、写真の女も、
「ありがとう。哲也君。私は大丈夫よ。だって優しい哲也君が見守ってくれているんだもの」
と言い返してきた。
写真の女が語りかけることなど、現実的には、あり得ないはずだが、哲也には、本当に写真の女の声が聞こえていたのである。
夕ご飯が出来たことを母親が階下から言ってきたので、哲也は写真の女に、
「お姉さん。僕、ちょっと夕ご飯食べてくるね。それまで待っていて」
と写真の女に語りかけて、階下に降りた。
母親が食卓に夕ご飯の用意をしていた。
哲也は食卓に着いた。
「さあ。今日は哲也の好きなハンバーグにしたわよ」
美しい哲也の母親の由美子が言った。
哲也の母親は30を少し過ぎた歳だったが、それはそれは美しく、絶世の美女で、そして性格も優しかった。
哲也の優しさは、母親ゆずりなのである。
哲也に父親はいない。
哲也がまだ物心つかない幼少の頃、自動車事故で死んでしまったのである。
母親は、銀座でブティクを開いていて、儲かるわ、儲かるわ、の商売繁盛で、母子家庭であっても生活費には困らなかった。
母親も食卓に着いた。
「いただきます」
と言って、哲也はハンバーグをナイフで切ってフォークで食べた。
「美味しい?」
母親がニコッと笑顔で哲也に聞いた。
「うん。美味しいよ」
哲也は、ハンバーグを食べながら言った。
「ねえ、哲也君」
母親は息子を君づけで呼んでいた。
「なあに?お母さん」
哲也は母親を「お母さん」と呼んでいた。
「哲也君。今日、近所の奥さんに聞いて知ったんだけど。この近くにフリースクールがあるらしいの。そこでは小説を書くこと生徒にさせているらしいの。よかったら哲也君、その学校に入ってみない?」
母親が遠慮がちに聞いた。
「・・・・・」
哲也はすぐには返答できなかった。
哲也は幼少の頃から小児喘息で過敏性腸症候群で冷え性でアレルギーもちの超病弱で、性格も内向的で、無口で超神経質で、高校に入学したものの、友達が出来ず、学校生活が嫌で1年の一学期に退学してしまったのである。
しかし、哲也は優しく繊細な感性を持っている上に想像力が豊かで、物心ついた時から小説を書いていたのである。
それが哲也の唯一の楽しみだった。
いや、哲也には裸で緊縛された女性の写真を見て妄想にふけることも楽しみだったので、小説を書くことと、SМ女優の写真を見るという、二つのことが哲也の楽しみだった。
哲也にとって、そのどっちの方が上かといえば、小説を書く方だった。
なので、哲也は、ずっと小説を書いてきたので、書いた作品は180作を越していた。
しかし、哲也は内気なので、小説を書き上げても、それを誰かに見せるということはせず、机の中にしまっておくだけだった。
母親は、時々こっそり哲也の書いた小説を読むことがあった。
読みやすく、ちゃんとストーリーがあって、作品として完成している。
なので、母親はもっと自分の小説を人に見せてはどうか、と哲也に勧めていたのである。
「哲也君。将来、何かやりたい仕事はある?」
黙っている息子に母親が聞いた。
「・・・・ない」
哲也はキッパリと言った。
「じゃあ、フリースクール、ごはん学校に入学してみない?哲也君は、小説書くの上手いんだから・・・」
母親は哲也にさりげなく言ったが、本心では、ぜひともごはん学校に入って、友達を作って欲しいと思っていたのである。
「じゃあ、ちょっと考える」
しばし黙っていた哲也は、そう答えた。
「ごちそうさまでした」
そう言って、哲也は、デザートのチーズケーキとオレンジジュースを盆に載せて持って、階段を登って、自室に入った。
哲也はベッドに寝ころんで、パソコンを起動させ、デスクトップにある、さっきまで見ていた緊縛された女の写真を出した。
そして、その女に向かって、
「お姉さん。お腹が空いているでしょう。チーズケーキとオレンジジュースを持ってきたよ。食べて下さい」
と写真の女に語りかけた。
すると写真の女は、
「いいの。私はお腹、空いてないわ。それ哲也君の食後のデザートでしょ。本当は哲也君が食べたいんでしょ。それを私にくれるなんて、なんて哲也君って優しい子なのかしら。私、嬉しいわ。でも、私、本当にお腹、空いてないから大丈夫よ、哲也君が食べて」
と言ってきた。
「そう。じゃあ、無理には勧めないよ。つま先立ちがつらくなったら言ってね。すぐに縄を解いてあげるから」
「ありがとう。哲也君」
そんな会話がなされた後、哲也は、デザートの、チーズケーキとオレンジジュースを、写真の女を見ながら食べた。
・・・・・・・・・・・・
「お母さん。僕、ごはん学校に入るよ」
哲也が母親にそう言い出したのは、それから三日後だった。
母親はニッコリ笑った。
「ありがとう。哲也君。私の提案を聞いてくれて。さっそく入校の手続きをしてくるわ」
そう言って母親は家を出た。
哲也は母親が自分の息子が引きこもって、誰とも付き合わず、友達が出来ないのを心配していること、そして何とか息子に友達が出来るように仲間を作るようにと切に願っている思いを、カンがいいので分かっていた。
本当は哲也は、ごはん学校への入学なんて、あまり乗り気がしなかったのだが、母親思いの哲也は母親を喜ばせたくて、イヤイヤ、ごはん学校へ入ることに決めたのである。
その日も哲也は、一日中、ベッドに寝ころんで、パソコンを開いて裸にされて縛られている美しい女と会話して過ごした。
「お姉さん。僕、ごはん学校というフリースクールに入ることにしたよ」
と哲也は写真の女に話しかけた。
「そう。それはよかったわね。哲也君は一日中、私のことを見ていてくれるでしょ。それは嬉しいんだけど、哲也君も友達を作った方がいいと私も思っていたの」
と写真の女が言った。
「それで、その、ごはん学校って、どういう学校なの?」
写真の女が聞いてきた。
「小説を書いて発表する学校らしい」
「そりゃー良かったじゃない。哲也君。小説、書くの好きで、上手いんだから」
「でも僕はお姉さんと一緒にいるのが一番楽しいんだ。お姉さんを見ていないと心配なんだ。悪いヤツが来てお姉さんを虐めないか心配なんだ」
「ありがとう。哲也君。私を心配してくれて。でも私は大丈夫よ。だって私は写真なんだもの。それより私は哲也君に生きた女の子と付き合って欲しいの。その方が哲也君にいいと思うの」
写真の女と、そんな会話を哲也は一日中していた。
やがて夕方になり、母親が帰ってきた。
ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴った。
哲也は急いで、階下へ降りて、玄関を開けた。
買い物をして、食料品がいっぱい入っている買い物カバンを持っている母親が玄関の前に立っていた。
「ただいま」
「お帰りなさい。お母さん」
「哲也君。今日、ごはん学校に哲也君の入学手続きをしてきたわ。入学は1週間後に決まったわ」
と言って母親はニコッと笑った。
「そう。ありがとう」
ありがとうと言ったものの哲也はあまり乗り気ではなかった。
・・・・・・・・・・・・
さて、一週間、経った。
2021年の4月の初めである。
哲也はカバンにノートパソコンを入れて、ごはん学校に行った。
もちろん母親と一緒に。
ごはん学校は、この町の繁華街から少し離れた所にあった。木造平屋建ての建物だった。
木々の梢の中に潜んでいる、ウグイスの鳴き声が聞こえた。
建物の前で哲也は入るのを躊躇した。
それを察したかのように、母親が、
「哲也くん。お母さんも一緒に入ろうか?」
と聞いてきた。
「いいよ。そこまでしてくれなくても。そんなことされたら恥ずかしいよ。僕だって一人で入れるよ」
そう言って哲也は一人で、ごはん学校に入った。
哲也はチャイムを鳴らした。
ピンポーン。
「はい。どなたでしょうか?」
インターホンから声が聞こえた。
「今日、入学することになりました山野哲也です」
哲也はキッパリと言った。
「ああ。山野哲也くんだね。すぐ行きます」
パタパタと足音が聞こえた。
戸が開かれて、ラフな服装の男が出てきた。
「いらっしゃい。待っていたんだよ。よく来てくれたね。さあ、入って。入って」
お邪魔します。
言われて哲也は校舎の中に入った。
「私が校長の××です」
と男は自己紹介した。
学校の中は、生徒たちの教室と、トイレと食堂があるだけだった。
それは、一週間前に母親が持ってきた、ごはん学校のパンフレットで知っていた。
校長が教室の戸を開けた。
さあ、入って、入って、と言われて、哲也は教室に入った。
生徒は20人くらいいた。
フリースクールで、規則らしいものは、何もない学校なので、みな、だれて、好き勝手なことをしていた。
ある生徒はタバコを吸っていたり、ある生徒は、かっぱえびせん、をポリポリ食べていたり、ある生徒はヘッドホンをして音楽を聞いていたりしていた。
それでも、一応、学校なので、黒板もあれば教壇もあった。
哲也は教壇の前に立たされた。
「みんな。ちょっと、こっちを向いてくれ。今日から、この学校に入学することになった山野哲也くんだ」
と校長がみなに言った。
さあ哲也くん、皆に挨拶して、と校長に言われて、哲也は、
「や、山野哲也と言います。よろしく」
と、オドオドとたどたどしい口調で挨拶した。
しかし、ここは、校則らしきものがほとんどないので、必然アナーキズム的な状態なので、生徒たちはチラと一目、哲也を見ただけで、挨拶もしなかった。
「じゃあ、どこでもいいから好きな席に座って」
と校長に言われて、シャイな哲也は、教室の隅っこの席に座った。
となりの席には、可愛い女の子が座っていた。
女の子は哲也を見ると、ニコッと微笑んで、
「山野くん。よろしく。私、李林檎と言います」
と挨拶した。
「よ、よろしく」
と哲也は、たどたどしい挨拶をした。
哲也は生まれてから、今まで、生きた女の子と話したことがないので、極度に緊張してしまい、体と声はガクガク震え、顔は茹蛸のように真っ赤になっていた。
校長が山野哲也の所にやって来た。
「さあ。山野哲也くん。君は小説を書くのが好きで、たくさん小説を書いてきた、ということは、お母さんから聞いているよ。以前、私が君のお母さんに話して、君もお母さんから、聞いて、ここの学校のルールは知っていると思うが。ここでは、2週間に1度、小説を発表することになっているんだ。よかったら君の書いた小説を発表してみないかね。ネットの(作家でごはん)というサイトに投稿するだけでいいんだよ?」
と校長が言った。
「は、はい」
哲也はそれまで、180作も小説を書いてきた。
長いのもあれば短いのもある。
良い出来と思っている作品もあれば、あまり自信の無い作品もある。
180作品の他にも、短い小説を何作か、書いていて、合計すると200作は超えていたが、あまり雑に書いた短いものは、1作品とカウントしていなかった。
しかし、そういうものでも、ちゃんとストーリーのあるお話にはなっていた。
そういう点で哲也は理想が高いと言うべきだろう。
哲也は、どの作品を出そうかと迷ったが、ここの生徒がどういう傾向の作品を書くのか、どの程度のレベルの作品を書くのか、全く知らなかったので、本当は、6万文字くらいの、長い自信作を出してみたかったのだが、臆病な哲也は、無難な掌編の「一人よがりの少女」という掌編を投稿した。すぐに(作家でごはん)のサイトに哲也の小説がアップされた。
短い小説なので、3分あれば読める。
好き勝手なことをしていた、生徒たちも、こいつはどんな小説を書くのだろう、という興味本位からパソコンを起動して、哲也の「一人よがりの少女」を読み出した。
3分あれば読める掌編なので、みな完読した様子だった。
「おー。割といいやんけ」
「結構おもろいじゃん」
と数人の生徒が言った。
哲也は、それまで小説投稿サイトに小説を投稿したことがなかったので、ボロクソにけなされたら、どうしようかと、ハラハラドキドキしていたのである。
もしボロクソにけなされたら、即退学しようと哲也は思っていたのでほっとした。
・・・・・・・・・・・・・
キーン・コーン・カーン・コーン。
午前中の授業の終了のベルがなった。
「さあ。哲也くん。昼食に行きましょう」
李林檎に手を引かれて哲也は食堂に行った。
食堂には、ご飯やスープや肉や野菜やデザートなどが入った大きな皿が、いくつも並んでいた。
「哲也君。ここの昼食はランチバイキングなの。好きな物を好きなだけとっていいのよ」
と李林檎さんが教えてくれた。
李林檎さんは、ご飯とみそ汁と魚とデザートの杏仁豆腐を、適量とった。
哲也も、彼女と同じ物を同じ分量とった。
そして二人は隣り合わせに座った。
「哲也君。遠慮しなくていいのよ。本当はもっと食べたいんじゃないの?」
李林檎さんが聞いた。
「い、いえ。僕、小食なので・・・」
と哲也は顔を茹蛸のように真っ赤にして言った。
「そうなの。私、本当はもっと食べたいんだけれど、太りたくないからダイエットしてるの」
と彼女は言った。
女は肉体が「美」でなくてはならないから、食べたいものも食べられず、可哀想だなとフェミニストの哲也は思った。
頂きますと言って、手を合わせ哲也と李林檎は、昼食を食べ出した。
他の生徒たちも、ゾロゾロと食堂に入って来た。
落ちこぼれの落伍者の集団なので、みな精一杯生きようする覇気がなく、そのため食事もなおざりだった。
一人のキリッと眉目秀麗でスーツを着た礼儀正しそうな青年がいた。
青年は、午前中の授業中も一心にパソコンを打っていたので、きっと、この外人部隊のような、だらしのないフリースクールの中でも例外的な生徒で真面目な性格なのだろうと思っていた。
実際、青年はご飯もおかずも大盛りで、席に着くとガツガツ旺盛に食べ始めた。
午前中に小説を熱心に書いていて、腹が減ったのだろう。
「彼は何という名前なの?」
哲也は李林檎に聞いた。
「彼は青木航というの。坂東の風という歴史大長編小説を書いているのよ」
と彼女は説明してくれた。
やっぱり凄い人もいるんだな、と哲也は感心した。
こんな学校にも真剣に生きている生徒がいるんだなと哲也は感心した。
すると驚いたことが起こった。
何人もの生徒が、彼の後ろから、忍び寄って来て、青木航の頭にみそ汁をぶっかけたからである。
「あちー」
青木航が悲鳴をあげた。
「青木―。お前の歴史小説なんて誰も読まないんだよ。歴史小説なんて全て書き尽くされているんだよ。しかも膨大な分量を連載なんかで投稿されると、読者は途中から読まなくちゃならないだろう。今時の若者は歴史小説なんて読まないし、お前の駄作は連載形式だから途中から読まなくちゃならないだろ。読者にストーリーがわかんないじゃないか」
と言って笑った。
「やったなー。お前ら。僕は史実を正確に読者に学ばせるのと同時に、面白い読み物としての歴史小説という、吉川英治と海音寺潮五郎の形式をミックスした、新しい形式の歴史小説を模索しているんだよ」
と反駁した。
「だからそんな変な小説なんて読むヤツいないんだよ。所詮、お前は自己満足で書いているだけなんだよ。他人の迷惑も少しは考えろ」
と、生徒たちは揶揄った。
「うるせー」
青木航は、オニオンスープの入った鍋をつかむと、自分にみそ汁をぶっかけた生徒たちに、オニオンスープをぶっかけ返した。
そして、掴み合いで殴り合いのケンカになった。
食堂は修羅場と化した。
「哲也君。教室にもどりましょう。最初に言っておくべきだったわね。ごめんなさい。今日は哲也君という優しい新入生が入学して、穏やかな雰囲気だったから、大丈夫だと思ったけれど、甘かったわ。昼食はいつもこんな調子なの」
哲也は李林檎さんに手を引かれて教室にもどった。
やっぱり、このフリースクールは、落ちこぼれ、落伍者の集まりだと残念に思った。
哲也は一人の生徒に目が行った。
彼は食堂で、生牡蠣、ニンニク、鰻、などを一人で、大量に食べていたので、哲也は一体どうしてなんだろうと、疑問に思っていたのである。
「ねえ。あの生徒さんは真面目そうに見えるけれど誰なの?」
哲也は李林檎に聞いた。
「あの生徒さんね。あの人は大丘忍というの。あの人は頭はいいけど女はセックスの道具という妄想があってね。前の学校で、いじめられている女生徒に対して慰めてあげる、と言って、放課後の教室でその子に抱きついたの。そして、その子の着ている服を脱がせて、自分も裸になってセックスしたの。それが先生に見つかってね。退学処分になったの。まだ未成年の少年犯罪ということで保護観察中なの。精神鑑定しても(女を幸せにすることはセックスすることだ)という妄想が固定されてしまっていることが精神鑑定でも成立したの。普通なら少年刑務所行きだけど、裁判では、被告の少年は精神に異常があるから、まっとうな人間に更生するように教育しなさい、という裁判長の判決が下されて、親がこの学校に彼を入学させたの」
と李林檎が哲也に説明した。
哲也は、ふーん、変な妄想を持った生徒もいるんだな、と驚いた。
大丘忍の机の上には受験参考書がうず高く積まれていた。
「でもあの人は熱心に英数国理社の勉強をしているじゃない。ここは小説を書くフリースクールでしょ。何で勉強しているの?」
皆は、パソコンのワードで小説を書いているのに、彼だけは受験参考書を広げて勉強しているので、哲也は疑問に思った。
それに強姦するような不良少年がどうして受験勉強を熱心にしているかも、わからなかった。
「そ、それは・・・・」
と言って、李林檎も言いためらった。
哲也はきっと何か言いにくいことなのだろうと思って、それ以上は、彼女に聞かなかった。
その時、一人の男子生徒が大丘忍に近づいてきた。
そしてこうののしった。
「おい。大丘。お前の頭は脳ミソではなくザーメンで満たされているんだろ。キモいんだよ。小説というものはな、世の中を良くする物を書くべきなんだよ。オレはあんたを一生、軽蔑するぜ」
生徒はこうののしった。
「君。僕の勉強の邪魔をしないでくれ。僕は何が何でも、京都大学医学部に入るんだ。京大医学部卒なら、エリートコースでいい女と結婚できる。いい女と毎日セックスするためには、どうしても京大医学部に入らなくてはならないんだ」
とキッパリ言い切った。
「ちぇっ。始末におえないヤツだな。お前のその狂った頭は一生治らないぜ」
と言って、その生徒は去って行った。
哲也は、はー、そんな目的のために勉強するヤツもいるのかと驚いた。
「わかったでしょ。あの人は、愛=セックス、という妄想から抜けられない可哀想な生徒さんなの」
李林檎が哲也に言った。
哲也はセックス嫌悪症だった。
哲也にとって女とは、手を触れるのも恐れ多い崇拝の対象だった。
女はいわば神さまのような存在だったからだ。
それは宗教にも近かった。
哲也にとって女とは絶対的な神で自分は、ひたすらその神を崇める信者という感覚だったからである。
「ねえ。李林檎さん。大丘さんに注意したあの勇気のある生徒さんは誰なの?」
哲也は李林檎に聞いた。
「あの人はね。上松煌というの」
「ふーん。勇気がある生徒もいるんだね。正義感が強いんだね」
「哲也君。彼もあんまり信じ切っちゃダメよ」
「どうして?」
「彼は正義感は強いけど、ワガママで自己中心なの。自分が絶対正しいと信じ切っているの。あまり近づいちゃダメよ。それに彼は、小説は世の中を良くする物だという、おかしな考えにとりつかれているの」
「・・・・小説が世の中を良くする???」
ぶわっははは、と思わず哲也は笑ってしまった。
「小説って娯楽じゃない。読む人にとっても。書く人にとっても。坪内逍遥も、小説は婦女子の眠気覚ましに過ぎない、って言っているじゃない。その程度のものでしょ。確かに純文学の中には、人を感動させたり、シリアスな深いテーマの小説もあるけれど。小説は娯楽的な芸術でしょ。世の中を良くするのは行動する人だけじゃないの。明治維新の志士とか、イエス・キリストとか仏陀とかの宗教の教祖とか、マザーテレサとか、キング牧師とか、緒方貞子とか」
「そうよ。確かにその通りよ。でもあの人は自分の書いた小説で世の中が良くなると本当に思い込んでいるのよ。そのおかしな信念を否定されると、怒り狂って、咬みついてくるから、あまり近づかない方がいいわよ」
そう李林檎は哲也に忠告した。
「李林檎さん。色々と教えてくれて有難う」
「いえ。いいわよ。私、哲也さんの、一人よがりの少女、を読んで、とても、ほのぼのとした小説を書く人なんだな、と気に入っちゃったの。哲也さん。お友達になってくれない?」
「李林檎さん。嬉しいです。あなたのような美しく優しい人と友達になれるなんて。僕、女の子と話したの、今日が初めてなんです。あなたのような方と友達になれるなんて夢のようです」
「ありがとう」
彼女はニコッと微笑んだ。
それ以外にも彼女は、ここの学校の生徒たちは、グータラの落ちこぼればかりだから、ちゃんと小説を完成させることが出来ない、とか、この学校は小説を書かせようという理念で始められたのだけど、みんな、文学者きどりで、気取って、くどくどと美しいレトリックに凝る文章を書くだけで、ちゃんとストーリーのある小説を書ける人は、ほとんどいない事、など色々なことを教えてくれた。
ジリジリジリー。
午後の終業のベルが鳴った。
「ふあーあ。疲れたな。今日も何もない一日だったな」
「帰ろうぜ」
ごはん学校のグータラな覇気のない生徒たちは、億劫そうに立ち上がって帰り支度を始めた。
・・・・・・・・・・・・
哲也もパソコンをカバンの中にしまった。
「あ、あの。哲也君」
李林檎が哲也に近づいてきた。
「なあに?」
「哲也君の家どこ?」
「湘南台の7丁目です。467号線の亀井野の交差点を少し先に行った所です」
「私の家もそっちの方向なの。一緒に帰らない?」
「う・うん」
こうして哲也は李林檎と一緒に、ごはん学校を出た。
「哲也君。ごはん学校はどう?」
歩きながら彼女が聞いてきた。
「・・・・」
哲也は答えられなかった。
あまりいい感じは持たなかったからだ。
「哲也君。ごはん学校、あまり好きになれなかったでしょ?」
図星だった。哲也はもうこんな学校、一日で辞めようかと思いかけていた。
「・・・・・・・・」
「哲也君には辞めないで欲しいな。確かに、ごはん学校は、落ちこぼれのならず者の集まりだわ。どうしようもない不良生徒がいっぱいいるわ。でも、なかには真面目な生徒もかなりいるの。今日は来ていなかったけれど。私もごはん学校に入学した時は、一日でやめようかと思ったわ。でも、普通制の学校を中退した上に、落ちこぼれのフリースクールのごはん学校まで退学したんじゃ自分があまりにもみじめになっちゃうから、続けることにしたの。私、何をやっても続かなかったから。私、哲也くんのような誠実で優しい努力家の素晴らしい人には居いて欲しいの。哲也くんにごはん学校を良くして欲しいの。ごはん学校の生徒さんたちの書く小説は駄作ばかりでしょ。でも哲也くんの書く小説は素晴らしいでしょ。だから哲也くんの作品が載っていれば、それが目玉作品となって先生も出版してくれる気になってくれる可能性があると思うの」
李林檎は少し顔を紅潮させて言った。
ごはん学校はフリースクールなので、制服などないが、彼女だけはセーラー服を着ていた。
瑞々しく初々しく爽やかだった。
「李林檎さん。どうしてセーラー服を着ているのですか?」
哲也が聞いた。
「・・・・そ、それは。普通制の高校に未練があるからなの」
「そうだったんですか。嫌なことを聞いてしまってゴメンなさい」
「いえ。いいんです」
歩きながら李林檎と哲也は、そんなことを話した。
そのうち亀井野の交差点が近づいてきた。
「哲也君。よかったら私の家に寄っていかない?」
哲也は一瞬、迷った。
哲也は女の子の家に行ったことなど、一度もなかったからだ。
「じ・・・じゃあ、行きます」
哲也はへどもどとした態度で言った。
哲也はシャイで今まで一度も女の子の家に入ったことなどなかったからだ。
「嬉しい」
李林檎は××の交差点を左折した。
そして小さな路地に入っていった。
やがて二階建ての赤い屋根の家が見えてきた。
「あれが私の家なの」
彼女はその家を指さした。
彼女はカバンの中から財布を取り出した。
そして財布の中から鍵を取り出した。
そして鍵を差し込んで、玄関を開けた。
「さあ。どうぞ。入って下さい」
「お邪魔します」
哲也は玄関で靴を脱いで彼女の家に入った。
家には誰もいなかった。
「哲也くん。私の部屋に行かない?」
李林檎さんが聞いた。
「うん」
彼女が二階への階段を登り出したので、哲也も彼女についていった。
そして彼女の部屋に入った。
6畳の部屋で勉強机とベッドがあるだけだった。
「李林檎さん。お母さんは?」
哲也が聞いた。
「お母さんはスーパーのレジ係りのパートで働いてるの。だからいつも帰っても一人きりでさびしかったの」
「ふーん。そうですか」
「哲也君のお母さんは?」
「僕のお母さんは、銀座のブティックの社長なんだ。フランチャイズチェーン店が全国にあって、その社長なんだ。お母さんはお店の経営が上手くてね。月に一度、各支店の店長を集めて経営の話し合いをすることはあるけど、ほとんど、いつも家にいるよ。2020年からコロナになって、各支店の店長とリモートで経営状況や経営方針について話すようになったけどね」
「哲也君のお父さんは?」
「僕のお父さんは、僕が子供の頃、死んじゃったんだ」
「そうだったの。嫌なことを聞いちゃってゴメンね」
「いや。別に全然、気にしてないよ」
「李林檎さんのお父さんは?」
「私のお父さんは、××商事に勤めているの。でも今、関西支店に出向しているから、お母さんと二人の生活なの」
「ふーん。そうなの」
「ところで哲也君は女の子と付き合ったことってある?」
「ない」
「どうして?」
「そりゃー僕だって小学生の時から、クラスの可愛い女の子を好きになったことはあるさ。でも僕に女の子に付き合って下さい、と告白する勇気なんて、とてもじゃないけどないんだ。それに僕は女の子と何を話したらいいか、わからないんだ。僕は生まれた時から病弱で、体力がないから、みなと外で鬼ごっこや、野球やサッカーなどで遊ぶことが出来なかったし。内向的な性格なので話題もないし。女の子と居ても、何を話したらいいのか、わからないんだ。それで一人でマンガを読んだり、テレビを観たり、空想にふけったりしていたんだ」
「哲也君はどうして学校を辞めちゃったの?」
「友達も出来ないし。勉強は月並みにはやっていて、そこそこの成績だったけれど。一番の理由は、僕は集団に属せないんだ。みんな、元気で、ガヤガヤ喋っているけれど、僕には、みなの中に入っていくことが出来なかったんだ。みなが、仲良く遊んでいるのに、僕だけ、一人ぼっち、というのが、つらくてつらくて耐えられなかったんだ。それで学校は辞めちゃったんだ」
「そうなの。それにしては、哲也君。小説、上手いわね。どうして、あんなに上手い小説が書けるの?」
「僕は子供の頃から、マンガやテレビドラマを観ていてね。僕は子供の頃、将来は漫画家になりたいな、と思っていたんだ。それと、僕は、友達がいなくて、空想にふけることが多くてね。僕は何時間でも空想にふけることが好きだったからね。それで、ある時、その空想を文章にしてお話を作ってみたんだ。そしたら、それが楽しくなっちゃってね。僕にはいろんな空想がたくさん、あったからね。それを次々と、文章で書いて、お話を作るようになったんだ。学校には好きな女の子は、たくさんいたけど、僕は生きた女の子とは付き合えないからね。好きな子を想像して、その子と付き合うお話を書くことが楽しくなっちゃったんだ。それで次から次へとお話を書いていくようになったんだ。それで、だんだん文章を書く技術も上手くなっていってね。僕はもっとお話を書く技術を上げようと思って、小説を買って読むようになったんだ。プロの小説家って、文章も上手いし、お話を作るのも上手いな、って感心したんだ。それからは、小説を読むことと、小説を書くことだけが楽しみになってしまったんだ」
「ふーん。そうだったの。どうりで哲也君の小説は上手いなと思ったわけがわかったわ。じゃあ山野くんは将来は小説家になりたいの?」
「そりゃーなれるものならなりたいさ」
「哲也君。女の子と話が出来ない、って言ってたけど、今、私と話が出来ているじゃない。どうしてなの?」
「僕はね。集団の中で女の子と話が出来ないんだ。集団の中だと他人の目があるでしょ。そのため集団の中だと女の子と話が出来ないんだ」
「どういうことなの。よくわからないわ?」
「僕は女の子と話しているのを人に見られるのが、こわいんだ。アイツは女とデレデレするヤツだと見られることが。実際、僕は女の子に飢えているんだ。女の子と親しくなりたいんだ。でもそれを他人に見られるのが嫌なんだ。だから、今は君と二人きりで、誰にも見られていないから、そういう時なら、女の子と話せるんだ。でも、二人きりでも口が軽くて、僕と話したことをペラペラ喋っちゃうような子とは話せないんだ。でも君はおとなしくて、僕とのことを、人に喋るような子じゃないと確信している。だから君とは話せるんだ」
「なるほど。哲也君の性格が少しわかったような気がするわ。シャイで神経質で恥ずかしがり屋。でも女に甘えたい、って性格。そうじゃない?」
「うん。その通りだよ」
「でも哲也君も将来は誰かと結婚するんでしょ」
「いや。しないよ」
「どうして?さびしくはないの?」
「さびしくはないよ。僕は結婚とは女の人を幸せにすることだと思っているんだ。僕にはその自信がないんだ」
「哲也君ほどのフェミニストなら結婚しても結婚しても女の人を幸せにすることは出来ると思うけどなー。哲也君ほど純情な人と結婚した女の人は幸せになれると思うけどなー」
「僕は出来たら小説家になりたいと思っているんだ。別にプロの小説家になれなくてもいい。一生、小説を書き続けるだろう。作家なんて一日中、机に向かって、小説のアイデアを必死に考えている生活だよ。結婚したら、妻は夫とお喋りしたり、一緒に外へ出で色んな所へ行って生活を頼みたいと思っているよ。夫が作家では妻が望むような、そんな、ささやかな幸せな日常生活が送れないからね」
「子供は欲しくないの?」
「欲しくない」
哲也はキッパリと言った。
「どうして?」
「僕は病弱で生きているのがつらいんだ。人間は、どうしても自分の価値観で他人や、人間というものを考えてしまう。だから僕は子供が幸せな人生を送れるという保障がない限り、子供を生むのがこわいんだ」
・・・・・・・・・・・
黙って聞いていた李林檎が、いきなりベッドに横たえた。
「ねえ。哲也くん。私を抱いて」
彼女は泣きながら訴えた。
「えっ?」
「私、哲也君に抱いて欲しくて哲也君を家に招いたの」
「えっ。どうしてですか?」
「女って、素敵な男の人に抱かれたいものなのよ」
・・・・・・・・・・・・
「僕にとって女の人は美術品なんです。美術品は手を触れるものじゃないでしょ」
「すごい境地に達しているのね。そんなこと考えているの哲也君だけよ」
「何か事情がありそうですね。何があったのか教えて下さい?」
・・・・・・・・・・・・・・・
哲也は彼女を起こして彼女を部屋のカーペットの上に座らせた。
「どうしたんですか。何かあったんですか。よろしかったら教えて下さい。言いにくいことだったら、無理に聞き出そうとは思いませんが。何か僕で力になれることがあれば何でもします」
彼女はわっと泣き出した。
そして語り始めた。
「私がこのごはん学校に入学したのは、2年前です。大丘忍さんが、私に色々と小説のアドバイスをしてくれました。私は、こんなフリースクールにも優しい人がいるんだな、と感動しました。大丘忍さんは、(君の家に行ってもいいかい?)と聞いてきました。私は嬉しくて(はい)と二つ返事で答えました。家でも小説のアドバイスをしてくれるのかと、何て親切な人かと思いました。しかし彼は、私の部屋に入るなり、いきなり私を抱きしめて、キスしてきたんです。私は吃驚しました。そして彼は私の服を全部、脱がせ、そして自分も全裸になりました。そして勃起したマラを私のアソコに入れてきたんです。それで腰を揺すりながら、(愛しているよ。李林檎さん)と言いました。腰の前後運動は、どんどん速くなっていきました。そしてついに彼は(ああー。出るー)と叫んで、私の体内に射精したんです。私は吃驚しました。しかし彼は嬉しそうな顔つきで、ニコニコ笑っています。私は不思議に思いました。あとでごはん学校の生徒さん達に聞いてわかったことなんですが、大丘忍さんは、人を好きになることはセックスをすることだ、という妄想を持った精神病患者さんだったんです。精神病患者さんなら、悪意も責任能力もないですし、精神病患者さんは、皆でいたわってやるべきです。その後も何度も、大丘忍さんは私の家に来ては、69とか、網代本手とか、燕返しとか、ありとあらゆる四十八手の体勢で、私にセックスし続けたんです。私が泣くと、(まだ愛が足りなんですね。もっと激しくして欲しいんですね)と言ってセックスの度合いを激しくしたんです。私は心も体もボロボロになりました。男の人は女を性愛の対象と見る傾向は、一般の人でもありますが、女が男の人に求めるものは恋愛なんです。そこで、山野さんのような、純粋で女をまるで神のように大事に扱う素敵な人に出会えて、私の傷ついた心を癒して欲しかったんです。女にとってセックスなんて一時の刹那的な肉体の快感に過ぎないのに・・・・。私は3回妊娠してしまい3回とも人工中絶しました。3回目の中絶は時期が遅かったため子宮を全部を摘出しなければ命が危ないと産婦人科の医師に言われました。そのため私は仕方なく子宮の全摘の処置を受けました。そのため私はもう子供を産めない体になってしまったんです」
そう言って彼女はわっと泣き出した。
哲也は黙って聞いていた。
「そうだったんですか。そんなことがあったんですか。それはさぞつらかったでしょう。僕は何と言っていいのかわかりません」
そう言って哲也は李林檎の手をギュッと握った。
そして、咽び泣く彼女の背中を黙って優しくさすってやった。
1時間くらい。
すると、初めは、ただ茫然自失していた彼女の顔に穏やかな微笑みの微光が浮かんできた。
「哲也君。有難う。すべてを告げてスッキリしました。黙って精一杯、私を慰めてくれた哲也君のおかげで、私は救われました」
「そうですか。それは良かった。李林檎さんが僕に何を求めているのかはわかりませんが、僕はセックスが出来ないんです。セックス嫌悪症なんです。ごめんなさい。僕に出来ることは、話を聞くことと、黙って手を握ることくらいなんです」
「いえ。それでいいんです。私、本当に癒されました。救われました」
もう彼女の目に涙はなかった。
「ごはん学校の生徒さんは、自己中心で、自分がまるで神のように正しいと思っていて、自分はロクな小説を書けないのに、上から目線で、威張っている人が多いんです。哲也君。ごはん学校をやめないで下さい。お願いです。あの学校は、ソドムとゴモラの町以上に廃退した学校なんです」
「わかりました。李林檎さんのために僕はごはん学校に通います」
「私のために・・・。嬉しい。哲也さん。有難う。その一言で私は救われました」
腕時計を見ると、もう午後7時を過ぎていた。
「哲也さん。私のために長い時間をさいてくれて有難うございました」
哲也は彼女が自分のために、気を使っていることはわかった。
「今日はこれで帰ります。困ったことがあったら、いつでも電話なりメールを送るなりして下さい。すぐに駆けつけますから」
そう言って哲也は立ち上がった。
「有難う。哲也さん」
「いえ。気にしないで下さい。僕はいつも暇ですから」
哲也が李林檎の部屋を出て階下に降りようとすると、彼女もついてきた。
「では、さようなら。明日またごはん学校でお会いしましょう」
玄関で靴を履きながら哲也は言った。
「あっ。哲也さん。ちょっと待ってて」
そう言って、彼女はパタパタとキッチンの方へ走っていき、そして、すぐにもどってきた。
そして、彼女は恥ずかしそうに、そっと、小さな袋を渡した。
「これ私が作ったクッキーです。よかったら食べて下さい。私、小説は下手だけどクッキーは作れるんです」
「ありがとう」
哲也はニコッと笑って、彼女の作ったクッキーの入った袋を受け取った。
そして彼女の家を出た。
哲也は夜道を通って家に着いた。
李林檎さんの家から20分ほどかかった。
彼女の家は同じ藤沢市内だが、近くても行ったことのない場所だった。
家に入って、ただいま、と言うと母親が玄関にパタパタとやって来た。
「哲也君。遅かったわね。何かあったの?」
母親が聞いた。
「ううん。別に」
哲也は素っ気なく返事した。
「お腹へっているでしょ。お食事にしましょう」
「うん」
哲也は食卓に着いた。
食卓にはビーフシチューが乗っていた。
「今日は哲也君の好きなビーフシチューにしたの」
そう言って母親はニコッと微笑んだ。
「お母さん。僕が用があって出かけている時は、一人で先に食べてよ。お腹すいちゃうでしょ」
それは前から哲也が言っていたことだった。
しかし、いくら母親に言っても母親は哲也と一緒に食べたいらしくて、聞かなかった。
母親は哲也にビーフシチューの入った皿を渡した。
いただきます、と言って哲也と母親は遅い夕ご飯を食べ始めた。
「ねえ。哲也君。ごはん学校はどうだった?」
母親が聞いた。
「悪くなかったよ」
「そう。それはよかったわね」
母親は、それを聞いてほっと一安心した様子だった。
「友達も出来たし、小説も褒められたし。僕、ごはん学校に通おうと思う」
「そう。それはよかったわね。それを聞いて安心したわ」
母親の顔に喜色があらわれた。
母親がそれを一番、気にしていることは、哲也にはわかっていた。
それを母親の口から先に言わせるのではなく、自分から先に言って母親を安心させたかったのである。
「お母さん。友達からクッキーを貰ったよ」
そう言って哲也は、李林檎から貰ったクッキー数個をカバンから取り出して母親に渡した。
「まあ。さっそく友達が出来たのね。よかったわね」
嬉しそうな顔で母親はクッキーを受け取った。
食事が済むと、哲也は、ごちそうさま、と言って、階段を登り、自室に入った。
・・・・・・・・・・
哲也はベッドにゴロンと横になった。
そして、朝、見ていた緊縛された写真の女を見た。
哲也は裸で緊縛された写真の女をたくさん、愛していたが、その時々に応じて、一人の女にはまることが多かった。
ネットの「しばられた女性有名人たち」や「女縄」のサイト、その他のSМサイトで、気に入った女が見つかると、それをコピペしていた。
「お姉さん。ただいま」
哲也は写真の女に帰宅の挨拶をした。
「おかえりなさい。哲也くん」
写真の女が答えた。
「今日、ごはん学校、というフリースクールに行ったよ」
「どうだった。ごはん学校は?」
「そうね。変な学校だったよ。変なヤツが多かったよ」
「そうなの。それで哲也君はごはん学校を辞めるの。それとも通うの?」
「通おうと思う。李林檎さんという、可愛い女の子の友達も出来たし・・・」
「そうなの。初日から友達が出来たの。それはよかったわね」
写真の女は心から、友達が出来た哲也を祝福してくれた。
「でもお姉さん。彼女は現実に生きている人間だからね。一定の距離をとった友達としては、ちょっぴり、付き合うかもしれないけれど、僕が本当に愛しているのは、あなただけだよ」
「ありがとう。哲也くん。でも私はさびしくないわ。哲也くんは、もっと現実の女の子と付き合った方がいいと思うわ。その方が哲也くんのためだと思うの」
「いや。僕が愛しているのは、あなただけだよ」
「その気持ちは嬉しいわ。でも、私は、哲也くんに、もっと現実世界で活き活きと生きて欲しいの」
「ありがとう。お姉さん」
哲也はカバンの中から、李林檎に貰った、クッキーの入った袋を取り出した。
そして、写真の女を見ながら、クッキーを食べた。
美味しかった。
李林檎さんが手をかけて焼いてくれたと思うと一層、嬉しかった。
「お姉さん。お腹へっているでしょ。クッキーを貰ったから食べて」
そう言って哲也は、写真の女の口にクッキーを入れた。
「ありがとう」
写真の女はモグモグ、クッキーを咀嚼してゴクンと飲み込んだ。
「美味しいわ。本当言うと、ちょっとお腹が減っていたの」
「これ、今日、友達になった女の子が僕にくれたクッキーなんだ」
「そうなの。クッキーを哲也くんにあげるなんて、優しい子なのね」
「お姉さん。誤解しないで。僕が本当に愛しているのは、お姉さんだけだよ」
「その気持ちは嬉しいわ。でも私は大丈夫よ。嫉妬なんかしていないわ。だって私は哲也君に守られているんだから。私は、哲也君に、その子と親しくなって哲也君に幸せになって欲しいの」
「ありがとう。お姉さん」
哲也は李林檎に貰ったクッキーの半分を自分で食べ、半分は写真の女に食べさせた。
もう11時だった。
哲也は部屋を出て、風呂に入った。
湯船に浸かっていると、李林檎さんの顔が浮かんできた。
哲也は自分が本当に愛しているのは、やはり李林檎さんではなく、写真の女だと思った。
なぜなら、現実の女は、哲也の予想しないことを言ったり、やがては歳をとる。
しかし写真の女は永遠に若く美しく、哲也のことを本気で心配してくれるからだ。
風呂から出ると、哲也はパシャマを着て、ベッドに入った。
・・・・・・・・・
翌日から哲也のごはん学校通いが始まった。
朝、母親は哲也に、
「いってらっしゃい。つらくなったらいつでも帰ってきていいのよ」
と優しく言ってくれた。
李林檎さんはいなかった。
しかし哲也はさびしくなかった。
やはり自分が本当に愛しているのは、写真の女なのだ、と哲也は確信した。
ごはん学校は、フリースクールなので、校則というものがない。
出席しようと欠席しようと、それは生徒の自由なのである。
哲也は「先天性友達作れない症候群」という難病だったので友達は作れなかった。
それでも、哲也がフリースクール・ごはん学校に通い続けるのは、写真の女の励ましのため、そして母親の期待をかなえてやりたいという思いやり、そして李林檎さんとの約束のため、であった。
哲也は思いやりのある優しい生徒なのである。
おそらく世界一思いやりがあって優しい人間だろう。
哲也は毎日、ごはん学校に通い続けた。
しかし2週間もすると、ごはん学校の様子がわかってきた。
ごはん学校は、何の規則もないフリースクールなので、いわば、アナーキズムの社会であった。
人間をアナーキズムの状態にすると、どうなるか、という実験が、ごはん学校ではまさに行われていた。
哲也は結構、物事に対する探求心が強く、(おそらく立花隆より強いだろう)、人間という未知なる動物に興味を持っていた。
あいかわらず、大丘忍は京大医学部入学のため、受験参考書を山積みにして、一心に勉強していた。
ランチバイキングの昼ご飯では、あいかわらず、青木航とその敵対者たちが、みそ汁のぶっかけ合いをしていた。
大丘忍は、時々、詰め込みの受験勉強で頭がパンクしそうになったのか、時々、立ち上がっては、「うおー。セックスーしてー」と叫んだ。
おそらく将来、京大医学部を卒業して、いい女と結婚して、セックスする夢が嵩じてしまって我慢できなくなってしまったのだろう。
大丘は受験勉強ばかりしているわけではなく、時々、息抜きに、小説も書いていた。
大丘の書く小説は、セックス小説ばかりで、小説を書いているうちにだんだん興奮してハアハアと息が荒くなっていって、股間がテントを張ってきた。
大丘はズボンの中に手を入れて、ハアハアと息を荒くしながら、小説を書いていた。
セックス小説を書くことで、性欲を高めているのだろう。
哲也は友達は作れなかったが、ごはん学校に通っているうちに、ごはん学校の生徒たちの、交わす会話から、大体、の生徒の傾向がわかってきた。
それと、ごはん学校では、ネットの(作家でごはん)というウェブサイトに生徒の作品を投稿し、200作までは、保存しておく、というシステムだったので、哲也は過去の作品を読んでみた。
常連は8人くらい居て、常連の書く小説は、一応、ちゃんと一話完結のストーリーのある小説になっていた。
青木航は常連の一人なのだが、「坂東の風」という大長編歴史小説を、一回に、10万文字くらい書く猛者だったが、一話完結ではなく、連載小説なので、読みにくい、と、ごはん学校の雑魚どもに嫌われていた。
哲也は友達が出来なかったが、A君という哲也と同じ内気な生徒が、哲也の隣の席に座って色々と生徒の特長を教えてくれた。
A君の言うところによると。
ドリーム君は、真面目な職人的小説書きで、毎回、欠かさず小説を完成させて発表していた。
世の中をよく観察していて、絶えず、小説のネタを考えていて、自分の知らない業界でも、臆することなく関心を持ち、きちんと取材して、面白い小説に仕立てていた。
面白い小説というのは、印象に残るもので、ドリーム君の書いた、「町のパン屋さん」「貴方に愛の歌を グッマイラブ」「免許を取ろう」その他、上手いなあ、小説を面白くする方法を知っているなー、と哲也は関心した。
時にはスランプでいまいちな作品もあったが、2週に一度、必ず小説を完成させてくる根性に哲也は感心した。
A君の言うところによると、ドリーム君のお母さんは車椅子で、父親は酒飲みの、飲んだくれで、そのため、大家の代筆をして収入を得ている覆面作家らしい。つまりプロ作家らしい。
・・・・・・・・・・
上松煌は子供の頃から、自分の呼称を、どうしても「僕」と言うことが出来ず、「オレ」と言ってしまう発達障害だった。熱血教師が必死になって、上松煌に自分のことを「オレではなく僕と言いなさい」と鉄拳制裁までして、治そうとしたが、どう努力してもダメだった。母親もそれを心配して、日本全国の精神科の名医に診療させて、悪いクセを治そうとしたが、ダメだった。そのため、普通制の高校は退学させられて、このフリースクール・ごはん学校に入学することになったらしい。
彼は小説は世の中を良くする物という、おかしな妄想をもっていて、まあ、言わば、白樺派、と言えるかもしれない。そして、いかにも白樺派らしく「我」が強く、キリスト教を邪教と否定し、仏教こそ真の正しい教え、と思っていた。そして日蓮が他の仏教諸派を折伏したように、植松煌も小説は、白樺派が正統、文学は人道主義であるべき、という絶対の信念を持っていた。そのため、その主張を、他の生徒にも押しつけた。
本人は良い事をしているつもりなのだろうが、忠告される新入生にとっては、いい迷惑だった。
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茅場義彦は会話だけのライトノベルで一応、小説は完成させているが、それほど面白いとは思わなかった。やはり小説はボリュームがあった方が面白い。だからといって哲也は掌編小説を否定してはいなく、むしろキリッとしたラストのあるショートショートは、思わず、上手い、と感心させられる。その点、ラノベは、楽して小説を書こうとしている貧弱な、あらすじ小説にしか思えなかった。
茅場義彦は「ぐgyふゅfyっふゅぎゅぐyぐ」とか、大体の意味はわかるが、ふざけた英語まじりの文を書くのが好きだった。哲也にはそれを面白いとは思えなかった。
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森嶋は「んでもって・・・・」という書き出しで、書くが、自殺とか、犯罪とか、常識人から見たら危ない小説という人もいるかもしれないが、ちゃんとストーリーがあって、真面目に小説を書いている生徒だった。
短い小説が多かったが、レトリックも上手く、文章もストーリーも滑らかで、好感が持てた。
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そうげんや、アリアリドネの糸、は、特別に派手なぶっとんだストーリーではなかった。
日常で自分が体験している対人関係で感じる心の機微を小説の中で述べている、といった感じで、ぶっとんだストーリーが面白いと思っている哲也はあまり読む気がしなかった。
だが、読んでみると、結構、いい小説だと思った。
哲也にはこういう、繊細な心の機微を書いた心境小説は書けないので、そして、哲也は劣等感が強いので、自分が書けない小説はみな、上手く見えてしまうのである。
・・・・・・・・・・・
飼い猫ちゃりりん、というのも常連の一人だった。
いい年して自分の呼称を「私」ではなく、「飼い猫は・・・」と書くのが、変なヤツだなーと哲也は思っていた。
こいつは、ごはん学校の常連に共通した特徴である「我」が強く、天上天下唯我独尊といった感じで、生意気なヤツだった。
人生や芸術に意味はない、とか、芸術は生まれるもの、とか、ぶっ壊れたレコードのように同じことを繰り返し主張していた。
哲也は西洋哲学には精通していたので、飼い猫とやらの、言いたいことは容易に理解できたが、要するに、東進の塾講師でテレビによく出ている林修が言っているように「大学入学で出題される現代国語の現代文は簡単なことをわざと、わかりにくく書いている文章」というヤツで、飼い猫とやらも、「簡単なことをわかりにくく書いて気取っている」ヤツだった。
個性やexpressしたいものが特にないので、飼い猫の書く小説は、3000文字ていどで、物事の本質的なこと、テーマがありありとわかる作品ばかりだったが、そういうものを、短い文字数で、ちゃんとまとめて書けるのは、やはり才能と言える。と哲也は感じた。
哲也は非情に知性的な人間なので、嫌いなヤツの書いた小説でも、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ということをせず、作品だけを正当に評価していた。
芥川龍之介も、物事の本質的なこと、1つのテーマがあって、そのテーマがありありとわかる短編小説が多いが、飼い猫の書く小説もそれに似た所があった。
ただ自信過剰は構わないが、他の人の作品に対するコメントは上から目線で威張っているところが鼻持ちならなかった。
ある時、いかめんたい、という真面目な生徒の作品に対するコメントで、もめごとになったが、飼い猫は、「読めばわかる」とか、「You-Tubeを見て」とか、質問者の質問にちゃんと答えないいい加減な返答をするだけで、そういう所に人格の下等さが現れていた。
聞くところによると、飼い猫ちゃりりんは、他の生徒たちに、陰で、アバズレちゃりりん、と呼ばれているらしい。
・・・・・・・・・・・・・・
ここは、落ちこぼれ、不良少年少女のフリースクールなので新しい入学者が入って来ては出て行った。
新入生が、「新しく入りました。××です」と自己紹介しても、グータラなごはん学校の生徒たちは、スマホをいじったり、LINEをやったりと、好き勝手なことをしているだけで、見向きもしなかった。
しかし新入生が、「小説を書いてきました。感想もらえると嬉しいです」と言って、皆に書いてきた小説を見せると、みなは、一斉に、その小説を読み出した。
しかし、ごはん学校の生徒たちは、才能がない上に、人格も狂っていて人間のクズばかりなので、自分はロクな小説を書けないクセに、他人の小説に対してはクソミソにけなした。
なので、新入生のほとんどは、その日のうちに、うえーん、うえーんと泣きながら、一日で退学していった。
哲也は優しい性格の上、小説を見る目も優れていたため、やめていく、新入生の小説の美点を指摘してあげた。
すると新入生は、
「哲也さん。ありがとう。哲也さんにそう言って貰えると嬉しいです」
と言って、ごはん学校のクズどもに、けなされて、心身ともにボロボロになって、憔悴している顔に希望の光が差し出した。
哲也は親身になって、新入生の悩みを聞いてあげた。
「哲也さん。ありがとうございました。今日、発表した小説は僕の自信作だったんです。僕は昨日、明日ごはん学校に入学して、僕の小説をみんなが褒めてくれるのを想像してワクワクして眠れなかったんです。しかし、予想と違って自信作がボロボロにけなされて、僕は今日、家に帰ったら、首を吊って自殺しようと思っていたんです。優しい哲也さんの温かい励ましによって、僕は自殺を思いとどまることが出来ました。哲也さんは、命の恩人です」
と、今度は嬉し泣きしながら言った。
「いやあ。命の恩人なんて、そんなの大袈裟だよ。君に小説を書く能力が無いのではなく、あいつらが狂っているだけだよ。あんなキチガイどもの言うことを真に受けちゃダメだよ」
「はい。ところで、哲也さんから見て僕に小説を書く才能があるでしょうか?」
「才能の議論は難しいね。一言で簡単に言えることじゃないよ」
「哲也さんはたくさん、小説を書かれていて、しかも面白い作品ばかりです。哲也さんには、才能があるんですね。才能って生まれつきのものなんでしょうか?」
「そうだね。僕は生まれつき、特異な感性を持っていたからね。それが小説を書く上で有利だったという点はあると思っているんだ。しかしね。本当の才能、というものは、小説を書きたい、という情熱を持ち続けられるか、そして、どんなにスランプになっても、一生、小説を書き続けられるか、どうか、ということが本当の才能なんだ。これは、(天才の心理)を研究したエルンスト・クレッチマー、という学者も言っているよ。天才とは情熱家であると。君には、一生、小説を書きたいという情熱があるかね?」
「わかりません。僕には。友達で小説を書いている人がいて、読んでみたら、すごく上手くて、僕も小説を書いてみたいと思って、幼い頃、体験したことを、小説ふうに書いてみたんです。書いているうちに、面白くなってきて、僕は小説を書ける人間なんだ、と思い込んでしまっただけなんです。それで、小説を書くことが楽しく面白くなって続けて何作か書いていたんです。でも一生、小説を書き続けよう、などというような強い思いは持っていません」
「小説を書くのが楽しいと思えるのなら、小説を書ける可能性があると思うな。君はまだ若いから、無理に小説を書くことを自分の義務に課すことはないと思うよ」
「ではどうすればいいんですか?」
「君にも友達がいるだろう。お父さんもいれば、お母さんもいる。つらいことや、嬉しいこと、困った事など、生きていると日常生活で色々なことがあるだろう。小説とは人間関係のドラマだからね。そういうことを、いい加減にしてしまわないで、自分の思っていることを、真剣に話してみるといいよ。子供がムキになって真面目な話をすると、大人は、子供のクセに、とせせら笑うかもしれないけれど、そんなのは無視した方がいい。つまり自分が今、置かれている環境で精一杯、生きる、ということさ。そうすると、それが大人になった時、小説を書きたい、という強い情熱になってくれる可能性は大いにあるさ。そういう時が来たら、小説を書き出せばいい。もちろん遊ぶこともいい。真面目だけである必要はないよ。いつもいつも真面目に生きていると、疲れちゃうからね。しかし、遊ぶことのみ考えて生きていると、何もない人間になってしまう。僕が見る所、君は真面目な人間に見えるよ。だから、毎日の生活を真剣に生きることを勧めるよ。それと勉強や読書もした方がいいよ。知識があった方が小説を書くのにいいに決まっている。それと読書もだ。多くの作家が色んな小説を書いている。本を読むことは小説を書く勉強になるよ。色んな小説を読んでいると、ストーリーの作り方というものがわかってくるからね。そして、自分はどんな小説を書きたいのか、ということもわかってくるからね」
と哲也は古事記の因幡の白兎の話のように、意地悪な八十神にいじめられて泣いているウサギに優しい正しい教えを教えてあげた大穴牟遲神(大国主神)のように、優しく正しいアドバイスをしてあげた。
生徒は、因幡の白兎のように泣きながら、
「ありがとうございます。山野さん。おかげで自殺を思いとどまることが出来ました。山野さんのアドバイスのように、毎日の生活を精一杯、真剣に生きてみようと思います」
と言った。
「もちろん、日常の生活をしていて、小説を書きたい、と思ったら、小説を書いたらいいよ。菊池寛は25歳までは小説を書くな、生活を真剣にしろ、と言っているけれど、あれは、ちょっと暴論だよ。25歳という数字が何の根拠で、どこから出ているのかは、わからないけど、小説を書きたい、どうしても書きたい、と思えるようになった時が、小説を書き出せばいい時だと思うよ」
「ありがとうございます。山野さんは神様です」
大体、山野哲也のアドバイスはこんなふうだった。
・・・・・・・・・・・・・
しかし哲也ひとりが新入生に親身になってアドバイスしても、ごはん学校の(特に常連)は人格障害が多いので、そして人格障害は治らないので、新入生が、自信の小説を持って、入学してきて、その小説を披露すると、ごはん学校のクズどもは、あいかわらず、総攻撃で新入生の小説をけなしまくり、そして、それによって、新入生は泣きながら、辞めていった。