小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

南郷継正

2009-03-24 01:21:19 | Weblog
尊敬する人
私が尊敬する人は誰か、と聞かれたら、医学者の池見酉次郎先生と、空手指導者の南郷継正氏、と答える。もっとも私は「尊敬する人」という言い方が好きではない。「尊敬する人」という言い方をすると、その裏に、尊敬していない人や、人による尊敬のレベルができてしまうからだ。そもそも私は誠実な人、誠実に生きている人は、みな尊敬しているから、やはり「尊敬する人」という言葉は適切ではない。「影響を受けた人」と言った方がいい。池見酉次郎先生は、過敏性腸に悩んでいた私にとって、まさに救いだった。人格も能力も素晴らしい。
では、南郷継正氏について書きたい。私は氏にあった事はない。書物の師である。氏ほど論理能力のある人間も少ないと思う。氏は運動の本質的な事は全て考察して解明してしまう。物事に対する考察の挑戦は終わることがない。という点で学者といえる。なかには、誤った解釈や、十分でないものもある。また、氏が解明した、と言っているものの中には、すでに述べられているものもある。しかし、氏の文章には情熱がある。感動がある。優れた教師とは生徒を感動させられる能力のある人だと思う。私は氏の考察の全てが正しいとも思っていない。また良い教師は自分をのりこえて欲しいと思っているだろう。また、私が感動したからといって、他の人も感動する保証など全くない。
「私にとっての良師は他の人にとっても良師であるとは限らない」

友達

2009-03-23 01:42:33 | Weblog
ある東大出の秀才の教師が、「友達」の定義について、得意げに話したことが強く記憶に残っている。先生は人格者で気も強かったが、ある時、「友達」について話した。先生によれば、話したことがある程度では、「同級生」であり、「友達」ではないらしい。先生の定義によれば、友人が刑務所に入った時、知らんぷりせず、差し入れをする人が、「友達」らしい。私はカチンときた。私は、そんなのは、「友達」の定義でも何でもないと思った。たかが、差し入れをした程度で、「友達」などと定義するのはレベルが低すぎて論外だと思っている。私にとって、「友達」の定義とは。
友人が罪を犯して死に、神に裁かれて地獄に落ちたとする。そして自分も死んで神の裁きの時、お前には罪が無いから天国へ行けと言われた時、
「友達が地獄で苦しんでいるのに、自分だけ天国へのうのうと行くわけにはいかない、俺も地獄へ落とし、友達と苦しみをわかちあう」
と言って、それを実行する人だけが、「友達」の定義だと思う。
それ以外は、「友達」でも何でもないと私は思っている。

花粉症

2009-03-05 20:58:57 | Weblog
か、花粉症でまいった。