小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

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鳩山由紀夫分析

2010-06-01 08:00:44 | Weblog
さて、鳩山由紀夫という、わけのわからない政治家を考えてみたい。氏のように、気の弱い、腰の低い性格の政治家が首相になったら、一ヶ月でノイローゼになってしまい、潰れてしまうだろうと思っていた。しかし、実際に氏が首相になったら、ノイローゼになるどころか、どんどん生き生きとしてきた。これからもまだやる気、満々である。これはどういうことか。
その理由を考えてみたい。氏ほど、政治家らしくない政治家はいない。氏は学者肌の性格である。ほとんどの首相は、首相になると、野党の厳しい意地悪な質問責めを恐れ、その覚悟をする。そして、実際、国会の質疑は首相にとって嫌なものである。口汚く批判されるだけだからである。そして、ヘトヘトに疲れる。小渕総理は死に、安部総理はストレスによって胃を悪くした。彼らに較べると、鳩山由紀夫は、彼らより、もっと気が小さい。だから、ストレスで参ってしまうだろうと思っていた。しかし、首相になったら、ノイローゼになるどころか、どんどん生き生きとしてきた。そのわけは何か。
一つ目。野党議員だった時とは違って、首相になって、日本を動かせる権力を手にして、それが面白く、やりがい、が出てしまって、その、やりがいが、野党の批判より、はるかに面白くなっているのではないだろうか。
二つ目。氏は、腰の低い、気の弱い、おぼっちゃんである。記者の質問にも、礼儀正しく答えている。腰の低い謙虚な対応をすることに、心地よさを感じているのではないか。三島由紀夫の言う「謙遜バカ」の快感が起こっているのではないか。
三つ目。氏は学者肌の人間である。本当の学者は、自我というものが無く、透明である。そして、学者は議論することが好きである。政治家気質の政治家は、野党の手厳しい質問は苦痛でしかないが、学者は、議論が好きだから、それが苦痛ではなく、むしろ楽しみになっているのではないか。
四つ目。氏は腰が低く、威張らない。よく謝罪の発言をする。謙虚な態度で、謝罪する事にマゾヒズム的快感が起こっているのではなかろうか。
五つ目。どんな職業でも、慣れてくると、だんだん、だれてくる。氏も、だんだん、だれてきて、国民や野党の批判にも動じなくなって感覚が鈍感になって麻痺してきているのではなかろうか。氏もやはり、権力を手にした人間が、共通しておちいる心理状態になってしまっているのではないか。
六つ目。氏は学者肌の人間だから、他の首相のように自己保身にしがみつく必要がなく、日本という研究対象を与えられた学者になってしまったのではないか。本当の学者肌の人間は、何かの研究対象が与えられると、もうそれに、とりつかれてしまい、その解明、解決だけが頭を占めてしまう。
七つ目。与党の権力者は、権力者としての政権の長期維持、そのための権謀術数、国民の声、支持率を気にするが、氏は、おぼっちゃんの学者なので、日本という研究対象しか頭になくなって、他の事には鈍感になってしまっているのではなかろうか。
八つ目。己を守る保身、自己正当化がなく、自然体である。自己正当化のため苦し紛れの詭弁を探す必要がないため、野党の批判もストレスとなっていないのではなかろうか。自己正当化にやっきになる首相は、野党と激しく対立するが、氏のような自然体、腰が低い性格を逆に武器にしている人間は、暖簾に腕押しであり、野党議員としても、いじめがいがない総理大臣になっているのではなかろうか。
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