gooブログ殺人事件
という小説を書きました。
浅野浩二のHPの目次その2にアップしましたのでよろしかったらご覧ください。
gooブログ殺人事件
哲也が小説を書き出したのは大学3年の時である。
医学部に入ってしまった哲也だが彼は医者になってバリバリ働こうとは全く思っていなかった。自分は将来、何をやろうか全くわからなかったからである。哲也は理系が得意だったが、どこかの大学の理工学部に入りたいとは思っていなかった。理系であろうと文系であろうと日本では大学とは、いい企業に就職するための手段に過ぎない。なので大学に進学する目的は学問を身につけようという志ではない。大学に入っても、ほとんどの生徒はアルバイトに励み、合コンで女と付き合い、部活やサークルに励み、海外旅行に行き、つまりは遊ぶために大学に行くのである。大学の授業に出るのは100人中2、3人である。そして教授は試験は過去問しか出さないから、勉強は試験の数日前から過去問題をわけがわからなくても丸暗記する。それで単位が取れて卒業できるのである。日本の大学は遊ぶためのレジャーランドであり、大学を卒業したからといって学問が身につくものでもない。日本の大学は四年間、遊ぶためのモラトリアムであり、いい企業に就職するための手段に過ぎない。
哲也が医学部に入ったのは、哲也は子供の頃から病弱で医学に興味があったからである。
哲也は真面目で勉強熱心だったので、1年2年の教養課程で誰も出席しない講義にも出席した。そして3年からは基礎医学が始まった。
しかし哲也は「ああ。オレも一介のどこにでもいる、つまらない医者になってしまうのか」とため息をつく毎日だった。
生きがいが欲しい。自分の全身全霊を打ち込めるような生きがいが。
そんな潜在意識が哲也の心の中でくすぶり続けていた。
3年の一学期のある日のことである。
「小説家になろう」という天啓が突然、哲也に下った。
今まで一度も小説など書いたこともないのに。
しかしその天啓は哲也をガッシリと捉えてしまって、哲也はその日から小説を書き出した。
もちろんプロ作家になって筆一本で生活していくのは至難である。
俗にも筆二本という。なので、せっかく医学部に入ったのだから卒業して医者として働き、それで収入を得て、そしてプロ作家を目指そうと思ったのである。
そして哲也は医学部を卒業して医者となり、医者の仕事の傍ら小説を書いた。
2001年に哲也は、それまで書いてきた短編小説をまとめて自費出版した。
デキのいいと思う18作品の短編小説と研修病院で働いていた時に書いた5編のエッセイも加えた。タイトルは「女生徒、カチカチ山と十六の短編」とした。
しかし無名の書き手の小説なので売れない。
ネットで宣伝しなくては売れないのである。
なので哲也は急いでホームページビルダーというソフトを買ってホームページを作った。
そして「女生徒、カチカチ山と十六の短編」をホームページに載せた。
しかしやはり無名の書き手の小説は読まれない。
だが哲也にとっては小説を書いていれば満足なので小説を書き続けた。
そして小説が完成すると、それをホームページに出した。
2005年くらいからブログというものが現れ始めた。
日記のようなものである。
皆がブログをするようになった。
哲也もブログには興味があった。
哲也は小説いがいでも色々と政治のこととか、医療のこととか、スポーツのことで書きたいと思っていることがたくさんあったからである。
それで哲也は2008年の4月にブログを始めた。
ブログをサービスしている会社はいくつもあったが哲也はgooブログにした。
そして自分の思っていることをブログで書いた。
哲也の書いた記事を読んでくれる人は結構いた。
もちろん小説を書き上げると、それはホームページだけではなくブログにも載せた。
しかしgooブログでは一つの記事に1万文字までしか入れられなかった。
哲也の書く小説の傾向も学生時代の時と変わっていった。小説を書き始めた頃は3000文字くらいの短編小説も書けたのだが、短編でキリッとうまくまとめることが難しくなっていったのである。
哲也の書く小説は長くなっていき、3万文字から6万文字と長くなっていった。
なので哲也は1万文字を越す小説を書いてもブログには載せなかった。
2万文字以下の小説なら記事を二コマ使って二つに分けて載せることも出来るが、哲也にはそれがしっくりしなくて嫌だった。やはり一コマの中に入れたかった。
しかし有難いことにブログの性能が向上してくれた。
2015年にgooブログがバージョンアップして一つの記事に2万文字まで入力できるようになった。
これは助かった。
さらにその3年後には一つの記事に3万文字まで入力できるようになった。
これも助かった。
これで3万文字以下の小説はブログの一コマの中に入れて出すことが出来るようになった。
6万文字以下の小説は(上)(下)として、分けて二コマ使って入れることにした。
そうして哲也は小説を書きながらブログ記事も書いた。
2020年に新型コロナウイルスのパンデミックが起こった。
gooブログにも変化が起こった。
gooブログの記事の下に4つの〇がつくようになったのである。
それは(いいね)、(応援)、(続き希望)、(役立った)、の4つある。
なぜか(いいね)は「グッド」で(応援)は「フレーフレー」で(続き希望)は「ワクワク」で(役立った)は「パチパチ」である。
全部、似たような意味だと思うのだが。
別に記事が役立っていなくても(役立った)ボタンを押すことが出来るのである。
他の所のブログでは気に入った記事には一つの「お気に入り」ボタンがあるだけである。
しかしgooブログでは4つの〇がつくようになったのである。
gooブログにログインすると「編集トップ」という画面が現れる。
ここで8人のgooブロガーの記事が出ている。
これは「アピールチャンス」という機能でgooブロガーに平等に突然やってくるという機能だった。
「アピールチャンス」が出たら他人に見せたい自分の一つの記事を選び「登録」ボタンを押すと「編集トップ」の画面に出ている8人のgooブロガーの一人として表示されるのである。
といってもgooブログの利用者は300万人もいるので表示されるのは、1秒にも満たないほんの一瞬である。
「アピールチャンス」はgooブロガー全員に平等に突然やってくるとgooブログでは言っているがこれはウソで記事をほとんど毎日書いている人にやって来やすいのである。
中にはたまにしか記事を書かない人もいる。そういう人には「アピールチャンス」はやってこないのである。
さらにgooブログでは「アドバンス」という機能をつけた。
「アドバンス」にすると「アピールチャンス」が出やすくなるという宣伝文句だった。
「アドバンス」にすると最初の一カ月は無料と宣伝した。
しかし一カ月を過ぎると月300円クレジットカードで引き落とされる。
月300円ならたいした金額ではないが、これを1年やると一人で一年間3600円である。
「アドバンス」にする人は結構いて、gooブログ利用者300万人の10人に1人くらいは「アドバンス」にしていた。gooブログにしてみれば、一年間で30万×3600円=10億8千万円の儲けである。これに味をしめてgooブログは金の亡者になるようになった。
しかしこんなのは道義的には可笑しなことである。
ブログ記事の「いいね」の評価は記事の内容の価値によって決められるべきものであり、金をとってブログを他人に宣伝させてやるというのは道義的に可笑しい。
しかも記事の内容は「今日はねむたい」とかの一言の何の価値もないクズ文でいいのである。
ちもろん哲也はそんなバカげたことはしたくない性格だったので、「アドバンス」にはしなかった。しかしこの「アピールチャンス」機能は哲也にとって都合がよかった。というのは、「アピールチャンス」に出ている8人の記事を開いて、(いいね)、(応援)、(続き希望)、(役立った)の4つの〇を押すと相手も哲也のブログを見てくれる人が出て来るのである。もちろん全員が見てくれるわけではない。さらに相手のブログをフォローすると相手も哲也のブログをフォローバックしてくれる人もいる。もちろん相手をフォローしてもフォローバックしてくれない人の方が多い。しかし100人に1人くらいはフォローバックしてくれる人もいるのである。こうしてフォロワー0だった哲也のブログもフォロワーが増えていった。
しかし有名人や価値のあるブログ記事を書く人はアメーバブログで、gooブログは内容のない記事ばかりのじいさん、ばあさんのブログだった。
記事の内容は、圧倒的にペットの飼い猫の写真と食事の写真とスポーツ選手の写真と釣りや旅行などの趣味の記事ばかりだった。しかし哲也は内容のない記事にも、(いいね)、(応援)、(続き希望)、(役立った)の4つの〇を押した。アピールチャンスに出てくる人は大体、決まっていて、ブログランキングの上位に入りたがっている人ばかりだった。そういう人たちは、ほとんど毎日、ブログ記事を書いて投稿していた。
そして相手の人柄というものもわかってきた。
誠実で親切な人間性の優れた人は哲也が(いいね)、(応援)、(続き希望)、(役立った)の4つの〇を押すと、相手も哲也の記事に(いいね)、(応援)、(続き希望)、(役立った)の4つの〇を押してくれた。これはやはり嬉しかった。
しかし中には、いくら哲也が(いいね)、(応援)、(続き希望)、(役立った)の4つの〇を押しても、全く無反応の人もいた。
・・・・・・・・・・・
その中に岩手県に住んでいて、食事、趣味、ペットのネコ、野鳥の記事などを投稿している南原恵子という人がいた。
いつも、クソつまらん記事に、(いいね)、(応援)、(続き希望)、(役立った)の4つの〇を押してやっているのに、無反応とは失敬なヤツだと哲也もいい加減、頭にきた。
それで哲也はその人のコメント欄に、
「いつも楽しい記事を拝見しています。ペットの猫は可愛いですね。いつか一度お会いしたく思っています。いかがでしょうか?山野哲也」
と書いた。
ついでに哲也のヤフーメールのアドレスも書いておいた。
コメントを表示するかどうかはそのブロガーに任されている。
その人は哲也のコメントを表示しなかった。
その代わりに彼女は哲也のyahooメールにメールを送ってきた。
それにはこう書かれてあった。
「山野哲也さん。いつも(いいね)を押して下さって有難うございます。私も山野さんにお会いしたく思っています。南原恵子」
と書かれて住所も書かれてあった。
その後、数回メールのやりとりをして一週間後に会うことになった。
哲也は東北新幹線に乗って南原恵子の家に行った。
彼女の家に着いた。
大きな家だった。
ピンポーン。
哲也は玄関のチャイムを押した。
「はい。どなたでしょうか?」
インターホンから女の声がした。
「あの。山野哲也です」
哲也は答えた。
「あっ。山野さんですね。いらっしゃい。今すぐに行きまーす」
彼女が答えた。
家の中でパタパタと走る音が聞こえた。
そして玄関の戸が開かれた。
女が出てきた。
彼女はニコッと笑った。
「あっ。山野哲也さんですね。お待ちしておりました。私が南原恵子です。今日はようこそおいでくださいました。どうぞお入り下さい」
彼女は丁重に挨拶した。
「はじめまして。山野哲也です。それではお邪魔します」
そう言って哲也は彼女の家に入って行った。
彼女といっても南原恵子は80歳のばあさんである。
彼女は腰痛や変形性膝関節症や痛風で、そのことがつらい記事も書いていた。
哲也は6畳の部屋に通された。
部屋には彼女が可愛がっているペットの猫のリリーがいた。
彼女はブログ記事でいつもペットのリリーの写真を何枚も出していた。
「リリーや。大切なお客様が来たからね。ちょっと出て行っておくれ」
と言って彼女は猫を追い払う仕草をした。
もちろん猫には人間の言葉はわからない。
だが追い払う仕草で主人が何を求めているかは理解できたようでリリーは部屋から出て行った。
「山野さん。お食事を作って待っていました。お食事を持ってきます」
そう言って彼女は立ち上がった。
そしてキッチンに向かおうとした。
哲也はしめたと思った。
山野はカバンの中からロープを取り出すと南原恵子に襲いかかった。
山野はロープを南原恵子の首に巻いた。
「ああっ。山野さん。何をするんですか?」
「何をするかだと?そんなこともわからないのか?」
「わかりません」
「オレはお前のクソつまらん記事に100回以上も、いいね、を押してやったのにお前はオレに一度も、いいね、を押してくれなかった。相手が好意を示したならそれに応えるというのが人間としての礼儀というものだろう。仁義礼智信忠孝悌に欠ける者は死ね」
そう言って哲也は力の限り首を絞めた。
南原恵子は体をバタつかせたが80歳の体力のない婆さんである。
10分くらい哲也が首を絞めつけているうちに南原恵子はダランと脱力して動かなくなった。
こうして南原恵子は死んだ。
リリーがのっそりとやって来て死んだ南原恵子の近くでニャーニャー泣いていた。
(ふん。猫が目撃者か。しかし猫になんか人間の言葉は理解できないし喋れないからな。目撃者とは成りえないな)
と哲也は思った。
哲也はすぐに犯罪隠蔽にかかった。
哲也は床に倒れている南原恵子の首を天井の梁に引っ掛けた。
こうすれば他殺ではなく自殺と思うだろう。
そして南原恵子のパソコンを開きログインした。
そして南原恵子になりすましてブログ記事を書いた。
「私は腰痛や変形性膝関節症や痛風があり毎日がつらいです。なので今日、死にます。私のブログを読んで下さった皆さん。ありがとう。さようなら」
記事を投稿したのは午後2時頃だった。
そして哲也は持ってきた自分のパソコンを取り出して開いた。
そして自分のブログにログインして政治に関するブログ記事を書いた。
その記事はかなり長く、それは以前に書いておいた文章で、それをコピペしたのである。
そして南原恵子のyahooメールにもログインして哲也に送ったり哲也から来たメールは削除した。
もちろん哲也も南原恵子の家に行く前に彼女とのメールは全部、削除していた。
(やった。これで完全犯罪が成功した。アリバイもちゃんとある)
と哲也は喜んだ。
そして哲也は急いで南原恵子の家を出た。
幸い岩手県は人が少ないので人通りのない裏路地を通って盛岡駅に行った。
人に見られることはなかった。
哲也は東北新幹線こまち号に乗って藤沢にもどってきた。
・・・・・・・・・・・・・・・
家に着くと哲也は急いでパソコンを開いた。
そして南原恵子のブログを開いた。
「本当ですか?南原さん」「すぐに救急車を呼びます」「死なないで。南原さん」
などと彼女を心配するコメントが多数、書かれてあった。
そしてネットの記事にも彼女の「死」がニュースとして出ていた。
「本日、午後2時頃、岩手県盛岡市に住む南原恵子さん(80)が首を吊って自殺しました。南原恵子さんはgooブログ記事を書くことが趣味で、今日の2時頃に投稿したブログ記事は死ぬことを書いた遺書でした。すぐに彼女と親しいgooブログ仲間が警察と消防署に連絡して、南原恵子さんは岩手大学医学部付属病院に搬送されましたが、その時はすでに死んでおり救命措置は行われませんでした」
記事はそういうものだった。
哲也は、あっははは、ざまあみろ、と高笑いした。
その夜のニュースウォッチ9、報道ステーション、news11でも南原恵子の死が報道された。
その夜、哲也は長年の不快感が解消されて、ぐっすり眠ることが出来た。
翌日。
朝起きるのが遅い哲也はいつも午前11時くらいに起きていた。
しかし、その日は午前10時くらいにピンポーンとチャイムが鳴って哲也は起こされた。
「はーい」
と言って哲也は玄関の戸を開けた。
警察官が二人、立っていた。
「山野哲也。お前を殺人容疑で逮捕する」
そう言って警察官は山野に逮捕状を見せた。
哲也はとまどった。犯行は完全なはずだ。アリバイもある。ばれるはずかない。
「一体、僕が誰をいつ殺したというのですか?」
哲也は強い口調で言った。
「それは警察署に来てから聞こう。ともかく警察署に来てくれ」
警察官も強気の口調だった。
仕方なく哲也は家を出た。
家の前にはパトカーが止めてあったので山野はそれに乗った。
そして山野は藤沢北警察署に連れて行かれた。
そして取り調べ室に入れられた。
「君は南原恵子という人を知っているかね?」
刑事が聞いた。
「ええ。知っています。昨日、自殺したお婆さんですね。ニュースでやっていましたから」
と哲也は答えた。
「君は昨日、盛岡に行かなかったかね?」
と刑事が聞いた。
「いえ。行っていませんよ。なぜ僕が盛岡に行かなくてはならないんですか?」
と哲也が答えた。
「それを示すアリバイはあるかね?」
と刑事が聞いた。
「昨日は家でブログ記事を書いていました。政治問題に関する僕の見解です。それを2時頃にgooブログにアップしましたからね。まあそれがアリバイです」
と哲也が言った。
「それはアリバイにはならないな。ブログ記事はパスワードを知っていれば、どこでもログイン出来て記事を投稿できるからね」
と刑事が言った。
「まあ、それは確かにそうですが・・・・」
と哲也が言った。
「南原恵子さんが遺書のようなブログ記事を投稿したのは昨日の午後2時頃ですよね。それで彼女のブログ友達がそれを岩手県警に電話して、岩手大学医学部付属病院に運ばれましたが、その時にはすでに死んでいたそうじゃないですか。これは彼女の自殺で、何で僕が警察に逮捕されなきゃならないんですか?」
と哲也。
「確かに彼女は昨日の午後2時頃にブログ記事をアップしているね。しかしブログ記事はパスワードを知っていれば、他人がログイン出来て書けるじゃないかね?」
と刑事。
「それはその通りです。あなたは何か僕を疑っているように思えますが、彼女は体調不良を苦にして自殺したんじゃないんですか?」
と哲也。
「ああ。確かに彼女は腰痛、膝痛、痛風に悩まされていたよ。しかしだね、彼女の体調不良はそんなひどいものじゃないと彼女がかかっていた主治医は言うんだ。それで死亡診断書を岩手大学医学部の法医学教室で作ろうとした時、彼女が死んだのが本当に縊死なのかどうか調べたんだ。結果は彼女の首の縄の跡から、彼女は縊死ではなく誰かに絞殺されて、その後、縊死に見せかけるように彼女を吊るしておいたということがわかったんだ。君も医者だから医学生時代に法医学を学んで、法医学の死因同定の技術が凄いことは知っているだろう」
と刑事。
「ええ。知っていますよ。でもそれと僕とどういう関係があるんですか?」
と哲也。
「もうしらばっくれるのはいい加減にしたらどうかね。南原恵子さんを殺したのは君だ。君は昨日、岩手へ新幹線で行き、南原恵子さんの家へ行って彼女を絞め殺したんだ。そして縊死に見えるようにしておいたんだ。昨日の彼女のブログ記事は君が彼女のパソコンで書いたものだろう。違うかね?」
と刑事。
「僕が彼女を殺す動機は何なんですか?それと僕が昨日、南原恵子さんの家に行って彼女を殺したという証拠はあるんですか?」
哲也はいささか興奮していた。
「証拠はあるよ。確実な証拠がね」
刑事は自信に満ちた口調で言った。
「じゃあ、それを見せて下さい」
哲也は強気に言った。
刑事はデジカメを一つ哲也の前に出した。
「彼女が自殺ではなく他殺だということがわかってから警察が彼女の家を捜査したんだ。そうしたら彼女の家の中を写すデジカメが彼女の部屋の中に設置されていたんだ。彼女は一人暮らしでね。買い物や病院に行く時には、彼女は彼女にとってかけがえのない愛猫のリリーの様子を写していたんだ。一人でいる時のリリーがどんなことをするのか、後で見るのが彼女の楽しみだったんだ。君が来た時もデジカメは回っていたんだ。だから君がとった行動は全てデジカメに録画されているよ」
そう言って刑事はデジカメで昨日の様子を写し出した。
哲也が南原恵子の部屋に入った時から彼女を絞め殺した様子、そして彼女が縊死したように見せかける様子、彼女のパソコンを開いてブログ記事を書いている様子が、ハッキリと写し出された。
そして山野がロープを南原恵子の首に巻いた時からの会話もしっかりと録音されていた。
「ああっ。山野さん。何をするんですか?」
「何をするかだと?そんなこともわからないのか?」
「わかりません」
「オレはお前のクソつまらん記事に100回以上も、いいね、を押してやったのにお前はオレに一度も、いいね、を押してくれなかった。相手が好意を示したならそれに応えるというのが人間としての礼儀というものだろう。仁義礼智信忠孝悌に欠ける者は死ね」
そして哲也が力の限り首を絞めた様子。
そして彼女のパソコンを操作している様子もしっかりと写し出された。
もうここまで決定的な証拠を見せつけられては哲也は言い逃れ出来なかった。
「け、刑事さん。その通りです。彼女は僕が殺したのです。動機は、僕が言っているように、僕は彼女のブログ記事に、いいね、を押してあげたのに、彼女は僕に、いいね、を押してくれなかったからです」
哲也はガックリと項垂れて罪を認めた。
「君は確かに天才だよ。君は頭が良く努力家で公立の医学部に入った。小説家になろうと志し30年以上も小説を書いてきた。君の関心事は政治や医療の真実を追求することだ。君は精神レベルが常人とは比べ物にならないほど高い。そういう君から見ると世の人間は、ペットの猫とか食い物やスポーツなど面白おかしいことにしか興味のない世の人間たちが低レベルの人間に見えるのだろう。それでイライラしていたんだろう。違うかね?」
刑事が聞いた。
「そ、その通りです。僕は世の人間たちが低レベルだなーといつしか見下すようになっていました。僕は罪を認めます。僕はいつしか傲慢になっていました。僕は死刑になるでしょう。しかしそれは自分の犯した罪に対する罰であり僕はそれを甘んじて受けます」
哲也はポロポロ涙を流していた。
・・・・・・・・・・・・・
「うわー」
哲也は目を覚ました。
全身、汗だくだった。
時計を見ると午前3時だった。
ハアハアと息が荒かった。
あー嫌な夢を見たものだ、と哲也は思ったが、だんだん落ち着いてくると、夢でよかったな、と思うようになった。
いつしか自分が傲慢になっていたことを哲也は反省した。
これはもしかすると「お前は最近、傲慢になっているんじゃないか。それは間違っているぞ」というお釈迦様のお告げなのかもしれないと思った。
2025年5月18日(日)擱筆
という小説を書きました。
浅野浩二のHPの目次その2にアップしましたのでよろしかったらご覧ください。
gooブログ殺人事件
哲也が小説を書き出したのは大学3年の時である。
医学部に入ってしまった哲也だが彼は医者になってバリバリ働こうとは全く思っていなかった。自分は将来、何をやろうか全くわからなかったからである。哲也は理系が得意だったが、どこかの大学の理工学部に入りたいとは思っていなかった。理系であろうと文系であろうと日本では大学とは、いい企業に就職するための手段に過ぎない。なので大学に進学する目的は学問を身につけようという志ではない。大学に入っても、ほとんどの生徒はアルバイトに励み、合コンで女と付き合い、部活やサークルに励み、海外旅行に行き、つまりは遊ぶために大学に行くのである。大学の授業に出るのは100人中2、3人である。そして教授は試験は過去問しか出さないから、勉強は試験の数日前から過去問題をわけがわからなくても丸暗記する。それで単位が取れて卒業できるのである。日本の大学は遊ぶためのレジャーランドであり、大学を卒業したからといって学問が身につくものでもない。日本の大学は四年間、遊ぶためのモラトリアムであり、いい企業に就職するための手段に過ぎない。
哲也が医学部に入ったのは、哲也は子供の頃から病弱で医学に興味があったからである。
哲也は真面目で勉強熱心だったので、1年2年の教養課程で誰も出席しない講義にも出席した。そして3年からは基礎医学が始まった。
しかし哲也は「ああ。オレも一介のどこにでもいる、つまらない医者になってしまうのか」とため息をつく毎日だった。
生きがいが欲しい。自分の全身全霊を打ち込めるような生きがいが。
そんな潜在意識が哲也の心の中でくすぶり続けていた。
3年の一学期のある日のことである。
「小説家になろう」という天啓が突然、哲也に下った。
今まで一度も小説など書いたこともないのに。
しかしその天啓は哲也をガッシリと捉えてしまって、哲也はその日から小説を書き出した。
もちろんプロ作家になって筆一本で生活していくのは至難である。
俗にも筆二本という。なので、せっかく医学部に入ったのだから卒業して医者として働き、それで収入を得て、そしてプロ作家を目指そうと思ったのである。
そして哲也は医学部を卒業して医者となり、医者の仕事の傍ら小説を書いた。
2001年に哲也は、それまで書いてきた短編小説をまとめて自費出版した。
デキのいいと思う18作品の短編小説と研修病院で働いていた時に書いた5編のエッセイも加えた。タイトルは「女生徒、カチカチ山と十六の短編」とした。
しかし無名の書き手の小説なので売れない。
ネットで宣伝しなくては売れないのである。
なので哲也は急いでホームページビルダーというソフトを買ってホームページを作った。
そして「女生徒、カチカチ山と十六の短編」をホームページに載せた。
しかしやはり無名の書き手の小説は読まれない。
だが哲也にとっては小説を書いていれば満足なので小説を書き続けた。
そして小説が完成すると、それをホームページに出した。
2005年くらいからブログというものが現れ始めた。
日記のようなものである。
皆がブログをするようになった。
哲也もブログには興味があった。
哲也は小説いがいでも色々と政治のこととか、医療のこととか、スポーツのことで書きたいと思っていることがたくさんあったからである。
それで哲也は2008年の4月にブログを始めた。
ブログをサービスしている会社はいくつもあったが哲也はgooブログにした。
そして自分の思っていることをブログで書いた。
哲也の書いた記事を読んでくれる人は結構いた。
もちろん小説を書き上げると、それはホームページだけではなくブログにも載せた。
しかしgooブログでは一つの記事に1万文字までしか入れられなかった。
哲也の書く小説の傾向も学生時代の時と変わっていった。小説を書き始めた頃は3000文字くらいの短編小説も書けたのだが、短編でキリッとうまくまとめることが難しくなっていったのである。
哲也の書く小説は長くなっていき、3万文字から6万文字と長くなっていった。
なので哲也は1万文字を越す小説を書いてもブログには載せなかった。
2万文字以下の小説なら記事を二コマ使って二つに分けて載せることも出来るが、哲也にはそれがしっくりしなくて嫌だった。やはり一コマの中に入れたかった。
しかし有難いことにブログの性能が向上してくれた。
2015年にgooブログがバージョンアップして一つの記事に2万文字まで入力できるようになった。
これは助かった。
さらにその3年後には一つの記事に3万文字まで入力できるようになった。
これも助かった。
これで3万文字以下の小説はブログの一コマの中に入れて出すことが出来るようになった。
6万文字以下の小説は(上)(下)として、分けて二コマ使って入れることにした。
そうして哲也は小説を書きながらブログ記事も書いた。
2020年に新型コロナウイルスのパンデミックが起こった。
gooブログにも変化が起こった。
gooブログの記事の下に4つの〇がつくようになったのである。
それは(いいね)、(応援)、(続き希望)、(役立った)、の4つある。
なぜか(いいね)は「グッド」で(応援)は「フレーフレー」で(続き希望)は「ワクワク」で(役立った)は「パチパチ」である。
全部、似たような意味だと思うのだが。
別に記事が役立っていなくても(役立った)ボタンを押すことが出来るのである。
他の所のブログでは気に入った記事には一つの「お気に入り」ボタンがあるだけである。
しかしgooブログでは4つの〇がつくようになったのである。
gooブログにログインすると「編集トップ」という画面が現れる。
ここで8人のgooブロガーの記事が出ている。
これは「アピールチャンス」という機能でgooブロガーに平等に突然やってくるという機能だった。
「アピールチャンス」が出たら他人に見せたい自分の一つの記事を選び「登録」ボタンを押すと「編集トップ」の画面に出ている8人のgooブロガーの一人として表示されるのである。
といってもgooブログの利用者は300万人もいるので表示されるのは、1秒にも満たないほんの一瞬である。
「アピールチャンス」はgooブロガー全員に平等に突然やってくるとgooブログでは言っているがこれはウソで記事をほとんど毎日書いている人にやって来やすいのである。
中にはたまにしか記事を書かない人もいる。そういう人には「アピールチャンス」はやってこないのである。
さらにgooブログでは「アドバンス」という機能をつけた。
「アドバンス」にすると「アピールチャンス」が出やすくなるという宣伝文句だった。
「アドバンス」にすると最初の一カ月は無料と宣伝した。
しかし一カ月を過ぎると月300円クレジットカードで引き落とされる。
月300円ならたいした金額ではないが、これを1年やると一人で一年間3600円である。
「アドバンス」にする人は結構いて、gooブログ利用者300万人の10人に1人くらいは「アドバンス」にしていた。gooブログにしてみれば、一年間で30万×3600円=10億8千万円の儲けである。これに味をしめてgooブログは金の亡者になるようになった。
しかしこんなのは道義的には可笑しなことである。
ブログ記事の「いいね」の評価は記事の内容の価値によって決められるべきものであり、金をとってブログを他人に宣伝させてやるというのは道義的に可笑しい。
しかも記事の内容は「今日はねむたい」とかの一言の何の価値もないクズ文でいいのである。
ちもろん哲也はそんなバカげたことはしたくない性格だったので、「アドバンス」にはしなかった。しかしこの「アピールチャンス」機能は哲也にとって都合がよかった。というのは、「アピールチャンス」に出ている8人の記事を開いて、(いいね)、(応援)、(続き希望)、(役立った)の4つの〇を押すと相手も哲也のブログを見てくれる人が出て来るのである。もちろん全員が見てくれるわけではない。さらに相手のブログをフォローすると相手も哲也のブログをフォローバックしてくれる人もいる。もちろん相手をフォローしてもフォローバックしてくれない人の方が多い。しかし100人に1人くらいはフォローバックしてくれる人もいるのである。こうしてフォロワー0だった哲也のブログもフォロワーが増えていった。
しかし有名人や価値のあるブログ記事を書く人はアメーバブログで、gooブログは内容のない記事ばかりのじいさん、ばあさんのブログだった。
記事の内容は、圧倒的にペットの飼い猫の写真と食事の写真とスポーツ選手の写真と釣りや旅行などの趣味の記事ばかりだった。しかし哲也は内容のない記事にも、(いいね)、(応援)、(続き希望)、(役立った)の4つの〇を押した。アピールチャンスに出てくる人は大体、決まっていて、ブログランキングの上位に入りたがっている人ばかりだった。そういう人たちは、ほとんど毎日、ブログ記事を書いて投稿していた。
そして相手の人柄というものもわかってきた。
誠実で親切な人間性の優れた人は哲也が(いいね)、(応援)、(続き希望)、(役立った)の4つの〇を押すと、相手も哲也の記事に(いいね)、(応援)、(続き希望)、(役立った)の4つの〇を押してくれた。これはやはり嬉しかった。
しかし中には、いくら哲也が(いいね)、(応援)、(続き希望)、(役立った)の4つの〇を押しても、全く無反応の人もいた。
・・・・・・・・・・・
その中に岩手県に住んでいて、食事、趣味、ペットのネコ、野鳥の記事などを投稿している南原恵子という人がいた。
いつも、クソつまらん記事に、(いいね)、(応援)、(続き希望)、(役立った)の4つの〇を押してやっているのに、無反応とは失敬なヤツだと哲也もいい加減、頭にきた。
それで哲也はその人のコメント欄に、
「いつも楽しい記事を拝見しています。ペットの猫は可愛いですね。いつか一度お会いしたく思っています。いかがでしょうか?山野哲也」
と書いた。
ついでに哲也のヤフーメールのアドレスも書いておいた。
コメントを表示するかどうかはそのブロガーに任されている。
その人は哲也のコメントを表示しなかった。
その代わりに彼女は哲也のyahooメールにメールを送ってきた。
それにはこう書かれてあった。
「山野哲也さん。いつも(いいね)を押して下さって有難うございます。私も山野さんにお会いしたく思っています。南原恵子」
と書かれて住所も書かれてあった。
その後、数回メールのやりとりをして一週間後に会うことになった。
哲也は東北新幹線に乗って南原恵子の家に行った。
彼女の家に着いた。
大きな家だった。
ピンポーン。
哲也は玄関のチャイムを押した。
「はい。どなたでしょうか?」
インターホンから女の声がした。
「あの。山野哲也です」
哲也は答えた。
「あっ。山野さんですね。いらっしゃい。今すぐに行きまーす」
彼女が答えた。
家の中でパタパタと走る音が聞こえた。
そして玄関の戸が開かれた。
女が出てきた。
彼女はニコッと笑った。
「あっ。山野哲也さんですね。お待ちしておりました。私が南原恵子です。今日はようこそおいでくださいました。どうぞお入り下さい」
彼女は丁重に挨拶した。
「はじめまして。山野哲也です。それではお邪魔します」
そう言って哲也は彼女の家に入って行った。
彼女といっても南原恵子は80歳のばあさんである。
彼女は腰痛や変形性膝関節症や痛風で、そのことがつらい記事も書いていた。
哲也は6畳の部屋に通された。
部屋には彼女が可愛がっているペットの猫のリリーがいた。
彼女はブログ記事でいつもペットのリリーの写真を何枚も出していた。
「リリーや。大切なお客様が来たからね。ちょっと出て行っておくれ」
と言って彼女は猫を追い払う仕草をした。
もちろん猫には人間の言葉はわからない。
だが追い払う仕草で主人が何を求めているかは理解できたようでリリーは部屋から出て行った。
「山野さん。お食事を作って待っていました。お食事を持ってきます」
そう言って彼女は立ち上がった。
そしてキッチンに向かおうとした。
哲也はしめたと思った。
山野はカバンの中からロープを取り出すと南原恵子に襲いかかった。
山野はロープを南原恵子の首に巻いた。
「ああっ。山野さん。何をするんですか?」
「何をするかだと?そんなこともわからないのか?」
「わかりません」
「オレはお前のクソつまらん記事に100回以上も、いいね、を押してやったのにお前はオレに一度も、いいね、を押してくれなかった。相手が好意を示したならそれに応えるというのが人間としての礼儀というものだろう。仁義礼智信忠孝悌に欠ける者は死ね」
そう言って哲也は力の限り首を絞めた。
南原恵子は体をバタつかせたが80歳の体力のない婆さんである。
10分くらい哲也が首を絞めつけているうちに南原恵子はダランと脱力して動かなくなった。
こうして南原恵子は死んだ。
リリーがのっそりとやって来て死んだ南原恵子の近くでニャーニャー泣いていた。
(ふん。猫が目撃者か。しかし猫になんか人間の言葉は理解できないし喋れないからな。目撃者とは成りえないな)
と哲也は思った。
哲也はすぐに犯罪隠蔽にかかった。
哲也は床に倒れている南原恵子の首を天井の梁に引っ掛けた。
こうすれば他殺ではなく自殺と思うだろう。
そして南原恵子のパソコンを開きログインした。
そして南原恵子になりすましてブログ記事を書いた。
「私は腰痛や変形性膝関節症や痛風があり毎日がつらいです。なので今日、死にます。私のブログを読んで下さった皆さん。ありがとう。さようなら」
記事を投稿したのは午後2時頃だった。
そして哲也は持ってきた自分のパソコンを取り出して開いた。
そして自分のブログにログインして政治に関するブログ記事を書いた。
その記事はかなり長く、それは以前に書いておいた文章で、それをコピペしたのである。
そして南原恵子のyahooメールにもログインして哲也に送ったり哲也から来たメールは削除した。
もちろん哲也も南原恵子の家に行く前に彼女とのメールは全部、削除していた。
(やった。これで完全犯罪が成功した。アリバイもちゃんとある)
と哲也は喜んだ。
そして哲也は急いで南原恵子の家を出た。
幸い岩手県は人が少ないので人通りのない裏路地を通って盛岡駅に行った。
人に見られることはなかった。
哲也は東北新幹線こまち号に乗って藤沢にもどってきた。
・・・・・・・・・・・・・・・
家に着くと哲也は急いでパソコンを開いた。
そして南原恵子のブログを開いた。
「本当ですか?南原さん」「すぐに救急車を呼びます」「死なないで。南原さん」
などと彼女を心配するコメントが多数、書かれてあった。
そしてネットの記事にも彼女の「死」がニュースとして出ていた。
「本日、午後2時頃、岩手県盛岡市に住む南原恵子さん(80)が首を吊って自殺しました。南原恵子さんはgooブログ記事を書くことが趣味で、今日の2時頃に投稿したブログ記事は死ぬことを書いた遺書でした。すぐに彼女と親しいgooブログ仲間が警察と消防署に連絡して、南原恵子さんは岩手大学医学部付属病院に搬送されましたが、その時はすでに死んでおり救命措置は行われませんでした」
記事はそういうものだった。
哲也は、あっははは、ざまあみろ、と高笑いした。
その夜のニュースウォッチ9、報道ステーション、news11でも南原恵子の死が報道された。
その夜、哲也は長年の不快感が解消されて、ぐっすり眠ることが出来た。
翌日。
朝起きるのが遅い哲也はいつも午前11時くらいに起きていた。
しかし、その日は午前10時くらいにピンポーンとチャイムが鳴って哲也は起こされた。
「はーい」
と言って哲也は玄関の戸を開けた。
警察官が二人、立っていた。
「山野哲也。お前を殺人容疑で逮捕する」
そう言って警察官は山野に逮捕状を見せた。
哲也はとまどった。犯行は完全なはずだ。アリバイもある。ばれるはずかない。
「一体、僕が誰をいつ殺したというのですか?」
哲也は強い口調で言った。
「それは警察署に来てから聞こう。ともかく警察署に来てくれ」
警察官も強気の口調だった。
仕方なく哲也は家を出た。
家の前にはパトカーが止めてあったので山野はそれに乗った。
そして山野は藤沢北警察署に連れて行かれた。
そして取り調べ室に入れられた。
「君は南原恵子という人を知っているかね?」
刑事が聞いた。
「ええ。知っています。昨日、自殺したお婆さんですね。ニュースでやっていましたから」
と哲也は答えた。
「君は昨日、盛岡に行かなかったかね?」
と刑事が聞いた。
「いえ。行っていませんよ。なぜ僕が盛岡に行かなくてはならないんですか?」
と哲也が答えた。
「それを示すアリバイはあるかね?」
と刑事が聞いた。
「昨日は家でブログ記事を書いていました。政治問題に関する僕の見解です。それを2時頃にgooブログにアップしましたからね。まあそれがアリバイです」
と哲也が言った。
「それはアリバイにはならないな。ブログ記事はパスワードを知っていれば、どこでもログイン出来て記事を投稿できるからね」
と刑事が言った。
「まあ、それは確かにそうですが・・・・」
と哲也が言った。
「南原恵子さんが遺書のようなブログ記事を投稿したのは昨日の午後2時頃ですよね。それで彼女のブログ友達がそれを岩手県警に電話して、岩手大学医学部付属病院に運ばれましたが、その時にはすでに死んでいたそうじゃないですか。これは彼女の自殺で、何で僕が警察に逮捕されなきゃならないんですか?」
と哲也。
「確かに彼女は昨日の午後2時頃にブログ記事をアップしているね。しかしブログ記事はパスワードを知っていれば、他人がログイン出来て書けるじゃないかね?」
と刑事。
「それはその通りです。あなたは何か僕を疑っているように思えますが、彼女は体調不良を苦にして自殺したんじゃないんですか?」
と哲也。
「ああ。確かに彼女は腰痛、膝痛、痛風に悩まされていたよ。しかしだね、彼女の体調不良はそんなひどいものじゃないと彼女がかかっていた主治医は言うんだ。それで死亡診断書を岩手大学医学部の法医学教室で作ろうとした時、彼女が死んだのが本当に縊死なのかどうか調べたんだ。結果は彼女の首の縄の跡から、彼女は縊死ではなく誰かに絞殺されて、その後、縊死に見せかけるように彼女を吊るしておいたということがわかったんだ。君も医者だから医学生時代に法医学を学んで、法医学の死因同定の技術が凄いことは知っているだろう」
と刑事。
「ええ。知っていますよ。でもそれと僕とどういう関係があるんですか?」
と哲也。
「もうしらばっくれるのはいい加減にしたらどうかね。南原恵子さんを殺したのは君だ。君は昨日、岩手へ新幹線で行き、南原恵子さんの家へ行って彼女を絞め殺したんだ。そして縊死に見えるようにしておいたんだ。昨日の彼女のブログ記事は君が彼女のパソコンで書いたものだろう。違うかね?」
と刑事。
「僕が彼女を殺す動機は何なんですか?それと僕が昨日、南原恵子さんの家に行って彼女を殺したという証拠はあるんですか?」
哲也はいささか興奮していた。
「証拠はあるよ。確実な証拠がね」
刑事は自信に満ちた口調で言った。
「じゃあ、それを見せて下さい」
哲也は強気に言った。
刑事はデジカメを一つ哲也の前に出した。
「彼女が自殺ではなく他殺だということがわかってから警察が彼女の家を捜査したんだ。そうしたら彼女の家の中を写すデジカメが彼女の部屋の中に設置されていたんだ。彼女は一人暮らしでね。買い物や病院に行く時には、彼女は彼女にとってかけがえのない愛猫のリリーの様子を写していたんだ。一人でいる時のリリーがどんなことをするのか、後で見るのが彼女の楽しみだったんだ。君が来た時もデジカメは回っていたんだ。だから君がとった行動は全てデジカメに録画されているよ」
そう言って刑事はデジカメで昨日の様子を写し出した。
哲也が南原恵子の部屋に入った時から彼女を絞め殺した様子、そして彼女が縊死したように見せかける様子、彼女のパソコンを開いてブログ記事を書いている様子が、ハッキリと写し出された。
そして山野がロープを南原恵子の首に巻いた時からの会話もしっかりと録音されていた。
「ああっ。山野さん。何をするんですか?」
「何をするかだと?そんなこともわからないのか?」
「わかりません」
「オレはお前のクソつまらん記事に100回以上も、いいね、を押してやったのにお前はオレに一度も、いいね、を押してくれなかった。相手が好意を示したならそれに応えるというのが人間としての礼儀というものだろう。仁義礼智信忠孝悌に欠ける者は死ね」
そして哲也が力の限り首を絞めた様子。
そして彼女のパソコンを操作している様子もしっかりと写し出された。
もうここまで決定的な証拠を見せつけられては哲也は言い逃れ出来なかった。
「け、刑事さん。その通りです。彼女は僕が殺したのです。動機は、僕が言っているように、僕は彼女のブログ記事に、いいね、を押してあげたのに、彼女は僕に、いいね、を押してくれなかったからです」
哲也はガックリと項垂れて罪を認めた。
「君は確かに天才だよ。君は頭が良く努力家で公立の医学部に入った。小説家になろうと志し30年以上も小説を書いてきた。君の関心事は政治や医療の真実を追求することだ。君は精神レベルが常人とは比べ物にならないほど高い。そういう君から見ると世の人間は、ペットの猫とか食い物やスポーツなど面白おかしいことにしか興味のない世の人間たちが低レベルの人間に見えるのだろう。それでイライラしていたんだろう。違うかね?」
刑事が聞いた。
「そ、その通りです。僕は世の人間たちが低レベルだなーといつしか見下すようになっていました。僕は罪を認めます。僕はいつしか傲慢になっていました。僕は死刑になるでしょう。しかしそれは自分の犯した罪に対する罰であり僕はそれを甘んじて受けます」
哲也はポロポロ涙を流していた。
・・・・・・・・・・・・・
「うわー」
哲也は目を覚ました。
全身、汗だくだった。
時計を見ると午前3時だった。
ハアハアと息が荒かった。
あー嫌な夢を見たものだ、と哲也は思ったが、だんだん落ち着いてくると、夢でよかったな、と思うようになった。
いつしか自分が傲慢になっていたことを哲也は反省した。
これはもしかすると「お前は最近、傲慢になっているんじゃないか。それは間違っているぞ」というお釈迦様のお告げなのかもしれないと思った。
2025年5月18日(日)擱筆